六華 snow crystal 3

なごみ

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遼介の対応

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*有紀*

生まれてはじめて、人を恐ろしいと思った。


ビシッ!


目に涙をためて怒りに震えている麗奈さんに、思いっきり平手打ちされた。


「どうして、どうしてですか?  言ったじゃないですか、結婚の邪魔をしないでって!  いくら、いくら、修二さんが好きだからってひどすぎる……」


もっと、もっと殴って欲しかった。麗奈さんの気がすむまで。


だけど、どんなに殴ったところで、麗奈さんの気が晴れるわけはなかった。


結婚を妨害しようなどという気持ちは少しもなかった。それは本当だ。だけど、こんな事になってしまった後では、言い訳なんかしてもどうにもならない。


どんな説明をしたところで、麗奈さんも、誰も信じてはくれない。


泣き崩れる麗奈さんを、スチール椅子に座っていた遼介が、呆然と見つめていた。


「……ごめんなさい」


うつむいて謝ることしか出来なかった。ほかになんて言えばいいのか言葉が見つからない。


ーー靴擦れを起こしたから。


断ったけれど、谷さんが何度も送ると言ったから。


突然、猫が飛び出してきたから。


谷さんがハンドルを切ったから。


そんな言い訳で麗奈さんが納得するはずもない。なにを言ったところで、気持ちを逆撫でするだけなんだ。


許せないのだから、決して許したくないのだから。





スチールドアがまた開いて、谷さんのお母様が入って来た。


麗奈さん以上の申し訳なさで、顔がひきつった。


「有紀ちゃん、あなたは大丈夫? 大変だったわね。……起きてしまったことはもう、仕方ないわ」


優しい慰めの言葉は、罵倒される以上の苦痛だった。


「ごめんなさい、ごめんなさい!」


降りて土下座でもしたかったけれど、さすがに軽傷でも全身の痛みがひどく、出来そうにはなかった。


ベッドに仰臥したまま、頭をこすり合わせて号泣した。


「有紀ちゃん、あまり自分を責めないで、ゆっくり休んで。麗奈さん、行きましょう」


そう言って、麗奈さんの肩を抱いて連れて行った。


どうして、どうして、こんなことになってしまうの。私はそんなに悪いことをしたの?
こんな罰を受けなくてはならないほど。


しばらくすすり泣いていたら、遼介がスチール椅子から立ち上がった。


「谷さんが結婚してしまうのが、そんなに嫌だったのか?  」


冷めた口調で遼介は言った。


その言い方に、谷さんのお母様のような思いやりは感じられなかった。


「…………」


去っていく足音と、スライドドアがパタンと閉まる音が聞こえた。


夫婦って一体なに?


こんなに落ち込んでいるのに。


こんなに慰めと励ましを必要としているのに。


今一番そばにいて欲しいのに。


見放してしまうんだ……。



どうして、あの時、ハンドルを切ったりしたの?


谷さんが恨めしかった。


私が大怪我をしたほうが、ずっとよかったのに……。





翌朝、身体中の打撲痛は少しも良くはなっていなかったけれど、特に点滴も、なんの治療もない私が入院をしているのは居心地が悪かった。


なんと言っても自分の勤めている病院であり、脳外科病棟なのだ。しかも、今月末に予定されていた、谷さんの結婚披露宴をぶち壊してしまったのだから。


看護師長と相談して、早々と退院したい旨を伝えた。


事務方には伝えておいたからと、準備が出来次第退院しても良いと言われたけれど……。


病衣のままで帰るわけにもいかず、タクシー代もない。


私のスマホは壊れてしまったのだろうか?


荷物は多分、遼介が預かって持って行ってしまったのだろうと思う。


結局、早く退院したくても、仕事帰りの遼介を待つしかなかった。


谷さんの容態はどんなだろう?


