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第2章
沙織への想い
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**慎也**
沙織、待って、、行かないでくれ!!
喉まで出かかった言葉が言えず、追いかけなければいけない足は、凍りついたように動かなかった。
「……慎ちゃん、大丈夫? 追いかけなくてもいいの? 」
あんなにひどいことを言ったくせに、七海は心配げに僕を見つめた。
「僕はなにも言えない。仕事も辞めてしまったし……」
引き止められるわけがない。
だけど、こんな別れ方って……
目が点になっている両親にやっと気づき、慌てて弁解する。
「驚かせてごめん。この娘は友達の友達で、ちょっとDVの彼氏にストーカーされてるんだ。だから、この家に匿ってもらいたくて、連れてきただけだから。そうだろう、七海?」
「……う、うん、まあ、そういうことです。さっきはついカーッとなって、あんなこと言っちゃっただけ。ごめんなさい」
反省など、少しもしているように見えない七海だったけれど、一応そう言って頭を下げた。
「沙織ちゃん、十二時四十五分の列車で帰るって言ってたわよ。まだ間に合うじゃないの。行ってあげなくていいの?」
母がリビングの掛け時計を見ながら言った。
まったく迷いがないわけではない。
行けるものなら行きたい。
だけど……
「沙織は函館に住んではくれないよ。引き止めても無駄だ」
浮気の誤解なら説明も弁解もできる。たとえ信じてくれなくても。
だけど、沙織はまた佐野さんと一緒になれるかもしれないんだ。
出来ることならそうしたいんだろう。
そんな沙織を引き止めたくない。
「じゃあ、本当に離婚してしまうつもりか?」
咎めるわけでもないけれど、父も心配げなようすで呟いた。
「僕はやっぱり、ここの整骨院を継ぎたいと思うんだ。子供の頃から見ていて、この仕事はなんとなく自分には向いているような気がするから」
「継いでくれるのは有難いけど、沙織ちゃんが可哀想だろう。 わざわざ離婚したくないと言って、おまえに会いにやってきたんだぞ」
「そうよ、いくらなんでも離婚は早すぎよ。もっと良く考えなさい」
普段は干渉などしない母も口をはさんだ。
確かに函館まで会いに来てくれるなんて、思わなかったけれど。
「沙織は安心が欲しいだけなんだよ。僕は単なる便利屋なんだ」
沙織には好きな男がいるなんてことは、さすがに両親には言えなかった。
「夫婦なんてそんなものだろう。ほかに何が望みなんだ?」
あっさりと父は言う。
そんな風に言われると返事に詰まる。
僕の選択が随分わがままに思えて決心が鈍る。
だけど、僕の妻は他の男に想いを寄せていて、それは僕がいつも顔を合わせている親しい同僚なんだ。
そんなことなど気にせずに、仕事を続けろというのか?
僕のとった行動は、そんなに自分勝手で我儘なのか?
「あなた、七海ちゃんって言った? よかったらソーメン食べない? のびないうちに食べて」
母がぼんやりと突っ立っていた七海に声をかけた。
「あ、はーい、いただきまーす! 美味しそう」
七海は言われるがままにダイニングの椅子に腰を下ろした。
「七海、外から帰ったら先に手を洗ったほうがいいよ」
さりげなく言ったつもりだけれど、七海は口をへの字に曲げて、面倒くさそうに立ち上がった。
「洗面所ってどこ?」
ブスッとふくれっ面の七海は、まだ二十歳だからこんな態度でも可愛いと言えるけど。
人目など気にしない七海は、テーブルに肘をつきながら、ソーメンをズルズルと食べている。
「七海、ここは自分の家じゃないだろう。もう少し行儀よく食べられないのか?」
僕だって小姑のようにネチネチと小言を言いたくはない。たけど、他人から大切にされたいとか、もっと尊重されたいと思うなら、それなりのマナーは身につけたほうがいいだろう。
「うへーっ、慎ちゃんの奥さんが逃げ出したくなる訳が分かった」
「別に逃げられたわけじゃないよ」
七海は食欲も失せたのか、不愉快極まりない顔をして箸をおいた。
小言など聞きたくもないのだろう。
時計を見ると列車はあと十五分で発車してしまう。
あせる気持ちを誤魔化すように七海に声をかけた。
「家の中を案内するよ。二階の兄の部屋が空いてるから、そこを使えばいい」
「えー、七海は慎ちゃんと同じ部屋がいいなぁ」
「なに言ってるんだよ。そういう意識を変えていかないと、いつまでたっても幸せにはなれないだろっ! そんなんじゃ、誰も君を大切になんか思ってくれないんだからね!」
まるで熱血教師のように七海を叱った。
「だって、七海ひとりぼっちは嫌いだもん」
一人より、男に襲われるほうがマシだと言うのか。
