六華 snow crystal 5

なごみ

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第1章

二度目の訪問

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*修二*


知佳さんが友人たちと初七日のお参りをしたいというので、家の中を簡単に掃除した。


高級料亭から人数分の仕出し弁当を注文し、女性が多いので、ワインやシャンパンなど飲みやすいアルコール類も用意した。


使い道がわからない遺産があるのだから、お参りに来てくださった友人に、ご馳走を振る舞うのは良いことだろう。


楽しんでもらったほうが、夏帆も喜ぶはずだ。


余命宣告されていた夏帆は、残された僕が遺品の整理などで困らないよう、準備に抜かりがなかった。


家の中の物は夏帆の手によってほぼ処分されている。


12畳の仏間は、仏壇やご先祖様の写真さえも撤去されていて、床の間に著名な日本画の掛け軸だけが下げられている。


夏帆の遺骨は普段、僕がいま使っている寝室へ置いているけれど、今日はアレンジされた花々と一緒に仏間へ置いた。


アトリエ以外はどの部屋もガランとしていて生活感がない。


僕に託されたことは遺骨の埋葬と、アトリエにある絵だけだ。





ダイニングのテーブルに、仕出し屋さんによってセッティングされた豪華弁当が並べられていた。


知佳さんを含め、6名の女性たちと一緒にお弁当をいただく。


細かく仕切られたお弁当は、贅を尽くした一品の数々が美しく詰められていた。


「バタバタしているうちに一週間が経っちゃったわね。修二さん、大変だったでしょう。本当にありがとう」


僕の向かい側に座った知佳さんが、そう言って白ワインに手を伸ばした。


「手続きがこんなにあるとは思わなかったな。遺族って悲しんでいるヒマもないくらい忙しいね。知佳さんに教えてもらわなかったらかなり手間取ったよ」


アワビのステーキ肝ソースを口に運んだ。ほどよい歯ごたえと新鮮な磯の香りがひろがる。


「このお弁当、美味しい!  めっちゃ豪華~  なんだか私たち、ご馳走をいただきに来たみたいね。夏帆はきっと呆れてるわよ。うふふっ」


ちょっと太めの彼氏いない歴28年の瑞希さんは、笑いながらプリッとしたボタン海老のお刺身を口に入れた。


「いいんじゃない。夏帆はひとを喜ばせることが好きだったもの、きっと天国でも喜んでるわよ」


知佳さんが少し悲しげな顔で呟いた。


「本当にどうしてあんないい人が早く逝っちゃうのかしら。


5年前、同じ病室に入院して以来の友人という友梨さんが、寂しげにつぶやく。


「いい人だから早く逝っちゃったんでしょう。私たちはまだまだ修行が足りないから、長生きできそうよ」


知佳さんが友人たち一人一人が見つめながらそう言った。


「そうね、知佳はたぶん100歳まで生きられるわよ。フフフッ」


瑞希さんは同級生なだけあって、遠慮がない。


「あなたに言われたくないわよ。でもいいわ。私は長生きしたいもの、未熟者で結構よ~!」


気のおけない友人たちの集まりは楽しく、皆それぞれに夏帆との愉快なエピソードを語った。


楽しかった思い出ばなしに花が咲き、途中ややしんみりしたりもしたけれど、とても和やかないい会となった。






「今日は本当にご馳走様でした。昼間からこんなに酔っ払っちゃって、、初七日のお参りに行ってくるって出かけたのに、主人は絶対に信じてくれないわね」


美大のときからの友人という明日香さんは、火照った顔でそう言った。


「でも楽しかった~、またこういう会があると嬉しいな。おうちじゃなくてもいいから、たまにみんなでお食事しましょうよ。きっと夏帆も隠れて来ているはずよ」


玄関でコートを羽織ったり、ブーツを履きながら、おしゃべりはまだ止まらない。


「だよね。なんとなく今日はそばに夏帆がいるような気がしたもの。絶対にいたよね?」


