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第1章
遥香の婚約者
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**有紀**
タクシーの中で涙が止まらなかった。
修二さんに会うなんて……。
会いたい気持ちがなかったわけではない。美冬を見てもらいたい気持ちも。
だけど、休日でもないこんな日中に出会うなんて、あまりに想定外のことだった。
結局、あんな風にしか会えないんだ。
美冬を見せることも出来ず、隠すようにして逃げ帰ってしまった。
修二さんは薬剤師の仕事はしていないのだろうか。
趣味で書いていると言っていた小説は、何冊か書店で見つけて読んではいたけれど。
悲しい気分で実家に帰り、冷蔵庫にあるもので簡単な昼食を済ませた。
もし、タクシーがもっと遅かったなら、美冬を見せてあげられたかも知れない。
でも、見せてどうしたかったの?
“ この子、もしかして僕の子じゃないのかい? ”
そう言って欲しかったの?
私は修二さんに、美冬の存在を知って欲しかったんだ。
お父さんになってくれなくても、美冬の幸せを願って欲しかった。
ときどき思い出して欲しかった。
………彩矢も、彩矢も、そうだったんだね。
今、同じような境遇になって思い知る。
彩矢も遼介に覚えていてもらいたかったんだ。
だから、写真や動画を送ったりしたのね。
今なら彩矢の気持ちはよくわかる。
だけど、それで私と遼介はダメになってしまった。
だから、修二さんに美冬のことは絶対に知らせちゃいけないんだ。
夜七時を過ぎて、遥香が婚約者さんを連れてリビングに入ってきた。
年は32才で、遥香より8つ年上と聞いていた。
想像以上のイケメンぶりに驚く。
「はじめまして。姉の有紀です。よろしくお願いします!」
「あ、よろしく。山口健人です」
いつものように明るく元気に挨拶したけれど、なんとなく素っ気ない返事。
無愛想というのではないけれど、どことなく冷たい感じのする人だ。
でも、いかにも遥香が好きになりそうなタイプ。
見た目も洗練されているし、仕事はスマートに卒なくこなすといった感じだ。
今日は早めに帰ってきた母が、テーブルにご馳走を並べていたので、美冬をおんぶしながら手伝う。
二人はソファに腰掛け、遥香が幸せいっぱいな様子で婚約者さんに話しかけていた。
お吸い物をよそっている母にヒソヒソとささやく。
「ねぇ、あの人、めっちゃクールな感じね。遥香大丈夫かしら?」
「さぁ、どうかしらね? 遥香のほうが夢中なんですもの。男は顔で選んじゃいけないって、姉から少しも学んでないのね」
母も少し心配げに嫌味を言った。
「遼介と私のことを言ってるの? 私たち別に失敗したわけじゃないのよ。あれはちょっとした運命の悪戯ってやつね。どうしようもなかったのよ。私は遼介を恨んでないし、いい思い出なんだから」
「あら、そうでしたか。未婚の母も運命の悪戯なんでしょ。あなたの人生はずっと悪戯されてばかりね」
「悪戯なんかじゃないったら、失礼ね。美冬が生まれたのは幸運なんですからねっ。私の人生は美冬のおかげで、ずっと幸せが続くんです!」
「はい、はい。悲観的なお母さんでなくてよかったこと。ねぇ、美冬」
母はおんぶされている美冬のほっぺを撫でた。
弟の駿太は居酒屋でのバイトで、今日も遅いとのこと。
おんぶしていた美冬は眠っていたので、布団に移し、帰宅した父と5人で食卓についた。
「健人さん、いつも出来合いのものばかりでごめんなさいね」
昨日と同じ出前のお寿司に、お惣菜屋で購入してきたおかずを並べた母が、恐縮して言った。
「いえいえ、忙しいのは知ってますから。僕はご馳走より、藤沢家の明るい食卓が好きなんで、、こんなご馳走じゃなくて全然かまいませんよ」
ふーん、見かけによらず、なかなか優しい。ちゃんと気遣いのできる人じゃない。
意外な一面に感心する。
「ありがとう。じゃあ、遥香も料理はあまり得意じゃないから、せいぜい食卓だけでも明るくしなさい」
母がウニのお寿司を食べている遥香に言った。
「あら、お料理なんて簡単だわ。なんでもコツと要領さえ覚えてしまったら、時間なんてかけなくても、ちゃんと美味しいものができるわよ」
負けず嫌いの遥香はなんでも楽観的だ。
