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茉理は一体どこへ?
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*潤一*
頰にあたる冷たいアスファルトの感触で目が覚めた。
一瞬、何故ここに倒れているのか状況が理解できなかった。
ーーあっ、ま、茉理!!
慌てて起き上がり、あたりを見回したけれど……。
黒のロールスロイスはすでにどこかへ消えていた。
茉理は一体どこへ連れていかれたのか。
母親が一緒では警察に通報するわけにもいかないだろう。
俺の方がよほど危ない男と疑われる。
やはり、ゲオルクという男と無理やり結婚させられてしまうのか。
なんとも言えない後味の悪い結末。
だけど、茉理なら自分でなんとか出来るような気もする。
あいつは自分の運命を人任せにするようなタイプではない。
うまく逃げられるといいけれど。
身体は特に痛いところもなく、なぜ気を失ったのかよく分からないくらいだ。
俺を失神させたのはレオンだろう。
あいつ、武道の達人だったのか。
どこまでも忌々しい奴だ。
仕方なく、車に戻り自宅に帰った。
あれから1ヶ月ほどたち、忙しい毎日を送っているうちに、茉理のことも忘れかけていた。
早くマンションに帰っても、待っている女も家族もない。特にやりたいような趣味もない。
仕事でよほど疲れてない限り、急いで散らかった家に帰っても、寂しい以上に惨めだ。
女っ気がないってのは憐れなものだな。
ただ最近は、開業に向けてのknow-howを調べてみたりはしている。
まだ先の話だが脳外科の場合、高額な医療機器をそろえる必要があり、開業資金に関しては、MRIやCT、X線などといった設備費だけでも非常に高くつく。
少しでも安く抑えるためには、テナント選びがひとつのポイントとなるだろう。最寄駅から近いこと、そこにニーズがあるのかどうかなど、エリアマーケティングをしっかりと行うことが大切だ。
周辺の医療機関と連携を取るということも、考えておかなければいけない。連携が取れる病院があるかどうかで、患者へ提供できる医療サービスの充実度も変わって来る。
脳神経外科のような専門特化した診療科は、地域の基幹病院と連携して、診療機能を強化することが大切だ。
基幹病院としては診療点数に結びつき、診療所としては手術室とスタッフを無償で借りて自院の患者を手術することが出来る。患者にとっても病院の手術室で行うという安心感をもってもらえる。診療所主導でwin-winの病診連携を構築できることが集患につながる。
その辺をどうやるべきか、上手く根まわしすることが必要だな。
経営者ともなると、ただ患者の容態だけ考えておれば良いわけでなく、なにかと面倒なことは多いとは思うが、出世を諦めた今、夢は開業する道しかないだろう。
ロスでの研修を中途にして帰国した俺は、出世街道から外れてしまったけれど、河島教授とはまだ懇意な間柄だ。
以前、それとなく開業の話をした時も、その時は力になると言ってくれたので心強い。その辺のバックアップと信頼がないと、銀行の融資もままならないだろう。
どう低く見積もっても、億単位の借金にはなる。上手く経営しないと、自己破産の憂き目にあうだろう。
コンビニ弁当など買って、マンションへ帰るのもつまらなくて、今日もダララダラと遅くまで病院に残っていた。
宅配ピザなどを頼んで、夜勤のナース達と一緒に食べているほうが楽しい。
もう八月に入り、この中規模病院に勤めて四ヶ月も過ぎた。
最近気になっているのが、本橋かなえという二十四歳のナースだ。
とびきりの美人とは言えないが、そこそこ可愛らしく、仕事もテキパキとこなす。
そもそもこの病院は中高年のナースが多く、二十代のナースは本橋を入れても六人ほどしかいない。