「いたいた、" 明日香、あなたちょっと飲み過ぎよ ”  って、夏帆が言ってたのが聞こえたわ」


イラストレーターとして、ちょっと名が知れているという茉里さんがふざけて言った。


「茉里は顔に出ないからわかりにくいけど、一人でワインひと瓶あけたのちゃんと見てたわよ」


「うひゃー!   チェック厳しい~~」


おしゃべりな友人たちは、まだ話し足りないのか、玄関を出ても騒がしかった。


「じゃあ、今日は本当にありがとう」


一人一人と握手をして別れを告げた。



「修二さん、さようなら~   知佳も元気でね!」


知佳さんとは今後の打ち合わせがあるので、残ってもらった。






「うるさい人たちがやっと帰ってくれてホッとしたでしょう」


知佳さんがテーブルのグラスや、ワインボトルなどを片付けながら微笑んだ。


「女性のおしゃべりは聞いてるだけで楽しいよ。いくらでも言葉がポンポン出て来るから感心するな。コーヒーでいいかい?」


ドリップしたコーヒーを2つのカップに注ぎ、リビングへはこんだ。


ダイニングテーブルを拭き終えた知佳さんと、リビングのソファに腰をおろした。


「このあいだの話だけど、やっぱり遺産の分割はお断りするわ。修二さんは遠慮なんてすることないじゃない。夏帆の夫なんですもの」


「ここに夏帆の絵を飾る美術館を作るっていうのはどうかなって思ったんだけど、来てくれる人がいないんじゃ意味がないだろう。どうすればいいのかなと思って」


「ちょっと考えていたことはあるの。夜景の見えるレストランはどうかなって。店内に飾ればれお客さんにも見てもらえるし、わたし調理師の免許はあるのよ。ただ、子供が小さいから、夜遅くまでは働けないでしょう。やっぱり無理かしら」


「そうだね。人を雇えるくらい流行らないと、難しいだろうね」


そう簡単にいいアイデアなど、浮かぶはずはない、



「それとね、わたし夏帆に頼まれていたことがあるの」

 

知佳さんはまっすぐに僕を見つめた。


「な、なにを頼まれていたんだい?」


「修二さんは前の奥様のところへ戻りたがってるって、、本当にそうなの?」


「……夏帆が、夏帆がそう言っていたの?」



ーー見透かされていた。



「ええ、夏帆は無理を言って結婚してもらったことをとても気にしていたから。自分のせいで修二さんを不幸にしたくないって。どうなの?  奥様とまたやりなおせそう?」


「……バカだな、夏帆は。僕は結婚できて幸せだって、あんなに伝えたのに」


「それは夏帆も信じていたわ。こんなに愛されてとっても幸せって、、だけど気づいてしまったんですって。だから死んだあとは修二さんが幸せになれるように助けてあげてって、そう言われたの」


僕のどんな態度から、夏帆はそのことに気づいたのだろう。一体どんな気持ちだったのだろう。



「夏帆……。ダメだな僕は。病と闘っている夏帆に気づかれてしまうなんて」


「夏帆はとても勘が鋭いの。だから、嘘をついても無駄だったわ」


確かに夏帆は気づいていた。有紀と会っていたことまで、すべてお見通しだった。


「僕がやりなおそうとしていたのは以前の妻じゃないんだ。そうじゃなくて、、彼女には僕の娘がいるんだ。一歳になったばかりの子を連れて、9月に突然現れて……」


「えっ、も、もしかして、その人って、アパートの鍵を貸したひと?」



「そうだけど、ど、どうして……?」


知佳さんは目を丸くして驚いた。



「もしかしたら彼女、わたしと修二さんの仲を誤解したかもしれないわ」


知佳さんは少し考え込むように言った。


「どういうことだい? 彼女に、、有紀に会ったの?」


「ええ、1度目はわんちゃんたちと散歩中によ。いきなりルパンの名前を呼んだから驚いたわ。そのとき少し話をしたの。2度目はアパートに犬の餌を取りに行ったら彼女がいたの。びっくりしちゃって、、でも、ちゃんと修二さんの許可を得てるって言ったわ。気に入ったらここに住むかもって。だからてっきり賃貸物件を探してるんだと思ったの」


