祝・婚約破棄! 喜んだ悪役令嬢の末路は…?

夏乃みのり

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世紀の婚約破棄劇から、数日が過ぎた。
王都の社交界が「可哀想なサーシャ様」の噂で持ちきりになる中、当の本人はシュヴァルツ公爵邸で優雅な朝を迎えていた。

「アンナ、準備はよろしいかしら?」

「はい、お嬢様。いつでも出発できますが…本当に、そのお姿で…?」

侍女のアンナは、不安そうな顔で主人を見つめる。
今日のサーシャは、いつもとは全く違う。
動きやすさを重視したシンプルな乗馬服に身を包み、自慢の縦ロールも、くるりと器用にまとめて帽子の中に隠している。
ぱっと見では、どこかの活発な商家の娘にしか見えないだろう。

「当たり前ですわ! これから赴くのは戦場ですもの。ドレスなんて着ていられませんわよ」

「せ、戦場…でございますか?」

「ええ、美食という名の戦場よ!」

サーシャは高らかに宣言すると、アンナの手を引いて意気揚々と屋敷を飛び出した。
向かう先は、これまで足を踏み入れたこともなかった、王都の活気あふれる平民街の市場だ。

「うわぁ…! 見てちょうだいアンナ! なんて素晴らしい光景かしら!」

市場に到着するやいなや、サーシャの瞳は宝石のように輝きだした。
威勢のいい呼び込みの声、焼きたてのパンの香ばしい匂い、色とりどりの新鮮な野菜や果物。
五感を刺激するすべてのものが、彼女には新鮮に映った。

「お嬢様、あまりはしゃいでは…」

「何を言っているの! さあ、まずは腹ごしらえよ! あちらの串焼き、とっても美味しそうですわ!」

アンナの制止も聞かず、サーシャは一軒の屋台に吸い寄せられていく。
じゅうじゅうと音を立てて焼かれているのは、香辛料をたっぷり効かせた鶏肉の串焼きだ。

「おじさん! これ、二本くださいな!」

「へい、お嬢ちゃん! 毎度あり!」

受け取った熱々の串焼きを、サーシャは大きな口を開けて、はふはふと頬張った。

「んんー! 美味しいですわ! この甘辛いタレと、少し焦げたお肉の香ばしさ! 宮廷料理では決して味わえない、この野趣あふれるお味! 最高ですわ!」

そのあまりにも幸せそうな食べっぷりに、屋台の主人も、周りで見ていた他の客たちも、思わず笑みをこぼした。

「ははは! 嬢ちゃん、いい食いっぷりだなぁ!」

「アンナ、あなたも早く食べなさい! 冷めてしまいますわよ!」

「は、はい…いただきます…」

アンナは、公爵令嬢が立ち食いをしているという衝撃的な光景に戸惑いながらも、一口かじって、その美味しさに目を見開いた。

それを皮切りに、サーシャの快進撃が始まった。

「次はあちらの揚げパンですわ! 砂糖がたっぷりかかっていて美味しそう!」
「このスープの色…様々なスパイスが溶け込んでいる証拠ね! 一杯いただくわ!」
「まあ、見たこともない果物! 酸味と甘みのバランスが絶妙ですわ!」

行く先々で足を止め、次から次へと市場の味を堪能していく。
最初は遠巻きに見ていた人々も、彼女の裏表のない笑顔と、本当に美味しそうに食べる姿に、次第に警戒を解いていった。

「あの人、もしかしてシュヴァルツ公爵の…」
「嘘でしょ? あんな意地悪だって噂の…」
「でも、なんだか見ていて気持ちがいい食べっぷりだな」

そんな声が聞こえてくるが、サーシャの耳には一切入っていない。
彼女の頭の中は、次に何を食べるかでいっぱいだった。

昼間にB級グルメを心ゆくまで堪能したサーシャは、夜になると、今度は王都一と名高い高級レストラン『金の仔羊亭』の扉を叩いていた。

「いらっしゃいませ、お嬢様」

支配人に案内され、席に着く。
昼間とは打って変わって、完璧な淑女の振る舞いだ。

前菜、スープと順調に食事が進み、メインディッシュである『仔鴨のコンフィ オレンジソースを添えて』が運ばれてきた、その時だった。

「あら、サーシャ様ではございませんこと?」

甲高い声に顔を上げると、そこには見知った顔があった。
エドワード王子の取り巻きである、侯爵令嬢たちが数人、見下すような笑みを浮かべて立っている。

「殿下に捨てられても、お食事はきちんと喉を通りますのね。わたくし、てっきりお部屋に引きこもって泣いていらっしゃるものとばかり…」

嫌味ったらしい言葉に、サーシャは小さくため息をついた。

(まったく…せっかくの鴨肉が冷めてしまいますわ)

サーシャは彼女たちを無視すると、ナイフとフォークを手に取り、コンフィの皮にそっとナイフを入れた。
パリッ、という小気味良い音が、静かな店内に響く。

「まあ、無視ですって? さすがですわね。そんなだから、殿下にも愛想を尽かされてしまうのですわよ」

令嬢たちがさらに何か言おうとした、その瞬間。
サーシャはゆっくりと顔を上げ、氷のように冷たい視線を彼女たちに向けた。

「少し、お黙りになっていただけますこと?」

「なっ…!」

「あなた方、この一皿が、どれほどの愛情と手間をかけて作られているかご存知で?」

サーシャは、手にしたフォークの先で、美しい焼き色のついた鴨肉を示した。

「この皮の完璧な食感と、ナイフを入れるだけでほろりと崩れる身の柔らかさ。これを実現するには、上質な鴨の油の中で、肉を八時間以上も、決して沸騰しない絶妙な温度で煮続けなければなりませんの。シェフの長年の経験と、料理への深い愛情がなければ、決して作り出せない芸術品ですわ」

サーシャの淀みない説明に、令嬢たちはきょとんとするばかりだ。

「あなた方の、中身のない空虚なおしゃべりは、この素晴らしい一皿に対する冒涜ですのよ。シェフと、この鴨になってくれた命への敬意が、あなた方には欠けていますわ。そんな状態では、何を食べても本当の美味しさなど分かりはしないでしょう。…お可哀想に」

そのあまりの熱量と、専門的でさえある知識に、令嬢たちは完全に気圧されてしまった。
周りのテーブルにいた客たちも、感心したように聞き入っている。

「も、申し訳ありませんでした…!」

令嬢たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

静寂が戻ったテーブルに、一人の恰幅の良い男が近づいてきた。
この店のシェフだ。

「お客様…! 私の料理を、そこまで…そこまでご理解いただけるとは…!」

シェフは、目に涙を浮かべて感激していた。

「当然ですわ。これほどの情熱が込められたお料理ですもの。作り手の心が伝わってこないはずがありませんわ」

サーシャがにっこりと微笑むと、シェフはさらに感動した様子で、料理談義に花を咲かせ始めた。

その夜、サーシャが店を出る時には、シェフと従業員が総出で、深々と頭を下げて彼女を見送ったという。

「お嬢様…なんだか、すごいですわ…」

帰り道の馬車の中、アンナが呆然と呟く。

「ふふん。言ったでしょう、アンナ。美食を前にしたら、わたくしに敵う者などいないのですことよ!」

サーシャは、満足げに胸を張るのだった。
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