「婚約破棄だ!二度と顔を見せるな!」と言われたので。

夏乃みのり

文字の大きさ
23 / 28

23

しおりを挟む
「……計算が、合いません」


ハミルトン公爵邸のテラス。

私は夜風に当たりながら、手元の帳簿と睨めっこをしていました。


ギルバート殿下の騒動が収束してから一ヶ月。

王宮の財政はV字回復を遂げ、私の『美肌ローション』事業は海外輸出が決まり、警備会社(元・誘拐犯たち)の業績も右肩上がり。

すべてが順調。

私の資産は、一生遊んで暮らせる額を突破しました。


それなのに。


「なぜ……胸の鼓動(ビート)の数値が異常値を示すのでしょう?」


最近、ある人物のことを考えると、動悸が止まらないのです。

不整脈でしょうか。それとも過労でしょうか。

医療費がかさむのは避けたいところです。


「メロメ。ここにいたのか」


背後から、その『原因』が現れました。

クラウス様です。

今夜の彼は、いつもの執務服ではなく、フォーマルな夜会服を着こなしています。

月の光を浴びたその姿は、悔しいほどに絵になります。


「……クラウス様。何か御用でしょうか? 急ぎの決裁なら明日の朝に……」


「仕事の話ではない。君に渡したいものがあってな」


クラウス様は私の隣に立ち、夜景――王都の輝きを見下ろしました。


「この景色、どう思う?」


「そうですね。街灯の数が増えました。治安が改善し、経済活動が活発化している証拠です。電力消費量の増加が気になりますが」


「ふっ、相変わらずだな」


クラウス様は優しく笑いました。


「私は今、この国で一番幸せな男かもしれない。厄介な王太子は消え、国は豊かになり、そして何より……隣に君がいる」


「……お世辞なら、チップは弾みませんよ?」


「本心だ」


クラウス様は私の方へ向き直りました。

その表情が、急に真剣なものに変わります。

いつものからかうような余裕はなく、どこか緊張しているような。


「メロメ。君との雇用契約について、改定を申し入れたい」


「契約改定? 時給アップですか? それとも有給休暇の増額?」


私は身構えました。

交渉事なら負けません。


「いいや。……契約期間の変更だ」


「期間?」


「現在は一年ごとの更新だが……これを『無期限』にしたい」


「無期限……つまり、終身雇用ですか? 正社員登用ということですね?」


「近いが、少し違う」


クラウス様は懐から、小さな箱を取り出しました。

ベルベットの紺色の箱。

それを見た瞬間、私の商売人としての直感が警鐘を鳴らしました。

(……あの箱の大きさ、材質、そしてブランドのロゴ。推定価格、金貨五千枚以上のジュエリーケース!)


