六華 snow crystal 8

なごみ

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再会はしたけれど

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*聡太*



……え?



「片山美穂の母です」


美穂さんの、お母さん!!


「は、はい!  電話をくださってありがとうございます! 僕、ずっと美穂さんを探してました!」



間一髪で間に合ったということか。



「……どうしてあの子を探してたんですか? もう別れたって聞きましたけど」


腑に落ちないと言いたげな、お母さんの声が聞こえた。


「別れたわけじゃなくて、ちょっとした誤解です。美穂さんに謝りたいんです。会わせて頂けませんか?」


「なにがあったか知りませんけど、美穂は妊娠してるんです」


「えっ、、妊娠!!」


「一人で産んで育てるって言ってるんですよ!  とても黙ってらないわ。だから電話したのよ」



ーーそんなことになっていたのか。


「美穂さんはそこに居るんですか?」


「ついさっき出かけたばかりよ。あの子はあなたに知らせないつもりらしいの。あなたの人生を縛りたくないんですって。そんなひどい話ってある? なぜ女ばかり大変な目に合わなきゃいけないの」


「すみませんでした。でも僕の気持ちは変わってません。美穂さんと結婚したいと思ってます。これから会いに行ってもいいですか?」



妊娠には驚いたけれど、別に困るようなことはない。僕たちは結婚するつもりでいたから。だからあえて避妊もしなかったのだ。







「あの、これ荷物の伝票です」


五つのダンボールを集荷に来てくれた宅配業者が荷物を運び終えていた。


「あ、はい、じゃあ、お願いします」


ダンボール五個分の代金を受け取ると、宅配業者はそそくさと出て行った。


「あ、すみません。いま引越しの荷物を出していたところで。僕は明日東京へ立つ予定なんです。アパートを引き払ったあと、そちらへ伺ってもいいですか?」


「もちろんよ。勝手なことをしてあの子には怒られると思うけど仕方がないわ」


お母さんから新しいアパートの住所を聞いた。中古車はすでに売ってしまったので電車で行くことになるけれど、地下鉄一本で行ける利便の良いところだ。


宅配業者が去ってすぐにアパートの管理人が来たので、退去時の立会いもスムーズだった。


管理人に鍵を返し、四年間過ごしたこの部屋に別れを告げた。


悲喜こもごもの四年間だったけれど、やはり一番の思い出は美穂さんと過ごした時間だ。これから結婚するにしても、僕にとってかけがえのない思い出となるだろう。







地下鉄澄川駅で降り、GoogleMapで検索すると、アパートはここから徒歩五分ほど。


にぎやかな商店街を通りを抜け、住宅地を歩く。道路の雪はすっかり融けてなくなり、小さな公園のすみに、黒く煤けた雪の残骸がわずかに残っていた。


もう薄手のコートでも寒くはなく、歩いているうちにポカポカと春の陽気を感じた。お昼を食べてなかったけれど、特に空腹は感じなかった。一刻も早く美穂さんに会いたい。


それほど迷うことなく、築年数の経ってなさそうな白い外壁の二階建てアパートに到着した。


美穂さんはもう帰って来ているだろうか。今も僕と同じ気持ちでいてくれてるだろうか。階段を上り、お母さんから聞いていた201号室のブザーを押した。


ガチャリとドアが開き、顔を出したのはやはりお母さんだった。


「こんにちは。電話をくださってありがとうございます。美穂さんはまだ?」


無表情の顔からは、歓迎されているのか不快なのかが分からなかった。痩せぎすで神経質そうな印象は以前と変わらない。それでも母親なだけあって娘のことは心配なのだろう。


「スーパーへ買い物に行くと言って出たの。もうすぐ帰ってくると思うわ。どうぞ」


「はい、じゃあ、中で待たせてもらいます」


お母さんのあとに続き、リビングへ入る。







「お座りになって。コーヒーでいい?」


「はい、ありがとうございます」


お母さんは小さなキッチンに立ち、上部の棚に手をのばした。


無印で購入したようなベージュのシンプルなソファに腰を下ろす。小さなベランダの窓から差し込む暖かな日差しがまぶしかった。


こじんまりとしたリビングだけれど、あの幽霊屋敷とは比べ物にならないほど快適な空間だ。僕がこれから住む東京の部屋より、ずっとキレイで使い勝手のよいアパートだ。


職場に近いというだけで決めてしまった、都心の古いワンルームを悔やむ。


美穂さんはがっかりするだろうな。


「あなたから電話番号の紙を受け取っておいて良かったわ」


ローテーブルにコーヒーを置き、お母さんはつぶやいた。


美穂さんは去年の秋頃、僕の母の策略によって姿を消した。


そして僕は美穂さんのお母さんの嘘を信じ込み、幽霊屋敷には住んでないと思い込まされていた。それでも一縷の望みを託し、お母さんに電話番号を書いた紙を渡していたのだった。








「真駒内の家を尋ねたら、売却されていたので驚きました。ラインはブロックされたままだし、美穂さんの勤め先を聞いてなかったので探すことができなくて……」


まさかまた同じ目に遭うなど、思いもしなかった。


「とにかく、あの子をこれ以上不幸には出来ないの。私はひどい母親だったから」


お母さんにも同情はするけれど、美穂さんのあの体験を思えば、ひどい母親と言われても仕方がない。それでも14歳まで美穂さんを育てたのはこのお母さんなのだ。


「僕がこんなことを言うのは間違ってるかもしれないけど、お母さんも自分を責めるのはもうやめた方がいいと思います。美穂さんは僕にとってかけがえのない人ですし、そんな美穂さんを産み育ててくださったお母さんにはとても感謝してるんです」


