24 / 55
第1章
葬儀を終えて
しおりを挟む
知佳さんが気を利かせて、オードブルや寿司などを準備してくれた。
女性というのはこんな時、本当によく気がつくものだ。
幼稚園児の子がいるのに申し訳ないと思いながらも、勝手のわからない僕は、知佳さんだけが頼りだった。
「遅くまでごめん。知佳さんがいてくれて本当に助かったよ」
「ううん、助かってるのは私のほうよ。修二さんがいてくれなかったら、大変だったわ。夏帆も最後の半年間は超ハッピーだったし、本当にどんなに感謝しているか知れないわ。あんまり気を落とさないでね。夏帆は結婚できて幸せだったんだから」
「ありがとう。ご家族にも迷惑かけて申し訳なかったな。じゃあ、また明日も頼むよ」
「ええ、じゃあ、また明日。うわーっ、寒い!」
玄関のドアを開けて外へ出ると、チラチラと雪が降っていた。
知佳さんはコートの襟を立てて、足早に去っていった。
空を見上げ、舞い落ちてくる雪を見つめた。
夏帆、君はもう、この空よりも高いところまで行ってしまったのかい。
翌日、知佳さんと一緒に火葬を済ませて骨壷を抱き、夏帆の実家へ戻る。
通夜も告別式もないことに、多少の罪悪感を感じた。
お別れの会もなにもいらないと夏帆は言っていたけれど………。
喪服を脱いで普段着に着替え、リビングのソファにもたれた。
サイドボードに置かれたフォトフレームを手にとる。
二人の結婚写真。
ほんの三ヶ月前の夏帆は、まだこんなに元気だったのに。
純白のドレスにローズブーケを持っている夏帆の、輝く笑顔に慰めを感じた。
僕たちは出会って本当に幸せだったのだ。
君はこんな哀しみもくれたけれど、出会えて本当に良かったよ。
夏帆が亡くなって、いま初めて涙が出た。
疲れを感じてソファでうたた寝をしていたら、スマホの着信音で目が覚めた。
ーー実家の母からだった。
母からの電話は、これで何度目だっただろう。
有紀からはもう、なんの音沙汰もない。
美冬の誕生会をすっぽかしたまま、なんの連絡もせずにいたのだ。
悪いことをしたという事は、十分すぎるほど分かっている。
どんな風に言ったところで、理解などしてもらえるわけもない。
だけど、いつまでも無視しているわけにもいかないだろう。
有紀と美冬を放っておけるわけもない。
理解してもらえなくても、正直に話すしかない。
それに夏帆はもう死んでしまったのだ。
重い腰をあげ、ソファから立ちあがった。
知佳さんに連絡をして、預かってもらっていたルパンと雪を迎えに行った。
まだ築一年の真新しい白い家。
玄関は吹き抜けになっていて、アイアン製の手すりのついた洒落た階段が見える。
ご主人は大手IT企業に勤めているエリートとのこと。
ワンワン! という声が聞こえて、リビングからルパンと雪が駆けてきた。
「やあ、ルパン、雪、久しぶりだな。僕のこと忘れてないかい?」
リードにつながれたルパンと雪は、せわしなくクルクルと動きまわっていた。
「返すの忘れていたわ。うちの子もすっかりルパンと雪がいる生活に慣れちゃって。なんだか寂しいわ」
名残惜しそうに知佳さんは微笑んだ。
「長いこと面倒みてもらってありがとう。それから今後のこと、まだ色々と相談があるんだ。また電話するよ」
「ええ、わかったわ。修二さん、ちゃんと食べてる? また痩せたみたいよ。元気出してね」
「ありがとう、大丈夫だから。じゃあ、また」
昨夜降っていた雪はすでにとけていたけれど、もう冬と変わらないほど風は冷たかった。
雪とルパンも暖かそうなジャケットを着せられていた。
二匹の犬に引っ張られながら、これから有紀に与えるショックのことを思うと気持ちが塞ぎ、足取りも重くなる。
許してくれるだろうか。
時間がかかってもいい、頼む有紀、、君なら、君なら許してくれるだろう?
