六華 snow crystal 5

なごみ

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第1章

お母様の驚き

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とにかく、このまま沖縄へ帰ってしまったら、ずっとモヤモヤしたまま暮らさなければいけなくなる。



会いに行ってみよう。


修二さんともう一度やり直せるなら……。


修二さんの気持ちを確かめたい。


美冬にパパがいてくれたら、どんなに幸せかしれないもの。


私だって、まだ、、修二さんが好き……。


時計を見ると、まだ午後3時前だった。


明日は新千歳から午前11時20分発の便で、沖縄へ帰らなければいけない。


修二さんに会うとすれば、今日しかない。



美冬は抱っこされたまま眠っていた。


「美冬、パパに会いに行ってみようか。もしかしたらダメかもしれないけど」


札幌駅前通りでタクシーを拾い、宮の森の谷家の住所を告げた。






六月にもタクシーに乗って、同じ道を走ったけれど、緊張感がまるで違う。


前回は懐かしい公園へ、藤棚を見に行くだけだったけれど、今度は家まで押しかけようとしているのだ。


タクシーの窓から流れる外の景色が、六月に訪れたときとはずいぶん違っていた。


新緑だった木々が黄色味を帯びていて、風さえも深まりゆく秋を感じさせた。


なんの相談もなく美冬を産んだことを、咎められたりしたらどうしよう。


そんなことを想像しただけで、哀しくて涙がにじんだ。


懐かしい公園を通りすぎ、もう少しで谷家へ到着してしまう。


車窓からの流れる風景に、緊張で心臓がバクバクと音をたてた。


脇に嫌な汗をかいて、足が震えてくる。


前方にとうとう谷家が見えて来た。


「あ、そこの家の前で停めてください」


料金を払って、眠っている美冬をおこさないようにタクシーを降りた。





なんの連絡もせずに、訪問なんて……。


決心してきたにもかかわらず、玄関前で怖気づく。


深呼吸をひとつしてブザーを押した。


『はい?』


懐かしいお母様の声が聞こえた。


「あ、あの、ご無沙汰しています。藤沢です。ちょっと近くまで来たので、ご挨拶に伺いました」


もう、ここまで来てしまったのだと破れかぶれの気持ちになる。



『え!  有紀ちゃん?』


絶句したようなお母様の声が聞こえて、さらに緊張した。


玄関のドアが開いて目を丸くしたお母様の顔が見えた。


「こんにちは!  お母様、お元気でしたか?」


お母様を前にするとすっかり開きなおり、持ち前の図々しさと度胸の良さを発揮して、笑顔で挨拶をした。


「驚いたわ。よく来てくださったわね。本当になんて言ったらいいのか……。どうぞ、入って」


突然の来訪を喜んでくれているように見えたので、ひとまずホッとした。


出されたスリッパを履いて、リビングへ向かう。


修二さんもリビングにいるのだろうか。


リビングは荒れたような形跡は見られず、お花も絵も飾られて高価な調度品なんかも置かれている。


修二さんはもう、暴れたりはしていないのだろう。


リビングに修二さんはいなかったので、少し緊張感から開放された。


いつもは沈着冷静なお母様が動揺しているのがわかった。


「有紀ちゃん、ご結婚なさったのね。ちっとも知らなくて、ごめんなさいね。……もう、赤ちゃんがいたなんてね」


お母様は抱っこしている美冬をチラチラと見ながら、申し訳なさそうに言われた。


「………あ、あの、修二さんの後遺症はもう大丈夫ですか? 」



「え、ええ、今は薬剤師はしていないんだけど、以前よりはずいぶん元気になったの」


「そうですか。よかったです。今日、久し振りに以前の病院の同僚と会ったんですけど、修二さんがうつ病って聞いたものですから、心配で」



修二さんは家にいないのだろうか?


