六華 snow crystal 5

なごみ

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第1章

遥香の婚約者

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**有紀**


タクシーの中で涙が止まらなかった。


修二さんに会うなんて……。


会いたい気持ちがなかったわけではない。美冬を見てもらいたい気持ちも。


だけど、休日でもないこんな日中に出会うなんて、あまりに想定外のことだった。



結局、あんな風にしか会えないんだ。


美冬を見せることも出来ず、隠すようにして逃げ帰ってしまった。


修二さんは薬剤師の仕事はしていないのだろうか。


趣味で書いていると言っていた小説は、何冊か書店で見つけて読んではいたけれど。
 


悲しい気分で実家に帰り、冷蔵庫にあるもので簡単な昼食を済ませた。


もし、タクシーがもっと遅かったなら、美冬を見せてあげられたかも知れない。


でも、見せてどうしたかったの?



“ この子、もしかして僕の子じゃないのかい? ”



そう言って欲しかったの?


私は修二さんに、美冬の存在を知って欲しかったんだ。


お父さんになってくれなくても、美冬の幸せを願って欲しかった。

 

ときどき思い出して欲しかった。



………彩矢も、彩矢も、そうだったんだね。


今、同じような境遇になって思い知る。


彩矢も遼介に覚えていてもらいたかったんだ。


だから、写真や動画を送ったりしたのね。


今なら彩矢の気持ちはよくわかる。


だけど、それで私と遼介はダメになってしまった。



だから、修二さんに美冬のことは絶対に知らせちゃいけないんだ。








夜七時を過ぎて、遥香が婚約者さんを連れてリビングに入ってきた。


年は32才で、遥香より8つ年上と聞いていた。


想像以上のイケメンぶりに驚く。


「はじめまして。姉の有紀です。よろしくお願いします!」


「あ、よろしく。山口健人です」


いつものように明るく元気に挨拶したけれど、なんとなく素っ気ない返事。


無愛想というのではないけれど、どことなく冷たい感じのする人だ。


でも、いかにも遥香が好きになりそうなタイプ。


見た目も洗練されているし、仕事はスマートに卒なくこなすといった感じだ。


今日は早めに帰ってきた母が、テーブルにご馳走を並べていたので、美冬をおんぶしながら手伝う。


二人はソファに腰掛け、遥香が幸せいっぱいな様子で婚約者さんに話しかけていた。


お吸い物をよそっている母にヒソヒソとささやく。


「ねぇ、あの人、めっちゃクールな感じね。遥香大丈夫かしら?」


「さぁ、どうかしらね? 遥香のほうが夢中なんですもの。男は顔で選んじゃいけないって、姉から少しも学んでないのね」


母も少し心配げに嫌味を言った。


「遼介と私のことを言ってるの?  私たち別に失敗したわけじゃないのよ。あれはちょっとした運命の悪戯ってやつね。どうしようもなかったのよ。私は遼介を恨んでないし、いい思い出なんだから」


「あら、そうでしたか。未婚の母も運命の悪戯なんでしょ。あなたの人生はずっと悪戯されてばかりね」


「悪戯なんかじゃないったら、失礼ね。美冬が生まれたのは幸運なんですからねっ。私の人生は美冬のおかげで、ずっと幸せが続くんです!」


「はい、はい。悲観的なお母さんでなくてよかったこと。ねぇ、美冬」


母はおんぶされている美冬のほっぺを撫でた。


弟の駿太は居酒屋でのバイトで、今日も遅いとのこと。


おんぶしていた美冬は眠っていたので、布団に移し、帰宅した父と5人で食卓についた。






「健人さん、いつも出来合いのものばかりでごめんなさいね」


昨日と同じ出前のお寿司に、お惣菜屋で購入してきたおかずを並べた母が、恐縮して言った。


「いえいえ、忙しいのは知ってますから。僕はご馳走より、藤沢家の明るい食卓が好きなんで、、こんなご馳走じゃなくて全然かまいませんよ」



ふーん、見かけによらず、なかなか優しい。ちゃんと気遣いのできる人じゃない。


意外な一面に感心する。


「ありがとう。じゃあ、遥香も料理はあまり得意じゃないから、せいぜい食卓だけでも明るくしなさい」


母がウニのお寿司を食べている遥香に言った。


「あら、お料理なんて簡単だわ。なんでもコツと要領さえ覚えてしまったら、時間なんてかけなくても、ちゃんと美味しいものができるわよ」


負けず嫌いの遥香はなんでも楽観的だ。


キッチンに立つこと自体が嫌いなくせに、よく言うわと思いながらお吸い物をすする。



「遥香は結婚してもずっと働くつもり?」


専業主婦になどなるわけがないと思いながらも聞いてみた。


「当たり前じゃない。家にいて何するの?  仕事は楽しいし、お給料がもらえるのよ。せっかく入れた銀行なんだから、子供が産まれたって辞めたりするもんですか」


「僕は家でご飯作って待っていてくれる奥さんに憧れるけどな」


健人さんは遥香を見つめると、少し不満げにビールを口にした。


「ふふふっ、うちはやっぱり共働きが好きな家系なのね。最初の子は女の子がいいわよ。私みたいな頼りになるお姉ちゃんがいてくれたら、あなたは大助かりでしょ?」


ちょっとだけ自己アピールをしてみた。



「そうね。うちのお姉ちゃんはね、ずっと我が家の優等生だったのよ。それで無理しすぎて、こんな歳になってからはじけちゃったってわけなの。クスクスッ」


遥香が私の身の上を笑い話にしたので、ちょっとイラッとしたけれど、まぁ、暗くなるよりはいいかと思った。


「遥香、そういうことを笑い話にするな!」


父が不機嫌に遥香を叱った。


私を庇ってくれたのかもしれないけれど、父の正論はときどき場をしらけさせる。






シーンと重い空気がよどんだ。


「はじけて幸せなんだから上等よっ!  あ、上等って沖縄の人がよく使う言葉なの。なんか癖になっちゃって。うはははっ!」


私がおちゃらけたので、少しなごやかな空気が戻った。


「沖縄はいいですね。なんかほのぼのとしていて。新婚旅行はやっぱり沖縄にしようか?」


健人さんがそう言って、遥香を見つめた。


「嫌よ、沖縄は大学生のときに友達とも行ったし。私、暑いところは苦手よ」


遥香はヨーロッパに行きたいようだ。たくさんの旅行代理店をまわって、比較検討しているとのこと。


今が一番幸せな時だよね。


遼介と婚約していた幸せな頃を思い出す。


ちょっぴり切ない気持ちになり、胸がしめつけられた。


健人さんは気難しそうに見えたけど、自己主張の強い遥香に合わせてくれている。


真面目そうだし、包容力もありそうで安心した。


うまくやってくれるといいな。


私のように両親に心配かけないで、幸せに暮らしてほしい。






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