祝・婚約破棄! 喜んだ悪役令嬢の末路は…?

夏乃みのり

文字の大きさ
9 / 28

9

しおりを挟む
わたくしのご主人様、サーシャ・フォン・シュヴァルツお嬢様は、最近少し、いえ、かなり変わられました。

わたくしは侍女のアンナ。物心ついた頃から、ずっとお嬢様にお仕えしてまいりました。
以前のお嬢様は、まるで美しい氷の人形のようでした。
完璧な作法をこなし、膨大な妃教育の課題を涼しい顔でこなし、決して感情を表に出すことはありませんでした。
わたくしは、そんなお嬢様を尊敬しておりましたが、同時に、どこか息苦しさを感じていらっしゃるのではないかと、心配しておりました。

けれど、あの日。
エドワード王子殿下から婚約を破棄された、あの日を境に、お嬢様は変わられたのです。
氷が解けて、春の陽射しを浴びた花が咲き誇るように。
特に、あの方――アシュフォード辺境伯、リアム様と出会われてからは。

「アンナ! ぼんやりしていないで、あなたはこちらの手伝いを!」

「は、はい! 申し訳ございません、お嬢様!」

お嬢様の活気ある声に、わたくしははっと我に返りました。
今、シュヴァルツ公爵邸は、戦場さながらの様相を呈しております。
原因は、言うまでもなく、今朝、お庭に届けられた巨大な鹿でございます。

「料理長! 解体は進んでいますか! 最高級の部位は、明日の晩餐会のメインディッシュのために完璧な状態で保存を!」

「セバスチャン! パーティーの招待状は、お父様が懇意にしている方々へ! もちろん、わたくしの友人たちにも忘れずにね!」

「あなたは、地下のワインセラーから、鹿肉に合う最高の赤ワインを準備なさい!」

次から次へと、的確な指示を飛ばすお嬢様の姿は、まるで戦場を指揮する猛々しくも美しい女神のよう。
使用人たちも、最初は悲鳴を上げていたのが嘘のように、今は生き生きとした表情で、お嬢様の指示に従って屋敷中を駆け回っております。

妃教育で習う退屈な刺繍やダンスよりも、よほど、お嬢様はこういうことの方がお好きで、そして、向いていらっしゃる。
わたくしは、そんなお嬢様の姿を、眩しい思いで見つめておりました。

パーティーの準備が大方落ち着いた午後。
わたくしは、お嬢様の私室の整頓をしておりました。
乱れたドレスをクローゼットにしまい、アクセサリーを宝石箱に戻す。
そんな時、ふと、ドレッサーの一番上の引き出しが、少しだけ開いていることに気がつきました。

(あら、お嬢様としたことが、お珍しい)

そっと閉めようとした、その時。
引き出しの隙間から、見慣れないものが見えたのです。
それは、レースのハンカチや絹の手袋に混じって、場違いなほど無骨な、一枚の厚紙のカードでした。

(これは…)

好奇心に負け、そっと手に取ってみる。
そこに書かれていたのは、力強い筆跡で、たった一言。

『新鮮なうちに食え』

今朝、鹿に添えられていた、リアム様からのメッセージカードでした。
わたくしは、思わず息をのみました。

(まあ…! お嬢様、こんなものを…!)

ただの送り状です。
美しい言葉が綴られているわけでも、愛が囁かれているわけでもありません。
それなのに、お嬢様はこれを、まるで恋文か何かのように、ご自分の最もプライベートなものをしまう、大切な引き出しにしまっていらっしゃったのです。

ご本人は、全く自覚していらっしゃらない。
辺境伯様からの贈り物を、ただの「珍しい食材」としか思っていないご様子。
けれど、その無意識の行動こそが、お嬢様の本当のお気持ちを、何よりも雄弁に物語っておりました。

(…ふふっ)

わたくしの口から、笑みがこぼれます。
なんて可愛らしいご主人様なのでしょう。
そして、なんて不器用な殿方なのでしょう。

決まりですわ。
この、じれったくて、もどかしくて、けれど、とても温かい恋を、この侍女アンナが、全力で応援してみせましょう!

その夜。
パーティーで振る舞う鹿肉料理のメニューを考えているお嬢様に、わたくしはそっと紅茶をお出ししました。

「お嬢様、少しよろしいでしょうか」

「なあに、アンナ」

「これほど心のこもった(?)、素晴らしい贈り物を連日いただいておきながら、こちらからお礼状の一つもお出ししないというのは、いかがなものでございましょう。シュヴァルツ公爵家の名折れになるかと、わたくし、少し心配で…」

もっともらしい理由を並べると、お嬢様は「うーん」と唸りながら、ペンを置きました。

「お礼状…ですって? そう言われれば、そうですわね。ですが、わたくし、辺境伯様のお屋敷の正確な宛先など…」

(お待ちしておりました、そのお言葉!)

