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41.王子の恋の終わり
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sideラファエル王子
セオドア・モンクレアの家には、大きな影響はなかったようだが、それでも彼個人には重い責任がのしかかった。
リディア嬢への接近禁止令も出されたそうだ。
彼は、自分の慰謝料に加え、浮気相手の慰謝料まで支払わなければならないという。契約書に明記されていたとはいえ、浮気相手の分まで背負う羽目になるとは。なぜそのような契約を? 理解不能だ。
父である当主は息子に甘くなかった。
家の名誉を傷つけ、存続すら危うくしかけたのだ。当然の報いと言える。爵位を継ぐ長子でもなく、家の庇護と与えられた未来に甘えていたツケが回ってきたのだろう。
彼は働きに出されることになった。
課題をリディア嬢に押し付けていたことが当主にばれ、肉体労働に従事することを命じられたと聞く。
労働者の手には無数の傷や豆が刻まれ、日々の重労働に耐えうる逞しさを宿している。
しかし、彼の手はあまりにも滑らかで、傷一つない。その指先が泥に塗れる日が来るとは、想像しただろうか。
恵まれた環境にいながら、学問にも真面目に取り組まなかった男が、果たしてどこまでやれるのか。
粗野な労働者たちの中で、どれほど持ちこたえられるのか。
屈強な男たちの嘲笑の中、己の愚かさを噛みしめながら汗を流すことになるのだろう。貴族の誇りも、怠惰に溺れていた日々も、いずれすべて打ち砕かれる。
***
しばらく私につきまとっていたエマという伯爵令嬢は、いつの間にか姿を消していた。
『セオが急に冷たくなったの。やっぱりリディア様がいいのだわ』
そう嘘をつき、同情を買う。それを利用し、周囲を味方につける。
彼女にとって他人は、自らの欲望を満たすための道具でしかない。望むものを手に入れるためなら、誰を犠牲にしようとも構わないのだろう。
その自己中心的な振る舞いが、何よりも許せなかった。
彼女はリディア嬢を傷つけた。何もかもを踏みにじり、ただ自分の欲求を満たすためだけに動いた。
微笑を張り付けた仮面の下で……この女をどうしてくれようかと考えていた。
だが、私より早く運命が彼女に罰を与えたらしい。
噂によれば、彼女は嫁に出されたのだという。
ヴァレンツ商会の会長――表向きは名門商家として評判がいいが、裏では借金を抱えた貴族たちを縛る冷酷な金貸し。慈悲など一切ない金の亡者。
彼女は、5番目の妻となった。
彼女の養子先の伯爵家もまた、多額の借金を抱えていると聞いた。おそらく、借金の肩代わりとして彼女は嫁ぐのだろう。
どんな生活になるのかは、容易に想像がつく。何せ、これまでの4人の妻は、もうこの世にはいないのだから。
養子が政略の駒として使われるのは珍しいことではない。
伯爵家は、そのための養子を探していたのだろう。小さな頃から育てられたのならまだしも、最近迎えられたばかりの養子に対して、家族としての情など薄いに決まっている。血のつながりがないからこそ、ためらいもなく相手に差し出せる。
公爵夫人は、彼女にもう一つの未来を用意していたらしい。
それは、子供のいない子爵家の跡継ぎとして迎えられ、婿を取り、家を継ぐという道。今よりもはるかに安定し、名誉も保証された立場だった。
だが、彼女はそれを選ばなかった。
伯爵令嬢という肩書に惹かれたのだろう。今の立場では満足できず、さらに上を求めた。その結果、彼女は今、全く異なる未来へと向かっている。
そして今になって、子爵家を選ばなかったことを激しく後悔しているに違いない。
自分の知りたいことしか調べないあの二人、自分の都合のいいように解釈する二人、当然の結末だ。
――これも、公爵夫人の策略に違いない
いずれ自分の娘となる、愛してやまないリディア嬢を侮辱されたのだからな。そう、子爵家を選ばないことが分かった上での二択。自分の選択を一生後悔するようにと考えたとしても、不思議ではない。
