毒舌悪役令嬢、婚約破棄されて素に戻る。君の罵倒が最高の癒やし?

夏乃みのり

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「クリム・ベルベット! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」

王城の大広間。

シャンデリアのきらめきすら凍りつくような大音声が、音楽をかき消して響き渡った。

集まっていた貴族たちの視線が、一斉に会場の中央へと突き刺さる。

そこに立っているのは、この国の第一王子であるレジナルド殿下。

そして、その腕にへばりつくようにして上目遣いをしている、ピンクブロンドの男爵令嬢モモ。

対する私は、扇で口元を隠し、わなわなと震えていた。

「聞こえなかったのか? 愛しいモモをいじめ抜き、階段から突き落とそうと画策した悪毒な女よ! その性根の腐った顔など、もう二度と見たくない!」

レジナルド殿下の言葉は、酔っ払った詩人が書いた三流の劇のように芝居がかっている。

周囲からは「まあ、なんてこと」「やはり噂は本当だったのね」「恐ろしい方……」というひそひそ話がさざ波のように広がっていく。

私は、扇の裏で唇を噛み締めた。

ああ、駄目だ。

笑いが止まらない。

ようやく、この時が来たのだ。

物心ついた時から「王妃教育」という名の苦行を強いられ、少しでも気を抜けば「未来の国母としての自覚が足りない」と鞭打たれる日々。

好きでもない、顔が良いだけのこのナルシスト王子の機嫌を取り、彼の突飛な思いつき尻拭いをさせられる毎日。

『クリム、君は笑わないから可愛げがないね』

そう言われたあの日、私がどれだけこの男の頭に熱々の紅茶をぶちまけたかったか、誰が知ろうか。

けれど、それも今日で終わりだ。

「……殿下、それは真実でございましょうか」

私は震える声を絞り出した。

一般的には、絶望と悲しみに打ちひしがれているように聞こえただろう。

「ふん、今さら白々しい! モモが全て証言してくれたのだ。お前が彼女の教科書を破り、ドレスにワインをかけ、さらには『平民上がりの卑しい血が』と罵ったとな!」

王子の隣で、モモが「きゃっ」とわざとらしく怯えるふりをする。

「レジ様ぁ、私、怖くて……。クリム様、いつもすっごく怖い顔で睨んでくるんですぅ」

「おお、可哀想なモモ。僕が守ってあげるからね」

二人は公衆の面前で見つめ合い、自分たちの世界に入っている。

私は冷静に分析していた。

教科書を破った? あれは彼女が自分でページをめくる時に力任せに引きちぎっただけだ。

ドレスにワイン? パーティーで自分が転んで被ったのを、私のせいにしただけだろう。

罵倒? 一度もしたことはない。心の中で「この脳内お花畑が」と五千回くらい思っただけだ。

これまでの私なら、ここで涙ながらに潔白を主張し、それでも信じてもらえずに絶望する……という「悲劇のヒロイン」を演じただろう。

淑女の仮面を被り、完璧な令嬢として振る舞うことが、家のため、国のためだと信じていたからだ。

しかし。

「婚約破棄」という言葉が出た以上、私はもう「未来の王妃」ではない。

ただの、侯爵家の娘だ。

いや、下手をすれば「王家に弓引く悪女」として断罪され、家ごと取り潰しかもしれない。

だったら。

最後くらい、好きにさせてもらってもいいのではないか?

これまでの十八年間、押し殺してきた「本音」を、この愚か者たちの土手っ腹にぶち込んでやっても、バチは当たらないのではないか?