わたくしは、にっこりと微笑み、どこからともなく用意しておいた上質な便箋とインク、そして羽根ペンを差し出しました。

「ご安心くださいませ。そのあたりは、旦那様(公爵)にお伺いを立て、すでに完璧に準備しておりますわ」

わたくしの完璧すぎる準備に、お嬢様は一瞬、目を丸くされましたが、すぐに観念したようにため息をつかれました。

「…あなたには敵いませんわね、アンナ。ええ、それもそうですわ。礼儀は、きちんと尽くさなければなりませんものね」

そう言って、お嬢様は純白の便箋に向かい、ペンを手に取りました。
しかし。

十分経っても、二十分経っても、お嬢様は一行も書き進めることができません。
普段であれば、どんなに複雑な領地の報告書でも、淀みなく書き上げるお嬢様が。

(拝啓、リアム様…? なんだか、とても堅苦しいですわね…)
(では、親愛なるリアムへ…? 馴れ馴れしすぎやしませんこと!?)
(まずは、いただいた鹿のお礼を…『この度は、大変見事な鹿を賜り、誠にありがとうございました』? これでは、まるで取引相手への手紙ですわ…)
(『あなたのくださった鹿、お庭で見た瞬間に、その力強い佇まいに胸がときめきました』…って、何を書いているの、わたくしはー!)

うんうん唸りながら、時々、天を仰いだり、頭を抱えたり。
手紙の一行も書けずに、真っ赤な顔でうんうん悩むお嬢様の姿。
普段の理路整然とした、氷の令嬢の姿からは、到底想像もつかない、その恋する乙女のようなお姿。

わたくしは、そっと部屋の扉を閉めると、その隙間から愛しいご主人様の様子を覗き見て、くすくすと込み上げる笑いを必死にこらえました。

(頑張ってくださいませ、サーシャお嬢様)

この恋の行方、わたくしアンナが、責任をもって最後まで見届けさせていただきますわ。
心に固く誓いながら、わたくしは静かにその場を離れたのでした。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

政略結婚の指南書

編端みどり
恋愛
【完結しました。ありがとうございました】 貴族なのだから、政略結婚は当たり前。両親のように愛がなくても仕方ないと諦めて結婚式に臨んだマリア。母が持たせてくれたのは、政略結婚の指南書。夫に愛されなかった母は、指南書を頼りに自分の役目を果たし、マリア達を立派に育ててくれた。 母の背中を見て育ったマリアは、愛されなくても自分の役目を果たそうと覚悟を決めて嫁いだ。お相手は、女嫌いで有名な辺境伯。 愛されなくても良いと思っていたのに、マリアは結婚式で初めて会った夫に一目惚れしてしまう。 屈強な見た目で女性に怖がられる辺境伯も、小動物のようなマリアに一目惚れ。 惹かれ合うふたりを引き裂くように、結婚式直後に辺境伯は出陣する事になってしまう。 戻ってきた辺境伯は、上手く妻と距離を縮められない。みかねた使用人達の手配で、ふたりは視察という名のデートに赴く事に。そこで、事件に巻き込まれてしまい…… ※R15は保険です ※別サイトにも掲載しています

【完結】姉に婚約者を奪われ、役立たずと言われ家からも追放されたので、隣国で幸せに生きます

よどら文鳥
恋愛
「リリーナ、俺はお前の姉と結婚することにした。だからお前との婚約は取り消しにさせろ」  婚約者だったザグローム様は婚約破棄が当然のように言ってきました。 「ようやくお前でも家のために役立つ日がきたかと思ったが、所詮は役立たずだったか……」 「リリーナは伯爵家にとって必要ない子なの」  両親からもゴミのように扱われています。そして役に立たないと、家から追放されることが決まりました。  お姉様からは用が済んだからと捨てられます。 「あなたの手柄は全部私が貰ってきたから、今回の婚約も私のもの。当然の流れよね。だから謝罪するつもりはないわよ」 「平民になっても公爵婦人になる私からは何の援助もしないけど、立派に生きて頂戴ね」  ですが、これでようやく理不尽な家からも解放されて自由になれました。  唯一の味方になってくれた執事の助言と支援によって、隣国の公爵家へ向かうことになりました。  ここから私の人生が大きく変わっていきます。

妹のために愛の無い結婚をすることになりました

バンブー竹田
恋愛
「エミリー、君との婚約は破棄することに決まった」 愛するラルフからの唐突な通告に私は言葉を失ってしまった。 婚約が破棄されたことはもちろんショックだけど、それだけじゃない。 私とラルフの結婚は妹のシエルの命がかかったものでもあったから・・・。 落ちこむ私のもとに『アレン』という大金持ちの平民からの縁談が舞い込んできた。 思い悩んだ末、私は会ったこともない殿方と結婚することに決めた。

処刑された悪役令嬢、二周目は「ぼっち」を卒業して最強チームを作ります!