それとも僕だと、そんな心配は全くないと思い込んでいるのか。
「慎ちゃんって、お説教が好きだね。七海が大っ嫌いだった中三のときの担任にそっくり」
すっかり不貞腐れてしまった七海には、もうなにを言っても逆効果だ。
小言よりも必要なのは愛情なのだろう。
僕に七海の教育係など務まるわけもなく、こんなところへ一時的に匿ったからといって、なにも変わりはしない。
七海自身が変わりたいと望んでもいないのに、お節介もいいところだ。
沙織の列車が、あと5分で発車する。
沙織は僕が追いかけて来ることを待っているだろうか。
それとも、もう顔も見たくないほど憎んでいるだろうか。
今から走ったところで間に合うわけもないのに、僕は家を飛び出した。
「慎ちゃん、どこ行くの!」
背中に七海の声が聞こえたけれど、僕は振り向かなかった。
お墓参りにちょうど良い、爽やかな風が吹きぬける快晴の空。
なつかしい潮風の匂いを感じながら、全力で走る。
僕が高校生まで過ごしたこの街。
実家から駅までの見慣れた風景は、僕のいない八年の歳月と共に、微妙な変化をもたらしていた。
洋品店がおしゃれなカフェに。
お気に入りだった書店は100円ショップに変わっていた。
改札を抜けて階段を駆け上り、ホームにたどり着くと、札幌行きのスーパー北斗はまだ発車していなかった。
だけど、沙織を見つける暇などあるわけもなく、十秒ほど車窓から見える乗客を探しているうちに発車のベルが鳴り、列車は走り出した。
一目でいいから沙織に逢いたかった。
だけど、逢うことが怖かった。なにをどう説明していいのかわからなくて。
失望と落胆しか与えられない自分が惨めで。
まともに沙織と対面するほどの勇気は持てなかった。
最後の最後まで、僕は沙織を泣かせることしか出来なかったから。
走り去る列車を哀しく見つめた。
心のどこかで僕は、ホームに佇んでいる沙織を思い描いていた。
“ 慎ちゃん、私も函館に残る。ずっと一緒にいたいから ”
そんな風に言ってもらいたくて。
こんな僕だけど、君を愛する気持ちは誰にも負けてないよ。
沙織、頼む、そんな目で僕を見ないで。
蔑むのはやめてくれ。
ため息なんかつかないで。
沙織、待って、、行かないでくれ!!
喉まで出かかった言葉が言えず、追いかけなければいけない足は、凍りついたように動かなかった。
「……慎ちゃん、大丈夫? 追いかけなくてもいいの? 」
あんなにひどいことを言ったくせに、七海は心配げに僕を見つめた。
「僕はなにも言えない。仕事も辞めてしまったし……」
引き止められるわけがない。
だけど、こんな別れ方って……
目が点になっている両親にやっと気づき、慌てて弁解する。
「驚かせてごめん。この娘は友達の友達で、ちょっとDVの彼氏にストーカーされてるんだ。だから、この家に匿ってもらいたくて、連れてきただけだから。そうだろう、七海?」
「……う、うん、まあ、そういうことです。さっきはついカーッとなって、あんなこと言っちゃっただけ。ごめんなさい」
反省など、少しもしているように見えない七海だったけれど、一応そう言って頭を下げた。
「沙織ちゃん、十二時四十五分の列車で帰るって言ってたわよ。まだ間に合うじゃないの。行ってあげなくていいの?」
母がリビングの掛け時計を見ながら言った。
まったく迷いがないわけではない。
行けるものなら行きたい。
だけど……
「沙織は函館に住んではくれないよ。引き止めても無駄だ」
浮気の誤解なら説明も弁解もできる。たとえ信じてくれなくても。
だけど、沙織はまた佐野さんと一緒になれるかもしれないんだ。
出来ることならそうしたいんだろう。
そんな沙織を引き止めたくない。
「じゃあ、本当に離婚してしまうつもりか?」
咎めるわけでもないけれど、父も心配げなようすで呟いた。
「僕はやっぱり、ここの整骨院を継ぎたいと思うんだ。子供の頃から見ていて、この仕事はなんとなく自分には向いているような気がするから」
「継いでくれるのは有難いけど、沙織ちゃんが可哀想だろう。 わざわざ離婚したくないと言って、おまえに会いにやってきたんだぞ」
「そうよ、いくらなんでも離婚は早すぎよ。もっと良く考えなさい」
普段は干渉などしない母も口をはさんだ。
確かに函館まで会いに来てくれるなんて、思わなかったけれど。
「沙織は安心が欲しいだけなんだよ。僕は単なる便利屋なんだ」
沙織には好きな男がいるなんてことは、さすがに両親には言えなかった。
「夫婦なんてそんなものだろう。ほかに何が望みなんだ?」
あっさりと父は言う。
そんな風に言われると返事に詰まる。
僕の選択が随分わがままに思えて決心が鈍る。
だけど、僕の妻は他の男に想いを寄せていて、それは僕がいつも顔を合わせている親しい同僚なんだ。
そんなことなど気にせずに、仕事を続けろというのか?
