8 / 22
ヒリキなぼくと公園と親たち
佐伯の本当の…夢
しおりを挟む
金網ごしからマンションが見えた。
佐伯が住むというマンションは、外壁の白いペンキが少しひび割れていて、少しボロっちい。マンションというより、団地って感じだ。
2号棟ってことは、どっちにしろ真ん中の棟だろう。エレベーターはない。手前と奥に階段があり、両方にそれぞれ部屋がある。どの部屋なんだろうと思って立ち止まっていると、光岡がなにも気にせず、敷地にずんずんと入って行く。
「確か、一番奥」
光岡は、そう声をかけてくれた。さすが情報通。案内をしてくれた光岡にお礼を言うことにした。
「帰ってもいいよ。ありがとう」
光岡はうんざりしたような顔をして、返事を返してきた。
「ここまでやってきて、それはないんじゃない? 気になるもん。付き合うよ」
さっき「怖い」と言っていなかったっけ。だから気をつかったのに…。
好奇心旺盛そうな光岡からすれば、この先がわからないほうが、いやなのかもしれない。実際、本当は一人で行くのが不安だったから、正直助かったとつい思ってしまった。
奥へと進むと、マンションの奥から声が聞こえてきた。一歩ずつ進むと、だんだん大きくなってきた。ドキドキした。ああ、ここだ。この家だ。なんとなくそんな気がした。近所から文句が出ないのだろうか。耳をそばだてると、かすれた低い声がする。
「おれに恥をかかす気か」という声が聞こえてきた。
そして、どしんというにぶい音がした。
一瞬、何が起きているのかが、わからなかった。殴ってる? 投げられている?
なんかそんな音がする。
光岡が保健室でお父さんとの様子を話してくれなかったっけ。そして、あの体のアザ、うつむいた佐伯の青白い顔。今まで佐伯のまわりで起こった出来事が頭の中をかけめぐった。
暴力?
手がふるえてきた。佐伯の態度や言葉、そして授業参観でのなどが、頭の中で歯車のようにかちっとはまった。佐伯は暴力を受けている、のか。だから、あんな目をしているのだろうか。
佐伯のお父さんの声がまた響いた。おなかから熱いものが、どんどんふくらんでいくような気がした。
ぼくは、たぶん怒っている。
それと同時に、この場からいなくなりたいという気持ちもわいてきた。あんな怖そうなところになんて行けない。そのままUターンしたい。光岡がいたから、かろうじて踏みとどまっていた。
その様子を見ていた光岡がぼくのそでを引っ張った。光岡は、平気なのか?
度胸があるっていうか、無神経っていうか。どっちだろう。今はその図太さに、今は感謝すべきなんだろうな。光岡はポケットをごそごそさせながら、ぼくをうながした。
「行こうよ。助けよう」
違う…んだ。光岡は無神経なんかじゃない。あの男とたたかって、佐伯を助ける気なんだ…。ヘタレなじ自分とは違って…。すごいな。
この暴力に満ちた声が聞こえないのか。怖い…。ぼくは、首を横にふった。
「ダメだ。少し待とう」
そう言うしかなかった。やっぱり怖い。様子をみたい。その二つの気持ちが、波のように寄せては返している。
光岡が、ちょっと怒ったように言った。
「えっ、なんで?」
理由。ぼくたちも巻きこまれて、ケガとかしたくない。けれど、それを言葉にできない。
光岡は、すぐにでも佐伯のところに行きたそうだ。待とう。あのお父さんには、今は会いたくない。避けなきゃ。引き止めなきゃ。光岡だけは守らなきゃ。
いや、そんなんじゃない。ただ嫌で、怖いんだ。
「どうしても。今は無理だよ。自転車置き場らへんで待って、様子をみよう。時間かかるかもしれないけど、いなくなる可能性もあるし」
光岡は、納得できない顔をしていたが、ぼくは動かなかった。
あたりを見まわした。このマンションに、ベンチや花壇はない。あるのは、門の脇にある自転車置き場くらい。それも、手入れされてなくて、さびだらけで荒れ果てている。佐伯の家の脇を見ると、エノコロ草がぼうぼうとしげっている。蚊も虫もいそう。
「困る。お昼ごはんまでには帰りたいんだけど…。さっさとやっつけよう」
光岡は、右腕を上に上げた。やけに現実的なことを言っている。
なんだ早く行きたかったのは、お昼ご飯のせい? 現実に引き戻されたような気がした。佐伯が心配だからじゃなく、自分の都合か。
なんだか少しがっかりした。
