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「……計算が、合いません」
ハミルトン公爵邸のテラス。
私は夜風に当たりながら、手元の帳簿と睨めっこをしていました。
ギルバート殿下の騒動が収束してから一ヶ月。
王宮の財政はV字回復を遂げ、私の『美肌ローション』事業は海外輸出が決まり、警備会社(元・誘拐犯たち)の業績も右肩上がり。
すべてが順調。
私の資産は、一生遊んで暮らせる額を突破しました。
それなのに。
「なぜ……胸の鼓動(ビート)の数値が異常値を示すのでしょう?」
最近、ある人物のことを考えると、動悸が止まらないのです。
不整脈でしょうか。それとも過労でしょうか。
医療費がかさむのは避けたいところです。
「メロメ。ここにいたのか」
背後から、その『原因』が現れました。
クラウス様です。
今夜の彼は、いつもの執務服ではなく、フォーマルな夜会服を着こなしています。
月の光を浴びたその姿は、悔しいほどに絵になります。
「……クラウス様。何か御用でしょうか? 急ぎの決裁なら明日の朝に……」
「仕事の話ではない。君に渡したいものがあってな」
クラウス様は私の隣に立ち、夜景――王都の輝きを見下ろしました。
「この景色、どう思う?」
「そうですね。街灯の数が増えました。治安が改善し、経済活動が活発化している証拠です。電力消費量の増加が気になりますが」
「ふっ、相変わらずだな」
クラウス様は優しく笑いました。
「私は今、この国で一番幸せな男かもしれない。厄介な王太子は消え、国は豊かになり、そして何より……隣に君がいる」
「……お世辞なら、チップは弾みませんよ?」
「本心だ」
クラウス様は私の方へ向き直りました。
その表情が、急に真剣なものに変わります。
いつものからかうような余裕はなく、どこか緊張しているような。
「メロメ。君との雇用契約について、改定を申し入れたい」
「契約改定? 時給アップですか? それとも有給休暇の増額?」
私は身構えました。
交渉事なら負けません。
「いいや。……契約期間の変更だ」
「期間?」
「現在は一年ごとの更新だが……これを『無期限』にしたい」
「無期限……つまり、終身雇用ですか? 正社員登用ということですね?」
「近いが、少し違う」
クラウス様は懐から、小さな箱を取り出しました。
ベルベットの紺色の箱。
それを見た瞬間、私の商売人としての直感が警鐘を鳴らしました。
(……あの箱の大きさ、材質、そしてブランドのロゴ。推定価格、金貨五千枚以上のジュエリーケース!)
パカッ。
箱が開けられました。
中には、息を呑むほど巨大なダイヤモンドの指輪が鎮座していました。
その輝きは、街の灯りすら霞むほど。
「……っ!?」
「メロメ・ヴァンダル」
クラウス様は、片膝を地面につきました。
騎士が姫に忠誠を誓うように。
あるいは、信者が女神に祈るように。
「私と、結婚してくれ」
「…………」
時が止まりました。
私の脳内CPUが、処理落ちを起こしました。
結婚。
それは人生最大の契約であり、最もリスクが高く、かつリターンの予測が困難なプロジェクト。
「私と結婚すれば、ハミルトン公爵家の全資産の共有権、及び運用権を君に譲渡する。屋敷の改装も、人事権も、すべて君の好きにしていい」
クラウス様は、畳み掛けるように好条件(メリット)を提示してきました。
「さらに、君のビジネスを全面的にバックアップする。君が『世界一の富豪になりたい』と言うなら、私が世界中から金をかき集めてこよう」
「……条件は、最高ですね」
私は震える声で答えました。
喉がカラカラです。
「ですが、デメリットもあります。宰相夫人としての公務、社交、跡継ぎ問題……私の自由時間は大幅に削減されます」
「それについては、私が全力でサポートする。君に負担はかけさせない。……それに」
クラウス様は、切なげに眉を下げました。
「私という『物件』は、君にとって魅力的ではないか?」
「え?」
「顔は悪くないはずだ。頭脳も君と対等に渡り合える。健康状態も良好。……夫としての性能(スペック)は、最高水準だと自負しているのだが」
自分で言いますか。
でも、否定できないのが悔しいところです。
「……確かに。貴方は優良物件です。手放すのは惜しい」
「だろう?」
「でも……」
私は躊躇いました。
条件や損得ではありません。
もっと根本的な、私の心の問題。
「私は……守銭奴ですよ? 可愛げもなくて、ロマンチックな言葉も言えなくて、貴方のキスより金貨の枚数を数えてしまうような女ですよ?」
私は俯きました。
