なつのよるに弐 叢雨のあと

まへばらよし

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本編 雄花の章

第二話 理性と欲望の戦い

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 何やら、いい匂いがする。香水とは違っているが、いい匂いだ。珍しい匂いではない。嗅いだことがある。

 脳が覚醒し、俊は目覚めた。匂いの方向、というより人の気配のある方向へ首を向けると、女性がすぐ隣で横臥していた。頬杖を付き、俊をじっと見ていたようだ。
 俊が彼女へ首を向けたとき、身構えたのが分かった。
「……十五分経ちましたか?」
 彼女の声は緊張を孕んでいる。俊も、そりゃあ緊張するよなと思った。いきなりやってきた見合い相手が、即眠らせろと言ったら大抵の人間はキレる。
 彼女は両腕を畳に付いて、俊から距離を取らずに半身を上げた。怒りの気配はない。
 一緒に眠ろうとしていたのか? いや、その割に警戒を全ては解いていない。
 違うだろう。まず第一に、やってきていきなり眠らせろと言った相手に対し、警戒こそすれ怒りを向けてこない人間というのは、いくらなんでも珍し過ぎやしないだろうか?
 俄然興味が湧いた。

「ああ。あなたは何をやってるんだ」
「あなたの身長がどのくらいかと、私を基準にして測っていました」
「目算できたか?」
「六尺ありますよね」
 ある。そこそこの目利きだ。
 相手は緊張を解こうと努力してくれている。試しに、もう少しフランクになれるようにタメ口でいいと提案してみたが、そこはすぐにはできないらしい。
「ところで、どうして俺の身長なんぞ気になったんだ」
「あなたは私と結婚するかもしれない人だから、単純に興味がありました。あなたを起こさずに、あなたのことを知りたいから、とりあえずまず身長を確認しようかと思った次第です」

 え、なにそれ。キュンとしちゃうぞ。

 警察官の仕事は多忙だ。いつもいつも上機嫌で身内に接することができるほど、俊もまだ人間ができていない。時には放置しておいてほしいこともある。
 そうした、俊が一人の時間を要するときも、それを察し、彼女は自分なりの時間の過ごし方ができる人間なのだ。と、努めて理論的に、警察官の妻としていい資質だ、など分析してみたが。
 惚れてしまうだろう。
 本心はコレに尽きた。


「だから、初回は避妊をして、お互い相性がいいことを確かめてから、二度目以降に及ぶ手順を提案したい。避妊具は俺が用意しているし、使用済みのモノも俺が持って帰る。ここには残さないので、あなたが誰かに話さない限り、俺たちだけの秘密になる」
 我ながらよく我慢をしてるな、と思いつつも、俊は見合いの相手にしばらくのあいだ講釈を垂れていた。
 そもそも交渉はするつもりだった。一度試したとして、相性がよくないから見合いを止めたのに、子供ができてしまったらやはり責任は生じる。自分たちはいいが、肝心の生まれたこどもが不幸になることだけは避けたい。
 だから、初回は避妊をしようともちかけたのだ。
 ただ、俊はいろいろ複雑な思いで、相手の女性と話をしていた。
 いや、嘘だ。見栄を張った。複雑ではない。有り体に言えば単なる理性と欲望の戦いにすぎない。
 下半身は、今すぐ彼女と性行為させろ!と元気溌剌アピールをしてくる。俊はもう相手にかなり興味を抱いてしまっている。とっととおっぱじめて相性を確かめたい。
 ……そもそも相性というが、おそらくそんなもの俊には判別できないだろう。俊は十割満足できる自信があるから。
 だが、その肝心の相手が、ガチガチに緊張しているようで、さすがにいきなり裸にひんむいてはしまえなかった。
 少しでもいいので緊張を解いてやりたい。彼女も初めての見合いなのかもしれない。
 現状、雑談だけでは駄目のようだ。彼女も本心はともかく、閨を共にすることに異論はないようで、俊の行動に素直に従っている。それでも、抱きしめたとき、彼女の腰が退けたのが分かった。
 あまり男慣れしていないと予想は付いたが、彼女の魅力に完全に抗えなかった。女の首筋に鼻を突っ込んで、さきほど夢うつつで嗅いでいたいい香りが、彼女から発せられていることに確信が持てた。
「いい匂いがする」
「檸檬ですか?」
 女の回答の語調から、面白がっているのが分かった。
「あ、そうだ。そう、檸檬だなこれは……いい匂いだ」
 その勢いで、彼女の細い首筋に頬を当てた。女は逃げなかった。むしろ受け入れるように顎を上に向け、俊の行動を促しているように思えた。
 高校生までは、それなりに女性と関係を持った。警察官を目指し学校に入学して以来、ゼロではないが、ほとんど女を抱いていない。
 久しぶりの、肌理の細かな、女ならでわの肌の感触は、飢えていたものを少し満たしてくれた。
「女性の肌は、本当に気持ちいいな」
 思わず声に出してしまった。引かれるかと思ったが、彼女は別段気を悪くしていないようだ。口では先に進んで構わないと言っているが、彼女が緊張していることは伝わってくる。
 待てよ。もしかしたら、自分と同じく久しぶりの行為になる、またはほぼ経験がない、そのどちらか(あるいはどちらも)故の緊張なのかもしれない。
 退けていた彼女の腰から力が抜けた。あと一寸、近くによると、俊が興奮していることが悟られてしまうだろう。怖がらせたくないと思っていたとき、相手の女の吐息が俊の耳にかかった。
「私も、あなたの肌の感触、好きです」
 俊の理性が一瞬途切れた。
「……そうか?」

 相手の角帯と、己の紐帯を解いた。
 開いた身頃の奥の、白い肌を目で確認しつつも、俊は彼女を引き寄せた。
 押せばどこまでも沈みそうな柔らかい女のからだを、俊もまた自分の皮膚で味わっている。
 好みの香りを漂わせている、若い女体を、余すところなく全て知りたい。
「すご……い」
 素直な感嘆が、さらに俊を後押ししてくる。女の背を指で辿りながら、彼女のうなじに手を差し入れた。上を向かせ、口を覆う。
 まず、彼女の唇を堪能した。身構えていた彼女の体から強ばりが溶けていく。唇を解放し顔を合わせると、ゆったりと彼女が微笑んでいるのが分かった。
「今の、いい。好き」
「あなたもいい、とても」
 腰を落としながら手を引くと、彼女はごく自然に付き従い、俊の腕の中に収まった。横たえ、覆い被さって、首を傾け再度口付けを交わした。彼女の下唇を舌で舐めて誘うと、応えて口を開け、舌を合わせてくれた。
 闇の中、粘質な音と、互いのごく小さな含み声が耳に残る。
 彼女は口付けを受けながら、俊の肩から上腕にかけ、腕を滑らせた。何かを確認しているような動きだった。
 その手が不意に止まり、女は手を離した。まるで、やかんの中の液体が沸騰しているのに、そうと知らず触れてしまったかのような動きだった。
 柔らかだった相手の全身が、凍ったように強ばった。
 あまりにも突然の変わりように、俊も全身を緊張させた。

 何が、彼女の中で起こった?

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