【完結】恋は、終わったのです

楽歩

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7.結婚は契約

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「では、お部屋に案内いたしますわ」


 エマが先導する後を静かに歩く間、心に押し寄せるのは、自分が置かれた立場への嫌悪感だった。

 部屋に通され、用意されたお茶を手に取る。


 しかし、立ち昇るはずの芳醇な香りも、口に触れた液体の味わいも、何一つ感じられなかった。

 カップを持つ指先がわずかに震える。それは、どうしようもなく押し寄せる感情の波を抑え込もうとする自分の無力さの現れだった。



「リディア様、聞いていらっしゃいますか?」

 エマの高い声が耳に飛び込んできた。何か私に話しかけていたのだろうか。

 セオドアの冷たい視線が肌に刺さり、私は仕方なくゆっくりと顔を上げた。




「失礼だぞ、リディア。ぼーっとしているなんて」

 セオドアの声は、冷ややかで苛立ちも含んでいた。



「申し訳ありません、何でしたか?」

 表面上の穏やかな微笑みを浮かべながら、問い返す。必死に感情を押し殺した。


「私、セオと仲良くさせてもらっていますけど、リディア様とも仲良くしたいのでお話をしたいのです。そうだわ。話題の小説、お読みになりました?」

 エマの声は明るく、期待と嬉しさが滲んでいる。



「身分差の恋のお話ですの。心惹かれた相手との身分の差、そしてしがらみに一度は諦めようとするけれど、心に嘘をつけなくて、どうにもならない思いを伝え合うのです」


 話を進めていくエマの瞳はきらきらと輝きを増していく。

 自分がその物語の主人公になったかのように。

 そして、それを見つめるセオドアもまた、柔らかな微笑みを浮かべていた。その表情は、ここ最近彼が私に向けたものよりも、はるかに穏やかで温かい。



「ああ、私も読んだ。2人で身分差を乗り越えるために力を尽くし、最後には周りに祝福されて望みをかなえる。感動的だ」



 セオドアの声は、どこか感慨深げで優しさに満ちている。その眼差しがエマに向けられるたび、二人の間に親密さが漂っているのを感じた。



 彼らは、私の存在など忘れ、見つめ合いながら語り続けた。視線が交差するたびに生まれる微笑みや、共感し合う仕草。その全てが、鋭い痛みとなって突き刺さる。



 ――どうして、この場に私はいるのだろう。



 その問いが胸を満たしていく。心が空っぽになっていくような感覚に包まれたまま、彼らの会話をただ聞き流していた。




「リディア様は、どう思われますか?」



 突然向けられた問いに、一瞬思考が空白になる。視線を上げると、二人の注目がこちらに集まっていた。

 少しの間を置き、微笑みを浮かべながら静かに答える。




「心は自由ですわ」


 そう、恋をするだけなら、思うだけなら自由。許されるはずだ。



 エマはその答えに満足したように笑い、「そうですよね!」と同意した。





「……ですが、現実、結婚は家同士の契約です。物語のようにはいかない。もし破棄するようであれば何かしらの犠牲が伴います。わかっているとは思いますが」


 声が部屋の中に響くと、場の空気がピリついた。

 エマの顔に微妙な戸惑いが浮かぶ。瞳がわずかに揺らぎ、眉がかすかに寄る。だが、私の言葉は止まらなかった。



「いい機会ですから、はっきりお聞きしますわ。エマ様は、セオドアの仲の良いご友人ということでよろしいでしょうか?」


 エマの瞳が再び揺れた。彼女は視線をセオドアに向け、戸惑っているように見えた。



「……ええ、そうですわ」



 ためらいがちな声が返ってきた。



「それであれば、セオドアとむやみな接触は控えていただきたいですわ。下手な噂が広がれば、困るのはセオドア自身ですから」


 エマの顔が青ざめる。セオドアは眉をひそめたが、黙ったままだった。

 しかしエマは、意を決したように口を開く。



「もし、私が、友達以上の感情を持っていると言ったら?」



 その言葉は部屋中に響き渡り、空気をさらに重くした。

 セオドアがその言葉に小さな喜びの表情を浮かべた瞬間、心が大きく軋む音を立てたように感じた。


 ――こんなにも簡単に、彼の本心が見えてしまうなんて。



「それであれば、それこそ、関係をはっきりしていただきたいですわ」

 ゆっくりと言葉を続けた。



「セオドアは、卒業を待ってヴェセリー公爵家の養子となることが決まっております。公爵家と男爵家。物語のように皆から祝福される恋など期待できません。それゆえ、セオドアは侯爵令嬢の私と結婚するしかないのです。そして、私たちはその公爵家の人間として、家を守り繁栄のため共に歩んでいくのです。私たちの結婚は決定事項です」

「リディア!」

 セオドアが怒りを露わに声を上げた。その声は部屋全体に響き渡り、エマの瞳には涙が浮かんでいた。しかし、私は止まれない。



「現実的な選択肢として、エマ様は、愛人となって別に家を構えるか、それとも芽生えた感情を傷が浅いうちに消してしまうか。エマ様には、それをはっきり決めていただきませんと、私も心の準備がありますから」

「なんて冷たい言い方をするんだ!」


 セオドアが声を荒げたが、心は冷たく静かだった。泣き出すエマに寄り添うセオドア。
 その様子を見つめながら、静かに席を立つ。


「セオドア、あなたもよ」

 その一言に、彼はぎょっとしたように顔を上げたが、動揺を悟られないように視線をそらした。



「仲の良い友達だと言い張るのであれば、それなりの距離感を守らないと。周囲にどのように見られるかをもっと考えてほしいわ」


 セオドアの表情が曇る。エマは、泣いたまま不安げに彼を見上げていた。


「もし、あなたも同じ気持ちで、気持ちを消すことなどできないから愛人に迎えるつもりだとおっしゃるのであれば――」


 私の言葉にエマが息を呑む。
 セオドアが何か言いかけるが、彼を遮るように続けた。



「結婚式が終わるまでは、互いの親にばれないように配慮するべきだわ。エマ様が両家に責められたらどうするのです? それは、あなたの本意では無いのでしょう?」



 部屋の空気が凍りついたように重たくなり、セオドアは拳を握りしめながら何か言いたげに私を見つめた。




「あなたたちの曖昧な関係が、どれほど多くの人に影響を与えるのか、もう少し現実を見ていただきたいのです。セオドア、エマ様。どうかお二人で話し合ってはっきりさせてくださいませ。私はこれで失礼いたしますわ」


 静かに一礼し、部屋を後にした。冷たい足音だけが、広い廊下に乾いた音を響かせる。




 早く帰りたい。そして、一刻も早く、このドレスを脱ぎ捨てたいわ。


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