断罪中、味方が多すぎて王子が孤立している件について

夏乃みのり

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結婚式を三日後に控えた夜。
公爵邸の書斎は、戦場のような様相を呈していた。


「……ダメです。この配置では、東方諸国の外交官と、西の貿易商が隣り合ってしまいます。彼らは犬猿の仲なので、最低でもテーブル二つ分は離さないと喧嘩が始まります」


私は机に広げられた巨大な座席表を睨みつけ、赤いペンで修正を書き込んでいた。


「それから、エルフの女王様の席ですが、風上にはドワーフ族を配置しないでください。エルフは鉄と油の匂いに敏感なので、くしゃみが止まらなくなります」


「は、はいっ! すぐに修正します!」


補佐の文官たちが悲鳴を上げながら走り回る。
私の結婚式は、当初の予想通り、いやそれ以上に巨大なイベントへと膨れ上がっていた。
招待客は三千人超。
その中には各国の要人、異種族の長、そして癖の強い下町の友人たちが含まれている。


失敗は許されない。
もし席次一つ間違えば、国際問題に発展しかねないのだ。


(私がしっかりしなきゃ。完璧な式にしないと、アレクセイ様の顔に泥を塗ることになる……!)


プレッシャーが胃を締め上げる。
私はここ数日、まともに寝ていなかった。
頭の中は常に段取りとリスク管理で埋め尽くされている。


「ラミリア様、こちらの引き出物のリストですが……」
「ラミリア様、ファンファーレのタイミングについて楽団長が……」
「ラミリア様、警備隊長から緊急の確認が……」


次々と持ち込まれる案件。
私はその全てに即答し、指示を飛ばす。
休んでいる暇はない。
私は「有能な事務官」なのだから。
期待に応えなければ。
アレクセイ様の妻として、ふさわしい働きをしなければ。


「……ラミリア」


ふいに、頭上から声が降ってきた。
ハッとして顔を上げると、いつの間にかアレクセイ様がデスクの前に立っていた。
眉間に深い皺を刻んでいる。


「あ、アレクセイ様。すみません、気づかなくて。……あの、衣装の最終確認でしたら、あと十分ほど待っていただけますか? 今、この座席パズルを解かないと……」


「ラミリア」


アレクセイ様は、私の手からペンを取り上げた。
そして、そのまま私の腕を掴み、強引に立たせた。


「えっ? ちょっ、アレクセイ様!?」


「休憩だ。……いや、業務停止命令だ」


「で、ですが、まだ終わっていません! これだけは片付けないと!」


「お前がやる必要はない。文官たちに任せろ」


「でも、彼らだけでは細かい調整が……!」


「いいから来い」


問答無用だった。
アレクセイ様は私を横抱きに抱え上げると、呆気に取られる文官たちに向かって一言告げた。


「これより、ラミリアは私の専有物とする。……誰一人として、部屋に近づくな」


「は、はいぃぃっ!!」


文官たちが直立不動で敬礼する中、私は連れ去られた。


***


連れてこられたのは、アレクセイ様の私室だった。
広々としたソファに、私はそっと下ろされた。
部屋の照明は落とされ、暖炉の火だけがパチパチと燃えている。
静かだ。
先ほどまでの喧騒が嘘のよう。


「……アレクセイ様。私、戻らないと」


私は立ち上がろうとした。
焦燥感が消えないのだ。
じっとしていると、不安が押し寄せてくる。
「何もしない私」に価値があるのだろうか、という古傷のような恐怖。


しかし、アレクセイ様が私の肩を押さえ、座らせた。
そして、私の隣に腰を下ろし、ため息をついた。


「……鏡を見てみろ」


「え?」


「酷い顔だ。目の下にクマができているぞ」


「うっ……」


痛いところを突かれた。
美容魔法のエステ効果も、徹夜続きでは追いつかないらしい。


「式当日に、花嫁が倒れていては笑い話にもならん。……なぜ、そこまで自分を追い詰める?」


アレクセイ様の静かな問いに、私は言葉に詰まった。
俯き、膝の上で手を握りしめる。


「……怖いんです」


「怖い?」


「はい。……今回の結婚式は、あまりにも規模が大きすぎて。世界中の注目が集まっています。もし私が失敗したら……『やっぱり平民上がりの娘には荷が重かった』とか、『公爵様の顔を潰した』とか言われるんじゃないかって」


