「婚約破棄だ!二度と顔を見せるな!」と言われたので。

夏乃みのり

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王宮への殴り込み(予算会議)から数日後。

ハミルトン公爵邸には、つかの間の平和が訪れていました。


「素晴らしい。このペースなら、明日の公務に支障はない」


執務室で、クラウス様が感嘆の声を漏らしました。

机の上に積み上がっていた書類の山は、私の高速処理によって平野へと変わり、今は更地になっています。


「当然です。時給換算で動いている以上、無駄な残業は私のプライドが許しません」


私は紅茶を啜りながら、優雅に脚を組み替えました。

再就職して一週間。

私の生活リズムは完全に整いました。

朝はクラウス様より早く起きて市場の為替をチェックし、昼は鬼のような決裁業務をこなし、夜はきっちり定時で上がり、ふかふかのベッドで泥のように眠る。

完璧です。

ギルバート殿下の元で、不規則な生活とストレスに苛まれていた日々が嘘のようです。


「メロメ。時間が空いたな。どうだ、街へ視察(デート)にでも行かないか?」


クラウス様がウキウキと提案してきました。


「視察なら行きますが、デートなら時間外手当を請求します」


「君は本当に可愛くないな。そこがいいんだが」


そんなのどかな会話をしていた、その時です。


バンッ!!


執務室の扉が、乱暴に開け放たれました。

普段は冷静沈着な執事のセバスチャンが、珍しく息を切らして立っています。


「だ、旦那様! 緊急事態です!」


「なんだ、敵国の襲撃か?」


「いいえ、もっと厄介な……『ピンク色の嵐』が!」


セバスチャンの背後から、その『嵐』は飛び込んできました。


「メロメお姉様ぁぁぁ~!!」


甘ったるい声とともに、フリフリのドレスを纏った少女が突進してきます。

ミミ男爵令嬢です。

彼女は衛兵の制止を軽々と振り切り(どうやって?)、私のデスクの前まで来ると、バンッと両手を机につきました。


「お姉様! 相談に乗ってください!」


「……お断りします。帰ってください」


私は即答しました。

なぜ元婚約者の今カノの相談に乗らねばならないのでしょう。

常識的に考えてアウトです。


「まあまあ、そう言わずに! 私、もう限界なんですぅ!」


ミミ嬢は涙目で訴えます。


「クラウス様、不法侵入です。衛兵につまみ出させては?」


私が視線を向けると、クラウス様は面白そうに顎をさすっていました。


「いや、待て。様子がおかしいぞ。彼女、殿下の自慢をしに来たわけではないようだ」


確かに。

よく見ると、ミミ嬢の顔には、勝ち誇った笑みではなく、切実な悩みの色が浮かんでいます。


「聞いてくださいよぉ! ギルバート様ったら、全然『見て』くれないんです!」


「は? 見てくれない?」


私は首を傾げました。

殿下はミミ嬢に夢中のはずです。

公務を放り出してまで、彼女のご機嫌取りをしていたではありませんか。


「あの方は、私の外見しか見ていないんです! 私の『本質』を、ちっとも理解してくれないんです!」


「本質……? 貴女の可愛らしさとか、優しさとかですか?」


「違いますぅ!」


ミミ嬢は叫びました。

そして、あろうことか、着ていたドレスの袖をまくり上げたのです。


「私の、この『上腕二頭筋』を見てくれないんです!!」


「……はい?」


私とクラウス様は、同時に声を上げました。

ミミ嬢の細い腕。

しかし、彼女が「んっ!」と力を込めた瞬間。

ボコォッ!

ドレスの袖が悲鳴を上げ、信じられないほど見事な力こぶが隆起しました。

それはまるで、岩石のような硬度と、彫刻のような美しさを兼ね備えた筋肉の塊でした。


「……なっ!?」


クラウス様がモノクルを落としそうになりました。


「お、おい……なんだそれは。合成魔獣か?」


「失礼な! 毎日の鍛錬の賜物(マッスル)ですぅ!」


ミミ嬢はプンスカと怒りながら、さらにポーズを変えました。

今度は背中の筋肉(広背筋)をアピールします。

ドレスの背中がパツパツに張り詰め、鬼の顔が浮かび上がるようです。


「私、男爵家の四女として生まれて、ずっと身体を鍛えることだけが生きがいだったんですぅ。毎朝のスクワット五百回、丸太担ぎダッシュ十キロ、熊とのスパーリング……」


「待て待て、情報量が多い」


私が止めに入りました。

熊とのスパーリング? この子、人間ですか?