「…あなたから感謝されてもね。美穂は決して許してはくれないし、許してもらいたいとも思わないわ。それは私が受けなきゃいけない罰だから」


お母さんはしんみりとした様子で淡々と語った。


あんな過去の出来事を思えば、美穂さんがお母さんを許せない気持ちはよく分かる。僕とは立場が違うのだ。








「でも美穂さんはお母さんのことをとても気にかけてますよ。ひとり残して東京へ出ることをずいぶん躊躇ってましたから」


「それが余計なお世話なのよ。私の身にもなってみて。見捨てた子供に厄介になるって、あなたならどう? 居心地よく感じられるかしら?」


「むずかしいことだと思います。お互いに関わらない方がラクなのかも知れません。でも……」


僕自身、両親を避けているのに偉そうなことは言えなかった。


少し気まずい空気が流れ、お互いになにを話してよいのか分からなくなる。シーンと静まり返ったリビングに玄関の鍵がまわる音が響いた。



美穂さんだ!!


反射的にソファから立ち上がり、玄関へ向かった。  







「聡太くん!」


三週間ぶりに会った美穂さんは、随分と痩せて見えた。


ひどく驚いているけれど、呆然とした表情からは、僕との再会を喜んでいるのかよくわからなかった。


「美穂さん、僕が間違ってたよ。許してくれないかな?」


美穂さんは目も合わせずにリビングへ向かうと、ソファに座っていたお母さんを怒鳴った。


「お母さんが言ったのね!どうして余計なことをするのよっ!!」


僕の来訪を喜んでないことを知り、悲しくなる。美穂さんは敵視するような目でお母さんを見つめた。


「当たり前よ。あなたが一人で苦労を背負いこむことないの。ちゃんと責任を取ってもらわないとね」


お母さんは微動だにせず、開き直ったように言い放った。


「今まで散々なことしておいて、母親みたいなこと言わないでっ!!」








こんなに興奮している美穂さんを見たのは初めてかも知れない。彼女はいつも穏やかで、言いたいことの半分も言えずに微笑んでいるひとだった。


「美穂さん、落ち着いて。お母さんを責めないでくれないか。僕は電話をもらって本当に嬉しかったんだ」


本当に天の助けだった。明日には東京へ行かねばならない状況の中で、僕はすっかり諦めてしまっていたから。


「聡太くん、せっかくだけど帰ってくれませんか。これは母が勝手にしたことですから」


美穂さんは冷たくキリリと僕を見据えて言った。


以前の美穂さんとは全く別人のように感じられた。こんなに気丈でハッキリものを言う人ではなかったのに。


てっきり喜んでくれるとばかり思っていた僕は、ひどく焦りを感じた。






「まだ怒ってるんだね。信じてあげられなくて本当に申し訳なかったと思ってる。でも僕もあれから随分と探したんだよ。あの茉理って子にわざわざ会いに行ったくらいさ。だけど、まさか妊娠していたなんて思いもしなくて」


「大丈夫です。子どもはわたしが育てますから」


取りつく島もない素っ気ない返事にショックを受ける。


「謝ってるだろう。許してはくれないの? もう僕たちは終わりなのかい?」


「……聡太くんがここへ来たのは母に説得されたからでしょう? わたし、子どもを楯《たて》に脅迫みたいなことはしたくないの」


「違う!  そうじゃないよ。妊娠の責任を取りたいだけで来たんじゃない。結衣さんに言われたよ。僕みたいな息苦しい人と結婚しない方が美穂さんにとっては幸せだって。それで気づいたんだ。僕は勝手に自分の理想を押し付けていたってことに」


「結衣さんの話なんてしないで!!  わたしも聡太くんにはついて行けないって気づいたの。ご両親にも反対されているし、住む世界が違うわ。結婚はお断りします」


「住む世界って何がだよ! 同じ世界に住んでるじゃないか! ぼ、僕は宇宙人なのか!」


話がまったく噛み合わなくて、僕自身バカみたいなことを言ってしまう。






「美穂! もう意地を張るのはよしなさい。一体なにが不満なの?」


お母さんが見かねたのか口を出したけれど、それは火に油を注ぐような結果となった。


美穂さんは憎しみに燃えるような目でお母さんを睨みつけると、激しい口調で罵倒した。


「よくもそんな偉そうなことが言えるわね。あなたに教えてあげる! わたしは家庭訪問に来た担任教師にレイプされ続けたの! そのあとはあの義父《ちち》にもよ! あなたはそんな穢れた娘を嫁にもらってくれってこの人に言えるの?」


お母さんはソファに寄りかかったまま顔面蒼白になり、呆然と宙を見つめていた。


母親にとって、これほどのショックはないだろう。







「……美穂さん、どうしていつまでも過去を引きずるんだい? それは僕たちの間で解決したことじゃないか」


ひどく興奮している美穂さんを、諌めるように冷静に話したつもりだったけれど。


「解決なんてしてなかったわ。あの日、蔑んだような目で見られて気づいたの。聡太くんはわたしのことを少しも許せてないってことをね。薄汚い女って、ずっとそう思ってたんでしょう?」


ーー僕は、、見抜かれていた。


「と、とにかく、僕はその子の父親なんだし、一緒に育てたいんだよ。結婚してくれないかな?」


動揺を誤魔化すかのように話題を変えてみたけれど。


「……やっぱり堕ろすわ。仕事が決まらないといつまでもこのアパートから出られないし、この子は邪魔だわ」



ビシッ!!


「いいかげんにしろっ!!」


思わず美穂さんの頬を打っていた。


不敵な笑みを浮かべて、そんな事を言った美穂さんが許せなかった。



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