本音がポロリとこぼれた。


「私は、貴方にふさわしい完璧な妻でありたいんです。そのためには、私が誰よりも働いて、完璧にコントロールしないと……」


私の声が震える。
これが、いわゆるマリッジブルーというやつなのだろうか。
幸せなはずなのに、プレッシャーに押しつぶされそうだ。


「……馬鹿なやつだ」


アレクセイ様が呟いた。
呆れを含んだ声。
ああ、やはり失望されただろうか。
そう思って身を縮めた瞬間。


ふわっ。


温かい何かに包まれた。
アレクセイ様が、私を抱きしめていた。
優しく、包み込むように。


「ラミリア。……私は、完璧な『事務総長』と結婚するわけではないぞ」


「え……?」


「お前が有能なのは知っている。だが、私が求めているのは、完璧な式次第でも、ミスのない座席表でもない」


彼は私の耳元で、甘く囁いた。


「お前が、幸せそうに笑っている姿だ。……それ以外に、何の価値がある?」


「でも、私が何もしないと、現場が混乱して……」


「混乱などさせればいい。外交官同士が喧嘩? 私が氷漬けにして黙らせる。エルフがくしゃみ? 風魔法で吹き飛ばせばいい。……そんな些細なことより、お前の肌荒れの方が、私にとっては国家存亡の危機だ」


あまりに極端な理論に、私は思わず吹き出しそうになった。


「……なんですか、それ」


「本気だ。……ラミリア、聞きなさい」


アレクセイ様は私の体を離し、両手で私の頬を包み込んだ。
その瞳が、真剣な光を宿して私を射抜く。


「君が何もしなくても、私が全てやる」


「……っ」


「面倒な調整も、外交の根回しもしなくていい。君はただ、綺麗なドレスを着て、美味しいものを食べて、私の隣で笑っていてくれればいい。……君の笑顔一つで、私は世界中を敵に回しても勝てる気がするのだから」


殺し文句だ。
心臓が跳ね上がり、体温が一気に上昇する。
この人は、どうしてこうも真っ直ぐに、私の欲しい言葉をくれるのだろう。


「……ずるいです、アレクセイ様」


「何がだ?」


「そんな風に言われたら……私、本当に何もしない『ダメな奥さん』になっちゃいますよ?」


「大歓迎だ。……私に甘やかされる覚悟をしろと言っただろう?」


彼はニヤリと笑うと、サイドテーブルから小箱を取り出した。
有名店の高級チョコレートだ。


「さあ、口を開けろ」


「えっ、自分で食べます!」


「ダメだ。お前は疲れている。指一本動かすのも禁止だ」


彼はチョコレートを一粒摘み、私の口元へ運んだ。
恥ずかしすぎて爆発しそうだが、彼の瞳が「食べるまで許さん」と言っている。
私は観念して、パクリと食べた。


甘い。
濃厚なカカオの香りが広がり、脳の疲れが溶けていくようだ。


「美味しいか?」


「……はい、とても」


「なら、もう一つ」


「あぐっ……」


まるで小鳥に餌を与えるように、次々と甘味を投入される。
甘やかされている。
徹底的に、甘やかされている。


「……ラミリア」


「はい……もぐもぐ」


「膝枕、してやろうか?」


「ぶっ!!」


私はチョコを吹き出しそうになった。
あの『氷の公爵』が?
膝枕を?
する側?


「な、何を言ってるんですか!? 公爵様の膝を枕にするなんて、不敬罪で首が飛びます!」


「誰も見ていない。……ほら、こっちへ来い」


彼はソファにゆったりと座り直し、自分の太ももをポンポンと叩いた。
拒否権はないらしい。
私はおずおずと、彼の膝に頭を乗せて横になった。


……硬い。
筋肉質で引き締まった太ももだ。
でも、不思議と落ち着く。
彼の体温と、微かに香るシトラスの香りが、私を安心させてくれる。


「……髪、ボサボサですね」


「お前が撫でてくれるなら、構わん」


アレクセイ様は、大きな手で私の髪を梳き始めた。
その手つきは優しく、一定のリズムで、私を眠りへと誘う。


「……少し、眠れ」


「でも、仕事が……」


「私が結界を張った。朝まで誰も入ってこられない。……安心しろ、世界は滅びない」


彼の低音ボイスが、子守唄のように響く。


「お前が目覚める頃には、私が全て片付けておいてやる。……だから、夢の中くらい、仕事のことは忘れろ」


「……アレクセイ様……」


「おやすみ、私の愛しい人」


意識が遠のく。
不安も、焦りも、全て彼が吸い取ってくれたようだった。
私は、彼の手の温もりに包まれながら、深い眠りの底へと落ちていった。


翌朝。
私が目覚めると、机の上には完璧に修正された座席表と、各部署への指示書が置かれていた。
筆跡は、アレクセイ様のものだった。
しかも、隅っこに『ラミリア、おはよう』という可愛いメモ書き付きで。


「……本当に、敵わないなぁ」


私はそのメモを胸に抱きしめた。
マリッジブルーなんて、どこかへ消し飛んでいた。
私がすべきことは、悩むことじゃない。
この最強で最高の旦那様を信じて、思いっきり幸せになることだ。


「よし! 今日も頑張ろう……じゃなくて、楽しもう!」


私は鏡に向かってニッコリと笑いかけた。
そこには、クマが消え、血色の良い笑顔の花嫁が映っていた。
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