「そ、そうね、秋から冬にかけてはひどかったわ。目が離せないくらい落ち込んで……。でも、春になって気分も明るくなったのでしょうね。ずいぶんと出歩くようになって、七月から近所にアパートを借りて一人暮らしを始めたのよ」


「一人暮しですか?」


じゃあ、修二さんはこの家にはいないのね。


会うのは怖かったけれど、いないと聞くとやはり寂しかった。


「もう、いい年をした大人ですものね。いつまでも親元にいるのも恥ずかしくなったんじゃないかしら。お飲み物、赤ちゃんがいるならコーヒーよりジュースのほうがいいかしら?  オレンジがいい? りんご? グレープもあるわよ」


「ありがとうございます。じゃあ、グレープお願いします」

 

「ふえっ、ふえっ、ふぎゃあ、、」


眠っていた美冬が目を覚ました。



そろそろミルクの時間だ。オムツも交換したほうがいい。


「すみません。オムツを替えたいんですが、ラグの上でしても大丈夫ですか?」


「あら、あら、ごめんなさい。いま、バスタオルを敷くわね」


お母様がバスルームのほうからバスタオルを持ってきて、ソファの上に敷いてくれた。


「可愛い子ね。何ヶ月?」


お母様はそう聞いて、テーブルにグレープジュースを置いた。



「あの、、修二さん、麗奈さんと別れたって本当なんですか?」



お母様の質問には答えずに、話題を変えた。


「ええ、実はそうなの。麗奈さんはまだ若いし、いくらでもやり直しがきくから、良かったんじゃないかしら」


悲しみを紛らわすかのように、まるで自分に言い聞かせているようだった。


「麗奈さん、妊娠していなかったって聞いたんですけど……」


「……してなかったみたいね。でも、それが原因で別れたわけじゃないと思うわ。二人から話を聞いたわけじゃないんだけど、なんとなく、、」


言葉を濁してお母様は、沈うつな様子で目を伏せた。



バッグから哺乳瓶を取り出し、オムツを替えた美冬を抱っこして飲ませた。



「いいわね、赤ちゃんは。もうお母さんになってたなんてね。ご主人はやっぱり医療関係の方?」



「あ、は、はい……。」


今日は修二さんに美冬を会わせるために来たのだ。これ以上ウソはつきたくなかった。



だけど、どうやって切り出せばいいのだろう。


「本当は有紀ちゃんに何度か電話をしようと思ったの。修二、麗奈さんと離婚したあと、ひどく落ち込んでしまって。ずっと不二子の墓の前にしゃがみ込んでたり、もう死んでしまうんじゃないかと思って気が気でなかったわ。だけど、また有紀ちゃんに助けてなんて、とても言えなくて」


「……麗奈さんに赤ちゃんが生まれて、幸せに暮らしてるんだとばかり思ってました」



「有紀ちゃんに酷いことをしたまま、別れてしまうことになって。修二はそのことが一番こたえていたんだと思うの。……でも、良かったわ、有紀ちゃんはいい人に巡り会えたのね。幸せになってもらわなかったら、私たちとしても申し訳がたたなくて……」


お母様はうつむいて少し涙ぐんでいた。



「この子、美冬って言います。去年の11月に沖縄で産んだんです。……この子には今、お父さんはいません」


一気にそこまで言うと、涙が溢れた。



「えっ?  そ、それ、どういうこと?……有紀ちゃんもすぐに離婚したの?」


お母様はまったく意味がわからないと言うように、不安げに顔をあげた。



「この子、修二さんの子です」



お母様が固まったまま、ミルクを飲んでいる美冬を身じろぎもせずに凝視していた。


口に手を当てたまま、まるで恐ろしいものでも見るかのように。



「そんな、、そんなことって」



「驚かせてしまってすみません。美冬のことは知らせるつもりなかったんです。ずっと秘密にするつもりでした。でも麗奈さんと離婚されたって聞いて、、それなら会わせてもいいのかなって……」


まだミルクを無心に飲んでいる美冬から、お母様は目が離せなくなっていた。



「似てる、似ているわ。修二の一歳のときの写真に。……有紀ちゃん、なんてお詫びを言ったらいいのかしら、妊娠させていたなんて。本当にごめんなさい。結婚もしていないのに、なんてことを………」