まだ散歩の続きをしたそうなルパンと雪だったけれど、リードを引っ張り自宅玄関へと向かう。
「散歩は午前中もしたんだろう。今日はもうおしまいだよ」
帰宅を気重に感じるなんてことは初めてかもしれない。
子供の頃から母に叱られたという経験はあまりない。
自分で言うのもなんだけれど、さほど手のかからない子供だったと思う。
兄のような自慢の優等生ではなかったけれど、両親の期待を裏切るほどのワルではなかった。
母をがっかりさせたのは、すべて三十を過ぎてからだ。
良い子にしていた今までのツケでも払うかのように。
玄関の鍵を開け、靴を脱いだ。
いつもなら明るく “ お帰り ” と迎えてくれる母だけれど、さすがに今日はそんな気分ではないだろう。
静まり返ったリビングのドアをそっと開け、リードにつながれたルパンと雪を中に引き入れた。
ソファにひとり、母が思いつめた様子で腰掛けていた。
「ただいま」
「………」
また母をひどく失望させてしまったことに、心が痛んだ。
かがみ込み、ルパンと雪の首からリードをはずした。
二匹はじゃれ合って、キャンキャン吠えながら互いに追いかけまわる。
重苦しい空気を感じながら、母のとなりに腰を下ろした。
「ごめん。……謝って済むことじゃないけど」
うつむいてつぶやく。
「そうね、だけどあなたの言い分をまず聞かせて。どんな言い訳があるのか聞きたいわ」
母は冷静さを保っていたけれど、張りつめた空気から、深い悲しみと怒りが伝わって来た。
「言い訳なんてするつもりはないんだ。僕は間違ったことをしていたわけじゃない。ただ、有紀に本当のことが言えなかった。それは悪かったと思ってる」
「間違ったことをしてないですって? 約束をすっぽかして行方知れずのまま、なんの連絡もなしで、それが間違ったことじゃなかったら、なにが正しいことだというの!」
覚悟は決めて来たものの、母の激しい怒りに鬼気迫るものを感じた。
「美冬の誕生日、……僕はとても大切な人を亡くした」
「そう、だったら連絡をくれたらよかったじゃない。有紀ちゃんがどんなに惨めな気持ちであなたを待っていたか、想像もできなかったの? 知人に不幸があったから行けなくなったと言えば済んだことでしょう!」
「知人じゃない………身内だ」
母は顔を引きつらせ、ソファ前のローテーブルに乱暴に紙を出してひろげた。
それは僕の戸籍謄本だった。
「これはどう言うこと? この人はいったい誰! 親に内緒で勝手に結婚なんかして。こんなことが有紀ちゃんに知れたらどうするつもり!?」
母は興奮のあまり、わなわなと唇を震わせた。
「………夏帆は、夏帆は、、」
「有紀ちゃんと美冬が入籍されているのか心配になって調べてみたのよ。そうしたら、、こんな、、こんなことになっていたなんて。どこの誰とも知れない人と勝手に再婚なんかして、あまりにもひどすぎるわ!」
母は泣き出さんばかりに僕を睨んだ。
「勝手に再婚したことは悪かったと思ってる。だけど説得している時間はなかったんだ。彼女には余命、、」
僕が言い終わらないうちにリビングのドアが開き、青ざめた顔をした有紀ちゃんが立っていた。
「ゆ、有紀ちゃん!」
ソファから立ちあがった母の顔から血の気が引いた。
「そうだったんですね、、……再婚、…もう再婚されてたんですね。私と美冬は邪魔だったんだ。……悩ませてしまってごめんなさい」
動揺を隠せない有紀は、視線も合わせずにぺこりと頭を下げると、二階へ駆け上がっていった。
どう言えばいいのだろう。
どこから話せば、、
有紀と美冬がいる寝室のドアを開けた。
立ちすくみ、必死で泣くまいとしている有紀の肩に手をおいた。
「黙っていて本当に悪かった。ちゃんと話し合おう、有紀。そのために来たんだ。嘘をついていたことは謝る」
よほどのショックを受けたのか、能面のように凍りついた顔で、トートバッグに美冬の荷物を詰め込み始めた。
「有紀、、頼むから話を聞いてくれないか」
取りつく島もなく、無言で荷物を詰め終えると美冬を抱っこして、トートバッグを肩に下げた。
有紀はつかんだ僕の手を振り切って、一階へ降りていった。
一階では母が有紀を待ちかまえていた。
「ゆ、有紀ちゃん、ごめんなさい。本当になんて言ったらいいのか、、でも話し合いましょう。子供がいるんですもの。ね、お願いよ、有紀ちゃん!」
