毒舌悪役令嬢、婚約破棄されて素に戻る。君の罵倒が最高の癒やし?

夏乃みのり

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茜色に染まる空。
眼下に広がるガレリアの街並みが、夕日の魔法にかかって黄金色に輝いている。

城の最も高い場所にあるバルコニー。
そこは、私たちが「秘密の作戦会議」と称して、夫婦の時間を持つための特等席だ。

「……ふぅ。ようやく静かになりましたね」

私は手すりに寄りかかり、ワイングラスを傾けた。

「ああ。レオンの寝かしつけは、ドラゴン討伐よりも難易度が高いな」

隣に立つアイザックも、やれやれと肩をすくめつつ、同じようにグラスを持った。
シャツの袖を捲り上げたその腕には、息子に噛みつかれた跡(甘噛みだが)が残っている。

「誰に似たのやら。体力が無尽蔵で、口が達者で、自分が一番偉いと思っている」

「君だな」

「貴方ですよ」

私たちは顔を見合わせて、同時に吹き出した。

風が吹き抜ける。
心地よい静寂。
書類の山も、貴族たちのマウント合戦も、魔王軍の襲来もない、穏やかな夕暮れ。

「……クリム」

アイザックが、ふと真面目な顔で私を見た。
その瞳は、出会った頃と変わらない、いや、あの頃よりも深く澄んだ青色をしていた。

「……後悔は、していないか?」

「はい? 何の話ですか?」

「君の人生だ。……もし、あの時。レジナルドとの婚約が破棄されず、そのまま王国の王妃になっていたら……という可能性を、考えたことはないか?」

彼は少し不安そうに問いかけた。

「ここは北国で寒いし、私は君に仕事を押し付けるし、息子はやんちゃだ。……あちらの方が、穏やかで幸せな人生だったかもしれない」

「……」

私はグラスを回し、中の液体が揺れるのを眺めた。

王妃になった私。
猫を被り、笑顔を貼り付け、レジナルド殿下の機嫌を取り、モモ様のワガママに耐え続ける日々。

想像しただけで、蕁麻疹が出そうだ。

「……ボス。いえ、あなた」

私はグラスを置き、彼に向き直った。

「貴方は本当に、時々ものすごい『節穴』になりますね」

「えっ?」

「私が『穏やかな幸せ』なんて退屈なものを求めているように見えますか?」

私は一歩近づき、彼のアスコットタイを指で弄んだ。

「毎日が戦場で、トラブル続きで、貴方という手のかかる猛獣の手綱を握って走り回る……。そんな『刺激的』な毎日のほうが、私の性に合っているとは思いませんか?」

「……まあ、確かに君は、暇だと死んでしまうマグロのような……」

「誰が回遊魚ですか」

私は軽く彼の胸を叩いた。

「それに」

私は空を見上げた。
太陽が地平線に沈みかけ、世界が一番美しい瞬間を迎えている。

「あの時。婚約破棄されたあの瞬間。……私の世界は、色を変えました」

「色?」

「ええ。それまでは、灰色でした。義務と、我慢と、諦めで塗り固められた灰色」

私は目を細めた。

「でも、貴方が笑い飛ばしてくれたあの日から。……私の世界は、こんな風に」

私は夕日を、街を、そして目の前の彼を指した。

「鮮やかで、騒がしくて、眩しい色に変わったんです」

アイザックが、息を呑んだ。

私は彼の手を取り、強く握りしめた。

「だから、言わせてください」

私は深呼吸をして、心の底からの言葉を紡いだ。

「……あの時、婚約破棄されて、本当によかった」

「……クリム」

「あそこで捨てられたから、私は自由になれた。自分らしくなれた。……そして、貴方に出会えた」

私はニッコリと微笑んだ。
毒舌家の冷笑でも、営業用のスマイルでもない。
ただのクリムとしての、飾らない笑顔を。

「ありがとう、アイザック。私を拾ってくれて。……私を、貴方の『毒舌姫』にしてくれて」

アイザックの目から、一筋の涙がこぼれた。
彼はグラスを放り出し(割れる音がしたが気にしない)、私を力一杯抱きしめた。

「……ああ、もう! 君には敵わない!」

「苦しいです、学習してください」

「愛してる! 世界中の誰よりも、過去のどの瞬間よりも、今の君が一番好きだ!」

「はいはい。私もですよ、バカボス」

私たちは夕日の中で、長くキスをした。

数年前、絶望の淵にいた悪役令嬢は、今、世界で一番幸せな「猛獣使い」としてここにいる。

これからも、トラブルはあるだろう。
息子は反抗期を迎えるだろうし、アイザックはまた変な銅像を作ろうとするだろう。
でも、大丈夫。
私には「毒舌」という最強の武器と、この「愛すべき家族」がいるのだから。

「……さあ、戻りましょうか。レオンが起きる頃です」

「そうだな。……明日の朝食は、俺が作るよ」

「黒焦げトーストは勘弁してくださいね?」

「努力する!」

私たちは手を繋ぎ、温かい光の溢れる城の中へと帰っていく。

これが、私のハッピーエンド。
そして、これからも続いていく、賑やかな日常のプロローグだ。
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