みかぼう。
恋愛
地方を救おうとして『反逆者』に仕立て上げられ、断頭台で散ったエリアナ・ヴァルドレイン。 彼女の失敗は、有能すぎるがゆえに「独りで背負いすぎたこと」だった。 ループから始まった二周目。 彼女はこれまで周囲との間に引いていた「線」を、踏み越えることを決意した。 「お父様、私に『線を引け』と教えた貴方に、処刑台から見た真実をお話しします」 「殿下、私が貴方の『目』となります。王国に張り巡らされた謀略の糸を、共に断ち切りましょう」 淑女の仮面を脱ぎ捨て、父と王太子を「共闘者」へと変貌させる政争の道。 未来知識という『目』を使い、一歩ずつ確実に、破滅への先手を取っていく。 これは、独りで戦い、独りで死んだ令嬢が、信頼と連帯によって王国の未来を塗り替える――緻密かつ大胆なリベンジ政争劇。 「私を神輿にするのなら、覚悟してくださいませ。……その行き先は、貴方の破滅ですわ」 (※カクヨムにも掲載中です。)

婚約者と王の座を捨てて、真実の愛を選んだ僕の結果

もふっとしたクリームパン
恋愛
タイトル通り、婚約者と王位を捨てた元第一王子様が過去と今を語る話です。ざまぁされる側のお話なので、明るい話ではありません。*書きたいとこだけ書いた小説なので、世界観などの設定はふんわりしてます。*文章の追加や修正を適時行います。*カクヨム様にも投稿しています。*本編十四話(幕間四話)+登場人物紹介+オマケ(四話:ざまぁする側の話)、で完結。

偽王を演じた侯爵令嬢は、名もなき人生を選ぶ」

鷹 綾
恋愛
内容紹介 王太子オレンに婚約破棄された侯爵令嬢ライアー・ユースティティア。 だが、それは彼女にとって「不幸の始まり」ではなかった。 国政を放棄し、重税と私欲に溺れる暴君ロネ国王。 その無責任さを補っていた宰相リシュリュー公爵が投獄されたことで、 国は静かに、しかし確実に崩壊へ向かい始める。 そんな中、変身魔法を使えるライアーは、 国王の身代わり――偽王として玉座に座ることを強要されてしまう。 「王太子妃には向いていなかったけれど……  どうやら、国王にも向いていなかったみたいですわね」 有能な宰相とともに国を立て直し、 理不尽な税を廃し、民の暮らしを取り戻した彼女は、 やがて本物の国王と王太子を“偽者”として流刑に処す。 そして最後に選んだのは、 王として君臨し続けることではなく―― 偽王のまま退位し、名もなき人生を生きることだった。 これは、 婚約破棄から始まり、 偽王としてざまぁを成し遂げ、 それでも「王にならなかった」令嬢の物語。 玉座よりも遠く、 裁きよりも静かな場所で、 彼女はようやく“自分の人生”を歩き始める。

婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ
恋愛
「婚約破棄? ……そうですか。では、私の役目は終わりですね」 王太子ロイド・ヴァルシュタインの婚約者として、 国と王宮を“滞りなく回す存在”であり続けてきた令嬢 マルグリット・フォン・ルーヴェン。 感情を表に出さず、 功績を誇らず、 ただ淡々と、最善だけを積み重ねてきた彼女に突きつけられたのは―― 偽りの奇跡を振りかざす“聖女”による、突然の婚約破棄だった。 だが、マルグリットは嘆かない。 怒りもしない。 復讐すら、望まない。 彼女が選んだのは、 すべてを「仕組み」と「基準」に引き渡し、静かに前線から降りること。 彼女がいなくなっても、領地は回る。 判断は滞らず、人々は困らない。 それこそが、彼女が築いた“完成形”だった。 一方で、 彼女を切り捨てた王太子と偽聖女は、 「彼女がいない世界」で初めて、自分たちの無力さと向き合うことになる。 ――必要とされない価値。 ――前に出ない強さ。 ――名前を呼ばれない完成。 これは、 騒がず、縋らず、静かに去った令嬢が、 最後にすべてを置き去りにして手に入れる“自由”の物語。 ざまぁは静かに、 恋は後半に、 そして物語は、凛と終わる。 アルファポリス女子読者向け 「大人の婚約破棄ざまぁ恋愛」、ここに完結。

悪役令嬢が行方不明!?

mimiaizu
恋愛
乙女ゲームの設定では悪役令嬢だった公爵令嬢サエナリア・ヴァン・ソノーザ。そんな彼女が行方不明になるというゲームになかった事件(イベント)が起こる。彼女を見つけ出そうと捜索が始まる。そして、次々と明かされることになる真実に、妹が両親が、婚約者の王太子が、ヒロインの男爵令嬢が、皆が驚愕することになる。全てのカギを握るのは、一体誰なのだろう。 ※初めての悪役令嬢物です。

処理中です...