六華 snow crystal 5

なごみ

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第1章

生きる希望を見失って

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*谷 修二*


師走に入り、まわりだけが慌ただしく、僕を置き去りにして過ぎてゆく。


ベランダの窓から、札幌市街の夜景を眺める。


この街のどこかで君も暮らしているのだろうか。


今なにをしているのか。


ーー有紀。


幸せであってくれることを祈る。


今の僕にできることはそれだけだから。




群青色の暗い空から細かな雪が降り続いていた。


明日の朝までにはかなり積もるのだろうか。


通勤することもなく、家に閉じこもっているものにとって、天気予報はそれほど気になるものではない。


忘年会もクリスマスもまったく関係がなく、変わりばえのない毎日をただ坦々と生きている。


白髪がめっきり増えた。


34歳ともなれば、それほど不思議なことでもないだろう。


禿げ上がるよりはまだマシか。


テレビに出ている人気アイドルと同じ年齢とは到底思えない。


今さら容姿が気になるわけでもないけれど。


未だに生きているのが不思議に思えるくらいだ。


麗奈に去られ、深刻な鬱状態に陥ったものの、なんとかそこから這い上がれたのは、母をこれ以上苦しめるわけにはいかないと思ったから。


僕以上に食事が喉を通らなくなってしまった母は、やせ細ったというよりも、全体的にふたまわりも小さくなったような気がする。


親にこんなに心配をかける息子になるとは、正直まったく想像もしていなかった。



ーー早く結婚して幸せな家庭を築いて。


以前母が僕に望んでいたことは、そんなたわいのないものだった。



母が今の僕に望むことは、ただ生きていてほしい。それだけに変わっていた。







いつもの手の込んだ夕食を前にして、ムカムカとせりあがってくる吐き気。


深呼吸をひとつして箸を持った。


食欲のない僕のために、あっさりとしたものが用意されている。


夕食は大抵いつも和食だ。


焼き魚か刺身、酢のもの。煮物かおひたしにサラダ。


食欲のない母自身、そんなものしか喉を通らないのだろう。


具だくさんの味噌汁をひと口飲み込み、菜の花のからし味噌和えをつまんだ。


味はもちろん悪くない。健康だったらなら、どんなに美味しいことだろう。


体が受けつけないのに、無理やり流し込むかような食べ方をして、栄養になどなるのだろうかと疑問に思う。


だけど、これ以上痩せ細って心配される方が嫌だった。


ぷりぷりの焼き鮭をご飯にのせ、お茶を注いで無理やりかき込んだ。


「ごちそうさま」


拷問のような夕食を終え、席を立った。



「あら、もうおしまい? ちっとも食べてないじゃない」


母が不安げに箸を止めて見上げた。


「さっき、和菓子をつまんだせいかな。もうお腹がいっぱいで、、ごはん美味しかったよ」


お菓子などを食べられていたのは、いったい何ヶ月前のことだろう。


甘いものなど、見ただけで具合が悪くなりそうだ。



…………有紀ちゃんは食べることが大好きだった。


“ これ、めっちゃ美味しい!! ”


溢れるような笑顔で食事をする有紀ちゃんを見るのが好きだった。


彼女が一緒だと、本当にどんなものでも美味しく感じられた。



有紀、……逢いたい。







麗奈にも酷いことをしたとは思う。


だけど麗奈は僕と別れてよかったのだ。彼女は新しい目標にむかって立ち直り、これから自分らしい幸せを見つけて生きていくだろう。


もちろん有紀ちゃんだって、そんな強さを持った女性ではあるけれど。


あんなひどい裏切りで、傷を負わせたまま別れることしかできなかった自分が、どうしても許せない。


有紀ちゃんはそんな僕のことなどとうに忘れ、新しい人生を歩んでいるのだろう。


僕はもう、誰にとっても過去の人間でしかない。


それでも僕は有紀に逢いたい。


会って謝ったところで、どうにかなるものではないけれど。


有紀ちゃんのことだから、そんな暗い過去になど振り回されることもなく、明るく人生を楽しんでいるはずだ。


遠くから一目でもそんな姿を見られたら、それだけで僕は嬉しい。







僕に今できる唯一のことは小説を書くこと。


出版社からの依頼もあり、それなりの仕事にはなっている。


徹夜などをして、猛烈な枚数を書き上げるようなことはできないけれど。


コツコツと日々書き連ねること。


創作することは今の僕に癒しにさえなっているように思う。


現実からの逃避。


物語の中で僕は様々なキャラクターを演じている。


強おもての敏腕刑事だったり、結婚願望の強い中年女性をだます、詐欺師になったりする。


そんな一人劇場を楽しみながらの執筆。


これで無職だったら、なにを生きがいにしていいのかわからなかっただろう。



有紀、君は今どこにいるんだい?


僕はもうすっかり記憶を取り戻している。


どんなに深く君を愛していたかを、今ごろになって痛切に思い出してしまったんだ。







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