祝・婚約破棄! 喜んだ悪役令嬢の末路は…?

夏乃みのり

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『青獅子のグリル』での一件から、数日が過ぎた。
リアムは「また王都に来る」と言い残して、慌ただしく北の領地へ帰っていったと風の噂で聞いた。

(次に会えるのは、いつになるのかしら…)

サーシャは、領地の経営改革案を練る傍ら、時折そんなことを考えては、一人で首を振っていた。
別に、寂しいわけではない。
ただ、あの無骨で、不器用で、そして誰よりも食に真摯な男との会話が、少しだけ恋しい。
それだけのことだ。

そんな穏やかな日常は、ある日、玄関からのけたたましい悲鳴によって破られた。

「お、お嬢様! た、大変でございます!」

執事のセバスチャンが、顔面蒼白でサーシャの私室に駆け込んでくる。
そのただならぬ様子に、サーシャは読んでいた本を閉じた。

「どうしたのセバスチャン。そんなに慌てて。屋敷に泥棒でも入った?」

「そ、それよりもっと恐ろしいものが…! アシュフォード辺境伯様より、お届けものが届いております!」

「まあ、リアムから?」

その名を聞いた途端、サーシャの表情がぱっと華やぐ。
一体、何を送ってくれたのだろう。珍しいお菓子だろうか、それとも美しい装飾品だろうか。
期待に胸を膨らませて玄関ホールへと向かったサーシャは、しかし、目の前の光景に絶句した。

そこに鎮座していたのは、巨大な木箱。
そして、その蓋が開けられた中から姿を現したのは―――見事な牙を持つ、巨大な猪の、きれいな半身だった。

「ひぃぃぃぃっ!」

若いメイドが、腰を抜かしてへたり込む。
他の使用人たちも、遠巻きにして、恐ろしげに猪の骸を見つめている。

しかし、その中で、唯一。
サーシャ・フォン・シュヴァルツだけが、その紫の瞳をらんらんと輝かせていた。

「まあ…! まあ、なんて素晴らしい猪ですこと!」

彼女は恐れるどころか、ずんずんと猪に近づくと、その肉質を専門家のように指で確かめ始めた。

「見てちょうだい、アンナ! この見事な脂の層を! 赤身と脂身のバランスが完璧ですわ! これは燻製にしても、香草焼きにしても、赤ワインでじっくり煮込んでも、最高に違いありませんわ!」

「お、お嬢様…正気でございますか…?」

アンナは、血の気の引いた顔で後ずさる。
普通の令嬢が、こんなものをもらって喜ぶはずがない。

サーシャは、そんな周囲の反応など気にも留めず、料理長を呼びつけた。

「料理長! 急いでこれを厨房へ! 今夜は猪肉尽くしのパーティーですわよ!」

この日を境に、シュヴァルツ公爵邸への、リアムからの謎のプレゼント攻撃が始まった。

翌日、玄関に届けられたのは、巨大な山籠に、これでもかと詰め込まれた、見たこともないような珍しいキノコと山菜の数々だった。

「まあ! このカサの大きなキノコは、焼いてお醤油を垂らすだけでご馳走ですわね! こちらの香りの良い山菜は、天ぷらがよろしいかしら! ああ、忙しくなりますわ!」

その次の日には、赤ん坊の頭ほどもある、淡いピンク色に輝く岩塩の塊が、厳重に梱包されて届けられた。

「これが…! リアムが言っていた、アシュフォードの岩塩! なんて美しい輝きなのかしら! これでステーキを焼いたら、どれほど美味しいことか…!」

もはや、使用人たちも慣れたものである。
「また辺境伯様からだ」「今日はいったい何が…」と、ある種の期待感を持って玄関を見守るようになっていた。

自室で、アンナがお茶を淹れながら、恐る恐るサーシャに尋ねた。

「あの…お嬢様。これだけの品々が毎日届くというのは…その、もしかすると、アシュフォード辺境伯様からの、求愛…なのでは…?」

「求愛?」

サーシャは、きょとんと首を傾げた。

「まさか。アンナ、あなた想像力が豊かすぎますわ。リアムは、わたくしと同じで、ただ美味しいものが好きなだけよ。食の好みが合うわたくしに、ご自分の領地で採れる珍しい食材を、親切心から味見させてくださっているだけですわ。本当に、どこまでも親切な方!」

(どこをどう解釈すればそうなるのですか…!)

アンナは、心の中で盛大にツッコミを入れた。
このお嬢様の恋愛に関する鈍感さは、もはや才能の域に達している。

一方、娘の父、ルドヴィーク公爵は、この奇妙なプレゼント攻撃を大いに楽しんでいた。

「ふん、あの辺境伯、なかなか見どころがあるではないか」

書斎に届けられた、見事な黒熊の毛皮を満足げに撫でながら、彼は豪快に笑う。

「猪にキノコ、岩塩に熊の毛皮か! 次はドラゴンでも狩って贈ってくるのではないか? はっはっは!」

公爵は、リアムの不器用な求愛をすぐに見抜き、その豪快さを気に入っていた。
何より、娘が毎日、本当に楽しそうに、届いた食材で料理をしているのが嬉しかったのだ。
猪肉のパテ、キノコのポタージュ、山菜のピクルス…。
シュヴァルツ公爵家の食卓は、この数日で、かつてないほど豊かで、ワイルドなものになっていた。

そして、プレゼント攻撃は、ついにクライマックスを迎える。

ある晴れた朝。
屋敷の庭から、庭師の絶叫が響き渡った。

「お、お嬢様ぁぁぁ! お庭に! お庭に怪物がぁぁぁ!」

何事かと、サーシャや公爵、そして屋敷中の人間が庭へ駆けつける。
そして、全員が息をのんだ。

美しく手入れされた薔薇のアーチの前に。
そこに横たわっていたのは、天を突くような、見事な角を持つ巨大な鹿だった。
すでに血抜きなどの処理は完璧に施されており、まるで芸術品のように、静かにそこにいた。

そして、その鹿の首には、なぜか不似合いな可愛らしいリボンが結ばれており、一枚のカードが添えられている。
サーシャが、そのカードを手に取ると、そこにはリアムの、力強く無骨な筆跡で、こう書かれていた。

『新鮮なうちに食え』

あまりの光景に、その場にいた誰もが呆然と立ち尽くす。
しかし、その中で、唯一人。
サーシャ・フォン・シュヴァルツだけが、その紫の瞳を、狩人さながらにらんらんと輝かせていた。

「まあ…! まあ、なんて立派な鹿なのかしら…! これはもう、盛大なパーティーを開くしかありませんわね!」

北の辺境伯の、常軌を逸したプレゼント攻撃。
そして、それを1ミリも求愛だと気づかない、食いしん坊な悪役令嬢。
二人の奇妙な関係は、まだ始まったばかりである。
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