祝・婚約破棄! 喜んだ悪役令嬢の末路は…?

夏乃みのり

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シュヴァルツ公爵邸で開かれた鹿パーティーは、王都の食通たちの間で「伝説の夜会」として語り継がれるほどの大成功を収めた。
新鮮で極上の鹿肉を、サーシャ自らが考案した斬新な料理法の数々で振る舞ったのだ。
招待客たちは皆、その美味さに舌を巻き、主催者であるサーシャの多才ぶりに、改めて称賛の声を送った。

そして、パーティーの後片付けも落ち着いた数日後。
サーシャは、アンナに半ば強制される形で書いたリアムへのお礼状が、無事に届いたかどうか、少しだけ気にしていた。
もちろん、返事など期待しているわけではない。ただ、あの無骨な男が、自分の書いた手紙をどう思うだろうか、と想像すると、少しだけ胸がそわそわするのだ。

そんなある日の午後、事件は起きた。

「お嬢様! 大変でございます! アシュフォード辺境伯様が、ただいま、お屋敷に…!」

執事のセバスチャンの報告に、サーシャは読んでいた経済学の本を取り落としそうになった。

「リアムが!? まあ、手紙のお返事ではなく、ご本人がいらっしゃったの!?」

驚きと、それを上回る喜びで、サーシャの心が躍る。
慌てて身だしなみを整え、応接室へと向かうと、そこには、父であるルドヴィーク公爵と向かい合ってソファに腰掛ける、リアムのたくましい後ろ姿があった。

「おお、来たかサーシャ」

父のルドヴィークが、娘の姿を認めてにこやかに手招きする。

「辺境伯殿、わざわざご足労いただき恐縮です。娘からの礼状は、ご覧いただけましたかな?」

「公爵閣下。ああ、確かに拝読した。実に…食欲をそそる、見事な手紙だった」

リアムが、ちらりとサーシャの方を見て、わずかに口元を緩める。
どうやら、鹿肉の美味しい食べ方を延々と書き連ねた手紙の内容を、彼は気に入ってくれたらしい。
サーシャは、ほっと胸を撫でおろした。

ルドヴィークは、愉快そうに続ける。

「して、辺境伯殿。今日はどのようなご用向きで? まさか、今度はドラゴンでも狩ってきてくれたわけではあるまいな?」

「はは、閣下もご冗談を。ドラゴンは生憎、俺の領地には生息していないのでな」

珍しくリアムが冗談で返す。
二人の間には、腹の探り合いのような、しかし、互いの力量を認め合っている者同士にしか流れない、心地よい緊張感が漂っていた。

やがて、リアムは本題を切り出した。

「今日は、サーシャ嬢に頼みがあって参った。王都の食材の質を、辺境のものと比較検討したい。ついては、この辺りの地理と食に明るい彼女に、案内役を頼みたいのだが」

(まあ、なんて見え透いた口実…!)

サーシャは心の中でツッコミを入れるが、その口実が嬉しくてたまらない。

父は、すべてを察した上で、鷹揚に頷いた。

「よかろう。だが辺境伯殿、一つだけ約束していただきたい」

「…なんだ?」

「我が娘を、決して泣かせるでないぞ。もしそんなことがあれば、次に狩りの対象となるのは、猪でも鹿でもなく…貴殿だ」

ルドヴィークの目は、笑っていなかった。
それは、娘を心から愛する、父親としての真剣な警告だった。

リアムは、その視線をまっすぐに受け止めると、深く、力強く頷いた。

「御意」

こうして、公爵からの許し(という名の脅し)を得たリアムは、サーシャを伴って屋敷を出た。

「それでリアム、どちらへ? 王都には、腕利きの職人が集まる専門店街もございますが…」

「いや、行く場所は決まっている」

馬車に乗るでもなく、リアムはずんずんと歩き出す。
そして、連れてこられたのは、貴族街から離れた、活気あふれる平民街の市場だった。

「まあ! ここは…!」

「以前、お前が美味そうに飯を食っていた場所だろう」

覚えていてくれた。
その事実が、じわりとサーシャの心を温める。

二人は、身分を隠すこともなく、堂々と市場を練り歩き始めた。
最初は「辺境伯様とシュヴァルツのお嬢様!?」と遠巻きに見ていた人々も、二人が店の品物を一つ一つ真剣に吟味し、時には店主と熱心に話し込む姿を見て、次第に警戒を解いていった。

