祝・婚約破棄! 喜んだ悪役令嬢の末路は…?

夏乃みのり

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アシュフォード辺境伯領での日々は、サーシャにとって、驚きと喜びに満ちた、発見の連続だった。

朝は、リアムと共に馬に乗り、広大な領地を視察して回る。
芽吹き始めたばかりの麦畑を駆け抜け、牧草地では生まれたばかりの仔羊の頭を撫で、鉱山では、たくましい男たちと屈託なく言葉を交わすリアムの姿を、誇らしい気持ちで見守った。

昼には、城の厨房に入り浸り、料理長やメイドたちに、この土地ならではの郷土料理を教わるのが日課になった。
猪の肉をたっぷり使ったスパイシーなパイの作り方や、森で採れる木の実を使った、甘酸っぱいジャムの煮詰め方。
すべてが、王都の宮廷料理とは違う、素朴で、力強い、生命力にあふれた味だった。

彼女の、天真爛漫で、誰に対しても裏表のない性格は、最初は「王都から来た、気位の高いお嬢様」と遠巻きに見ていた城の使用人たちの心も、あっという間に溶かしていった。
サーシャがいるだけで、どこか厳格で、静かすぎた城の空気が、ふわりと明るく、華やかになる。
誰もが、その変化を、歓迎していた。

そして、何よりも、リアム自身が変わった。
領主としての厳しい顔しか見せなかった男が、サーシャと話す時だけは、その厳つい表情を、驚くほど穏やかに和らげるのだ。
その変化に、副官であるソフィアをはじめ、彼の側近たちは、微笑ましい思いで、静かに二人を見守っていた。

辺境伯領に到着してから、一週間が過ぎた、ある日の夜。
夕食を終え、談話室で温かいハーブティーを飲んでいると、リアムが、少しだけ照れたように、サーシャを誘った。

「サーシャ」

「はい、リアム」

「…今夜は、星が綺麗だ。少し、付き合わないか?」

その、ぶっきらぼうな誘い文句に、サーシャは、喜んでこくりと頷いた。
リアムは、彼女が寒くないようにと、大きな熊の毛皮でできた、温かい外套を、そっと彼女の肩にかけてくれる。
その、不器用な優しさが、たまらなく嬉しかった。

彼が連れて行ってくれたのは、城の最も高い場所にある、風の通る、広々とした石造りのテラスだった。
そこに足を踏み入れた瞬間、サーシャは、思わず息をのんだ。

「まあ…!」

そこから見上げた夜空は、彼女が、生まれてから一度も見たことのない、圧巻の光景だったからだ。

空には、まるで、漆黒のベルベットの上に、神様が、数えきれないほどのダイヤモンドを、惜しげもなく撒き散らしたかのように、無数の星が、きらめいていた。
一本の、光の帯のように見える天の川が、空を横断しているのが、くっきりと見える。
時折、すうっと、流れ星が尾を引いて、夜空を駆け抜けていく。

「なんて…なんて、美しいのでしょう…。まるで、宝石箱を、ひっくり返してしまったようですわ…」

王都の夜は、街の灯りが明るすぎて、これほど多くの星を見ることは、決してできない。
初めて目にする、降るような満点の星空。
サーシャは、その、あまりにも壮大で、神秘的な美しさに、ただ、言葉を失い、立ち尽くしていた。

しばらく、二人で、黙って星空を見上げていた。
やがて、リアムが、静かに、語り始めた。

「俺は、物心がついた時から、ずっと、この星空を見て育った」

彼の声は、夜の静寂に、穏やかに溶けていく。

「父も、祖父も、その、ずっと前の、俺の先祖たちも、皆、この同じ星空の下で、このアシュフォードの土地を、命がけで守ってきたんだ」

「……」

「時には、長く厳しい冬の、自然の猛威と戦い、また、ある時には、国境を脅かす、隣国の敵と戦い…。だが、どんなに辛く、苦しい時でも、この空を見上げると、不思議と、心が安らいだ。俺たちが、守るべきものが、確かにここにあるのだと、再確認することができたんだ」

彼は、ゆっくりと、サーシャの方に向き直った。
星の光に照らされた、彼の青い瞳が、まっすぐに、サーシャを見つめている。

「サーシャ。俺は、この景色を、これから先、ずっと、お前と共に、見ていきたい」

「リアム…」

「嬉しい時も、楽しい時も、もちろん、この領地を治めていく上で、苦しい時や、辛い時も、あるだろう。その、すべての時間を、お前の隣で、分かち合いたいんだ」

それは、雨宿りの小屋で聞いた言葉よりも、もっと深く、もっと重い、彼の覚悟の言葉だった。
自分の人生のすべてを、サーシャと共に歩んでいきたいという、真摯な誓いの言葉だった。

サーシャは、彼の、大きな、節くれだった手を、自分の、か細い両手で、そっと包み込んだ。
そして、顔を上げて、満面の笑みを浮かべた。

「リアム。あの雨の日、わたくし、ちゃんとお返事ができませんでしたわね」

彼女の瞳には、美しい星の光を映して、きらりと、涙が浮かんでいた。
しかし、それは、悲しみの涙ではない。

「はい、喜んで」

サーシャは、はっきりと、そして、心の底からの声で、答えた。

「わたくしも、この、世界で一番美しい景色を、あなたの隣で、ずっと、ずっと、見ていたいですわ」

その返事を聞いたリアムの表情が、安堵と、そして、今まで見たこともないような、心からの喜びに、ふわりと緩んだ。
彼は、サーシャの体を、優しく、しかし、もう決して離さないとでもいうように、そのたくましい腕の中へと、引き寄せた。

星の光だけが、二人を照らす、静かな、静かなテラスの上で。
二人の唇が、そっと、触れ合うように、重なった。
それは、どこまでも甘くて、優しくて、そして、二人の永遠を誓うような、初めてのキスだった。
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