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だいじなもの
肉塊の化け物 上
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「うわ、さっむ……」
暗くなったと思ったら、雲間に白いものが舞いはじめた。肌に触れるとひやりと冷たい。アオは矛を片手に見回りに出ていた。手をこすって息を吐きかける。一月(いちがつ)も半ばなら、雪が積もってもおかしくない。
スマホを見れば「隣人を『吸血鬼』と思いこみ殴る」といったニュースが通知されていた。ほかには渋谷の食人鬼騒動の動画がいくつか出回っているようだ。アオはスマホをしまって空を見あげる。しばらくこんな天気は続きそうだ。
「こら、けっこうふりそうだな」
ここは新宿近く。十代の少年少女たちが路上にしゃがみこんでいた。円になって、なにかをのぞいている。鏡を三角にたてたものか。アオがそっと後ろに立つと、少年は妙に芝居がかった声をあげた。
「吸血鬼さまー、吸血鬼さまー、お出ましくだされー」
「そんなんで来ると思う?」
「思わない」
少女のからかいに、ぺろっと舌を出した少年。アオはその肩に声をかける。
「ほー。吸血鬼、呼んどるんですか」
「うわ」
「なんだ、おまえ」
鏡を見おろしていた少年たちが顔をあげた。つるした鈴を鳴らしていたらしい。
「おお、わたしは生松といいます。吸血鬼防除のもんです。失礼しますよ」
アオは頭をさげて、軽くしゃがむと身分証を見せる。嫌な顔をしていた少年少女は見慣れないものに少し目を見開いた。警戒しながらも担いだ矛に視線を向ける。
「それで吸血鬼、やっつけるの?」
「そのためにこうやって探しとるわけです。ご協力お願いできませんか」
正面から頼まれて、少年たちはとまどった。様子をみている子、なんでおまえにと口を突きだす子、関わりたくなさそうな子、さまざまだ。まとめ役らしき女の子がずいっと前に出た。出方をうかがいながらも、はっきりとした声で聞いてくる。
「あなた、ヤマちゃんの知りあい?」
「お? ええと、鬼害対のヤマさんのことですか?」
「ふーん……そう」
疑うような目だが、すぐさま追いかえすつもりはないらしい。
「なにか、ここらでそういうの見なかったですかね? あ、好きな味、あります?」
アオはバッグからアメの袋を出して渡した。女の子はじっとアオをにらんでから無造作に受けとった。ひとつとって口に入れ、他の子に回す。少年少女が次々に手を伸ばした。その後ろで遠巻きにする子もいる。
「……あたし、レモン」
「イチゴ」
「黒みつ」
「黒みつぅ?」
アオの近くにいる子たちは比較的警戒心がなさそうだ。そのうち、きゃあきゃあと笑ってアメを選んでいる。
「イヤだったらイヤでいいですんで。で、吸血鬼が出てくるんですか?」
三角に組んだ鏡と紐のついた鈴を見て、アオはおまじないのようだと思った。聞かれて少女のひとりが答える。小声だが、なにかにすがるような口調だった。
「吸血鬼はね、助けてくれるの。全部うまくいくようにしてくれるんだって」
「ほー……それ、どんな感じの吸血鬼だかわかります?」
アオは興味深そうに聞いた。少年少女たちは目くばせする。視線があちこちで交わった後、ひとりの少年が笑い混じりのあいまいに答えた。
「いやあ、まだ成功してないんで……」
「やっぱりウソじゃん」
「もうやめねえ? 飽きた」
「そんな怖がんなくていいのに」
「はあ? 誰が怖がってるって?」
本気で信じているわけでもなさそうだ。みんなと共有できる楽しいウワサ。あるいは最後の頼みの綱か、救いの手か。血の平和教とはまた別の信仰らしい。さきほど「ウソじゃん」と断じた少女が呆れたように教えてくれる。
「なんでも願いを叶えてくれるんだって言ってた。恋愛でも、お金でも、なんでも」
「でも失敗すると殺されちゃう」
