六華 snow crystal 8

なごみ

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母との同居

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*美穂*

大寒の二月、この古い家はストーブのまわりしか暖かくならなくて、フリースの上にフリースを重ね着している。


それでもキッチンは特に寒く、蛇口から出る水は凍りつきそうなほどに冷たい。レタスを洗う手がかじかむ。


今日は節分だったので、仕事帰りスーパーで恵方巻きを買った。落花生も購入したけれど、母と二人で豆まきをする気分にはなれない。


聡太くんとなら楽しいだろうなとふと思う。来年の節分はどんなかな?


クリスマスもお正月も、お誕生日のお祝いだって楽しいはずね。


子どもの頃にしてもらえなかったひな祭りもいいな。ちらし寿司やひなデコケーキを作ってお祝いしてみたい。いつか女の子が生まれたら小さな雛人形を買おう。


結婚前というのはあれこれと夢がふくらみ、想像するだけで幸せな気持ちになれる。


「お母さん、ご飯よ」


 簡単なサラダと恵方巻きをテーブルに運び、テレビを見ていた母を呼んで食卓につく。








「この家は寒いから、この冬で最後にしたいね」


熱いほうじ茶をすすりながら、無表情の母に明るく話しかけた。


母は来年もずっとこの家に住み続けるつもりだろうか。


「寒くたってタダで住めるんだから有難いと思わなきゃ」


仏頂面をした母が不機嫌につぶやく。母は家賃の負担はさせていない言いたいのだろう。


一日中ストーブのそばにいて、何もしない人にとってはさほど不便なこともないのかもしれない。私にとって駅から遠いこの家は苦痛でしかなかった。


「ねぇ、お母さんも三月から東京で一緒に暮らさない? 向こうは雪も降らないし、暖かいから病気にもいいと思うよ」


恵方巻きを食べながら、さりげなく同居の話を持ちかけてみたけれど。


「お断りよ。私はこの家で十分だわ。今更この歳で都会へ行ってなんになるっていうの?」


聡太くんと結婚することは伝えていたけれど、母も一緒に東京で同居という話はしていない。


「病気がよくなるまでは三人で暮らしましょう。聡太くんもその方がいいって、、」


病気の母をこの家にひとり置いていくわけにはいかない。







「どうして新婚夫婦と同居しなきゃいけないのよ。一人でなんでもやれるったら!」


どこから来る自信なのか、母は同居の提案をピシャリとはねつけた。


わたしだってせっかくの新婚生活が、親との同居では楽しいはずがない。実の親でもない聡太くんは尚更だろう。


だけど、離れて暮らした途端に死なれたりしたら、わたしも聡太くんも一生責めを負う。


聡太くんは卒業後、就職のために上京する。母の面倒も見るから一緒についてきて欲しいと言われた。


三月に引越しだから、そろそろ新居のことも考えなければいけないのだ。



「美穂、お願いだからお母さんにはもう構わないで。あなたの親切は重いの。私は子供を捨てた親なのよ。この先、野たれ死にしたって仕方ないの。覚悟はできてるわ」


自己中の母からは想像もつかない発言だった。私を捨てたことに少しは罪の意識を感じていたのだろうか。哀しげな表情で言った母はいつもと様子が違って見えた。


「野たれ死にされて平気でいられるわけないでしょう。病気がよくなってから一人暮らしすればいいじゃない」


「ゴミゴミした東京なんかごめんだよ。一緒に暮らすほうが病気が悪くなるわ。もう放っておいて!」


そう言うとリビングの隣の寝室へ入り、襖をバシッと閉めた。


本当にどうして良いのか分からなくなる。居心地が悪いと言う母の気持ちもわからないではない。結婚はもう少し先に伸ばしたほうがいいのだろうか。


聡太くんはなんて言うだろう。









なれない介護の仕事もなんとかこなせるようになって、三ヶ月が過ぎた。以前のようにガミガミと叱られることはなくなったけれど。



 聡太くんと三月末には東京へ行くことになっているので、そろそろ辞表を出さなければいけなかった。やっと仕事を覚え、なんとか使いものになった途端に辞めると言わなければいけない。


寿退社が理由でも、誰も喜んでくれないだろうな。


夜勤明けでクタクタに疲れてはいたものの、これから聡太くんに会えると思うだけで、気持ちも晴れやかになる。


あと少しで大学を卒業する聡太くんは、今は昼のバイトもしているけれど、今日はお休み。久しぶりに一緒に過ごすことができる。


地下鉄の最寄駅で降り、階段を上って地上へ出ると、チラチラと粉雪が舞っていた。アパードまでの道のりを足ばやに歩く。今年の札幌は記録的な大雪で、車道脇に排雪された雪が山のように積み上げられていた。


