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8.彼女を守りたい sideセオドア
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sideセオドア
私の母とリディアの母は、学院の同級生であり、親友だった。とても仲が良かった二人は、同じ時期に妊娠したことを喜び合い、「もし片方が男で、片方が女なら婚約者にしましょう。同じ性別なら、私たちのような親友に」と未来を夢見るように誓い合っていたそうだ。
私たちの父は、どちらも妻には甘く、微笑みながら「それは良い話だ」と賛同したと聞く。
二人の母が笑顔でうなずく姿が目に浮かぶ。
そして、私とリディアは――当然のように――婚約者となった。
私には兄がおり、また、リディアの弟が生まれる前だったため、私が侯爵家に婿養子になる予定だったそうだ。
だが、その決定に、今の私は疑問を感じずにはいられなかった。
何もわからない赤子の頃に、未来を決められてしまうなんて、あまりにも酷い話だ。
記憶にもないくらい小さい頃、お互いを『好き』と言い合っていたなどという話も、全く信じられない。
小さな頃、リディと私は家族のように過ごしてきた。笑ったり、泣いたり、ケンカをしたり――。
そのせいだろうか、私は彼女に対して家族以上の感情を抱くことがどうしてもできなかった。家族に恋をするなんて、自分には無理だと思ったのだ。
そんな日々が続く中、突然悲劇が訪れた。お互いの母が流行り病にかかり、ほとんど同じ時期に亡くなってしまったのだ。
母たちは、私たちの結婚式を楽しみにしていた。華やかな式の様子を笑いながら語り合い、私たちがどれほど幸せになれるかを夢見ていた。それを思うと、胸の奥が締め付けられるような感覚が押し寄せてくる。
残された父たちは、二人とも妻の死のせいで、結婚に対して妙に意固地になっている気がしてならない。妻の願いを何としてでも叶えようとしているように思えるのだ。
その証拠に、父は私が逃げられないように手を尽くしているように感じた。結婚を前提にした共同事業を次々に立ち上げ、私たち二人を無理やり結びつけるための布石を打っているのではないか――そんな考えすら頭をよぎる。
思えば私の運命も数奇なものだ。リディアとの婚約が決まった数年後、公爵家の養子の話が私に持ち上がったのだ。
もし順番が逆だったらどうなっていただろう。
養子の話が先に来ていれば、両親ももっと違う人を選んだのではないか。あるいは、私自身に婚約者を選ばせるという選択肢を残してくれたかもしれない――そんな考えが、頭から離れない。
公爵家は子どもがおらず、跡を継いでくれる者を探していたという。リディアの家である侯爵家と我が伯爵家、両家とつながりがあったということもあり、私は養子として迎えられることとなったと聞く。
だが、なぜか子どもの頃から公爵家で育てられるのではなく、伯爵家で過ごすことを許された。母が嫌がったのかもしれない。兄もいるのだから、我慢してくれればよかったのに。
もし、小さい頃から公爵家の英才教育を受けていたら、今頃私はもっと違う人間になっていたかもしれない――そう思う。
そんな不満を胸に抱きながら、私はリディアを思い浮かべる。
彼女はいつの間にか私よりも背が高くなり、学業でも優れた成績を収めていた。その姿を見るたびに、心の奥底で小さな劣等感が芽生えてしまう。彼女に見下されているような気さえするのだ。
もはや、私にとってのリディアは、私の劣等感を映す鏡となったのだ。
絵本や物語のヒロインたちは皆、儚げで可愛らしい存在だというのに――
そう、このエマのように。
*****
「泣かないでくれ、エマ」
目の前で涙をこぼす彼女の姿に、どうしていいかわからず手を伸ばし、その震える肩にそっと触れる。
「セオ……」
エマが真っ赤に染まった目で見上げる。その瞳には、悲しみと自己嫌悪、そして恋い慕う感情が宿っていた。頬を伝う涙が光る。
「私が悪いの。隠せていたセオへの気持ちを、あんなふうに言ってしまうなんて……。リディア様が、あんなに冷たい言い方をするのも当然よ」
エマの声は震え、言葉の一つ一つに痛みが滲んでいた。
自らを責める彼女の姿が、たまらなかった。どうしてこんなに優しい人が、傷つかなければならないのだろう。