僕のとった行動は、そんなに自分勝手で我儘なのか?
「あなた、七海ちゃんって言った? よかったらソーメン食べない? のびないうちに食べて」
母がぼんやりと突っ立っていた七海に声をかけた。
「あ、はーい、いただきまーす! 美味しそう」
七海は言われるがままにダイニングの椅子に腰を下ろした。
「七海、外から帰ったら先に手を洗ったほうがいいよ」
さりげなく言ったつもりだけれど、七海は口をへの字に曲げて、面倒くさそうに立ち上がった。
「洗面所ってどこ?」
ブスッとふくれっ面の七海は、まだ二十歳だからこんな態度でも可愛いと言えるけど。
人目など気にしない七海は、テーブルに肘をつきながら、ソーメンをズルズルと食べている。
「七海、ここは自分の家じゃないだろう。もう少し行儀よく食べられないのか?」
僕だって小姑のようにネチネチと小言を言いたくはない。たけど、他人から大切にされたいとか、もっと尊重されたいと思うなら、それなりのマナーは身につけたほうがいいだろう。
「うへーっ、慎ちゃんの奥さんが逃げ出したくなる訳が分かった」
「別に逃げられたわけじゃないよ」
七海は食欲も失せたのか、不愉快極まりない顔をして箸をおいた。
小言など聞きたくもないのだろう。
時計を見ると列車はあと十五分で発車してしまう。
あせる気持ちを誤魔化すように七海に声をかけた。
「家の中を案内するよ。二階の兄の部屋が空いてるから、そこを使えばいい」
「えー、七海は慎ちゃんと同じ部屋がいいなぁ」
「なに言ってるんだよ。そういう意識を変えていかないと、いつまでたっても幸せにはなれないだろっ! そんなんじゃ、誰も君を大切になんか思ってくれないんだからね!」
まるで熱血教師のように七海を叱った。
「だって、七海ひとりぼっちは嫌いだもん」
一人より、男に襲われるほうがマシだと言うのか。
それとも僕だと、そんな心配は全くないと思い込んでいるのか。
「慎ちゃんって、お説教が好きだね。七海が大っ嫌いだった中三のときの担任にそっくり」
すっかり不貞腐れてしまった七海には、もうなにを言っても逆効果だ。
小言よりも必要なのは愛情なのだろう。
僕に七海の教育係など務まるわけもなく、こんなところへ一時的に匿ったからといって、なにも変わりはしない。
七海自身が変わりたいと望んでもいないのに、お節介もいいところだ。
沙織の列車が、あと5分で発車する。
沙織は僕が追いかけて来ることを待っているだろうか。
それとも、もう顔も見たくないほど憎んでいるだろうか。
今から走ったところで間に合うわけもないのに、僕は家を飛び出した。
「慎ちゃん、どこ行くの!」
背中に七海の声が聞こえたけれど、僕は振り向かなかった。
お墓参りにちょうど良い、爽やかな風が吹きぬける快晴の空。
なつかしい潮風の匂いを感じながら、全力で走る。
僕が高校生まで過ごしたこの街。
実家から駅までの見慣れた風景は、僕のいない八年の歳月と共に、微妙な変化をもたらしていた。
洋品店がおしゃれなカフェに。
お気に入りだった書店は100円ショップに変わっていた。
改札を抜けて階段を駆け上り、ホームにたどり着くと、札幌行きのスーパー北斗はまだ発車していなかった。
だけど、沙織を見つける暇などあるわけもなく、十秒ほど車窓から見える乗客を探しているうちに発車のベルが鳴り、列車は走り出した。
一目でいいから沙織に逢いたかった。
だけど、逢うことが怖かった。なにをどう説明していいのかわからなくて。
失望と落胆しか与えられない自分が惨めで。
まともに沙織と対面するほどの勇気は持てなかった。
最後の最後まで、僕は沙織を泣かせることしか出来なかったから。
走り去る列車を哀しく見つめた。
心のどこかで僕は、ホームに佇んでいる沙織を思い描いていた。
“ 慎ちゃん、私も函館に残る。ずっと一緒にいたいから ”
そんな風に言ってもらいたくて。
こんな僕だけど、君を愛する気持ちは誰にも負けてないよ。
沙織、頼む、そんな目で僕を見ないで。
蔑むのはやめてくれ。
ため息なんかつかないで。
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