祝・婚約破棄! 喜んだ悪役令嬢の末路は…?

夏乃みのり

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王都を出発してから、五日が過ぎた。
シュヴァルツ公爵家の紋章を掲げた馬車は、整備された街道を離れ、徐々に険しい山道へと入っていく。

「お嬢様、もうすぐアシュフォード領に入るそうですわ。それにしても…まあ、なんて景色なのでしょう…!」

侍女のアンナが、馬車の窓から外を眺めて、感嘆の声を漏らす。
サーシャも、窓の外に広がる、その圧倒的な光景から、目を離すことができずにいた。

王都周辺の、まるで箱庭のように美しく手入れされた穏やかな景色とは、何もかもが違っていた。
天を突くように切り立った岩山。
その麓に広がる、どこまでも続く深い針葉樹の森。
雪解け水を集めて、激しい勢いで流れる、翡翠色の川。
そこにあるのは、人の手では到底抗うことのできない、荒々しく、雄大で、しかし、生命力に満ち溢れた、ありのままの自然の姿だった。

(これが…リアムが生まれ育ち、そして、命をかけて守っている土地…)

サーシャは、その厳しいながらも美しい風景に、畏敬の念にも似た感情を抱いていた。

やがて、馬車が速度を落とし、巨大な丸太で組まれた、質実剛健な関所の前で停まった。
領地の入り口だ。
サーシャが、緊張した面持ちで扉が開かれるのを待っていると、関所の横手から、数騎の馬に乗った一団が現れた。
その先頭を走る、ひときわ大きな馬の上には、見慣れた、たくましい人影があった。

「リアム…!」

太陽の光を浴びて、風に黒髪をなびかせる彼の姿は、王都のレストランや食堂で会っていた時よりも、何倍も大きく、そして、輝いて見えた。
ここが、彼の本当の世界なのだと、一目で分かった。

リアムは、馬からひらりと降りると、サーシャの乗る馬車の扉に近づき、自らの手で、その扉を開いた。

「ようこそ、サーシャ。アシュフォード領へ」

久しぶりに聞く、低い、優しい声。

「長旅、ご苦労だったな」

「リアム…! わざわざ、お出迎えまでしてくださったの?」

「当たり前だ。俺が招待した、大切な客なのだからな」

そう言って、彼は、サーシャが馬車から降りるのを、大きな手で優しくエスコートしてくれた。
久しぶりに触れる、彼の手の温かさに、サーシャの胸は、甘く、きゅんと締め付けられた。

リアムの案内で、領都にある彼の居城へと向かう。
その道中の光景は、サーシャにとって、驚きの連続だった。

畑仕事をしていた、日に焼けた農夫たちが、リアムの姿を認めると、泥だらけの手を休めて、嬉しそうに駆け寄ってくる。

「おおっ、伯爵様! おかえりなさいませ!」

「ああ、ただいま戻った。それより、今年の小麦の出来はどうだ?」

「へへっ、見てくだせえ! ここ数年で、最高の出来でさぁ!」

「そうか、見事だな。だが、山の天気は変わりやすい。収穫まで、決して油断するなよ」

道端で、木の実を集めて遊んでいた子供たちが、リアムを見つけると、満面の笑みで叫んだ。

「リアム様だー!」

「おかえりなさーい!」

リアムは、その声に、普段の厳しい表情を少しだけほころばせると、無骨な手で、しかし、優しく、子供たちの頭を撫でてやる。
その光景は、あまりにも自然で、温かかった。
領民たちは、決して、彼を領主として恐れているのではない。
厳しくも、頼りがいのある、自分たちの家族の一員として、心から信頼し、慕っているのだ。

(これが、彼の本当の姿…)

サーシャは、胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
民の上に立ち、権威を振りかざすだけの、あのエドワード王子とは、何もかもが違う。
民の間に立ち、民と共に汗を流し、民を愛し、そして、民から愛されている。
これこそが、真の領主の姿なのだと。
サーシャは、リアムという人間の、その器の大きさに、ますます強く、惹かれていった。

やがて、目の前に、岩山を背にしてそびえ立つ、堅牢な城が見えてきた。
アシュフォード城。
王宮のような華美な装飾は一切ない。
しかし、長い風雪に耐え、幾多の戦いを乗り越えてきたであろうその姿は、歴戦の強者のような、静かな風格に満ちていた。

城の中も、彼の領地そのものを表しているかのようだった。
磨き上げられた石の床、機能性を重視した、しかし、温かみのある木の調度品。
壁には、美しい絵画ではなく、武器や防具、そして、この広大な領地の詳細な地図が、誇らしげに飾られている。

サーシャが案内された客室は、簡素ではあったが、隅々まで塵一つなく清潔に保たれており、窓から差し込む陽光が、部屋全体を明るく照らしていた。

そして、その窓の外に広がる景色に、サーシャは、思わず息をのんだ。
眼下には、活気に満ちた領都の街並みと、その周りに豊かに広がる田園風景。
そして、それらすべてを、まるで守るかのように、雄大な山々が、どこまでも連なっている。

「素晴らしい…ですわ」

呆然と呟くサーシャの隣に、いつの間にか、リアムがそっと立っていた。

「ああ。俺が、この命に代えても守りたいと思っている、俺のすべてだ」

その言葉には、彼の、この土地と民への、深い、深い愛情が込められていた。

「お前に、これを見せたかったんだ」

リアムの、静かで、優しい声が、サー朝の心に、じんわりと沁みわたっていく。

この時、サーシャは、はっきりと感じていた。
王宮という、きらびやかで、息の詰まる金色の鳥かご。
そこは、決して、自分のいるべき場所ではなかったのだと。
この、広大で、厳しく、しかし、人々の温かい営みと、生命の力強さに満ち溢れた、この土地こそが。
自分の魂が、本当に安らげる場所なのではないだろうか。

リアムへの愛情が、彼が愛する、この土地への愛情へと、ゆっくりと、しかし、確かに繋がっていく。
その、温かく、そして、どこか懐かしいような予感を胸に。
サーシャは、初めて見るその景色を、いつまでも、いつまでも、見つめ続けていた。
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