もうひとりの少年は、それさえも面白がっているようだ。自分たちは殺されないと思っているのか、殺されてもかまわないと思っているのか。怪談を面白おかしく語るのは、実際の恐怖からの逃避かもしれない。現実感のない化け物は、いるかどうかもわからない神と同じなのかもしれなかった。
「みんなやってるってよ。おれが聞いたやつは実際に出たっていうけど、どうだか」
「へえ、知らんかった。情報、ありがとう。助かります」
その一方で少年はアオの矛が気になるようだ。じろじろ見て、隙があれば触ってみようとする。アオがうまくあしらっていると、バカにするように聞いてきた。
「おっさん、吸血鬼退治するんだろ。それ本物?」
「おお、ホンモノ、ホンモノ」
どこから聞いても冗談だ。少年は鼻で笑った。後ろにいた子もつられて笑った。
雪で路面が全体的に濡れたころ、ウォンとゲンが鳴いた。
「お、見つけた?」
耳をふせてヴウーッとうなるゲンの首をつかむと、ひょうと一足に飛ばれて陰に引きずりこまれる。人が影や陰に潜るのはあまりよくないとユエンが言っていた。影はその人間の命、さらには死とつながっているという。
影から飛びでたところには大きな立体交差があった。深く息をして見あげると「両国橋」の標識。ざっと周囲を見まわすが、事件が起こった気配はない。どこだ。ゲンもあたりを嗅ぎまわって匂いを調べる。
「ナヨシさん? 両国橋の……西かな。まだ確認してない」
組合に一報を入れ、周辺を探す。走るゲンに続いて細い通りを入ると、濡れた土の匂いがアオの鼻にも届いた。あるマンションの前でゲンが大きくほえたてた。毛を逆立ててうなる。アオが追いついて吸血鬼に備える。
暗がりに、街灯が人の姿を浮かびあがらせた。女だ。なにかにおびえている。
……最初は気づかなかった。電灯の消えたマンションの入り口、闇に溶けこむように静かにそこにいた。女の視線を追って、アオはようやくそれを見つけた。
赤灰色の肉の塊。割れ目から色の違う目がのぞいている。むこうの割れ目には並んだ牙。なんだこれは。見たことのない異形にアオの足が止まる。
それはゆっくりと腕を動かしている。腕といっても人間の腕ではない。触手のように長く伸ばされた肉の先に、指が六本も七本もある。その腕が八方に這っていた。つかまれたらそのまま肉にとりこまれてしまうように思った。
肉塊は腕を女に放った。アオは腹に力を入れ、足を動かした。女の前に飛びだして矛を振るう。肉を切る感触。赤い血が吹きだす。血、吸血鬼か。切られた腕がアスファルトに落ち、すぐに塵に変わった。落ちた血も跡を残さず消えた。
そのとき、あちこちを見ていた目がいっせいにアオをとらえた。ぞくりと肌に冷たいものを感じる。心臓が痛みにきしんだ。足がすくむ。浅い呼吸を繰りかえすが肺に吸気が入っていかない。こんな感覚は久しぶりだ。平衡感覚もない。筋肉がひどく緊張している。左腕だけかろうじて感覚があり、傷跡が焼けるように熱い。
アオは唾を飲みこむ。あれをどうにもできないことが嫌でもわかった。あれに触れることさえできない、近づくだけで理不尽に祟られる。
「無事か。影から出るなよ」
静かな声。目の前にユエンがいた。そこでようやくアオは呼吸を思いだした。アオと女を彼女の影のなかに隠したのだろう。吸血鬼はユエンを見ている。ユエンも見かえしている。探りあうように動かない。
それからどのくらい経っただろうか。突然、ひび割れた鐘のような声がした。牙のあいだからもれる音は、耳障りでとても聞き苦しかった。アオは思わず耳を押さえる。土の匂いがじっとりと重い。粘つく空気が頭上から押しつぶしてくるようだ。
「ひいいいいいぃっ」
ひきつった悲鳴があがった。とっさに伸ばしたアオの手が振りはらわれる。女が影から飛びだした。吸血鬼の腕が走る。その腕がぱっくりと割れて女の首に噛みついた。牙が食いこむ。バキッと骨が折れる音がした。血が吹きだして街灯に光る。
アオがそちらに向かおうとして手をユエンにつかまれる。その手をはらって飛びこみ、触腕に矛を叩きつけた。吸血鬼の腕が真っ二つに裂かれて塵が散らばった。それは冷たい風に吹かれてすぐに見えなくなった。
塵のなかをゆっくりと女が倒れていく。助からないことなど一目でわかった。
ユエンはじっと肉塊を見ている。それはすすった血を飲みこむように震えた。ユエンが手をひるがえせば、影が乱杭となって肉を貫く。そのまま吸血鬼は塵となって消えた。乾いた空気に血の匂いが残る。
「倒したのか?」
「いや……伸ばした手をひとつ潰しただけだろう」
淡々と告げたユエン。アオはそっと死体の前に膝をついた。顔面は蒼白でひきつっている。怖かっただろうに。流れる血が雪を溶かしていた。
スマホで組合に連絡をとり、アゲハを呼んでもらう。吸血鬼は血や死体を残さないため、噛まれた人の血は貴重な試料だ。アゲハが死亡を確認し、銀貨を口に含ませ火葬する。それでようやく遺族は安心できる。
「悪かったなあ……」
しかたがなかったとは思いたくない。吸血鬼を見つけさえすればなんとかなると思っていたが、どうすることもできなかった。苦い感情が胸に広がっていく。
「人では倒すのが難しい。吸血鬼とは人の恐れそのものだが、どうやら恐怖をとりこみすぎたようだ。……出てきた穴を影で塞ぐことができなかった。なにかある」
低くつぶやくようなユエンの声が、ふりつもる雪に吸いこまれていった。
防除組合のオフィス。戻ってきたアオがナヨシたちに状況を説明した。ひととおり聞いた後、ナヨシは警察からの情報も出して補足する。地図を前に、吸血鬼の出たマンションの場所を指で叩いた。六階建てのマンションだ。
「このマンションの三階で人が死んでいた。吸血鬼に襲われたとみられる」
「三階?」
ナヨシの報告にトモエが疑問の声をもらした。地下から出ると考え、地面ばかりを気にしていたが、三階か。
「死体のそばに鏡。アオの言う、吸血鬼を呼ぶおまじないと共通している」
アオは新宿で聞いたおまじないの話をする。願いを叶えてくれる吸血鬼を呼びだす儀式だと。トモエが露骨に嫌そうな顔になった。そこまでしても救われたかったのだろうが、それは本当に救いだったのか。
「ユエンさんが言うには、川を越えたのは『人に呼ばれた』からだろうと」
吸血鬼は人の望むようになる。人の願った場所に「呼ばれた」のだと考えられた。
「じゃあ、その肉塊が吸血鬼なのか」
「おそらくは」
切って血が出たことを踏まえると、食人鬼ではない。吸血鬼だ。
「でもボク、金の獣を見たんですよねえ。アオさんも見てるでしょ?」
シァオミンが納得のいかない声を出した。シガンもクナドも金のオオカミのようななにかを見ている。見間違いとは考えられない。
「……姿を変えられるとか?」
「あるいはもう一体いるとか」
暗くなったと思ったら、雲間に白いものが舞いはじめた。肌に触れるとひやりと冷たい。アオは矛を片手に見回りに出ていた。手をこすって息を吐きかける。一月(いちがつ)も半ばなら、雪が積もってもおかしくない。
スマホを見れば「隣人を『吸血鬼』と思いこみ殴る」といったニュースが通知されていた。ほかには渋谷の食人鬼騒動の動画がいくつか出回っているようだ。アオはスマホをしまって空を見あげる。しばらくこんな天気は続きそうだ。
「こら、けっこうふりそうだな」
ここは新宿近く。十代の少年少女たちが路上にしゃがみこんでいた。円になって、なにかをのぞいている。鏡を三角にたてたものか。アオがそっと後ろに立つと、少年は妙に芝居がかった声をあげた。
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「そんなんで来ると思う?」
「思わない」
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「ほー。吸血鬼、呼んどるんですか」
「うわ」
「なんだ、おまえ」
鏡を見おろしていた少年たちが顔をあげた。つるした鈴を鳴らしていたらしい。
「おお、わたしは生松といいます。吸血鬼防除のもんです。失礼しますよ」
アオは頭をさげて、軽くしゃがむと身分証を見せる。嫌な顔をしていた少年少女は見慣れないものに少し目を見開いた。警戒しながらも担いだ矛に視線を向ける。
「それで吸血鬼、やっつけるの?」
「そのためにこうやって探しとるわけです。ご協力お願いできませんか」
正面から頼まれて、少年たちはとまどった。様子をみている子、なんでおまえにと口を突きだす子、関わりたくなさそうな子、さまざまだ。まとめ役らしき女の子がずいっと前に出た。出方をうかがいながらも、はっきりとした声で聞いてくる。
「あなた、ヤマちゃんの知りあい?」
「お? ええと、鬼害対のヤマさんのことですか?」
「ふーん……そう」
疑うような目だが、すぐさま追いかえすつもりはないらしい。
「なにか、ここらでそういうの見なかったですかね? あ、好きな味、あります?」
アオはバッグからアメの袋を出して渡した。女の子はじっとアオをにらんでから無造作に受けとった。ひとつとって口に入れ、他の子に回す。少年少女が次々に手を伸ばした。その後ろで遠巻きにする子もいる。
「……あたし、レモン」
「イチゴ」
「黒みつ」
「黒みつぅ?」
アオの近くにいる子たちは比較的警戒心がなさそうだ。そのうち、きゃあきゃあと笑ってアメを選んでいる。
「イヤだったらイヤでいいですんで。で、吸血鬼が出てくるんですか?」
三角に組んだ鏡と紐のついた鈴を見て、アオはおまじないのようだと思った。聞かれて少女のひとりが答える。小声だが、なにかにすがるような口調だった。
「吸血鬼はね、助けてくれるの。全部うまくいくようにしてくれるんだって」
「ほー……それ、どんな感じの吸血鬼だかわかります?」
アオは興味深そうに聞いた。少年少女たちは目くばせする。視線があちこちで交わった後、ひとりの少年が笑い混じりのあいまいに答えた。
「いやあ、まだ成功してないんで……」
「やっぱりウソじゃん」
「もうやめねえ? 飽きた」
「そんな怖がんなくていいのに」
「はあ? 誰が怖がってるって?」
本気で信じているわけでもなさそうだ。みんなと共有できる楽しいウワサ。あるいは最後の頼みの綱か、救いの手か。血の平和教とはまた別の信仰らしい。さきほど「ウソじゃん」と断じた少女が呆れたように教えてくれる。
「なんでも願いを叶えてくれるんだって言ってた。恋愛でも、お金でも、なんでも」
「でも失敗すると殺されちゃう」
もうひとりの少年は、それさえも面白がっているようだ。自分たちは殺されないと思っているのか、殺されてもかまわないと思っているのか。怪談を面白おかしく語るのは、実際の恐怖からの逃避かもしれない。現実感のない化け物は、いるかどうかもわからない神と同じなのかもしれなかった。
「みんなやってるってよ。おれが聞いたやつは実際に出たっていうけど、どうだか」
「へえ、知らんかった。情報、ありがとう。助かります」
その一方で少年はアオの矛が気になるようだ。じろじろ見て、隙があれば触ってみようとする。アオがうまくあしらっていると、バカにするように聞いてきた。
「おっさん、吸血鬼退治するんだろ。それ本物?」
「おお、ホンモノ、ホンモノ」
どこから聞いても冗談だ。少年は鼻で笑った。後ろにいた子もつられて笑った。
雪で路面が全体的に濡れたころ、ウォンとゲンが鳴いた。
「お、見つけた?」
耳をふせてヴウーッとうなるゲンの首をつかむと、ひょうと一足に飛ばれて陰に引きずりこまれる。人が影や陰に潜るのはあまりよくないとユエンが言っていた。影はその人間の命、さらには死とつながっているという。
影から飛びでたところには大きな立体交差があった。深く息をして見あげると「両国橋」の標識。ざっと周囲を見まわすが、事件が起こった気配はない。どこだ。ゲンもあたりを嗅ぎまわって匂いを調べる。
「ナヨシさん? 両国橋の……西かな。まだ確認してない」
組合に一報を入れ、周辺を探す。走るゲンに続いて細い通りを入ると、濡れた土の匂いがアオの鼻にも届いた。あるマンションの前でゲンが大きくほえたてた。毛を逆立ててうなる。アオが追いついて吸血鬼に備える。
暗がりに、街灯が人の姿を浮かびあがらせた。女だ。なにかにおびえている。
……最初は気づかなかった。電灯の消えたマンションの入り口、闇に溶けこむように静かにそこにいた。女の視線を追って、アオはようやくそれを見つけた。
赤灰色の肉の塊。割れ目から色の違う目がのぞいている。むこうの割れ目には並んだ牙。なんだこれは。見たことのない異形にアオの足が止まる。
それはゆっくりと腕を動かしている。腕といっても人間の腕ではない。触手のように長く伸ばされた肉の先に、指が六本も七本もある。その腕が八方に這っていた。つかまれたらそのまま肉にとりこまれてしまうように思った。
肉塊は腕を女に放った。アオは腹に力を入れ、足を動かした。女の前に飛びだして矛を振るう。肉を切る感触。赤い血が吹きだす。血、吸血鬼か。切られた腕がアスファルトに落ち、すぐに塵に変わった。落ちた血も跡を残さず消えた。
そのとき、あちこちを見ていた目がいっせいにアオをとらえた。ぞくりと肌に冷たいものを感じる。心臓が痛みにきしんだ。足がすくむ。浅い呼吸を繰りかえすが肺に吸気が入っていかない。こんな感覚は久しぶりだ。平衡感覚もない。筋肉がひどく緊張している。左腕だけかろうじて感覚があり、傷跡が焼けるように熱い。
アオは唾を飲みこむ。あれをどうにもできないことが嫌でもわかった。あれに触れることさえできない、近づくだけで理不尽に祟られる。
「無事か。影から出るなよ」
静かな声。目の前にユエンがいた。そこでようやくアオは呼吸を思いだした。アオと女を彼女の影のなかに隠したのだろう。吸血鬼はユエンを見ている。ユエンも見かえしている。探りあうように動かない。
それからどのくらい経っただろうか。突然、ひび割れた鐘のような声がした。牙のあいだからもれる音は、耳障りでとても聞き苦しかった。アオは思わず耳を押さえる。土の匂いがじっとりと重い。粘つく空気が頭上から押しつぶしてくるようだ。
「ひいいいいいぃっ」
ひきつった悲鳴があがった。とっさに伸ばしたアオの手が振りはらわれる。女が影から飛びだした。吸血鬼の腕が走る。その腕がぱっくりと割れて女の首に噛みついた。牙が食いこむ。バキッと骨が折れる音がした。血が吹きだして街灯に光る。
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塵のなかをゆっくりと女が倒れていく。助からないことなど一目でわかった。
ユエンはじっと肉塊を見ている。それはすすった血を飲みこむように震えた。ユエンが手をひるがえせば、影が乱杭となって肉を貫く。そのまま吸血鬼は塵となって消えた。乾いた空気に血の匂いが残る。
「倒したのか?」
「いや……伸ばした手をひとつ潰しただけだろう」
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「悪かったなあ……」
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アオは新宿で聞いたおまじないの話をする。願いを叶えてくれる吸血鬼を呼びだす儀式だと。トモエが露骨に嫌そうな顔になった。そこまでしても救われたかったのだろうが、それは本当に救いだったのか。
「ユエンさんが言うには、川を越えたのは『人に呼ばれた』からだろうと」
吸血鬼は人の望むようになる。人の願った場所に「呼ばれた」のだと考えられた。
「じゃあ、その肉塊が吸血鬼なのか」
「おそらくは」
切って血が出たことを踏まえると、食人鬼ではない。吸血鬼だ。
「でもボク、金の獣を見たんですよねえ。アオさんも見てるでしょ?」
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