「でも、お父様もお母様も『女の子らしくしなさい』って言って、私の筋肉を否定するんです。だから私、理解ある旦那様を探すために王立学園に入学したのに……」


ミミ嬢はガックリと肩を落としました。


「ギルバート様ったら、私の腕を触っても『わあ、ぷにぷにしてて柔らかいね』なんて言うんです! これは筋肉の鎧で覆われた鋼の肉体なのに! 節穴ですか!? 眼科に行ったほうがいいですか!?」


「……なるほど」


私はようやく事態を把握しました。

この子、ただの『ぶりっ子』ではありませんでした。

ガチの『筋肉フェチ』かつ『脳筋』だったのです。

殿下が彼女に夢中になっているのは、その可愛らしい見た目と猫なで声に騙されているだけ。

彼女自身は、殿下の地位や金ではなく、『自分の筋肉を愛でてくれるかどうか』だけを基準にしていたのです。


「それで? なぜ私に相談を?」


「だって、お姉様は合理的で頭が良いって評判じゃないですかぁ! どうしたらギルバート様に、この筋肉の素晴らしさを伝えられるか、教えてください!」


ミミ嬢は、キラキラした目で私を見つめました。

その純粋すぎる眼差しに、私は毒気を抜かれたような気分になりました。

悪意がない。

本当に、ただの筋肉馬鹿なのです。


「……コンサルティング料、高いですよ?」


私はニヤリと笑いました。


「払いますぅ! 実家の倉庫に眠っていた『ミスリルダンベル』をお譲りします!」


「いりません。現金でお願いします」


「じゃあ、私のお小遣い三ヶ月分で!」


チャリン、と私の脳内の計算機が鳴りました。

悪くない取引です。

それに、これを上手く利用すれば、ギルバート殿下にさらなるダメージ(精神的負荷)を与えることができそうです。


「分かりました。引き受けましょう」


私は引き出しから一枚の紙を取り出し、サラサラとペンを走らせました。


「まず、現状の殿下は『貴女=守るべきか弱い存在』というバイアスがかかっています。これを破壊する必要があります」


「破壊! 得意ですぅ! 物理ですか?」


「精神的に、です。いいですか、明日から殿下とのデートプランを変更してください」


私は書き上げた『筋肉英才教育プログラム』をミミ嬢に渡しました。


「お茶会やショッピングはやめましょう。代わりに『護身術の練習』と称して、殿下を道場へ連れ込んでください」


「道場へ?」


「ええ。そこで『暴漢に襲われた時のシミュレーション』をするのです。貴女が暴漢役、殿下が被害者役で」


「逆じゃないんですかぁ?」


「逆だと殿下が手加減します。貴女が本気で殿下を投げ飛ばすのです。『愛のムチです♡』と言いながら」


「なるほどぉ! 私の強さを見せつければいいんですね!」


「そうです。そして、投げ飛ばした後にこう言うのです。『私の筋肉、カチカチでしょう? 触ってみて♡』と」


「キャー! 大胆! でも素敵!」


ミミ嬢は頬を染めて身悶えしました。

その動きに合わせて、大胸筋がピクピクと動いています。

恐ろしい光景です。


「それから、食事デートのメニューも変更です。これからはケーキなどの糖質は禁止。プロテイン……じゃなくて、鳥のささみとブロッコリーのみを提供してください」


「ギルバート様、食べますかねぇ?」


「『私のために、一緒にマッチョになってください』と涙ながらに訴えれば、あの単純な殿下ならイチコロです」


「お姉様、すごーい! 天才ですぅ!」


ミミ嬢は感動のあまり、私の手をガシッと握りしめました。

メリメリメリ……。

私の指の骨が悲鳴を上げかけます。


「い、痛い! 握力強すぎ!」


「あ、ごめんなさいぃ。つい興奮しちゃって」


ミミ嬢はテヘペロと舌を出しました。

……この子、もしかして私より戦闘力が高いのでは?


「ありがとうお姉様! 私、頑張ります! ギルバート様を、国一番のナイスマッスルな王にしてみせます!」


「ええ、頑張ってください。期待しています(主に殿下が地獄を見ることを)」


ミミ嬢は嵐のように去っていきました。

執務室に残されたのは、呆然とするクラウス様と、痛む右手をさする私だけ。


「……メロメ」


「はい」


「あの子、本当に男爵令嬢か? 近衛騎士団長より強そうな気配がしたが」


「人は見かけによりませんね。殿下も、とんだ猛獣を飼ってしまったようです」


「しかし、君も悪だな。あんなプランを実行したら、殿下は身も心もボロボロになるぞ」


「自業自得です。それに、国のためにもなりますよ。ひ弱な王太子が少しでも逞しくなれば、国防費の削減に繋がります」


「……君の思考回路は、どこまでいっても『国益』と『利益』だな」


クラウス様は呆れつつも、どこか楽しそうに笑いました。


「だが、退屈はしなさそうだ。君が来てから、毎日が驚きの連続だよ」


「それはどうも。では、仕事に戻りましょう。休憩時間は終了です」


私はペンを持ち直しました。

窓の外では、ミミ嬢が庭の木を一本、素手でへし折って筋トレ代わりにしているのが見えました。

……セバスチャンが泣きながら請求書を書いている姿が目に浮かびます。


ギルバート殿下。

貴方のこれからの日々が、筋肉痛とプロテインにまみれたものになることを、心よりお祈り申し上げます。

私は心の中で合掌し、再び書類の山へと立ち向かったのでした。
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