オタオタしている母に目もくれず、有紀は「お世話になりました」と頭を下げると、足早に出て行った。
すぐに車で追いかけたけれど、有紀と美冬を見つけることは出来なかった。
それでもまだその時の僕は楽観的だった。
有紀は誤解している部分がある。きちんと説明すればわかるはずだ。
全く理解できないほど酷いことをしたつもりはなかった。
あんな状態の夏帆を見捨てて、有紀と美冬を選ぶような男のほうがいいとでも言うのか。
有紀、君はそんな冷たい人間ではないだろう。
女性というのはこんな時、本当によく気がつくものだ。
幼稚園児の子がいるのに申し訳ないと思いながらも、勝手のわからない僕は、知佳さんだけが頼りだった。
「遅くまでごめん。知佳さんがいてくれて本当に助かったよ」
「ううん、助かってるのは私のほうよ。修二さんがいてくれなかったら、大変だったわ。夏帆も最後の半年間は超ハッピーだったし、本当にどんなに感謝しているか知れないわ。あんまり気を落とさないでね。夏帆は結婚できて幸せだったんだから」
「ありがとう。ご家族にも迷惑かけて申し訳なかったな。じゃあ、また明日も頼むよ」
「ええ、じゃあ、また明日。うわーっ、寒い!」
玄関のドアを開けて外へ出ると、チラチラと雪が降っていた。
知佳さんはコートの襟を立てて、足早に去っていった。
空を見上げ、舞い落ちてくる雪を見つめた。
夏帆、君はもう、この空よりも高いところまで行ってしまったのかい。
翌日、知佳さんと一緒に火葬を済ませて骨壷を抱き、夏帆の実家へ戻る。
通夜も告別式もないことに、多少の罪悪感を感じた。
お別れの会もなにもいらないと夏帆は言っていたけれど………。
喪服を脱いで普段着に着替え、リビングのソファにもたれた。
サイドボードに置かれたフォトフレームを手にとる。
二人の結婚写真。
ほんの三ヶ月前の夏帆は、まだこんなに元気だったのに。
純白のドレスにローズブーケを持っている夏帆の、輝く笑顔に慰めを感じた。
僕たちは出会って本当に幸せだったのだ。
君はこんな哀しみもくれたけれど、出会えて本当に良かったよ。
夏帆が亡くなって、いま初めて涙が出た。
疲れを感じてソファでうたた寝をしていたら、スマホの着信音で目が覚めた。
ーー実家の母からだった。
母からの電話は、これで何度目だっただろう。
有紀からはもう、なんの音沙汰もない。
美冬の誕生会をすっぽかしたまま、なんの連絡もせずにいたのだ。
悪いことをしたという事は、十分すぎるほど分かっている。
どんな風に言ったところで、理解などしてもらえるわけもない。
だけど、いつまでも無視しているわけにもいかないだろう。
有紀と美冬を放っておけるわけもない。
理解してもらえなくても、正直に話すしかない。
それに夏帆はもう死んでしまったのだ。
重い腰をあげ、ソファから立ちあがった。
知佳さんに連絡をして、預かってもらっていたルパンと雪を迎えに行った。
まだ築一年の真新しい白い家。
玄関は吹き抜けになっていて、アイアン製の手すりのついた洒落た階段が見える。
ご主人は大手IT企業に勤めているエリートとのこと。
ワンワン! という声が聞こえて、リビングからルパンと雪が駆けてきた。
「やあ、ルパン、雪、久しぶりだな。僕のこと忘れてないかい?」
リードにつながれたルパンと雪は、せわしなくクルクルと動きまわっていた。
「返すの忘れていたわ。うちの子もすっかりルパンと雪がいる生活に慣れちゃって。なんだか寂しいわ」
名残惜しそうに知佳さんは微笑んだ。
「長いこと面倒みてもらってありがとう。それから今後のこと、まだ色々と相談があるんだ。また電話するよ」
「ええ、わかったわ。修二さん、ちゃんと食べてる? また痩せたみたいよ。元気出してね」
「ありがとう、大丈夫だから。じゃあ、また」
昨夜降っていた雪はすでにとけていたけれど、もう冬と変わらないほど風は冷たかった。
雪とルパンも暖かそうなジャケットを着せられていた。
二匹の犬に引っ張られながら、これから有紀に与えるショックのことを思うと気持ちが塞ぎ、足取りも重くなる。
許してくれるだろうか。
時間がかかってもいい、頼む有紀、、君なら、君なら許してくれるだろう?