その競争率の低い中で、本橋は一番に可愛いと言える。器量で言えば、普通よりは少し上ぐらいのものだが。
本橋は集中治療室を担当しているせいもあって、会話をする機会は多い。
仕事が出来ることに越したことはないが、男にもお洒落にも興味がなさそうで、いつもスッピンのノーメイクだ。
仕事柄、ノーメイクのナースは珍しくはないけれど、本橋の場合はオフの時もそんな感じだ。
あの調子だと、男はいないのだろう。
もう少し、洒落っ気が欲しいところではあるが、ケバい女よりはいい。
なによりも二十代前半のスッピンは、初々しくて清潔感が感じられる。
三十も過ぎた男にとって、女は色気よりハツラツとした初々しさのほうに魅力を感じる。
大学病院から派遣されている当直医に、重篤患者の様子を伝え、エレベーターで二階へ降りた。
ICUに入ると、日勤者から夜勤者への申し送りも終わったようで、夜勤の本橋が点滴の準備をしていた。
「よう! 今日は夜勤か?」
本橋が夜勤なのは勤務表を確認していたので分かっていた。
「あ、はい、先生も当直ですか?」
本橋は気のせいか、なんとなく嬉しげな顔で俺に聞いた。
「いや、当直は大学から来ている井上だ。俺じゃなくて残念だったな」
「あははっ、松田先生は毎日当直みたいなものでしょう。そんなに仕事好きなんですか?」
「まぁ、嫌いではないけどな。やりたい趣味もないからな。本橋は休みの日は何をしてるんだ?」
いつもなら、ICUは火の車のような忙しさだけれど、ここ最近は四人ほどの患者しか居ないので、こんな無駄話をする余裕があるのだ。
「私も今は仕事のことで頭がいっぱいで、、脳外科って覚えなきゃいけないことだらけでしょう? だいぶ慣れましたけど始めの頃はパニクってばかりいて、本当に病院に来るのが怖くて、毎日泣いてましたよ~~」
本橋は当時の未熟な頃を思い出したかのように、泣きそうな顔をしてみせた。
「よほどおかしなマネをしない限り、ナースが責任を取らなきゃいけないことはないだろ。医者のほうがよっぽど恐ろしいよ。下手すりゃ訴えられる」
「うーん、確かに。でもその分、高いお給料もらってるんだからいいじゃないですかぁ」
本橋は少し妬んているかのように、口を尖らせて言った。
「医者の給料なんて、なんにも高くないよ。残業もつかないしな。おまえ、彼氏はいないのか?」
「いないに決まってるでしょ。そんなヒマありませんよ。覚えなきゃいけないことがあり過ぎて」
慣れてきたとはいえ、ベテランナースの知識や技術に比べれば、本橋はまだまだだ。
なににつけ、未熟さは不安にさせる。人出の少ない夜勤帯はなおさらだ。
いつ急変してもおかしくないICUの患者なのだ。ハートモニターの波形や全身状態の変化に、いち早く気づくことが出来れば慌てることも減るだろう。
こんなところでナースをしていたら、勉強は常に必要に迫られる。
「だけど、息抜きも大切だぞ。若いのに仕事ばっかりじゃつまらないだろう」
「あ、たまに仕事帰り、みんなでカラオケに行きますよ。先生も今度一緒に行きましょう」
「カラオケか。俺、音痴なんだ。沢山の人間の前では歌えないな。本橋は歌が得意なのか?」
「そうですね。自慢じゃないけど、いつも90点越えですっ!」
「そうか、じゃあ、今度、本橋に歌の指導をしてもらいたいな」
「え~~~っ! どのくらいの音痴なんですかぁ? うはははっ!」
カラオケなんて、絶対に俺の趣味にはならないだろうな。
でも、二人っきりでカラオケか。
急接近にはもってこいだな。
「宅配ピザを頼んでおいたぞ。あとでみんなで食べろ」
「わぁーい! いつも、ありがとうございますっ!!」
ふっ、可愛いな。
まだ若いだけあってか、天真爛漫な喜びかたが茉理に似ていた。
ーー茉理、おまえ、今頃ドイツにいるのか?
