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第一章

扶桑国

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扶桑国ふそうこく
世界樹せかいじゅと呼ばれる巨大な樹を中心に栄えた小さな国で、周りを山や森に囲まれた緑豊かな土地である。
今、俺が居るのはその扶桑国の都であるクンボンと呼ばれる街だ。根っこ、という意味らしい。なぜそんな意味なのかというと、この街がまさにその世界樹の根元に位置するからだ。
世界樹とは、この世界の全てのことわりと生命を生み出し、世界そのものを生み出したとされる神聖なる樹で、クンボンの街の空を覆い尽くしてしまうほどの巨木だ。
今こうして歩いていても、遥か頭上には世界樹が伸ばした枝の葉が生い茂っている。まさに自然がつくりだした天然の屋根といえる。
「この世界樹っていうのは、いわゆる御神木みたいなもの?」
隣を歩くリューシェンに問いかける。
俺たちは今までいた森の中から賑やかな街中へと出てきていた。頭上を覆い尽くす世界樹の枝葉によって木陰となっている街の通りには様々な店が多く並び、行商人も行き交って、とても賑わっている。美味しそうな匂いの饅頭や、色とりどりのお菓子。新鮮な野菜や肉も売っている。他にも装飾品の簪や帽子、扇子など沢山の品物で通りは溢れていた。
「確かに御神木のようなものかもしれませんが、少し違います。世界樹はこの大地に根を張り、世界を支えているのですが、物語を自身の栄養としているんです。創造者の紡いだ物語を世界樹に捧げる事で世界樹は生き続け、逆に物語が捧げられないと、世界樹は枯れ果て、支えていた大地は崩壊し、この世界は滅びてしまう。この世界の心臓とも言うべきものです」
生贄を捧げるようなものだろうか。つまりは俺の書いた物語を世界樹にお供えすればいいらしい。
とりあえず扶桑国の人たちにとって世界樹は神様であり、最も偉大な存在なのだそうだ。
「その、さっきから貴方のいう……物語っていうのは、小説とか?文章とか、そういう事でいいの?」
「リューシェンでいいですよ、旭。そうですね、それで間違いありません。貴方が現世で書いていた小説、文章と同じものです」
「え、てことは、俺はその世界樹の為に小説を書かなきゃいけなくて、そうしないと世界が滅ぶってこと?」
「そういう事です。理解したようですね。ちなみに、捧げられる物語の持つ力によってこの国の未来が左右されますから、適当なものを捧げる事は許されません。つまり、質が大事という事です」
その言葉に顔が真っ青になる。
質って、つまり物語の質ってことか?
今まで多くの小説を書いて、いくつもの賞に応募してきたけれど、確か最後に取った佳作が俺の中で最高の賞だった気がする。
やはり、俺じゃなくて直木賞作家あたりを連れてきた方が賢明だったに決まってる。あぁ、そうか、そもそも間違えて俺はここに連れてこられたんだった。
真っ青な顔をしている俺を見て、リューシェンは励ますように俺の肩を軽く叩いた。
「物語の質というのは、上手いか下手かということではありません。貴方が、どれほどの想いをその物語に込めたのかという事です。だからきっと大丈夫ですよ」
そう言って微笑むリューシェンの美しさに思わず目を瞑る。この美しさでこの慈悲深さ、今のところ悪い所が一つも見つけられない、善人の代名詞といえよう。
「そうだよ、一応俺が選んで連れてきたんだからお前の魂の質は間違いないって!だからさっさと書いてそれを証明しちまえよ」
シウはそう言うが、俺は自分自身の力を信じていない。それはどの賞に入選していないことからも明らかな気がする。
しかし二人は俺と違って随分楽観的に考えているようだった。
「そうですね。旭のお披露目もしなければなりませんし……。となると最初の締め切りは一週間後くらいにしておきましょうか。私も早く貴方の書いた物語を読んでみたいものです」
締め切り。
その単語を聞いた途端にぶるりと寒気が走り、全身の毛が逆立つ。まさか異世界でもその言葉を聞くことになるとは思わなかった。