パカッ。


箱が開けられました。

中には、息を呑むほど巨大なダイヤモンドの指輪が鎮座していました。

その輝きは、街の灯りすら霞むほど。


「……っ!?」


「メロメ・ヴァンダル」


クラウス様は、片膝を地面につきました。

騎士が姫に忠誠を誓うように。

あるいは、信者が女神に祈るように。


「私と、結婚してくれ」


「…………」


時が止まりました。

私の脳内CPUが、処理落ちを起こしました。

結婚。

それは人生最大の契約であり、最もリスクが高く、かつリターンの予測が困難なプロジェクト。


「私と結婚すれば、ハミルトン公爵家の全資産の共有権、及び運用権を君に譲渡する。屋敷の改装も、人事権も、すべて君の好きにしていい」


クラウス様は、畳み掛けるように好条件(メリット)を提示してきました。


「さらに、君のビジネスを全面的にバックアップする。君が『世界一の富豪になりたい』と言うなら、私が世界中から金をかき集めてこよう」


「……条件は、最高ですね」


私は震える声で答えました。

喉がカラカラです。


「ですが、デメリットもあります。宰相夫人としての公務、社交、跡継ぎ問題……私の自由時間は大幅に削減されます」


「それについては、私が全力でサポートする。君に負担はかけさせない。……それに」


クラウス様は、切なげに眉を下げました。


「私という『物件』は、君にとって魅力的ではないか?」


「え?」


「顔は悪くないはずだ。頭脳も君と対等に渡り合える。健康状態も良好。……夫としての性能(スペック)は、最高水準だと自負しているのだが」


自分で言いますか。

でも、否定できないのが悔しいところです。


「……確かに。貴方は優良物件です。手放すのは惜しい」


「だろう?」


「でも……」


私は躊躇いました。

条件や損得ではありません。

もっと根本的な、私の心の問題。


「私は……守銭奴ですよ? 可愛げもなくて、ロマンチックな言葉も言えなくて、貴方のキスより金貨の枚数を数えてしまうような女ですよ?」


私は俯きました。


「そんな女を妻にして、貴方は本当に後悔しませんか? いつか『もっと普通の可愛い子が良かった』と思う日が来ませんか?」


それが怖かったのです。

ギルバート殿下に捨てられたトラウマ。

『可愛げがない』という呪い。


しかし。


「ふん、何を言うかと思えば」


クラウス様は鼻で笑いました。

そして、私の手を取り、強引に指輪をはめました。


「私は宰相だぞ? リスクのない投資など、退屈でやってられない」


「……クラウス様」


「君のその計算高さも、金への執着も、冷徹な判断力も、すべて私が買い取る。君が守銭奴なら、私はその上を行く『強欲な収集家』になろう」


クラウス様は立ち上がり、私の顔を両手で包み込みました。


「私は君が欲しい。タダでも、全財産をはたいても、たとえ国を敵に回しても。……これが私の『最終提示額(ファイナルオファー)』だ」


その瞳には、一点の曇りもありませんでした。

私という人間を、丸ごと受け入れ、必要としてくれている。


(……ああ、もう)


私の目から、計算外の液体(涙)が溢れてきました。

これはコストの無駄遣いですが、今だけは許してください。


「……契約、成立です」


私は泣き笑いで答えました。


「謹んで、お受けいたします。……返品不可ですよ?」


「ああ、一生離さない」


クラウス様が顔を寄せました。

唇が重なります。


初めての、契約でも業務でもない、愛のキス。

甘くて、熱くて、頭がくらくらするような感覚。


(……んんっ)


クラウス様の腕の中でとろけそうになりながら、私の脳裏には、ふとある計算式が浮かんでいました。


『結婚式の祝儀相場は一人当たり金貨三枚。招待客が五百人として、金貨一千五百枚。会場費と衣装代を差し引いても、利益率は約六〇%……悪くないわね』


……やっぱり、私はブレないようです。

でも、この計算が終わるまでは、もう少しだけ、この幸せなキスに浸っていたいと思いました。


「……愛しているよ、メロメ」


「……私もです、クラウス様。貴方の資産と同じくらい」


「そこは『資産よりも』と言えないのか?」


「嘘はつけませんから」


私たちは月明かりの下、呆れながらも笑い合い、再び唇を重ねました。

こうして、元悪役令嬢と冷徹宰相の『永久就職契約』は、無事に締結されたのでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

弁えすぎた令嬢

ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
 元公爵令嬢のコロネ・ワッサンモフは、今は市井の食堂の2階に住む平民暮らしをしている。彼女が父親を亡くしてからの爵位は、叔父(父親の弟)が管理してくれていた。  彼女には亡き父親の決めた婚約者がいたのだが、叔父の娘が彼を好きだと言う。  彼女は思った。 (今の公爵は叔父なのだから、その娘がこの家を継ぐ方が良いのではないか)と。  今後は彼らの世話にならず、一人で生きていくことにしよう。そんな気持ちで家を出たコロネだった。  小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。

氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―

柴田はつみ
恋愛
亡国との同盟の証として、大国ターナルの若き王――ギルベルトに嫁いだエルフレイデ。 しかし、結婚初夜に彼女を待っていたのは、氷の刃のように冷たい拒絶だった。 「お前を抱くことはない。この国に、お前の居場所はないと思え」 屈辱に震えながらも、エルフレイデは亡き母の教え―― 「己の誇り(たましい)を決して売ってはならない」――を胸に刻み、静かに、しかし凛として言い返す。 「承知いたしました。ならば私も誓いましょう。生涯、あなたと褥を共にすることはございません」 愛なき結婚、冷遇される王妃。 それでも彼女は、逃げも嘆きもせず、王妃としての務めを完璧に果たすことで、己の価値を証明しようとする。 ――孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした

由香
ファンタジー
追放された悪役令嬢が選んだのは復讐ではなく、母として息子を守ること。 無自覚天才に育った息子は、魔法を遊び感覚で扱い、王国を震撼させてしまう。 再び招かれたのは、かつて母を追放した国。 礼儀正しく圧倒する息子と、静かに完全勝利する母。 これは、親子が選ぶ“最も美しいざまぁ”。

処理中です...