男爵家は、セオドア・モンクレアが慰謝料を支払うことで、一件落着したかのように見えた。
だが、現実はそう甘くはなかった。
公爵家の圧力により、長男が急遽爵位を継ぐことになったのだ。新たな当主となった彼が、何もしないとは考えにくい。
自分と母をないがしろにした父。そして、その原因となった女――。
彼の心には、今でも怒りと憎悪が渦巻いていることだろう。
二人の未来に、幸福などありはしない。
*****
「……王子殿下は、リディアとレオナードの結婚式に行きたいですか?」
「もちろんだ」
即答すると、ダリウスは少し驚いたように瞬きをした。その反応に、思わず口元が緩む。
「そうなのですか? 二人に招待状の相談を手紙でされて……その、本当にいいのですか?」
慎重に言葉を選びながら尋ねてくる様子に、苦笑が漏れた。ダリウスらしい気遣いだ。だが、それが逆に胸を締め付ける。
「美しいリディア嬢の花嫁姿を見ないなんて、一生後悔する」
冗談めかして言ったつもりだったが、ダリウスは納得がいかないような顔をしている。まるで、こちらの心を見透かすような視線。少し辛そうな表情を浮かべながら。
「心に区切りをつけるのには、幸せな花嫁を目に焼き付けるのが一番いいだろう?」
それが自分の想いに決着をつける方法なのだと、自分自身に言い聞かせるように言った。
「……ラファエル王子殿下……」
呼ばれた名に、わずかに目を伏せる。
レオナードはいい男だ。聡明で、誠実で、リディア嬢同様、話がとても合った。そして、彼女と同じように気遣いのできる人でもあった。
……そんな二人が合わないはずがない。
傍で見ていたダリウスとカタリナ嬢には、きっとわかっていたのだろう。
レオナードは、私よりも長い時間リディア嬢と共に過ごし、寄り添い、支えてきたに違いない。
――私にも時間があったら……
そんなことを考えかけて、すぐに思考を振り払った。いや、もう考えるのはやめよう。
私の恋は、終わったのだ。
だからこそ、最後まで見届ける。
「勿論、ダリウスの結婚式にも呼んでくれよ」
そう言うと、ふっと柔らかく笑った。
「ええ、喜んで」
その声は温かく、穏やかに耳をくすぐった。
セオドア・モンクレアの家には、大きな影響はなかったようだが、それでも彼個人には重い責任がのしかかった。
リディア嬢への接近禁止令も出されたそうだ。
彼は、自分の慰謝料に加え、浮気相手の慰謝料まで支払わなければならないという。契約書に明記されていたとはいえ、浮気相手の分まで背負う羽目になるとは。なぜそのような契約を? 理解不能だ。
父である当主は息子に甘くなかった。
家の名誉を傷つけ、存続すら危うくしかけたのだ。当然の報いと言える。爵位を継ぐ長子でもなく、家の庇護と与えられた未来に甘えていたツケが回ってきたのだろう。
彼は働きに出されることになった。
課題をリディア嬢に押し付けていたことが当主にばれ、肉体労働に従事することを命じられたと聞く。
労働者の手には無数の傷や豆が刻まれ、日々の重労働に耐えうる逞しさを宿している。
しかし、彼の手はあまりにも滑らかで、傷一つない。その指先が泥に塗れる日が来るとは、想像しただろうか。
恵まれた環境にいながら、学問にも真面目に取り組まなかった男が、果たしてどこまでやれるのか。
粗野な労働者たちの中で、どれほど持ちこたえられるのか。
屈強な男たちの嘲笑の中、己の愚かさを噛みしめながら汗を流すことになるのだろう。貴族の誇りも、怠惰に溺れていた日々も、いずれすべて打ち砕かれる。
***
しばらく私につきまとっていたエマという伯爵令嬢は、いつの間にか姿を消していた。
『セオが急に冷たくなったの。やっぱりリディア様がいいのだわ』
そう嘘をつき、同情を買う。それを利用し、周囲を味方につける。
彼女にとって他人は、自らの欲望を満たすための道具でしかない。望むものを手に入れるためなら、誰を犠牲にしようとも構わないのだろう。
その自己中心的な振る舞いが、何よりも許せなかった。
彼女はリディア嬢を傷つけた。何もかもを踏みにじり、ただ自分の欲求を満たすためだけに動いた。
微笑を張り付けた仮面の下で……この女をどうしてくれようかと考えていた。