時計を見ると、11時を過ぎている。そういう時間か。
自分は、お昼のお金をもらっているし、「塾に行った」と言えば、言い訳もできる。光岡の家はそういう感じじゃなさそう、光岡に昼ご飯抜きはキツいだろうな。それに彼女がいないほうが、心配しない分だけ、ぼくのほうが身軽だ。
「じゃあ、一度帰ったほうがいいよ。どのくらいかかるかわからないし。光岡を危ない目にあわせたくない。あとからちゃんと報告するから」
光岡は自分で言ったのに、どこか不満そうだ。けれど、今回は引いてもらわなきゃ。
「わかった。絶対だよ。スマホある?」
光岡は半分納得しかねるけど、腹ペコには負けるという顔をした。そして、スマホを取り出し、無理やり連絡先を交換させられた。そして、「ご飯食べたら、すぐに戻ってくるから」と言い残し、光岡はダッシュして帰っていった。
◇ ◇
おしゃべりな光岡がいなくなって、ぽかんとした時間が生まれた。
らしくもないことをしている。そういう自覚はあった。
作文のこと、プラモのこと、いつもの自分ならスルーしてきたこと。だけど、行動することで何か変わりそうな感じ。その何かはわからないけど…。息がつまるこの世界が動き出しているような気がした。
同時に、佐伯は大丈夫なのだろうかという不安に変わった。どうすればいいんだろう。ぼくにできることはないのかな。友だちになって、話を聞いてあげる、とか…。そんな、らしくもないことを考え続けた。
◇ ◇
ガタン
半をまわった頃、佐伯家の玄関の扉が開いた。こういう時、視力がよいことに感謝。
けっこう離れていても、よく見える。隠れるようにすぐにマンションの裏にまわった。夏草のしめりけのあるにおいがぷんとした。足がむずがゆい。じっと観察していると、そのまま佐伯のお父さんは、すたすたと門をくぐって出ていった。
絶対に戻ってこない。そう自分に言い聞かせた。ぼく史上、最大級の勇気を出した。大きく息をして、ゆっくりと奥の家に向かった。そして、チャイムを押した。蚊に数か所刺されていた。かゆっ。
◇ ◇
チャイムを何回押しても、佐伯はなかなか出てくる様子がなかった。聞こえているのだろうか。ドアをガンガンたたいて、大声で「いるんだろ」と叫ぶと、中から動く気配がした。2~3分すると、がちゃっという音とともに、鉄の扉が開いた。玄関は、昼だというのにうす暗く、靴が散乱している。なんだかかびくさい。
「何?」
ぶっきらぼうな声がした。失礼な。親切な同級生が、かばんを持ってやってきたのに。
「これ」
とかばんを上げて、見せると、「ああ」と納得したようだった。
「学校に置いていっただろ。持ってきた」
「ありがとう」
と、かばんを受け取ってくれた。
何を言えばいいんだろう。一人になりたそうだ。かと言って、佐伯をそのままにしておくわけにはいかない、絶対に。そう思った。そこで、佐伯が罠にかかりそうな言葉をくり出すことにした。
「おなかすいていない? おごるよ」
今、佐伯と話をするなら、食い物で釣るのがたぶん一番早い。案の定、ひっかかった。
◇ ◇
「家にいたくない」と佐伯が言ったので、第2公園に行くことにした。
光岡には、LINEで『会えたけど、今は来ないでほしい』とだけ連絡した。
そして、公園の前にあるコンビニで、ツナマヨおにぎりとからあげを買った。手持ちが2000円ちょっとに減った。プラモ購入計画資金、さようなら。ここで使うのはもったいないことはわかってる。だけど、まあしょうがない。必要経費ってやつだ。
第2公園には、お昼だからだろうか、だれもいない。がらんとしていた。小さい頃と同じ風景だ。でも、あの頃とは違う。もう砂場でなんて遊べない。ちょっぴり大人になったんだ。戻れない。胸が少しきゅっとなった。
ペンキがはげかかっているベンチに二人で座った。
「おつかれ」
ツナマヨとからあげのおかげか、満たされた顔をしている佐伯に言った。
「別に」
「大丈夫?」
「何が?」
と、佐伯が答えた。
ぼくから目をそらした。ごまかしている。何も言う気はなさそうだ。父親から殴られているに違いない。言いたくないだろうな。わからないでもない。殴られたことはないけど、自分の気持ちを無視する母親がいる。程度の差はすごくあるけど、似ているような気がする。
「アザさ、柔道じゃないだろ」
