今夜は帰れない

牧田紗矢乃

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今夜は帰れない

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「おっ、いたいた。何してるんだよこんなとこで」

 駅前広場のベンチに腰かけていた朱音あかねに手を振りながら駆け寄ってくる人影がある。その姿を認識した朱音はひくりと頬を震わせた。
 声をかけてきたのは、同じ職場の先輩である育田いくただ。

「見ての通り缶コーヒーを飲んでます」
「いやそうじゃなくてさ」

 つっけんどんに答えた朱音に育田は苦笑し、朱音の隣に腰掛ける。
 二人の間には仕切りのように育田の鞄が据えられた。

「こんな広場じゃなくて、カラオケとかネカフェとか行くとこあるだろ」
「生憎ですが会員証はこの中なので」

 朱音がヒラヒラと振って見せたのはスマートフォンだ。

「モバイルバッテリーを家に忘れたので今日はここで野宿します。このためだけに買うのも馬鹿らしいですし」

 きっぱりと言ってのけると、育田の顔をまじまじと見つめた。

「先輩こそ、こんなところに何しに来たんですか」
「今頃お前が帰れなくなってるんじゃないかって見に来たんじゃないか」

 育田の予想通り、朱音は家に入ることができずこの駅前広場にいたわけだ。

「まぁ、毎年の事ですし」

 慣れた口調で返した朱音は大きく息を吐いた。
 白いもやとなった朱音の息は風に流されて消える。

 今日は二月三日、節分である。

 鬼の血がほんのわずかに入る朱音は、毎年この日になると行動を大きく制限される。
 主には豆が撒かれた後の土地。
 スーパーやコンビニの豆を置いてあるコーナーは平気なのに、なぜか豆を撒かれた道は足を踏み入れただけで強いめまいと吐き気に襲われるのだ。

 不運なことに、朱音の自宅アパートの真向かいは保育園がある。
 そこへ越してきた当初はただの空き地だったのだが、二年ほど前に新設されたのだ。
 おかげで節分になると自宅の周辺に近付くことすら出来なくなってしまった。

 朱音の母親曰くだが「鬼は外」という言葉そのものが彼女たちを拒む結界を産んでいると思われる。
 一人、二人ならまだしも、数十、数百という人間が一斉にその文言を唱えるのだから、そこに呪術的な力が発生してもおかしくはないだろう。

「うちの爺ちゃんの頃は大変だったみたいですよ。山仕事を終えて帰ってきたら、村全体が豆撒きのせいで立ち入れなくなってたみたいで。寒い冬山で一晩を明かしたらしいです」
「それを考えたら、って言うんだろ? でもな、お前みたいな若い女の子が駅前広場で寝てたら何されるかわかんないんだぞ」
「この広い街に、鬼は私だけだと思いますか?」

 じっと育田を見つめて朱音が問いかけた。
 その言葉にハッとなって周囲を見回す。

「向こうのベンチにいるサラリーマン、広場の片隅で弾き語りをしているお兄さん、あと、改札のそばを行ったり来たりしてるあの人も。みんな私の"仲間"ですよ」

 だから今日だけは安全なんです。
 そう言って朱音は冷えきった手に息を吹きかけた。

「暖冬とはいえ、夜はやっぱり冷えますね」
「だから会社に泊まらせてもらえって言ったろ」
「鬼の血が入っているので帰れません。泊めてください! ……なんて話、信じる人がいると思いますか?」

 朱音の言葉に、育田はつ、と自分の顔を指さした。

「俺は信じてるぞ」
「それは先輩が特殊なんです。ツチノコとかカッパとか本気で探してそうですよね」
「なんだ、悪いか」

 ムッとした育田を見て、朱音は吹き出した。

「……まぁ、まともに聞き入れてくれたのは先輩だけですからね。嬉しかったですけど」
「そりゃあ、あんなもの見せられたらな」

 あれは朱音が入社して三年目の節分のことだ。
 育田がふざけて「鬼は外」と言いながら撒いた豆が朱音の顔に当たったのだ。
 しばらくすると、豆が当たった辺りに蕁麻疹が出てしまい、その日朱音は早退した。

「豆アレルギーか!? って心配しながらお見舞いに豆菓子を持ってきたのは先輩が初めてです。よくそんな鬼畜の所業を思いつきましたね」
「いや、あれは俺のミスだって何度も言ってるだろ? いい加減忘れてくれよ」

 ポリポリと頭を搔く育田を見て、朱音はふふふと小さく笑う。

「いくらお気に入りとはいえ、豆アレルギーが疑われる人に豆菓子は駄目ですよ」

 あの日を思い返しながら、同じセリフを口にする。
 ハッとして菓子折を下げようとした育田の手から菓子を一つ攫い、口に放り込んだ。その時の呆気に取られた表情はいつまで経っても朱音の脳裏から消えなかった。

「お前なぁ……。それより、いつまでそんな暮らし続けるつもりだよ」
「んー、都会だと段々とこういう文化も薄れてきてますからね。十年もしないうちに豆撒きそのものがなくなるかもしれません」

 朱音が答えた時、ピロンと電子音が鳴って膝の上のスマートフォンが短く震えた。

「「あっ……」」

 二人の声が揃う。

「電池切れてるんじゃなかったのか?」
「き……、気のせい、だったみたいですね」

 慌てて取り繕おうとした朱音はバツの悪さに顔を背けた。

「お前、やっぱり俺が来るの待ってたんだろ」

 形勢逆転。ニヤリと笑って育田が朱音をつつく。
 朱音は返事をせず、空になったコーヒーの缶を口元へ運んだ。

「とりあえずうち行こう。うちなら駅のすぐ裏だし行けるだろ? なんならそのまま住んでもいいぞ」

 育田がベンチから立ち上がり、朱音の手を引く。

「……セクハラで訴えますよ」

 ぷくりと頬を膨らませる朱音の顔は耳まで赤く染まっていた。
 寒さのせいだけではない顔の赤みに気付いた育田は、つられてむず痒そうな表情を見せる。

「一人で晩酌ってのも寂しいからさ。付き合ってくれよ」

 思いつきで発した言い訳じみた言葉に、朱音は小さく頷いた。

「……晩酌の相手をするだけですからね」
「おう。そこのコンビニ寄って酒とツマミ買ってくか。ツマミは柿ピーでいいか?」
「っ! また私にぶつける気じゃないですよね!?
 ……せっかくいい空気だったのに。殴りますよ」
「殴ってから言うなって」

 キャッキャとはしゃぎながら、ふたつの影は人混みに紛れていった。
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