だが、私より早く運命が彼女に罰を与えたらしい。
噂によれば、彼女は嫁に出されたのだという。
ヴァレンツ商会の会長――表向きは名門商家として評判がいいが、裏では借金を抱えた貴族たちを縛る冷酷な金貸し。慈悲など一切ない金の亡者。
彼女は、5番目の妻となった。
彼女の養子先の伯爵家もまた、多額の借金を抱えていると聞いた。おそらく、借金の肩代わりとして彼女は嫁ぐのだろう。
どんな生活になるのかは、容易に想像がつく。何せ、これまでの4人の妻は、もうこの世にはいないのだから。
養子が政略の駒として使われるのは珍しいことではない。
伯爵家は、そのための養子を探していたのだろう。小さな頃から育てられたのならまだしも、最近迎えられたばかりの養子に対して、家族としての情など薄いに決まっている。血のつながりがないからこそ、ためらいもなく相手に差し出せる。
公爵夫人は、彼女にもう一つの未来を用意していたらしい。
それは、子供のいない子爵家の跡継ぎとして迎えられ、婿を取り、家を継ぐという道。今よりもはるかに安定し、名誉も保証された立場だった。
だが、彼女はそれを選ばなかった。
伯爵令嬢という肩書に惹かれたのだろう。今の立場では満足できず、さらに上を求めた。その結果、彼女は今、全く異なる未来へと向かっている。
そして今になって、子爵家を選ばなかったことを激しく後悔しているに違いない。
自分の知りたいことしか調べないあの二人、自分の都合のいいように解釈する二人、当然の結末だ。
――これも、公爵夫人の策略に違いない
いずれ自分の娘となる、愛してやまないリディア嬢を侮辱されたのだからな。そう、子爵家を選ばないことが分かった上での二択。自分の選択を一生後悔するようにと考えたとしても、不思議ではない。
男爵家は、セオドア・モンクレアが慰謝料を支払うことで、一件落着したかのように見えた。
だが、現実はそう甘くはなかった。
公爵家の圧力により、長男が急遽爵位を継ぐことになったのだ。新たな当主となった彼が、何もしないとは考えにくい。
自分と母をないがしろにした父。そして、その原因となった女――。
彼の心には、今でも怒りと憎悪が渦巻いていることだろう。
二人の未来に、幸福などありはしない。
*****
「……王子殿下は、リディアとレオナードの結婚式に行きたいですか?」
「もちろんだ」
即答すると、ダリウスは少し驚いたように瞬きをした。その反応に、思わず口元が緩む。
「そうなのですか? 二人に招待状の相談を手紙でされて……その、本当にいいのですか?」
慎重に言葉を選びながら尋ねてくる様子に、苦笑が漏れた。ダリウスらしい気遣いだ。だが、それが逆に胸を締め付ける。
「美しいリディア嬢の花嫁姿を見ないなんて、一生後悔する」
冗談めかして言ったつもりだったが、ダリウスは納得がいかないような顔をしている。まるで、こちらの心を見透かすような視線。少し辛そうな表情を浮かべながら。
「心に区切りをつけるのには、幸せな花嫁を目に焼き付けるのが一番いいだろう?」
それが自分の想いに決着をつける方法なのだと、自分自身に言い聞かせるように言った。
「……ラファエル王子殿下……」
呼ばれた名に、わずかに目を伏せる。
レオナードはいい男だ。聡明で、誠実で、リディア嬢同様、話がとても合った。そして、彼女と同じように気遣いのできる人でもあった。
……そんな二人が合わないはずがない。
傍で見ていたダリウスとカタリナ嬢には、きっとわかっていたのだろう。
レオナードは、私よりも長い時間リディア嬢と共に過ごし、寄り添い、支えてきたに違いない。
――私にも時間があったら……
そんなことを考えかけて、すぐに思考を振り払った。いや、もう考えるのはやめよう。
私の恋は、終わったのだ。
だからこそ、最後まで見届ける。
「勿論、ダリウスの結婚式にも呼んでくれよ」
そう言うと、ふっと柔らかく笑った。
「ええ、喜んで」
その声は温かく、穏やかに耳をくすぐった。
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