頰にあたる冷たいアスファルトの感触で目が覚めた。
一瞬、何故ここに倒れているのか状況が理解できなかった。
ーーあっ、ま、茉理!!
慌てて起き上がり、あたりを見回したけれど……。
黒のロールスロイスはすでにどこかへ消えていた。
茉理は一体どこへ連れていかれたのか。
母親が一緒では警察に通報するわけにもいかないだろう。
俺の方がよほど危ない男と疑われる。
やはり、ゲオルクという男と無理やり結婚させられてしまうのか。
なんとも言えない後味の悪い結末。
だけど、茉理なら自分でなんとか出来るような気もする。
あいつは自分の運命を人任せにするようなタイプではない。
うまく逃げられるといいけれど。
身体は特に痛いところもなく、なぜ気を失ったのかよく分からないくらいだ。
俺を失神させたのはレオンだろう。
あいつ、武道の達人だったのか。
どこまでも忌々しい奴だ。
仕方なく、車に戻り自宅に帰った。
あれから1ヶ月ほどたち、忙しい毎日を送っているうちに、茉理のことも忘れかけていた。
早くマンションに帰っても、待っている女も家族もない。特にやりたいような趣味もない。
仕事でよほど疲れてない限り、急いで散らかった家に帰っても、寂しい以上に惨めだ。
女っ気がないってのは憐れなものだな。
ただ最近は、開業に向けてのknow-howを調べてみたりはしている。
まだ先の話だが脳外科の場合、高額な医療機器をそろえる必要があり、開業資金に関しては、MRIやCT、X線などといった設備費だけでも非常に高くつく。
少しでも安く抑えるためには、テナント選びがひとつのポイントとなるだろう。最寄駅から近いこと、そこにニーズがあるのかどうかなど、エリアマーケティングをしっかりと行うことが大切だ。
周辺の医療機関と連携を取るということも、考えておかなければいけない。連携が取れる病院があるかどうかで、患者へ提供できる医療サービスの充実度も変わって来る。
脳神経外科のような専門特化した診療科は、地域の基幹病院と連携して、診療機能を強化することが大切だ。
基幹病院としては診療点数に結びつき、診療所としては手術室とスタッフを無償で借りて自院の患者を手術することが出来る。患者にとっても病院の手術室で行うという安心感をもってもらえる。診療所主導でwin-winの病診連携を構築できることが集患につながる。
その辺をどうやるべきか、上手く根まわしすることが必要だな。
経営者ともなると、ただ患者の容態だけ考えておれば良いわけでなく、なにかと面倒なことは多いとは思うが、出世を諦めた今、夢は開業する道しかないだろう。
ロスでの研修を中途にして帰国した俺は、出世街道から外れてしまったけれど、河島教授とはまだ懇意な間柄だ。
以前、それとなく開業の話をした時も、その時は力になると言ってくれたので心強い。その辺のバックアップと信頼がないと、銀行の融資もままならないだろう。
どう低く見積もっても、億単位の借金にはなる。上手く経営しないと、自己破産の憂き目にあうだろう。
コンビニ弁当など買って、マンションへ帰るのもつまらなくて、今日もダララダラと遅くまで病院に残っていた。
宅配ピザなどを頼んで、夜勤のナース達と一緒に食べているほうが楽しい。
もう八月に入り、この中規模病院に勤めて四ヶ月も過ぎた。
最近気になっているのが、本橋かなえという二十四歳のナースだ。
とびきりの美人とは言えないが、そこそこ可愛らしく、仕事もテキパキとこなす。
そもそもこの病院は中高年のナースが多く、二十代のナースは本橋を入れても六人ほどしかいない。
その競争率の低い中で、本橋は一番に可愛いと言える。器量で言えば、普通よりは少し上ぐらいのものだが。
