婚約破棄は蜜の味! ~追放された悪役令嬢〜

夏乃みのり

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お菓子工房の建設は、順調そのものだった。
腕利きの職人たちが、私の理想(という名の欲望)を形にすべく、毎日汗を流してくれている。
しかし、完成を待つのももどかしいのが、食いしん坊というものだ。

「うーん、こちらのハニークッキーは、もう少しだけ塩を効かせた方が、甘さが引き立ちますわね」

私は工房の完成を待ちきれず、領主の館の厨房を借りては、来る日も来る日も新作スイーツの開発に没頭していた。
バターと小麦粉の焼ける甘い香りが、館中にふんわりと漂う。

できたての試作品は、まず味見役(という名のつまみ食い役)である私のお腹に収まり、残りは建設現場で働く人々や、館の使用人たち、そして街の子供たちへと配られた。
領地は、私の作るお菓子によって、甘くて平和な香りに包まれていた。

そんなある日のこと。
父の代からクライネルト家と付き合いのある、ギルバート商会の会長が、交易の挨拶のためにこの地を訪れた。

「これはこれは、リーリアお嬢様。ご息災そうで何よりです」

人の良さそうな、しかし商売人らしい抜け目のない瞳をしたギルバート会長に、私はお茶請けとして、ちょうど焼きあがったばかりの蜂蜜マドレーヌを差し出した。

「長旅でお疲れでしょう。どうぞ、召し上がってくださいな」

「はは、これはありがたい。では、遠慮なく……」

会長はマドレーヌを一口食べると、その動きをぴたりと止めた。
そして、目を丸くして、手の中の小さな焼き菓子と私の顔を、交互に見比べた。

「……お、お嬢様! こ、このお菓子は……!? なんという芳醇な香り、そして上品な甘さ! まさに絶品ですな!」

「あら、お口に合いましたのなら、よかったですわ」

「合いましたのなら、どころの話ではございません! お嬢様、もしよろしければ、この素晴らしいお菓子を、我が商会に卸していただけないでしょうか! これは、王都でも必ずや大評判になりますぞ!」

商売人の血が騒ぐのだろう。会長は興奮気味に私に詰め寄った。

「ええ、構いませんわよ。まだ試作品の段階ですけれど、それでよろしければ」

「本当ですか!?」

「その代わり、お代は結構ですわ。そのかわり、王都の皆様がどんな感想を抱いたか、詳しく聞かせてくだされば、それで」

私の興味は、あくまで味の改良だけ。
売れるかどうかには、正直なところ、あまり関心がなかった。
こうして、私の作ったお菓子は、ギルバート会長のキャラバンに乗せられ、王都へと旅立っていったのだった。

それから、数週間後。
王都の社交界では、とあるお菓子が、貴婦人たちの間で密かなブームとなっていた。

「まあ奥様、お聞きになりました? ギルバート商会が限定で扱っているという、『クライネルトの癒やし』というお菓子のことを」

「ええ、もちろん存じておりますわ! 素朴な見た目ですけれど、素材の味が活きていて、一度食べたら忘れられないと評判ですわよね」

「なんでも、かのリーリア様が、ご自身の領地で手ずから作っていらっしゃるとか」

「まあ! だからあんなに、優しくて温かい味がするのね……」

リーリアのお菓子は、瞬く間に「心ある者の間でしか流通しない、幻のスイーツ」として、王都の食通たちの心を鷲掴みにしたのだ。

もちろん、その噂は、王太子妃として社交界の中心に君臨せんとする、エミリアの耳にも届いていた。

「皆様、本日はわたくしのお茶会へようこそいらっしゃいました。王宮の料理長が、腕によりをかけて作ったお菓子を、どうぞご賞味くださいませ」

エミリアが主催した華やかな茶会。
テーブルには、宝石のように飾り立てられた、色とりどりのケーキやマカロンが並んでいる。
しかし、集まった貴婦人たちの関心は、別のところにあるようだった。

「エミリア様のお菓子も素敵ですけれど、今一番の話題といえば、やはり『クライネルトの癒やし』ですわよね」

「ええ! 私、昨日ようやく手に入れましてよ。もしよろしければ、皆様も一口いかが?」

一人の令嬢が、どこからか素朴なクッキーを取り出すと、その場の空気は一変した。
貴婦人たちは、エミリアが用意した豪華なケーキには目もくれず、その小さなクッキーに殺到し、口々に感想を言い合う。

「まあ、美味しい……!」「優しい甘さですわ……」

その輪の中心から外れ、一人取り残されたエミリアの顔は、扇で隠されてはいたが、屈辱に赤く染まっていた。

(なんですの……なんなのよ、これ……!)

お茶会が終わった後、エミリアは自室に戻るなり、テーブルの上の花瓶を床に叩きつけた。

「リーリア! リーリア! あの女、どこまでもわたくしの邪魔をする気ね!」

婚約破棄され、田舎に追いやったはずの憎い女。
その存在が、今になってこんな形で自分を脅かすなど、許せるはずがなかった。

「わたくしの方が、ジーク様にも選ばれて、次期王妃という、あなたには手に入らなかった地位にいるのよ! なのに、どうして……!」

エミリアは侍女を睨みつけた。

「すぐに料理長を呼びなさい! あの『クライネルトの癒やし』とかいうお菓子より、百倍美味しいものを作れと命じるのです!」

しかし、いくら王宮の料理長が腕をふるっても、リーリアの作るお菓子の評判を超えることはできなかった。
なぜなら、リーリアのお菓子には、金や権力では決して手に入らない、「作る喜び」と「誰かを想う優しさ」という、最高のスパイスが加えられていたからだ。

日に日に高まるリーリアのお菓子の評判と、それに反比例して落ちていく自分の存在感。
焦りと嫉妬に駆られたエミリアは、やがて、ある決意を固める。

「……あのお菓子さえ、なければいいのよ」

鏡に映る自分の顔が、憎悪に歪んでいることに気づかないまま、彼女は低い声で呟いた。
その瞳の奥には、嫉妬という名の、黒く、どろりとした炎が燃え上がっていた。
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