「……そうか。別に誤解はないと思うよ。あったとしても、僕は有紀のご両親に、夏帆のことはきちんと説明したから」


「それでどうなったの?  彼女と、、有紀さんとまた一緒になれそう?」


「仏の顔も三度までだろう。僕は有紀をひどく裏切り続けてきたから自業自得だよ。彼女は明るくて、とても逞しいんだ。僕なんて必要ないくらいにね。それに何事においても潔癖だ。だから許せない気持ちはわかるんだ。仕方がないな」


全く期待していないわけではない。有紀が僕を許してくれて、戻って来てくれるなら……。


「修二さん……。それで諦められるの?  赤ちゃんだっているんでしょう?」


「未練たらしくしたところで、なんとかなるものではないからね。有紀と娘のことは正直とても残念だ。でも夏帆との結婚を後悔するつもりはないよ」


たぶん僕はもう、誰とも結婚することはないだろう。


結局、知佳さんと話し合っても、なかなか遺産の使い道は決まらなかった。


夏帆が一番喜ぶことに使いたいけれど……。






有紀ちゃんと美冬に去られて落ち込んでいる母が心配になり、夕方実家へ戻った。


ルパンと雪は仲よく眠っていた。


リビングに母はいなかった。


ショックで床に臥せっているのだろうか。


二階へ上がり、有紀と美冬が使っていた部屋のドアを開けてみた。


ベッドに腰掛けた母が、美冬のベビー服を見つめて握りしめていた。


「ごめん、ノックもしないで」


「あ、、修二、帰ってたの、気づかなかったわ。あら、もうこんな時間だったのね。夕ご飯なににしようかしら」


少しうろたえたように立ち上がると、母は下へ降りていった。


僕を責めることもなく、何事もなかったかのように語った母が、気の毒で仕方がなかった。



母が握りしめていた、淡いピンク色のベビー服。


手に取り、頬を寄せる。


抱っこしたときに漂った美冬の匂いがした。


美冬……。


僕のはじめての子。



あの忌まわしい出来ごとさえも、帳消しにしてしまうほどの愛しい存在。


共に過ごせた時間はあまりに少なかった。


このままではもう二度と会えない。


有紀ともっと直接話し合った方がいいはずだ。今ならまだ間に合うかも知れない。


麗奈を追いかけまわしたときのように、忌み嫌われ、恐ろしがられるのか。


もうすっかり、愛想をつかせてしまっただろうか。


ご両親が反対しても、有紀さえ許してくれるなら。





楽しい会話もなく、母と寂しく簡単な夕食をとった。


親不孝ばかりしてきたのだ。この可哀想な母のためにも、なんとか有紀とやり直したい。


何事においても面倒くさがり屋な僕だけれど、このまま引き下がるのはさすがに悔いを残す気がして、重い腰をあげた。



「ちょっと出かけてくる」


キッチンで後片づけをしている母に告げ、リビングを出た。


外へ出ると晩秋の冷たい風は、憂鬱な気分をさらに重くした。


電動シャッターを開け、ベンツに乗り込み、エンジンをかけた。


有紀は会ってくれるだろうか。


ダメならダメで仕方がない。だけど、せめて弁解くらいはさせて欲しい。


頼む、有紀、僕にもう一度だけチャンスを与えてくれないか。




途中ケーキ屋さんに寄り、有紀ちゃんが好きそうなものを十個ほど購入した。


こんなもので許してくれるわけもないけれど。


有紀の実家に駐車スペースはないので、徒歩二分ほどのところにあるコインパーキングへ車を停めた。


時計を見ると、もうすぐ八時になろうとしていた。連絡もせずに訪問するには、少し遅かったかもしれない。


玄関先だけでもいい、有紀と美冬の顔を一目でも見られたら、それだけでも嬉しい。



玄関横のブザーを鳴らす。


「はい?  どちら様でしょう?」


お母さんでも有紀でもない、若い女性の声が聞こえた。


九月に結婚したばかりの妹さんなのかもしれない。


「こんばんは。夜分にすみません。谷ですが、有紀さんはおられますか?」


「あ、あの、姉はまだ帰ってませんが、、ちょっとお待ちください」


やはり妹さんだった。なにか相談しているような声がしたあと、玄関のドアがガチャリと開いた。