キッチンに立つこと自体が嫌いなくせに、よく言うわと思いながらお吸い物をすする。
「遥香は結婚してもずっと働くつもり?」
専業主婦になどなるわけがないと思いながらも聞いてみた。
「当たり前じゃない。家にいて何するの? 仕事は楽しいし、お給料がもらえるのよ。せっかく入れた銀行なんだから、子供が産まれたって辞めたりするもんですか」
「僕は家でご飯作って待っていてくれる奥さんに憧れるけどな」
健人さんは遥香を見つめると、少し不満げにビールを口にした。
「ふふふっ、うちはやっぱり共働きが好きな家系なのね。最初の子は女の子がいいわよ。私みたいな頼りになるお姉ちゃんがいてくれたら、あなたは大助かりでしょ?」
ちょっとだけ自己アピールをしてみた。
「そうね。うちのお姉ちゃんはね、ずっと我が家の優等生だったのよ。それで無理しすぎて、こんな歳になってからはじけちゃったってわけなの。クスクスッ」
遥香が私の身の上を笑い話にしたので、ちょっとイラッとしたけれど、まぁ、暗くなるよりはいいかと思った。
「遥香、そういうことを笑い話にするな!」
父が不機嫌に遥香を叱った。
私を庇ってくれたのかもしれないけれど、父の正論はときどき場をしらけさせる。
シーンと重い空気がよどんだ。
「はじけて幸せなんだから上等よっ! あ、上等って沖縄の人がよく使う言葉なの。なんか癖になっちゃって。うはははっ!」
私がおちゃらけたので、少しなごやかな空気が戻った。
「沖縄はいいですね。なんかほのぼのとしていて。新婚旅行はやっぱり沖縄にしようか?」
健人さんがそう言って、遥香を見つめた。
「嫌よ、沖縄は大学生のときに友達とも行ったし。私、暑いところは苦手よ」
遥香はヨーロッパに行きたいようだ。たくさんの旅行代理店をまわって、比較検討しているとのこと。
今が一番幸せな時だよね。
遼介と婚約していた幸せな頃を思い出す。
ちょっぴり切ない気持ちになり、胸がしめつけられた。
健人さんは気難しそうに見えたけど、自己主張の強い遥香に合わせてくれている。
真面目そうだし、包容力もありそうで安心した。
うまくやってくれるといいな。
私のように両親に心配かけないで、幸せに暮らしてほしい。
タクシーの中で涙が止まらなかった。
修二さんに会うなんて……。
会いたい気持ちがなかったわけではない。美冬を見てもらいたい気持ちも。
だけど、休日でもないこんな日中に出会うなんて、あまりに想定外のことだった。
結局、あんな風にしか会えないんだ。
美冬を見せることも出来ず、隠すようにして逃げ帰ってしまった。
修二さんは薬剤師の仕事はしていないのだろうか。
趣味で書いていると言っていた小説は、何冊か書店で見つけて読んではいたけれど。
悲しい気分で実家に帰り、冷蔵庫にあるもので簡単な昼食を済ませた。
もし、タクシーがもっと遅かったなら、美冬を見せてあげられたかも知れない。
でも、見せてどうしたかったの?
“ この子、もしかして僕の子じゃないのかい? ”
そう言って欲しかったの?
私は修二さんに、美冬の存在を知って欲しかったんだ。
お父さんになってくれなくても、美冬の幸せを願って欲しかった。
ときどき思い出して欲しかった。
………彩矢も、彩矢も、そうだったんだね。
今、同じような境遇になって思い知る。
彩矢も遼介に覚えていてもらいたかったんだ。
だから、写真や動画を送ったりしたのね。
今なら彩矢の気持ちはよくわかる。
だけど、それで私と遼介はダメになってしまった。
だから、修二さんに美冬のことは絶対に知らせちゃいけないんだ。
夜七時を過ぎて、遥香が婚約者さんを連れてリビングに入ってきた。
年は32才で、遥香より8つ年上と聞いていた。
想像以上のイケメンぶりに驚く。
「はじめまして。姉の有紀です。よろしくお願いします!」
「あ、よろしく。山口健人です」
いつものように明るく元気に挨拶したけれど、なんとなく素っ気ない返事。
無愛想というのではないけれど、どことなく冷たい感じのする人だ。
でも、いかにも遥香が好きになりそうなタイプ。
見た目も洗練されているし、仕事はスマートに卒なくこなすといった感じだ。
今日は早めに帰ってきた母が、テーブルにご馳走を並べていたので、美冬をおんぶしながら手伝う。
二人はソファに腰掛け、遥香が幸せいっぱいな様子で婚約者さんに話しかけていた。