◇◇◇

「さぁ、着きましたよ。ここが扶桑書院ふそうしょいんです」
辿り着いたのは谷に広がる広大な森の中に建てられたお屋敷だった。お屋敷というよりも、大きな寺といった方が近いかもしれない。
その屋敷のさらに奥、深い森からは山ほどもある巨大な樹の幹が見えている。おそらくあれが世界樹だろう。
「さぁ、どうぞ」
門をくぐると、そこには更に驚くような美しい光景が広がっていた。
右の山からは滝が流れ落ち、目の前に広がる森の中にお堂がいくつも立ち並んでいる。あたりは森林特有の澄み切った空気に満たされて、川を流れる清水の音が聞こえていた。不思議な鳥の鳴き声が聞こえ、なんとなく心が落ち着くような気がする。
「あの奥に見える巨大な樹が世界樹です。この扶桑書院は”文人ふみびと”を育成する為に造られたもので、学校みたいなものですね。ここでは多くの子供達が学んでいるのですよ」
森の中に続く石畳を歩きながらリューシェンはいくつかのお堂を指し示す。確かにお堂の中では多くの少年少女達が机に向かっていた。他にも、青緑色の中国風制服の様なものを見に纏った大人達が手にたくさんの書物を抱えて慌ただしくそこらじゅうを歩き回っている。
「文人?」
言霊ことだまを操る事のできる人間です。概念としては魔法使いや魔術師が近いでしょうか。『言葉には力が宿る』貴方の国でもそんな事を聞いたことはありませんか?」
たしかに、古代の日本から言霊信仰というものはあった。言葉には霊力が宿り、それが実際の現実に影響を及ぼすと考えるものだ。
よく、ネガティブ事ばかり言っているとその通りになる。と言われる事があるだろう、これだって下地は言霊信仰だ。
ちなみにこの考えは世界各国でも見出す事ができて、聖書に書かれている、神が「光あれ」と言葉を発した事で世界に光が現れた事もそうだ。魔法使いが呪文を唱えて魔法を使えるのも同じ原理に基づいていると言っていいだろう。
「そして文人の中でも世界樹に捧げる”物語”、つまり世界構築エネルギーを作り出せる事の出来る者をこの世界では創造者と呼びます。旭は小説を書くでしょう?キャラクターを考え、ストーリーをつくる。文人の中でも力の強い者が物語を作れば、それはもう一つの世界を生み出したのと同等の言霊、つまりエネルギーを秘めている。そして世界樹を生かす為にはそのエネルギーが必要不可欠というわけです。ちなみに、この世界には他にも国があって、それぞれの国に創造者がいるのですよ」
「他の国にも創造者がいるなら、俺をわざわざ異世界から呼び出す事もなかったんじゃないですか?」
「創造者は、一つの国に最低一人はいなければなりません。そうでなければ、その国の力が弱まってしまう。……今回は賭けでした。先代の抜けた穴を埋められる程の力を持つ者がこの世界では見つけられず、仕方なく異世界の創造者の魂を連れてくるしかないと……」
「で、間違って俺を連れてきてしまったと……」
「俺は間違えねぇよ!」
俺がリューシェンに突っ込むと、後ろを歩いていたシウが吠えた。
「そうです、そんな事を言わないでください。シウが選んだのです、旭には力がある。もっと自分を信じなさい」
リューシェンはそう言うが、ずっと物書きとして底辺にいた俺にはそんな凄い力があるなどと素直に認める事が出来なかった。
今までいくつもいくつも小説を書いてきた。でもそれが評価される事はなく、賞に応募しても予選落ちばかり。
面白くない。
説明が長すぎる。
キャラクターに個性が欠けている。
何が言いたいのかわからない。
ありとあらゆる事を言われてきた。何度筆を折ろうと思ったか、回数は計り知れない。そんな俺の書く物語に世界樹が望むほどの力があるとはとても思えない。