「…違うよ。柔道だよ」
まだごまかす。けど、無理に言わせたくない。どうすればいい? 素直に言うか。
「どなり声が聞こえたよ」
佐伯はしばらく黙っていた。そして、首を横にふり、あきらめたようにため息をついた。
「聞こえたんだ。言うつもり…、なかったんだけどな」
「ごめん。助けられなかった。動けなかった」
「そんなの、わかってる。誰かに助けてもらおうなんて思ったことはないよ。親父をどうにかしようとしても、無理だから」
助けられなかったことなんて、気にもしていない。あきらめているんだ。
一緒だ。ぼくもあきらめている。ぼくが佐伯にできることってあるのかな。本当に何も出来ないヒリキな自分…。まず佐伯を理解することが大事かもしれない。
わかりあえるのかな。自分のことを話してみようか。気持ちをわかってもらっても、暴力から抜け出す手助けにはならない。自分勝手と思われるかもしれない。でも…自分も親に困ってる、つらいってことを知ってくれれば、同じだってわかってくれれば、何か変わるかもしれない。ここで言わなかったら、きっと後悔する。なんとなくそういう気がした。
「あのさ、自分の話をするね。ぼくと佐伯は似てるよ。暴力はないけど。親は、ぼくを好きじゃない。自分の成績やステイタスが好きなんだ。勉強させて、いい学校に入れれば、自慢できるって、そう思ってる。ぼくの意思なんて関係ないんだ」
一つずつ言葉にしてみる。
「…別に何もされてないだろ」
佐伯は、暴力を受けているから、そう言うんだ。目が怖い。殴られそうだ。
「そうだね。殴る、けるっていう暴力はね、ないよ。でも、自分の意見や気持ちは無視されているんだ。中学受験なんてしたくなかったけど、いつの間にか決まってたりしてた。『将来のため』っていう言葉で、都合よくねじまげられてさ。そういうの、ひどくね? 一種の暴力だよ。色々追い立てられて、疲れちゃった。だから、親のことを信じることができなくってさ。早く大人になって、家を出ることだけを楽しみなんだ」
わざと軽く言ってみる。佐伯は口を閉ざしたままだ。
「親って、勝手だよ。お前のためって言いながら、本当は自分のためなんだ。暴力も、強制も一緒。子どもの気持ちなんて、全然考えてない。子どもはヒリキなんだ」
佐伯は、まだ黙ったままだ。
自分と佐伯はレベルが違いすぎるのかも。言いたくないんだな。そう佐伯はひどい目にあってる。自分ごときが小さな悩みを言っても、佐伯には響かないのだろうな。ぼくは佐伯よりはマシなんだろう。でも、それでも、ぼくはぼくでつらい。それぞれ違うつらさをかかえているんだ。
「もう何も言わなくていいよ。佐伯だけじゃなく、親にひどいことをされてる人間は他にもいることだけは、わかってほしい」
佐伯が受けているのは、たぶんギャクタイっていうものだ。それを直接、「虐待を受けているだろう」と言うのは、佐伯にとっていいことなのかはわからない。だって、つらい出来事や気持ちを話すのって、めちゃくちゃ勇気がいる。ぼくだって、この話を他人にするつもりなんて、全然なかった。けど、佐伯と向き合うためには、言わなきゃいけないと思ったから…、言ったんだ。
佐伯は、ずっと空を見ながら、しばらくの間。黙っていた。何を考えているんだろう。
自分勝手かもしれないけど、自分のことを言えたし、あとはそっとしておこう。決めるのは佐伯自身だ。いつか話をしてくれるかもしれない。それまで待とう。そう思った。ベンチからゆっくりと立ち上がった。
「帰るよ。自分の話だけして悪かったな。いつでもいいから、いつか話したくなったら話して。待ってる。味方だってことだけはわかってくれると、嬉しい」
これだけは言いたかった。今じゃなくていい。佐伯が言いたくなるまで、待とう。今はそれしかできない。
佐伯も、立ち上がった。何か言いたそうだ。だけど、ためらっている感じがした。
これ以上、佐伯の傷口をえぐりとるようなことはしたくない。自分だって、母親のことをどう話したらいいのかわからなかった。それと一緒だ。
すると、いきなり佐伯は、ぼくの腕をつかんだ。
「あのさ…」
佐伯は、何回かため息をついた。そして、また空を見上げ、深く息を吸った。
「おれの本当の夢を教えよっか」
本当の夢? 『将来の夢(仮)』の中で書いたダンサーではなく?