今朝、バイタルを取りに来た夜勤明けのナースの話では、血腫の除去はうまくいったらしいけれど、依然として意識不明のままとのこと。


谷さんをずっと介護してあげたい気持ちと、会うのが恐ろしい気持ちが交錯した。


お昼に出された病院食は美味しそうなうどんだったけれど、とても食べる気持ちにはなれない。


ICUにいる谷さんの様子を見に行きたいけれど……。


今は医療スタッフではなく病人だ。こんな病衣の格好で面会など出来ないし、麗奈さんやご家族に会うのは恐ろしかった。


首の痛みと頭痛がひどくなり、鎮痛剤をもらって飲んだ。





うつらうつら眠っているうちに、夕方になりそろそろ遼介が来てくれると思って待っていた。


だけど、急患でもあったのだろうか。こんな日に限って、遼介は遅かった。


夜の7時を過ぎても遼介は現れず、実家の母が顔をだした。


「有紀、どう?  首の方は大丈夫?」


「私は大した怪我じゃないから、大丈夫。だから早く家へ帰りたいの。もう、いつでも退院してもいいって言われてるの。遼介が今日は遅くて。悪いけど、お母さんアパートまで送ってくれない?  私、お財布もなにもなくて」


「そうなの、いいわよ。でも、遼介さん、後で寄らないかしら?」


「いなかったら、帰ればいいだけでしょ。早くアパートへ帰りたくて」


「いいけど、退院の手続きなんかはしなくて大丈夫?」


「事務は閉まってるし、支払いなんかは後でやるからいいわ」


病衣姿で恥ずかしいけれど、夜で暗いし、車に乗ってしまえばどうってこともない。


母が来ていた薄手のコートを貸してくれた。


手荷物もなにもなく、夜勤の看護師に退院することを告げて、病院を出た。





アパートへ着くと、駐車場に遼介の車が停まっていた。


えっ?  遼介は家に帰ってたの?


どういうこと?


打撲痛をこらえて階段を登る私を、母が支えてくれた。


玄関前まで来て、鍵を持っていないことに気づく。ブザーを押すと、玄関のロックを外す音がして、遼介がドアを開けた。


「どうしたんだよ、一週間入院じゃなかったのか?」


ずっと入院していろよ、と言わんばかりの遼介にひどく腹が立った。


「早く帰って来て悪かったわね!」


なんとなく雲行きが怪しくなりそうなことを察知した母が、明るい声でこう言った。


「ゆ、夕ご飯まだよね。何か作ってあげるわよ」


「お母さん、ありがとう。もう大丈夫だから、帰って。あとは自分で出来るから」


「だってまだ痛いでしょ。食事の支度なんて無理じゃないの」


「レンジで温めればいいだけのものがあるし、カップ麺だってあるからそれでいいわ。本当にありがとう。じゃあ、気をつけて帰って」


本当に帰っていいものか戸惑いながらも、追い立てられて、母は諦めて帰っていった。


玄関で母を見送ったあとリビングに入ると、遼介はなに食わぬ顔でテレビを見ていた。


蓄積していた怒りで唇がわなわなと震えた。


「い、いくらなんでも冷たすぎない? 仕事帰りに病院へ寄るのがそんなに面倒だったわけ?」


遼介は冷めた目で私を見つめ返した。


「今日退院するなんて思わなかったからな。怪我も大したことないし、寄る必要なんてないだろう」


「昨日入院したばかりなのよ。次の日だってくるのが普通でしょ! それでも夫なの? スマホもお財布も着替えもなにもないのよっ!」


そう言ったら、尚のこと惨めで悲しくなり、涙が出てきた。


「いつも自分本位なんだな。俺の立場になって考えたことはあるのかよ。もうすぐ結婚してしまう男とこんな事故なんか起こして、相手の婚約者を立ち直れないほど打ちのめして。俺はそんな情けない女の夫なんだ。そんな妻のところへ毎日いそいそと見舞いに通えって言うのか? 恥ずかしくて、みっともなくて、行きたくなんかないんだよっ!」


怒りと憎しみのこもった目で遼介は叫んだ。


遼介の心に何倍もの怒りが蓄積されていたことを知って愕然とする。


「……そう、わかった。ごめんなさい」


言い返す言葉はひとつも見つからなかった。


ひとつだけわかったこと。


……私たち、もうおしまいだね。




















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