「リアム、この干し魚を見てくださいまし! 北の海でしか獲れない魚ですわ! これを炙って、少しお醤油を垂らすだけで、最高のお酒の肴になりますのよ!」

「ほう。俺の領地では、魚は燻製にするのが一般的だがな。…悪くない。一つもらおうか」

「あちらの野菜は、瑞々しさが段違いですわ! きっと土が良いのね!」

貴族の令嬢と、いかつい辺境伯。
奇妙な組み合わせの二人が、楽しそうに食材を見て回る姿は、いつしか市場の風景に自然と溶け込んでいた。

と、その時。
リアムが、ふと足を止め、ある屋台をじっと見つめた。
それは、香ばしい匂いを漂わせる、鶏肉の串焼きの屋台だった。

「あれだろう」

「え?」

「あんたが、俺と会う前に、最初に食っていたのは」

そう言うと、リアムは黙って屋台に近づき、串焼きを二本買った。
そして、そのうちの一本を、無言のままサーシャにすっと差し出した。

「…!」

特別な言葉はない。
けれど、その不器用な行動に、彼の優しさがすべて詰まっているように感じられた。

「…ありがとう、ございます」

サーシャは、熱い串焼きを受け取りながら、胸まで熱くなるのを感じていた。
二人並んで、熱々の串焼きを頬張る。
甘辛いタレと、炭火の香ばしい香り。
以前一人で食べた時も最高に美味しかったけれど、今、彼の隣で食べるそれは、比べ物にならないくらい、格別に美味しく感じられた。

一通り市場を見て回り、帰り道。
傾きかけた夕日が、二人の影を長く伸ばしている。
リアムが、ふと足を止めた。

「…サーシャ」

「はい、リアム」

真剣な声で呼ばれ、サーシャも立ち止まって彼に向き直る。
リアムは、少しだけ言い淀むように視線を彷徨わせた後、意を決したように、まっすぐにサーシャの目を見つめた。

「俺は、一人で食う飯も嫌いじゃない。静かで、味に集中できるからな。だが…」

ごくり、とサーシャは唾を飲み込んだ。

「あんたと一緒にいると、不思議だ。ただの水でも、道端に転がっている石ころでさえ、美味くなるような気がする」

彼は、一度言葉を切ると、今度は確信に満ちた声で言った。

「…いや、違うな。あんたと一緒に食う飯が、一番美味い」

それは、飾り気のない、どこまでもストレートな言葉。
しかし、食を何よりも愛するこの男が紡ぐそれは、どんな詩人の愛の言葉よりも、サーシャの心を強く、深く、揺さぶった。

「…っ」

顔が、燃えるように熱い。
きっと、夕日のせいだけではない。
何か言わなければ、と思うのに、言葉が出てこない。

そんなサーシャの様子を見て、リアムは大きな手で、彼女の頭をくしゃり、と優しく撫でた。

「…また、来る」

それだけを言い残すと、彼はたくましい背中を向け、夕暮れの雑踏の中へと消えていった。

残されたサーシャは、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
頭に残る、彼の大きな手の感触。
耳に残る、彼のまっすぐな言葉。

(ああ、わたくし…)

夕日に照らされた頬を両手で押さえながら、サーシャは、自分の心の中に生まれた、甘くて温かい感情の名前を、はっきりと自覚するのだった。

(わたくし、あの人のことが…好きなのだわ)
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