「本当の夢は、親父をやっつけて、殴られなくなることなんだ」
息をのんだ。えっ、やっつける? 人それが夢? そんな夢あるのか。怖い。瞬間的にそう思った。
ぼくもアレから自由になりたいってずっと思っている。だけど、やっつけたいなんて一度も考えたことはない。言葉が何も出てこない。
「そうしないと、いつか死んじゃうじゃないかなって思う」
佐伯はそうぽつりと言った。
佐伯が住むというマンションは、外壁の白いペンキが少しひび割れていて、少しボロっちい。マンションというより、団地って感じだ。
2号棟ってことは、どっちにしろ真ん中の棟だろう。エレベーターはない。手前と奥に階段があり、両方にそれぞれ部屋がある。どの部屋なんだろうと思って立ち止まっていると、光岡がなにも気にせず、敷地にずんずんと入って行く。
「確か、一番奥」
光岡は、そう声をかけてくれた。さすが情報通。案内をしてくれた光岡にお礼を言うことにした。
「帰ってもいいよ。ありがとう」
光岡はうんざりしたような顔をして、返事を返してきた。
「ここまでやってきて、それはないんじゃない? 気になるもん。付き合うよ」
さっき「怖い」と言っていなかったっけ。だから気をつかったのに…。
好奇心旺盛そうな光岡からすれば、この先がわからないほうが、いやなのかもしれない。実際、本当は一人で行くのが不安だったから、正直助かったとつい思ってしまった。
奥へと進むと、マンションの奥から声が聞こえてきた。一歩ずつ進むと、だんだん大きくなってきた。ドキドキした。ああ、ここだ。この家だ。なんとなくそんな気がした。近所から文句が出ないのだろうか。耳をそばだてると、かすれた低い声がする。
「おれに恥をかかす気か」という声が聞こえてきた。
そして、どしんというにぶい音がした。
一瞬、何が起きているのかが、わからなかった。殴ってる? 投げられている?
なんかそんな音がする。
光岡が保健室でお父さんとの様子を話してくれなかったっけ。そして、あの体のアザ、うつむいた佐伯の青白い顔。今まで佐伯のまわりで起こった出来事が頭の中をかけめぐった。
暴力?
手がふるえてきた。佐伯の態度や言葉、そして授業参観でのなどが、頭の中で歯車のようにかちっとはまった。佐伯は暴力を受けている、のか。だから、あんな目をしているのだろうか。
佐伯のお父さんの声がまた響いた。おなかから熱いものが、どんどんふくらんでいくような気がした。
ぼくは、たぶん怒っている。
それと同時に、この場からいなくなりたいという気持ちもわいてきた。あんな怖そうなところになんて行けない。そのままUターンしたい。光岡がいたから、かろうじて踏みとどまっていた。
その様子を見ていた光岡がぼくのそでを引っ張った。光岡は、平気なのか?
度胸があるっていうか、無神経っていうか。どっちだろう。今はその図太さに、今は感謝すべきなんだろうな。光岡はポケットをごそごそさせながら、ぼくをうながした。
「行こうよ。助けよう」
違う…んだ。光岡は無神経なんかじゃない。あの男とたたかって、佐伯を助ける気なんだ…。ヘタレなじ自分とは違って…。すごいな。
この暴力に満ちた声が聞こえないのか。怖い…。ぼくは、首を横にふった。
「ダメだ。少し待とう」
そう言うしかなかった。やっぱり怖い。様子をみたい。その二つの気持ちが、波のように寄せては返している。
光岡が、ちょっと怒ったように言った。
「えっ、なんで?」
理由。ぼくたちも巻きこまれて、ケガとかしたくない。けれど、それを言葉にできない。
光岡は、すぐにでも佐伯のところに行きたそうだ。待とう。あのお父さんには、今は会いたくない。避けなきゃ。引き止めなきゃ。光岡だけは守らなきゃ。
いや、そんなんじゃない。ただ嫌で、怖いんだ。
「どうしても。今は無理だよ。自転車置き場らへんで待って、様子をみよう。時間かかるかもしれないけど、いなくなる可能性もあるし」
光岡は、納得できない顔をしていたが、ぼくは動かなかった。
あたりを見まわした。このマンションに、ベンチや花壇はない。あるのは、門の脇にある自転車置き場くらい。それも、手入れされてなくて、さびだらけで荒れ果てている。佐伯の家の脇を見ると、エノコロ草がぼうぼうとしげっている。蚊も虫もいそう。