昨夜の雪でどの建物も街路樹も、こんもりとした雪におおわれていた。


東京へ移り住んだら、こんな雪景色ともしばらくはお別れになる。


人づきあいが苦手なので、東京での生活には少し不安がある。だけどそれは親しい人もない札幌にいても変わらないことなのだ。ただ、未知の土地への不安は尽きなかった。


聡太くんが一緒なら大丈夫と思うけれど、頼るばかりでなく、少しはサポートできる人間になりたい。わたしの方が彼よりも年上なのだから。







信号が青に変わったので、転ばないように注意しながら歩き出す。たくさんの人が行き交う横断歩道はツルツルしていて危険なのだ。


大雪は不便に違いないけれど、雪のない冬というのもなんとなく味気ない寂しさを感じる。四季折々の美しさを感じていたいわたしは、やっぱり根っからの道産子なんだと思う。


雪がないなんて、やっぱり寂しい。東京への憧れがないわけではないけれど。


だけど、こんなわたしが聡太くんみたいな人と結婚できるということが、未だに夢のようで現実感がない。


不幸になれてしまっていたわたしにとって、身に余る幸せというものは、いつも不安と恐怖がつきまとった。


いくら前向きに考えようと思っても、怖いものは怖いのだ。


そんな思考が不幸を呼び寄せると聡太くんは言う。だから無理にでも明るい幸せな未来を思い描くように心がけているけれど。


そんなことを考えながら歩いているうちに、聡太くんのアパートに着いた。


アパートの出入り口でコートの雪を払い、階段を上る。


未だに勝手に入っていくことにためらいを感じ、スペアキーでドアを開ける前にブザーを鳴らした。


ドアを開けると聡太くんが、満面の笑顔で迎えてくれた。


「お疲れ、寒かっただろう。僕の作ったシチューがあるよ」


「ありがとう。シチュー、いいね」








はじめて作ったという聡太くんのクリームシチューは、あまり煮込まれてなくて、ジャガイモも人参もちょっと固かった。


「あれ? ごめん、ジャガイモまだ煮えてなかったね」


シチューを口にした聡太くんが苦笑いを浮かべた。


「フフッ、聡太くん、わたしに食べさせたくて慌てて作ったんでしょう。忙しい思いをさせてごめんね」


「バレたか。野菜の皮むきって意外と時間がかかるね。余裕で間に合うと思ったんだけど、やっぱり慣れないことは難しいものだね」


「でも、美味しいよ。とっても優しい味がする」


ミルクたっぷりのシチューは、冷えた身体を芯から温めてくれた。


「じゃあ、今度はビーフシチューを作ってみようかな」


「フフッ、ビーフシチューは難易度が高いのよ」


「そうなの?  じゃあ、またクリームシチューにする。今度は失敗しないから。眠いだろう? 食べたらすぐに寝ていいよ。後片づけは僕がしておくから」


聡太くんはそう言って、食べ終えたシチューの皿をキッチンへ下げた。








至れり尽くせりの関係というのに慣れなくて、気持ちが落ち着かないのだけど、聡太くんの心遣いはとても嬉しい。


人から大切にされるって、とっても自信になる。自分には価値などないと思っていた人間にとって、それは涙が出るほどありがたいことなのだった。


シャワーを浴び、歯を磨いてから聡太くんのお布団にもぐり込んだ。


「じゃあ、少しだけ寝させてね。おやすみなさい」


読書していた聡太くんがわたしのそばにやって来て、少し照れた顔でおでこにキスをした。


「おやすみ。ゆっくり休んで。あとでこれからのこと相談しよう。今日はゆっくり出来るんだろう?」


「ええ、母には遅くなるって伝えているから大丈夫よ。おやすみなさい」








目覚めると間近にいた聡太くんと目が合ったので驚いた。


「ご、、ごめん、起こしちゃったのかな?」


「どうしたの? ずっとここにいたの?」


「ずっとじゃないけど、美穂さんの寝顔みてた」


はにかんでそう言った聡太くんだけど、わたしはどんな顔をして寝ていたのだろう。


「寝てるところを見てるなんて、恥ずかしいでしょ」


口をとがらせて睨んだら、


「とっても可愛い寝顔だったよ」


聡太くんはクスクス笑いながらそう言った。


「じゃあ、どうして笑ってるの! ウソばっかり! 」


起き上がって聡太くんの背中をたたいた。


「アハハ、本当に可愛かったって!」









グッスリと眠れた時間は二時間くらいだと思うけれど、それでも頭はかなりスッキリとして、体の疲れも取れたように思える。


時計を見ると午後二時だった。


「あ~   でも、よく眠れた~」


両腕を上げて伸びをしたわたしを、聡太くんが抱きしめた。


「いい? 」


熱っぽく見つめられ、静かにうなずいて目を閉じた。着ているものを脱ぎ、二人でお布団にもぐり込む。 

 
気だるい午後二時の部屋の中はカーテンをしていても明るい。すべてを見られていることが恥ずかしくて、思わず体をこわばらせた。


「…美穂ちゃん、とっても綺麗だよ」


そう囁いた聡太くんの息が首すじにかかる。
ぎこちなかった聡太くんも、最近はずいぶんとなれて余裕が感じられる。


優しく確かめるように愛撫する聡太くんの唇と指にため息がもれる。


荒々しく求めていた潤一さんとの違いを思い出し、ちょっと気がとがめた。


ーー許してね。


これからはずっと聡太くんだけだから。



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