「愛人だなんて! エマに失礼だ」
強く言い返したが、エマの悲しげな顔は変わらない。胸が締め付けられるようだった。
「だって、身分の差もあるもの。そうよ、憧れている物語なんて現実的ではないわ」
リディアの冷たい言葉に傷つきながらも、それを受け入れようとしているエマ。その姿が健気で切なく、何も言えなくなる。
「男爵家と伯爵家でも身分差があるのに、公爵家ですもの……。セオが公爵家に選ばれて養子になるのは素晴らしいことだと思うわ。でも……。ねえ、セオ? 心で想うことは自由ってリディア様は、おっしゃったわ。想うことは……許してくれる?」
エマは、私に問いかけるように言った。その言葉に、心が揺れる。
「エマ……」
彼女の名前を呼ぶだけで、胸が熱くなる。
「ああ、想っていい。……本当は、私も心でずっと想っていた」
その言葉に、エマの瞳が大きく見開かれた。そして次の瞬間、彼女の涙が再び溢れる。
「セオ……本当に? ああ、私、妻でなくていいの。どんな形でも、セオの傍にいたいわ」
「エマを愛人だなんて……」
言葉が詰まる。その言葉の裏には、自分の無力さと、彼女を守りたいという強い思いが入り混じっていた。
「『諦めて』とリディア様は簡単におっしゃったけど、そんなの無理よ。本当に本気なのだから。……リディア様は、恋をしたことがないからそんなことが言えるのだわ。お可哀想。苦しくて、せつなくて、恋なんかしなければよかったって思うけれど、それでも……恋を知ることができて幸せだと思っているわ」
エマの言葉に、胸が熱くなった。同じ思いだ、と強く思う。リディアの冷たい態度が頭をよぎるが、それ以上に目の前のエマの存在が愛おしかった。
「同じ気持ちだ。人を愛おしいと思う気持ちが分からないから、あんな冷たいことが言えるのだ。義務として一生傍にいる……そんな考えの者が妻だなんて、耐えられない」
エマが小さく頷く。その瞳は涙で潤みながらも、どこか力強さを帯びていた。
「……政略とは、そんなものかもしれないわ。でも、そんな人にセオの時間を奪われるなんて、私、嫌だわ」
エマの大きな瞳から再び涙が溢れ出てしまい、私は思わずエマを抱きしめた。腕の中で小さく震えるエマ。彼女を守りたい。そう思った。
私の母とリディアの母は、学院の同級生であり、親友だった。とても仲が良かった二人は、同じ時期に妊娠したことを喜び合い、「もし片方が男で、片方が女なら婚約者にしましょう。同じ性別なら、私たちのような親友に」と未来を夢見るように誓い合っていたそうだ。
私たちの父は、どちらも妻には甘く、微笑みながら「それは良い話だ」と賛同したと聞く。
二人の母が笑顔でうなずく姿が目に浮かぶ。
そして、私とリディアは――当然のように――婚約者となった。
私には兄がおり、また、リディアの弟が生まれる前だったため、私が侯爵家に婿養子になる予定だったそうだ。
だが、その決定に、今の私は疑問を感じずにはいられなかった。
何もわからない赤子の頃に、未来を決められてしまうなんて、あまりにも酷い話だ。
記憶にもないくらい小さい頃、お互いを『好き』と言い合っていたなどという話も、全く信じられない。
小さな頃、リディと私は家族のように過ごしてきた。笑ったり、泣いたり、ケンカをしたり――。
そのせいだろうか、私は彼女に対して家族以上の感情を抱くことがどうしてもできなかった。家族に恋をするなんて、自分には無理だと思ったのだ。
そんな日々が続く中、突然悲劇が訪れた。お互いの母が流行り病にかかり、ほとんど同じ時期に亡くなってしまったのだ。
母たちは、私たちの結婚式を楽しみにしていた。華やかな式の様子を笑いながら語り合い、私たちがどれほど幸せになれるかを夢見ていた。それを思うと、胸の奥が締め付けられるような感覚が押し寄せてくる。
残された父たちは、二人とも妻の死のせいで、結婚に対して妙に意固地になっている気がしてならない。妻の願いを何としてでも叶えようとしているように思えるのだ。
その証拠に、父は私が逃げられないように手を尽くしているように感じた。結婚を前提にした共同事業を次々に立ち上げ、私たち二人を無理やり結びつけるための布石を打っているのではないか――そんな考えすら頭をよぎる。
思えば私の運命も数奇なものだ。リディアとの婚約が決まった数年後、公爵家の養子の話が私に持ち上がったのだ。