「そんな女を妻にして、貴方は本当に後悔しませんか? いつか『もっと普通の可愛い子が良かった』と思う日が来ませんか?」
それが怖かったのです。
ギルバート殿下に捨てられたトラウマ。
『可愛げがない』という呪い。
しかし。
「ふん、何を言うかと思えば」
クラウス様は鼻で笑いました。
そして、私の手を取り、強引に指輪をはめました。
「私は宰相だぞ? リスクのない投資など、退屈でやってられない」
「……クラウス様」
「君のその計算高さも、金への執着も、冷徹な判断力も、すべて私が買い取る。君が守銭奴なら、私はその上を行く『強欲な収集家』になろう」
クラウス様は立ち上がり、私の顔を両手で包み込みました。
「私は君が欲しい。タダでも、全財産をはたいても、たとえ国を敵に回しても。……これが私の『最終提示額(ファイナルオファー)』だ」
その瞳には、一点の曇りもありませんでした。
私という人間を、丸ごと受け入れ、必要としてくれている。
(……ああ、もう)
私の目から、計算外の液体(涙)が溢れてきました。
これはコストの無駄遣いですが、今だけは許してください。
「……契約、成立です」
私は泣き笑いで答えました。
「謹んで、お受けいたします。……返品不可ですよ?」
「ああ、一生離さない」
クラウス様が顔を寄せました。
唇が重なります。
初めての、契約でも業務でもない、愛のキス。
甘くて、熱くて、頭がくらくらするような感覚。
(……んんっ)
クラウス様の腕の中でとろけそうになりながら、私の脳裏には、ふとある計算式が浮かんでいました。
『結婚式の祝儀相場は一人当たり金貨三枚。招待客が五百人として、金貨一千五百枚。会場費と衣装代を差し引いても、利益率は約六〇%……悪くないわね』
……やっぱり、私はブレないようです。
でも、この計算が終わるまでは、もう少しだけ、この幸せなキスに浸っていたいと思いました。
「……愛しているよ、メロメ」
「……私もです、クラウス様。貴方の資産と同じくらい」
「そこは『資産よりも』と言えないのか?」
「嘘はつけませんから」
私たちは月明かりの下、呆れながらも笑い合い、再び唇を重ねました。
こうして、元悪役令嬢と冷徹宰相の『永久就職契約』は、無事に締結されたのでした。
ハミルトン公爵邸のテラス。
私は夜風に当たりながら、手元の帳簿と睨めっこをしていました。
ギルバート殿下の騒動が収束してから一ヶ月。
王宮の財政はV字回復を遂げ、私の『美肌ローション』事業は海外輸出が決まり、警備会社(元・誘拐犯たち)の業績も右肩上がり。
すべてが順調。
私の資産は、一生遊んで暮らせる額を突破しました。
それなのに。
「なぜ……胸の鼓動(ビート)の数値が異常値を示すのでしょう?」
最近、ある人物のことを考えると、動悸が止まらないのです。
不整脈でしょうか。それとも過労でしょうか。
医療費がかさむのは避けたいところです。
「メロメ。ここにいたのか」
背後から、その『原因』が現れました。
クラウス様です。
今夜の彼は、いつもの執務服ではなく、フォーマルな夜会服を着こなしています。
月の光を浴びたその姿は、悔しいほどに絵になります。
「……クラウス様。何か御用でしょうか? 急ぎの決裁なら明日の朝に……」
「仕事の話ではない。君に渡したいものがあってな」
クラウス様は私の隣に立ち、夜景――王都の輝きを見下ろしました。
「この景色、どう思う?」
「そうですね。街灯の数が増えました。治安が改善し、経済活動が活発化している証拠です。電力消費量の増加が気になりますが」
「ふっ、相変わらずだな」
クラウス様は優しく笑いました。
「私は今、この国で一番幸せな男かもしれない。厄介な王太子は消え、国は豊かになり、そして何より……隣に君がいる」
「……お世辞なら、チップは弾みませんよ?」
「本心だ」
クラウス様は私の方へ向き直りました。
その表情が、急に真剣なものに変わります。
いつものからかうような余裕はなく、どこか緊張しているような。
「メロメ。君との雇用契約について、改定を申し入れたい」
「契約改定? 時給アップですか? それとも有給休暇の増額?」
私は身構えました。
交渉事なら負けません。
「いいや。……契約期間の変更だ」
「期間?」
「現在は一年ごとの更新だが……これを『無期限』にしたい」
「無期限……つまり、終身雇用ですか? 正社員登用ということですね?」
「近いが、少し違う」
クラウス様は懐から、小さな箱を取り出しました。
ベルベットの紺色の箱。
それを見た瞬間、私の商売人としての直感が警鐘を鳴らしました。
(……あの箱の大きさ、材質、そしてブランドのロゴ。推定価格、金貨五千枚以上のジュエリーケース!)