お吸い物をよそっている母にヒソヒソとささやく。
「ねぇ、あの人、めっちゃクールな感じね。遥香大丈夫かしら?」
「さぁ、どうかしらね? 遥香のほうが夢中なんですもの。男は顔で選んじゃいけないって、姉から少しも学んでないのね」
母も少し心配げに嫌味を言った。
「遼介と私のことを言ってるの? 私たち別に失敗したわけじゃないのよ。あれはちょっとした運命の悪戯ってやつね。どうしようもなかったのよ。私は遼介を恨んでないし、いい思い出なんだから」
「あら、そうでしたか。未婚の母も運命の悪戯なんでしょ。あなたの人生はずっと悪戯されてばかりね」
「悪戯なんかじゃないったら、失礼ね。美冬が生まれたのは幸運なんですからねっ。私の人生は美冬のおかげで、ずっと幸せが続くんです!」
「はい、はい。悲観的なお母さんでなくてよかったこと。ねぇ、美冬」
母はおんぶされている美冬のほっぺを撫でた。
弟の駿太は居酒屋でのバイトで、今日も遅いとのこと。
おんぶしていた美冬は眠っていたので、布団に移し、帰宅した父と5人で食卓についた。
「健人さん、いつも出来合いのものばかりでごめんなさいね」
昨日と同じ出前のお寿司に、お惣菜屋で購入してきたおかずを並べた母が、恐縮して言った。
「いえいえ、忙しいのは知ってますから。僕はご馳走より、藤沢家の明るい食卓が好きなんで、、こんなご馳走じゃなくて全然かまいませんよ」
ふーん、見かけによらず、なかなか優しい。ちゃんと気遣いのできる人じゃない。
意外な一面に感心する。
「ありがとう。じゃあ、遥香も料理はあまり得意じゃないから、せいぜい食卓だけでも明るくしなさい」
母がウニのお寿司を食べている遥香に言った。
「あら、お料理なんて簡単だわ。なんでもコツと要領さえ覚えてしまったら、時間なんてかけなくても、ちゃんと美味しいものができるわよ」
負けず嫌いの遥香はなんでも楽観的だ。
キッチンに立つこと自体が嫌いなくせに、よく言うわと思いながらお吸い物をすする。
「遥香は結婚してもずっと働くつもり?」
専業主婦になどなるわけがないと思いながらも聞いてみた。
「当たり前じゃない。家にいて何するの? 仕事は楽しいし、お給料がもらえるのよ。せっかく入れた銀行なんだから、子供が産まれたって辞めたりするもんですか」
「僕は家でご飯作って待っていてくれる奥さんに憧れるけどな」
健人さんは遥香を見つめると、少し不満げにビールを口にした。
「ふふふっ、うちはやっぱり共働きが好きな家系なのね。最初の子は女の子がいいわよ。私みたいな頼りになるお姉ちゃんがいてくれたら、あなたは大助かりでしょ?」
ちょっとだけ自己アピールをしてみた。
「そうね。うちのお姉ちゃんはね、ずっと我が家の優等生だったのよ。それで無理しすぎて、こんな歳になってからはじけちゃったってわけなの。クスクスッ」
遥香が私の身の上を笑い話にしたので、ちょっとイラッとしたけれど、まぁ、暗くなるよりはいいかと思った。
「遥香、そういうことを笑い話にするな!」
父が不機嫌に遥香を叱った。
私を庇ってくれたのかもしれないけれど、父の正論はときどき場をしらけさせる。
シーンと重い空気がよどんだ。
「はじけて幸せなんだから上等よっ! あ、上等って沖縄の人がよく使う言葉なの。なんか癖になっちゃって。うはははっ!」
私がおちゃらけたので、少しなごやかな空気が戻った。
「沖縄はいいですね。なんかほのぼのとしていて。新婚旅行はやっぱり沖縄にしようか?」
健人さんがそう言って、遥香を見つめた。
「嫌よ、沖縄は大学生のときに友達とも行ったし。私、暑いところは苦手よ」
遥香はヨーロッパに行きたいようだ。たくさんの旅行代理店をまわって、比較検討しているとのこと。
今が一番幸せな時だよね。
遼介と婚約していた幸せな頃を思い出す。
ちょっぴり切ない気持ちになり、胸がしめつけられた。
健人さんは気難しそうに見えたけど、自己主張の強い遥香に合わせてくれている。
真面目そうだし、包容力もありそうで安心した。
うまくやってくれるといいな。
私のように両親に心配かけないで、幸せに暮らしてほしい。
応援ありがとうございます!
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