もし順番が逆だったらどうなっていただろう。
養子の話が先に来ていれば、両親ももっと違う人を選んだのではないか。あるいは、私自身に婚約者を選ばせるという選択肢を残してくれたかもしれない――そんな考えが、頭から離れない。
公爵家は子どもがおらず、跡を継いでくれる者を探していたという。リディアの家である侯爵家と我が伯爵家、両家とつながりがあったということもあり、私は養子として迎えられることとなったと聞く。
だが、なぜか子どもの頃から公爵家で育てられるのではなく、伯爵家で過ごすことを許された。母が嫌がったのかもしれない。兄もいるのだから、我慢してくれればよかったのに。
もし、小さい頃から公爵家の英才教育を受けていたら、今頃私はもっと違う人間になっていたかもしれない――そう思う。
そんな不満を胸に抱きながら、私はリディアを思い浮かべる。
彼女はいつの間にか私よりも背が高くなり、学業でも優れた成績を収めていた。その姿を見るたびに、心の奥底で小さな劣等感が芽生えてしまう。彼女に見下されているような気さえするのだ。
もはや、私にとってのリディアは、私の劣等感を映す鏡となったのだ。
絵本や物語のヒロインたちは皆、儚げで可愛らしい存在だというのに――
そう、このエマのように。
*****
「泣かないでくれ、エマ」
目の前で涙をこぼす彼女の姿に、どうしていいかわからず手を伸ばし、その震える肩にそっと触れる。
「セオ……」
エマが真っ赤に染まった目で見上げる。その瞳には、悲しみと自己嫌悪、そして恋い慕う感情が宿っていた。頬を伝う涙が光る。
「私が悪いの。隠せていたセオへの気持ちを、あんなふうに言ってしまうなんて……。リディア様が、あんなに冷たい言い方をするのも当然よ」
エマの声は震え、言葉の一つ一つに痛みが滲んでいた。
自らを責める彼女の姿が、たまらなかった。どうしてこんなに優しい人が、傷つかなければならないのだろう。
「愛人だなんて! エマに失礼だ」
強く言い返したが、エマの悲しげな顔は変わらない。胸が締め付けられるようだった。
「だって、身分の差もあるもの。そうよ、憧れている物語なんて現実的ではないわ」
リディアの冷たい言葉に傷つきながらも、それを受け入れようとしているエマ。その姿が健気で切なく、何も言えなくなる。
「男爵家と伯爵家でも身分差があるのに、公爵家ですもの……。セオが公爵家に選ばれて養子になるのは素晴らしいことだと思うわ。でも……。ねえ、セオ? 心で想うことは自由ってリディア様は、おっしゃったわ。想うことは……許してくれる?」
エマは、私に問いかけるように言った。その言葉に、心が揺れる。
「エマ……」
彼女の名前を呼ぶだけで、胸が熱くなる。
「ああ、想っていい。……本当は、私も心でずっと想っていた」
その言葉に、エマの瞳が大きく見開かれた。そして次の瞬間、彼女の涙が再び溢れる。
「セオ……本当に? ああ、私、妻でなくていいの。どんな形でも、セオの傍にいたいわ」
「エマを愛人だなんて……」
言葉が詰まる。その言葉の裏には、自分の無力さと、彼女を守りたいという強い思いが入り混じっていた。
「『諦めて』とリディア様は簡単におっしゃったけど、そんなの無理よ。本当に本気なのだから。……リディア様は、恋をしたことがないからそんなことが言えるのだわ。お可哀想。苦しくて、せつなくて、恋なんかしなければよかったって思うけれど、それでも……恋を知ることができて幸せだと思っているわ」
エマの言葉に、胸が熱くなった。同じ思いだ、と強く思う。リディアの冷たい態度が頭をよぎるが、それ以上に目の前のエマの存在が愛おしかった。
「同じ気持ちだ。人を愛おしいと思う気持ちが分からないから、あんな冷たいことが言えるのだ。義務として一生傍にいる……そんな考えの者が妻だなんて、耐えられない」
エマが小さく頷く。その瞳は涙で潤みながらも、どこか力強さを帯びていた。
「……政略とは、そんなものかもしれないわ。でも、そんな人にセオの時間を奪われるなんて、私、嫌だわ」
エマの大きな瞳から再び涙が溢れ出てしまい、私は思わずエマを抱きしめた。腕の中で小さく震えるエマ。彼女を守りたい。そう思った。
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