突然あらわれた孫に喜ぶような心境ではないのだろう。お母様はますます恐縮してうなだれた。



「謝らないでください。私、美冬が生まれてくれて、今とっても幸せなんです。結婚してからずっと子供ができなくて、諦めていたものですから。だから、妊娠がわかったときは本当に嬉しくて……」



「それで沖縄へ、たった一人で……」


お母様は目に手をあてて涙をおさえた。



「沖縄の人たちが助けてくれて、私ちっとも寂しくなかったんですよ。今も沖縄の病院で働いてますけど、昨日、妹の結婚式で帰省していて」


ミルクを飲み終えた美冬はすっかりご機嫌になって、得意の喃語をうぐうぐ言いはじめた。


「本当になんて可愛らしい子。抱かせてもらってもいいかしら」


おずおずとお母様が美冬に細い腕をのばした。


「すごく重いですよ。10kgもあるので」


美冬はなにが楽しいのか、お母様に抱かれてきゃっきゃと笑い声をあげた。


沖縄のアパートには、毎日のように誰かが入り浸っていた状態なので、人見知りなどはしない。



「有紀ちゃんの望むことは私たち、できる限りのお手伝いをするつもりよ」


抱っこした美冬を揺らしながら、お母様がつぶやいた。


「……具体的なことは考えてなくて。ただこの子の存在を知って欲しかったんです。実家の両親に会わせたのも最近なんですけど、肉親に可愛がってもらえるって、やっぱり幸せなことですから」



「有紀ちゃんが時々でもこの子に会わせてくれるなら、私たちどんなに幸せかしれないわ」


目を細めて美冬をあやしているお母様をみて、嬉しくなる。



だけど、修二さんはどうなんだろう。



美冬を見て喜んでくれるだろうか……。



「あ、あの、修二さんは、、修二さんが喜んでくれるかどうかが心配で……」



「そうだったわ、修二に知らせないと。電話するの忘れていたわ。あ、ごめんなさい。美冬ちゃん一度戻すわね」


美冬を私の腕に戻すと、お母様はスマホを取り出して耳に当てた。


「あら、出ないわ。どこにいるのかしら」


「ご実家にはあまり来られないんですか?」



「時々作りおきのおかずを取りに来たりはするのよ。お料理はやっぱり面倒なのね。留守みたいだからまた後で掛けてみるわね。そ、そうだわ、夕食は何にしようかしら? 」



お母様は落ち着きなくそわそわと立ち上がった。


「あ、お構いなく。友人とホテルブュッフェのランチを食べすぎてしまって、お腹がいっぱいなんです」


お母様はキッチンへ向かい、あたふたと夕食の準備をはじめた。


わたし、ずっとここで待っていてもいいの?



修二さんは優しい人だ。


だけど、子供が好きかどうかはよくわからない。



子供って修二さんのイメージには合わない気がして。



あの修二さんがイクメン……。




そんな想像をしていると、赤ん坊を見てショックを受け、愕然とした修二さんばかりが目に浮かび、気が重くなってくる。


それにまだ、麗奈さんのことを引きずっているかもしれない。


それなのに私は子供を盾に、修二さんに復縁を迫ろうとしているのか?


修二さんがもしそんなふうに感じて、仕方なく責任を取ろうとするのだったら……。


もしそんな気持ちだとしたら、今まで通りひとりで美冬を育てたほうがマシだ。



「修二さんのアパートはここから遠いんでしょうか?」



キッチンで野菜を刻んでいるお母様に聞いてみた。



「歩いていけるくらい近いそうなの。建ったばかりの賃貸マンションなんですって。私もまだ行ったことはないの。小説を書くために借りたらしくて。ペースを乱されたくないみたいでね。用があるならラインで連絡してくれなんて言うのよ」



……行ってみたい。



修二さんのアパートへ。


























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