「……ふ」

口元から、小さな音が漏れた。

「なんだ? 泣いているのか? 泣いて許されると思ったら大間違いだぞ!」

レジナルド殿下が勝ち誇ったように叫ぶ。

私はゆっくりと、顔を覆っていた扇を下ろした。

そして、満面の笑みを浮かべた。

淑女の微笑みではない。

獲物を前にした肉食獣のような、獰猛で、晴れ晴れとした笑みを。

「ふふ、あはははは!」

突然の高笑いに、会場が静まり返る。

レジナルド殿下が目を丸くして後ずさった。

「な、なんだ!? 気でも触れたか!?」

私は笑い涙を指先で拭いながら、真っ直ぐに元婚約者を見据えた。

背筋を伸ばし、顎を上げる。

もう、猫を被る必要はない。

今日から私は、自由なのだ。

「ああ、失礼いたしました殿下。あまりにも嬉しくて、つい」

「う、嬉しいだと……?」

「ええ、そうですとも。だって殿下、わたくし、今日という日をどれほど待ちわびていたことか!」

私は一歩、前へ出た。

ヒールの音が、カツンと乾いた音を立てる。

「レジナルド殿下。貴方様は先ほど、私がその男爵令嬢をいじめたと仰いましたね? 教科書を破いた? ドレスを汚した?」

「そ、そうだ! 認めるのか!」

「認めるわけがないでしょう、この盆暗(ぼんくら)!」

「ぼ……っ!?」

会場中の空気が凍りついた。

「盆暗」などという言葉、高貴な令嬢の口から出るはずがない単語だ。

しかし一度外れたタガは、もう誰にも止められない。

「いいですか、よくお聞きなさい。私がもし本気で彼女を排除しようとしたなら、そんな手ぬるい真似はいたしませんわ」

私は優雅に指を折って数え上げる。

「教科書を破る? そんな幼稚なことより、彼女の履修登録を操作して卒業不可にする方が確実で効率的です。ドレスを汚す? いいえ、お針子を買収して、パーティーの最中にドレスが弾け飛ぶように仕立て直させますわ」

「な……貴様……」

「それに『罵倒』ですって? わたくしがいつ、そんな非生産的なことをしました? 私が彼女に言葉をかけるとしたら、そうですね……」

私はモモの方へ視線を向けた。

彼女は口をぽかんと開けて、マヌケな顔でこちらを見ている。

「『その頭の飾りは脳みその軽さを誤魔化すための重りですか?』とか、『貴女の演技力は大根役者も裸足で逃げ出すレベルですわね』くらいは申し上げますけれど?」

「ひ、ひどい……!」

モモが涙目になるが、私は止まらない。

「大体、殿下も殿下です。彼女の証言を鵜呑みにする前に、裏取りというものをなさいませ。王族たるもの、一方の意見だけで断罪を下すなど、為政者として失格ですわよ? そんなことだから、先日の隣国との通商条約の交渉でも、相手の手のひらで転がされるのです」

「な、なぜそれを……!」

「私が尻拭いをしたからですわよ! 貴方が『先方の令嬢が可愛いから』などと鼻の下を伸ばして不利な条件を飲みそうになった書類を、私が徹夜で修正案を作って差し替えたのを忘れたのですか!?」

貴族たちがざわめき始める。

「おい、今の話……」「殿下の失態をクリム嬢がカバーしていたのか?」「まさか、あの完璧な公務実績は……」

レジナルド殿下の顔が真っ赤に染まる。

「だ、黙れ黙れ! 不敬だぞ!」

「不敬? 婚約破棄を突きつけたのはそちらでしょう? 他人になった人間に敬う義理などございません。ああ、せいせいした! これでもう、貴方のそのセンスのないポエムを聞かされなくて済むと思うと、寿命が延びた気分ですわ!」

「ポ、ポエム……っ!?」

「『君の瞳は夜空の星屑、僕の心は迷える子羊』でしたっけ? あれを聞くたびに、わたくし、鳥肌が立って蕁麻疹が出そうでしたのよ。星屑はゴミですわ、殿下」

「ぐ、ぐぬぬ……!」

レジナルド殿下は言葉を失い、パクパクと口を開閉させている。

その様子はまるで、陸に打ち上げられた魚のようだ。

私は大きく息を吸い込み、最後の仕上げにかかった。

「というわけで、婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。慰謝料は結構ですわ。この解放感こそが、何よりの報酬ですから!」

言い切った私は、扇をパチンと閉じた。

胸の中の澱(おり)がすべて消え去り、驚くほど体が軽い。

周囲の貴族たちは、あまりの事態に言葉を失い、彫像のように固まっている。

その静寂の中。

「くっ、くくく……」

低く、押し殺したような笑い声が聞こえた。

それは次第に大きくなり、やがて隠す気もない爆笑へと変わった。

「はははは! 痛快だ! これほど見事な啖呵は初めて聞いたぞ!」

全員の視線が、声の主へと向く。

そこにいたのは、隣国から招かれていた「氷の公爵」こと、アイザック・ル・グランだった。

冷徹無比で知られる彼が、腹を抱えて笑っているのだ。

私は少しだけ冷静になり、瞬きをした。

(……あら。私、処刑されるかと思いきや、変な人に気に入られてしまったかしら?)
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