リューシェンに連れられ、俺たちは随分森の奥にある堂へとたどり着いた。随分とこじんまりとした建物だ。周りから聞こえてくるのは川のせせらぎと鳥の鳴き声だけ。先ほど子供達がたくさん居た学舎からはかなり離れている様だった。
「リューシェン様、お帰りなさいませ」
俺たちが堂の前に辿り着いたと同時に堂の入り口の扉が開かれ、一人の少年が顔を出した。
「ただいま。旭、こちらはハヌル、私の付き人で貴方の面倒も見てくれます。何かあったらこの子に言ってくださいね」
「ハヌルです」
ハヌルと名乗った少年はシウよりもかなり小柄で、随分と年下の様だった。14歳、もしかしたらもっと下かもしれない。真っ黒で艶々とした黒髪がきちんと切り揃えられたおかっぱ頭に、大きな目に目尻が釣り上がった猫目で随分可愛らしい顔立ちをしている。しかし落ち着きがあって、随分と大人びた態度をする子だった。
「ハヌル……くん。宜しく、芭墨旭です」
手を差し伸ばし、一回り小さな手と握手をする。
「ハヌル、で結構です。旭さんの方が歳上ですから」
顔色一つ変えずにハヌルは言う。訂正しよう。大人びたというよりも愛想がないという方がしっくりくる。
「リューシェン様、旭さんの服は如何しますか?」
「あ、そうか。流石にその格好では目立ちますね。とりあえず、制服を一式用意しておいてください。ちゃんとした服は後々、きちんと採寸して誂えましょうね。それじゃあハヌル、旭をしばらく頼みます。服を着せたら、禁足地きんそくちへ連れてきてください」
リューシェンはそう言い残すと、シウと共に部屋を出て行った。
部屋の中は人一人が住めるような生活空間となっていて、そこそこ広い。ベッドには布団が敷かれ、こじんまりとした机と椅子、それと箪笥が置かれていた。
ハヌルは青色の、旗袍チーパオによく似ている服を俺の目の前に置いた。
先ほど学舎で見かけた子供達もそういえばこんな服を着ていたような気がする。目の前にいるハヌルも同じ制服を着ていて、ただし皆の制服の色が青緑色なのに対して俺の制服は深い海のような青だった。
「俺のだけ色が違うみたいだけど……いいの?」
「はい。一時的なものですので。実はそれ、僕の兄のなんです。でも結局兄さんは着なかったから……旭さんが代わりに着てもらえると助かります」
「お兄さんの?俺は構わないけど……」
なぜハヌルのお兄さんが制服を着なかったのか、もしかしたらお兄さんは亡くなったのか?と邪推していると、ハヌルはこちらの様子に気がついたようだった。
「あ、兄さんは生きてますからね。ただ……途中で退学したんです。今はこの建物の向かい側にある木蓮館もくれんかん、つまりこの国の政府で働いてます」
「へぇー、てことは政治家か。ハヌルのとこはけっこうエリート家系なのか?」
俺が何気なしにそう言うと、ハヌルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そうですね、確かに。僕の家は少し特殊かもしれません」
なんだか家の事については少し触れない方がよさそうだ。俺は慌てて違う話題に話を切り替える。
「そうだ、あのさ、リューシェンって何者なの?」
「ご本人に聞けばいいじゃないですか」
「基本的な情報じゃなくて、他人からみたあいつが知りたいんだよ。なんとなく掴めない人だしさ」
悪人では……ないと思う。
今のところ俺からしたらとても優しい美男子ということしかわからない。しかしなんとも浮世離れしていて、何を考えているのかどうにも分かりづらいところがある。
「あいつ、だなんて……。言っときますけど、リューシェン様は旭さんが思ってるよりとても偉大な方なんですよ」
「あぁ、語り部かたりべとかいうやつなんだろ?」
「そうです、リューシェン様は世界樹と共に生まれ、この世界の記録と世界樹を見守り、この世界の歴史を語り継いでいく番人、それが語り部です。この国で最も神聖な方なんですから」
規模がでかすぎてイマイチ読み込めない。確か世界樹はこの世界を生み出した存在だったはずだから、その世界樹と一緒に生まれたということは……
「リューシェンって……今何歳なの?」
「詳しいお歳はよくわかりませんが、千は超えていたと思います」
そんなのほぼ仙人じゃないか。
雰囲気が仙人ぽいとは思っていたけど、本当に仙人みたいな奴だった事に驚くとともに、どこか腑に落ちた。
「ほら、さっさと着替えてください。旭さんにはやっていただかないといけない事が沢山あるんです。残念ながら、のんびりしている隙はありませんからね」
ハヌルに急かされ、急いでTシャツから用意された服へと着替えた。青い美しい布で誂えられた制服は少しだけ大きかったが、なかなかに着心地が良い。服の事は詳しくないが、施されている刺繍や生地を、観察するかぎりなかなか高価な服であることに間違いはないだろう。
首元のボタンを止めて着替え終わると、ハヌルは俺を連れてこの書院を案内してくれた。
この扶桑書院は大きな学舎といくつもの堂から成り立っていて、俺達が先程までいた堂のまわりには他にもいくつか建物があり、扶桑書院の学生達が暮らす生活空間となっている。簡単に言えば寮のようなものだ。
そしてそこから少し離れたところにメインとなる学舎があり、そこで一人前の文人になるべく、皆が勉学に励んでいる。学生達は小学生くらいの子達から大学生くらいの年齢までと、随分と幅広い。
「ここで学んでる人達はさ、文人ってやつになりたいんだろ?魔術師みたいなものって言ってたけど、てことは魔法が使えたりするの?それって俺にもできる?」
勉学に励む生徒達を窓越しに見つめながら俺はハヌルに問いかけた。
「うーん……僕にはなんとも断言できませんが。鍛錬を積めばできるのではないでしょうか?」
なんとも煮え切らない返事だが、魔法が使えるかもしれないというのは俺的に嬉しい話だった。これならば異世界転生した甲斐もあるというものだ。
「さて、旭さん。着きましたよ」
扶桑書院から世界樹の方へとずっと歩く事数十分、紙垂のついたしめ縄が張られるその先には、鬱蒼とした深い森が広がっていた。
「ここから先は禁足地です。創造者と、リューシェン様以外は立ち入る事ができません。このまま道を真っ直ぐ奥へ進めばリューシェン様がいらっしゃいますから、そこでお話を」
ハヌルが指し示した奥は薄暗い。足を踏み出すと、他の場所と空気が違うのがなんとなく肌で感じられる。
「わかった。案内ありがとう」
俺がそう言うと、ハヌルは手を合わせて頭を下げた。
この世界に転生して、一体自分が何をすべきなのか、何のためにやってきたのかいまいちまだ掴みきれていないところが山ほどある。その答えを得るために俺はさらに森の奥へと足を進めた。
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