姉妹だけあって、どことなく似た面ざしの妹さんが顔をだした。



「どうぞ、中でお待ちになって。姉はもうすぐ帰ると思いますから」


妹さんは少し緊張したようすで、そう言ってくれたけれど。


「少し時間をつぶしてから、また伺わせていただきます。これ皆さんで召し上がってください」


ケーキの箱を妹さんへ渡す。


「あ、ありがとうございます。姉が帰りましたら伝えておきます、、」


有紀から連絡など来るはずもないが、家へあがり込んで、待つ気にはなれなかった。


先日のような気まずさは味わいたくないし、有紀がいないのでは、ご家族も気疲れするだろう。


ご両親は僕のことを許せてはいないはずだ。


だから、妹さんが応対したのだと思う。


出来ることなら有紀と二人だけで話しをしたいけれど。


乳児が一緒なのだから、そんなに遅い帰宅にはならないはずだ。


門から出て、どこで待つべきかを考えた。


近くにカフェなどあるわけもなく、さすがにこんな寒空の下では、いつ来るともしれない有紀を待つ気にはなれなかった。


とりあえず駐車場から車を出した。


家に近い邪魔にならない場所へ停車させ、有紀を待つことにした。


ここで待っていれば、帰って来る有紀と美冬が見えるだろう。





iPadを取り出し、亡くなる一週間前に撮影した夏帆を見た。


有紀と会おうとしている今もなお、夏帆との思い出にひたろうとしている僕は、やはり不実なのだろうか。


死を目前にしていたときでさえ、僕の幸せを案じてくれていた。


その思いを知佳さんに託してまで。


ベッドへ横たわり、痩せ細って顔色のよくない夏帆が、優しく微笑んでいた。



夏帆、僕たちはなぜ出逢えたのだろう。


それは不二子によく似た、雪のおかげだったような気がする。


不二子なのかも知れない。僕と夏帆を引き合わせてくれたのは。


不二子、おまえは僕のしたことを許してくれたのか?


だから苦しんでいた僕を、夏帆に引き合わせてくれたの?


そんな風に都合よく考えるのは、僕の身勝手な思い込みだろうか。



夏帆、君はなにもかも知っていながら、いつも僕を許してくれた。


深く純粋な愛で、病んでいた僕の心を優しく癒してくれていたんだ。


この世にいるはずのない君を、僕はとても近くに感じる。


それは君が残していってくれた愛が、僕の心を満たしてくれるからだろうか。


夏帆、君は今もそばにいるんだろう?


死後もなお、iPadの中て微笑む夏帆は、僕に安らぎを与えてくれた。





停車している僕の車を通り過ぎていった車が、藤沢家の前で停まった。


後部座席のドアが開いて、美冬を抱っこした有紀が降りた。


運転席のドアも開き、降りた長身の男性が手さげ袋を有紀に渡した。


「ありがとう。じゃあ、気をつけて帰ってね」


「うん、元気でな、頑張れよ」


男は笑顔で手を振ると車に乗り込み、すぐに走り去った。


長身の男性はまぎれもなく佐野だった。


あまりの衝撃に、車を降りて声をかけることが出来なかった。



車を走らせ、来た道を戻る。


よりを戻すにしては、あまりに早すぎないか。


夏帆のことがバレて、まだ一週間ほどしか経っていないというのに。


佐野とは離婚後も度々会っていたのだろうか。


もともと仲の良い友達から発展した二人なのだ。離婚後も友人として付き合っていたとしても不思議ではない。


僕と麗奈とは違う。


また佐野のところへ戻るのか、有紀。


佐野であれば、美冬のいい父親になれそうな気もしないではない。


血のつながりがなくても、可愛がってくれるのかも知れない。


だけど………。



そもそも二人はなぜ離婚してしまったのか。


あのときの交通事故が原因だったのか。


相手が佐野では勝ち目はないような気がした。



言葉にできないショックを受けて、自宅へと向かった。

























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