本橋は集中治療室を担当しているせいもあって、会話をする機会は多い。
仕事が出来ることに越したことはないが、男にもお洒落にも興味がなさそうで、いつもスッピンのノーメイクだ。
仕事柄、ノーメイクのナースは珍しくはないけれど、本橋の場合はオフの時もそんな感じだ。
あの調子だと、男はいないのだろう。
もう少し、洒落っ気が欲しいところではあるが、ケバい女よりはいい。
なによりも二十代前半のスッピンは、初々しくて清潔感が感じられる。
三十も過ぎた男にとって、女は色気よりハツラツとした初々しさのほうに魅力を感じる。
大学病院から派遣されている当直医に、重篤患者の様子を伝え、エレベーターで二階へ降りた。
ICUに入ると、日勤者から夜勤者への申し送りも終わったようで、夜勤の本橋が点滴の準備をしていた。
「よう! 今日は夜勤か?」
本橋が夜勤なのは勤務表を確認していたので分かっていた。
「あ、はい、先生も当直ですか?」
本橋は気のせいか、なんとなく嬉しげな顔で俺に聞いた。
「いや、当直は大学から来ている井上だ。俺じゃなくて残念だったな」
「あははっ、松田先生は毎日当直みたいなものでしょう。そんなに仕事好きなんですか?」
「まぁ、嫌いではないけどな。やりたい趣味もないからな。本橋は休みの日は何をしてるんだ?」
いつもなら、ICUは火の車のような忙しさだけれど、ここ最近は四人ほどの患者しか居ないので、こんな無駄話をする余裕があるのだ。
「私も今は仕事のことで頭がいっぱいで、、脳外科って覚えなきゃいけないことだらけでしょう? だいぶ慣れましたけど始めの頃はパニクってばかりいて、本当に病院に来るのが怖くて、毎日泣いてましたよ~~」
本橋は当時の未熟な頃を思い出したかのように、泣きそうな顔をしてみせた。
「よほどおかしなマネをしない限り、ナースが責任を取らなきゃいけないことはないだろ。医者のほうがよっぽど恐ろしいよ。下手すりゃ訴えられる」
「うーん、確かに。でもその分、高いお給料もらってるんだからいいじゃないですかぁ」
本橋は少し妬んているかのように、口を尖らせて言った。
「医者の給料なんて、なんにも高くないよ。残業もつかないしな。おまえ、彼氏はいないのか?」
「いないに決まってるでしょ。そんなヒマありませんよ。覚えなきゃいけないことがあり過ぎて」
慣れてきたとはいえ、ベテランナースの知識や技術に比べれば、本橋はまだまだだ。
なににつけ、未熟さは不安にさせる。人出の少ない夜勤帯はなおさらだ。
いつ急変してもおかしくないICUの患者なのだ。ハートモニターの波形や全身状態の変化に、いち早く気づくことが出来れば慌てることも減るだろう。
こんなところでナースをしていたら、勉強は常に必要に迫られる。
「だけど、息抜きも大切だぞ。若いのに仕事ばっかりじゃつまらないだろう」
「あ、たまに仕事帰り、みんなでカラオケに行きますよ。先生も今度一緒に行きましょう」
「カラオケか。俺、音痴なんだ。沢山の人間の前では歌えないな。本橋は歌が得意なのか?」
「そうですね。自慢じゃないけど、いつも90点越えですっ!」
「そうか、じゃあ、今度、本橋に歌の指導をしてもらいたいな」
「え~~~っ! どのくらいの音痴なんですかぁ? うはははっ!」
カラオケなんて、絶対に俺の趣味にはならないだろうな。
でも、二人っきりでカラオケか。
急接近にはもってこいだな。
「宅配ピザを頼んでおいたぞ。あとでみんなで食べろ」
「わぁーい! いつも、ありがとうございますっ!!」
ふっ、可愛いな。
まだ若いだけあってか、天真爛漫な喜びかたが茉理に似ていた。
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