パカッ。
箱が開けられました。
中には、息を呑むほど巨大なダイヤモンドの指輪が鎮座していました。
その輝きは、街の灯りすら霞むほど。
「……っ!?」
「メロメ・ヴァンダル」
クラウス様は、片膝を地面につきました。
騎士が姫に忠誠を誓うように。
あるいは、信者が女神に祈るように。
「私と、結婚してくれ」
「…………」
時が止まりました。
私の脳内CPUが、処理落ちを起こしました。
結婚。
それは人生最大の契約であり、最もリスクが高く、かつリターンの予測が困難なプロジェクト。
「私と結婚すれば、ハミルトン公爵家の全資産の共有権、及び運用権を君に譲渡する。屋敷の改装も、人事権も、すべて君の好きにしていい」
クラウス様は、畳み掛けるように好条件(メリット)を提示してきました。
「さらに、君のビジネスを全面的にバックアップする。君が『世界一の富豪になりたい』と言うなら、私が世界中から金をかき集めてこよう」
「……条件は、最高ですね」
私は震える声で答えました。
喉がカラカラです。
「ですが、デメリットもあります。宰相夫人としての公務、社交、跡継ぎ問題……私の自由時間は大幅に削減されます」
「それについては、私が全力でサポートする。君に負担はかけさせない。……それに」
クラウス様は、切なげに眉を下げました。
「私という『物件』は、君にとって魅力的ではないか?」
「え?」
「顔は悪くないはずだ。頭脳も君と対等に渡り合える。健康状態も良好。……夫としての性能(スペック)は、最高水準だと自負しているのだが」
自分で言いますか。
でも、否定できないのが悔しいところです。
「……確かに。貴方は優良物件です。手放すのは惜しい」
「だろう?」
「でも……」
私は躊躇いました。
条件や損得ではありません。
もっと根本的な、私の心の問題。
「私は……守銭奴ですよ? 可愛げもなくて、ロマンチックな言葉も言えなくて、貴方のキスより金貨の枚数を数えてしまうような女ですよ?」
私は俯きました。
「そんな女を妻にして、貴方は本当に後悔しませんか? いつか『もっと普通の可愛い子が良かった』と思う日が来ませんか?」
それが怖かったのです。
ギルバート殿下に捨てられたトラウマ。
『可愛げがない』という呪い。
しかし。
「ふん、何を言うかと思えば」
クラウス様は鼻で笑いました。
そして、私の手を取り、強引に指輪をはめました。
「私は宰相だぞ? リスクのない投資など、退屈でやってられない」
「……クラウス様」
「君のその計算高さも、金への執着も、冷徹な判断力も、すべて私が買い取る。君が守銭奴なら、私はその上を行く『強欲な収集家』になろう」
クラウス様は立ち上がり、私の顔を両手で包み込みました。
「私は君が欲しい。タダでも、全財産をはたいても、たとえ国を敵に回しても。……これが私の『最終提示額(ファイナルオファー)』だ」
その瞳には、一点の曇りもありませんでした。
私という人間を、丸ごと受け入れ、必要としてくれている。
(……ああ、もう)
私の目から、計算外の液体(涙)が溢れてきました。
これはコストの無駄遣いですが、今だけは許してください。
「……契約、成立です」
私は泣き笑いで答えました。
「謹んで、お受けいたします。……返品不可ですよ?」
「ああ、一生離さない」
クラウス様が顔を寄せました。
唇が重なります。
初めての、契約でも業務でもない、愛のキス。
甘くて、熱くて、頭がくらくらするような感覚。
(……んんっ)
クラウス様の腕の中でとろけそうになりながら、私の脳裏には、ふとある計算式が浮かんでいました。
『結婚式の祝儀相場は一人当たり金貨三枚。招待客が五百人として、金貨一千五百枚。会場費と衣装代を差し引いても、利益率は約六〇%……悪くないわね』
……やっぱり、私はブレないようです。
でも、この計算が終わるまでは、もう少しだけ、この幸せなキスに浸っていたいと思いました。
「……愛しているよ、メロメ」
「……私もです、クラウス様。貴方の資産と同じくらい」
「そこは『資産よりも』と言えないのか?」
「嘘はつけませんから」
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