まだ散歩の続きをしたそうなルパンと雪だったけれど、リードを引っ張り自宅玄関へと向かう。
「散歩は午前中もしたんだろう。今日はもうおしまいだよ」
帰宅を気重に感じるなんてことは初めてかもしれない。
子供の頃から母に叱られたという経験はあまりない。
自分で言うのもなんだけれど、さほど手のかからない子供だったと思う。
兄のような自慢の優等生ではなかったけれど、両親の期待を裏切るほどのワルではなかった。
母をがっかりさせたのは、すべて三十を過ぎてからだ。
良い子にしていた今までのツケでも払うかのように。
玄関の鍵を開け、靴を脱いだ。
いつもなら明るく “ お帰り ” と迎えてくれる母だけれど、さすがに今日はそんな気分ではないだろう。
静まり返ったリビングのドアをそっと開け、リードにつながれたルパンと雪を中に引き入れた。
ソファにひとり、母が思いつめた様子で腰掛けていた。
「ただいま」
「………」
また母をひどく失望させてしまったことに、心が痛んだ。
かがみ込み、ルパンと雪の首からリードをはずした。
二匹はじゃれ合って、キャンキャン吠えながら互いに追いかけまわる。
重苦しい空気を感じながら、母のとなりに腰を下ろした。
「ごめん。……謝って済むことじゃないけど」
うつむいてつぶやく。
「そうね、だけどあなたの言い分をまず聞かせて。どんな言い訳があるのか聞きたいわ」
母は冷静さを保っていたけれど、張りつめた空気から、深い悲しみと怒りが伝わって来た。
「言い訳なんてするつもりはないんだ。僕は間違ったことをしていたわけじゃない。ただ、有紀に本当のことが言えなかった。それは悪かったと思ってる」
「間違ったことをしてないですって? 約束をすっぽかして行方知れずのまま、なんの連絡もなしで、それが間違ったことじゃなかったら、なにが正しいことだというの!」
覚悟は決めて来たものの、母の激しい怒りに鬼気迫るものを感じた。
「美冬の誕生日、……僕はとても大切な人を亡くした」
「そう、だったら連絡をくれたらよかったじゃない。有紀ちゃんがどんなに惨めな気持ちであなたを待っていたか、想像もできなかったの? 知人に不幸があったから行けなくなったと言えば済んだことでしょう!」
「知人じゃない………身内だ」
母は顔を引きつらせ、ソファ前のローテーブルに乱暴に紙を出してひろげた。
それは僕の戸籍謄本だった。
「これはどう言うこと? この人はいったい誰! 親に内緒で勝手に結婚なんかして。こんなことが有紀ちゃんに知れたらどうするつもり!?」
母は興奮のあまり、わなわなと唇を震わせた。
「………夏帆は、夏帆は、、」
「有紀ちゃんと美冬が入籍されているのか心配になって調べてみたのよ。そうしたら、、こんな、、こんなことになっていたなんて。どこの誰とも知れない人と勝手に再婚なんかして、あまりにもひどすぎるわ!」
母は泣き出さんばかりに僕を睨んだ。
「勝手に再婚したことは悪かったと思ってる。だけど説得している時間はなかったんだ。彼女には余命、、」
僕が言い終わらないうちにリビングのドアが開き、青ざめた顔をした有紀ちゃんが立っていた。
「ゆ、有紀ちゃん!」
ソファから立ちあがった母の顔から血の気が引いた。
「そうだったんですね、、……再婚、…もう再婚されてたんですね。私と美冬は邪魔だったんだ。……悩ませてしまってごめんなさい」
動揺を隠せない有紀は、視線も合わせずにぺこりと頭を下げると、二階へ駆け上がっていった。
どう言えばいいのだろう。
どこから話せば、、
有紀と美冬がいる寝室のドアを開けた。
立ちすくみ、必死で泣くまいとしている有紀の肩に手をおいた。
「黙っていて本当に悪かった。ちゃんと話し合おう、有紀。そのために来たんだ。嘘をついていたことは謝る」
よほどのショックを受けたのか、能面のように凍りついた顔で、トートバッグに美冬の荷物を詰め込み始めた。
「有紀、、頼むから話を聞いてくれないか」
取りつく島もなく、無言で荷物を詰め終えると美冬を抱っこして、トートバッグを肩に下げた。
有紀はつかんだ僕の手を振り切って、一階へ降りていった。
一階では母が有紀を待ちかまえていた。
「ゆ、有紀ちゃん、ごめんなさい。本当になんて言ったらいいのか、、でも話し合いましょう。子供がいるんですもの。ね、お願いよ、有紀ちゃん!」
オタオタしている母に目もくれず、有紀は「お世話になりました」と頭を下げると、足早に出て行った。
すぐに車で追いかけたけれど、有紀と美冬を見つけることは出来なかった。
それでもまだその時の僕は楽観的だった。
有紀は誤解している部分がある。きちんと説明すればわかるはずだ。
全く理解できないほど酷いことをしたつもりはなかった。
あんな状態の夏帆を見捨てて、有紀と美冬を選ぶような男のほうがいいとでも言うのか。
有紀、君はそんな冷たい人間ではないだろう。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
7
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる