双蛇皇子との30日間の溺愛蜜月婚

木風

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第一章 新月

第四夜「十日夜 皇子との理解・絆の兆し」②

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スマホも、テレビも、パソコンの光もない。
ただ、静寂だけが満ちている。

「……何もすること、ないな」

こんなふうに、何もせず時間を過ごすなんて、いつ以来だろう。

眠くなればうとうととソファにもたれ、喉が渇けば、
午前中から淹れてあるすっかり冷めた紅茶を口にする。
味も香りも、もうほとんど感じない。

平日は仕事。土日も最近は連日、休日出勤だった。
仕事が無い時はデートをしたり、友達と出かけたり。
常に誰かと、常に何かに追われていた。

それが今は、世界から切り離されたように一人きり。

ぼんやり外を眺めれば、遠くに行き交う人々。
中世の絵画のように整った街並み。
色も音も穏やかで、まるで夢の中の風景のようだ。

「……あっちの世界、どうなってるんだろ」

同僚たちは今日も働いているだろう。
締切に追われて、資料を修正して、電話を取って――。
そんな現実が、もう何十年も前のことのように遠く感じられる。

やがて空が紫から群青に変わり、
満天の星と、少し欠けた月が浮かんだ。
降るような星空。
あんなにも近く感じる月を、写真でもプラネタリウムでも見たことがない。

――奇麗。

けれど同時に、あの金と紅の瞳を思い出してしまう。
ルキアスの冷たい理性と、ノアールの熱を孕んだ視線。
どちらも脳裏から離れない。

「……殿下!お渡りは事前にご連絡を……神子様が驚かれます!」
「なぜだ?何か問題があるのか?」

扉の外で焦る声が交錯する。
胸がざわつく。
まさか――。

『夜、またくる』

ノアールの言葉がよみがえる。
けれど、開かれた重厚な扉の向こうに立っていたのは、
あの妖艶な紅の瞳ではなく、月光をまとったような冷ややかな金の瞳を持つ男だった。

「……ルキアス?」

息が詰まるほどに、完璧な威厳を纏った姿。
同じ肉体なのに、声の温度も、空気の支配力も違う。

その一歩が近づくたび、
部屋の温度がゆっくりと下がっていくような気がした。

「……服が朝のままだな。御用商人から買わなかったのか?」
「御用商人……?」

確かに『必要なものは買え』とは言われた。
けれど、今日一日、冷めた紅茶以外、誰も部屋を訪ねてきてない。
服を買うどころか、そもそもこの世界で使えるお金なんて持っていないし。

ルキアスは黙って皮編みのバスケットをテーブルに置き、
指先が冷えたティーポットに触れた。

「冷えているな」

その低い声が静寂を震わせた。
次の瞬間、ふんわりと立ち上る香ばしい匂い――
バターと小麦、焼き立ての甘い香り。
胃の奥が勝手に反応する。

ぐ~~~~っ

「!?」

――やってしまった。
よりによって、この人の目の前で、こんなタイミングでお腹が鳴るなんて。

「……まさか、今日一日、食事も?」
「え……?」

ルキアスの瞳が、黄金から刃のように鋭く光った。
その視線だけで空気が凍り付く。

「どういうことだ?冷えた紅茶に、食事も出してないとは」

彼は低く問い、ドアの外の使用人たちに鋭く声を放った。
すぐに、怯えたような影が数人、廊下に並ぶ。
誰も口を開かない。
沈黙が、刃よりも痛い。

「数刻の猶予を与えよう。王宮から去れ。二度と近づくな」
「殿下!申し訳ございません!どうかお慈悲を!」
「すぐに用意いたしますので……どうか、お許しをっ!」

使用人の悲痛な声を無視して、ルキアスは無情にドアを閉める。
冷たく閉ざされたドアの向こうからは、使用人たちのすすり泣くような声が聞こえる。

「食べ物を包ませておいて正解だった。口に合うかわからないが」
「待って!彼女たちはどうなるの!?
ただの『出し忘れ』じゃないの!?」

私の声に、彼はまったく動じない。

「心配いらない。明日には別の者をつける。
二度と君に不敬を働くことはない」

――『不敬』。
たったそれだけの理由で、人を追放?

「でも、それはあまりに……」
「あの者たちは任務を放棄した。
城に仕える者として、堕落と怠慢は罪だ」

静かに告げる声は、どこまでも冷たい。
けれど、不思議とその奥に『怒り』とは違う何かが滲んでいた。
もしかして、彼は――私に怒っているのではなく、
『私が軽んじられた』ことに怒っている?

「君は『神子』だ。敬われるべき存在であるはずが、
あの者たちは君を見下した。平民だとでも思ったのだろう」
「そんなこと……」

思わず反論しかけたが、言葉が喉で止まる。
突然来た、得体の知れないよくわからない女を敬うことなんて。
私は間違いなく、その平民でしかないんだから。

「だって……」
「いいから。議論は無用だ。食べるのか、食べないのか」

冷たい声。けれど、どこか心配しているようにも聞こえた。

「……食べる」

ルキアスが小さく頷く。
彼が開けたバスケットの中には、艶やかな焼き色のスコーンやワッフル、香り立つパウンドケーキにクロワッサン、
色とりどりの野菜が見えるキッシュまで。

湯気とともに広がる香りが、胃の奥を締めつける。
また鳴りそうなお腹を慌てて押さえた。

「ミヅキは普段、どんなものを食べていた?」
「え?」
「この国の料理は口に合うか。
食べながらで構わない、少しずつ君のことを教えてくれ」

黄金の瞳が穏やかに細められる。
その光の温度が、先ほどの冷たさとはまるで違って見えた。

おそるおそるスコーンを手に取り、バターの香りと甘い熱に包まれながら、彼の優しさを、初めてほんの少しだけ信じてみようと思った。

30日後には、私はこの世界から忘れ去られて、元の世界に戻る。
それなのに――お互いを知ってしまったら。
優しさに触れてしまったら。
きっと、情が生まれてしまう。
それが一番怖い。
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