「困る。お昼ごはんまでには帰りたいんだけど…。さっさとやっつけよう」
光岡は、右腕を上に上げた。やけに現実的なことを言っている。
なんだ早く行きたかったのは、お昼ご飯のせい? 現実に引き戻されたような気がした。佐伯が心配だからじゃなく、自分の都合か。
なんだか少しがっかりした。
時計を見ると、11時を過ぎている。そういう時間か。
自分は、お昼のお金をもらっているし、「塾に行った」と言えば、言い訳もできる。光岡の家はそういう感じじゃなさそう、光岡に昼ご飯抜きはキツいだろうな。それに彼女がいないほうが、心配しない分だけ、ぼくのほうが身軽だ。
「じゃあ、一度帰ったほうがいいよ。どのくらいかかるかわからないし。光岡を危ない目にあわせたくない。あとからちゃんと報告するから」
光岡は自分で言ったのに、どこか不満そうだ。けれど、今回は引いてもらわなきゃ。
「わかった。絶対だよ。スマホある?」
光岡は半分納得しかねるけど、腹ペコには負けるという顔をした。そして、スマホを取り出し、無理やり連絡先を交換させられた。そして、「ご飯食べたら、すぐに戻ってくるから」と言い残し、光岡はダッシュして帰っていった。
◇ ◇
おしゃべりな光岡がいなくなって、ぽかんとした時間が生まれた。
らしくもないことをしている。そういう自覚はあった。
作文のこと、プラモのこと、いつもの自分ならスルーしてきたこと。だけど、行動することで何か変わりそうな感じ。その何かはわからないけど…。息がつまるこの世界が動き出しているような気がした。
同時に、佐伯は大丈夫なのだろうかという不安に変わった。どうすればいいんだろう。ぼくにできることはないのかな。友だちになって、話を聞いてあげる、とか…。そんな、らしくもないことを考え続けた。
◇ ◇
ガタン
半をまわった頃、佐伯家の玄関の扉が開いた。こういう時、視力がよいことに感謝。
けっこう離れていても、よく見える。隠れるようにすぐにマンションの裏にまわった。夏草のしめりけのあるにおいがぷんとした。足がむずがゆい。じっと観察していると、そのまま佐伯のお父さんは、すたすたと門をくぐって出ていった。
絶対に戻ってこない。そう自分に言い聞かせた。ぼく史上、最大級の勇気を出した。大きく息をして、ゆっくりと奥の家に向かった。そして、チャイムを押した。蚊に数か所刺されていた。かゆっ。
◇ ◇
チャイムを何回押しても、佐伯はなかなか出てくる様子がなかった。聞こえているのだろうか。ドアをガンガンたたいて、大声で「いるんだろ」と叫ぶと、中から動く気配がした。2~3分すると、がちゃっという音とともに、鉄の扉が開いた。玄関は、昼だというのにうす暗く、靴が散乱している。なんだかかびくさい。
「何?」
ぶっきらぼうな声がした。失礼な。親切な同級生が、かばんを持ってやってきたのに。
「これ」
とかばんを上げて、見せると、「ああ」と納得したようだった。
「学校に置いていっただろ。持ってきた」
「ありがとう」
と、かばんを受け取ってくれた。
何を言えばいいんだろう。一人になりたそうだ。かと言って、佐伯をそのままにしておくわけにはいかない、絶対に。そう思った。そこで、佐伯が罠にかかりそうな言葉をくり出すことにした。
「おなかすいていない? おごるよ」
今、佐伯と話をするなら、食い物で釣るのがたぶん一番早い。案の定、ひっかかった。
◇ ◇
「家にいたくない」と佐伯が言ったので、第2公園に行くことにした。
光岡には、LINEで『会えたけど、今は来ないでほしい』とだけ連絡した。
そして、公園の前にあるコンビニで、ツナマヨおにぎりとからあげを買った。手持ちが2000円ちょっとに減った。プラモ購入計画資金、さようなら。ここで使うのはもったいないことはわかってる。だけど、まあしょうがない。必要経費ってやつだ。
第2公園には、お昼だからだろうか、だれもいない。がらんとしていた。小さい頃と同じ風景だ。でも、あの頃とは違う。もう砂場でなんて遊べない。ちょっぴり大人になったんだ。戻れない。胸が少しきゅっとなった。
ペンキがはげかかっているベンチに二人で座った。
「おつかれ」
ツナマヨとからあげのおかげか、満たされた顔をしている佐伯に言った。
「別に」
「大丈夫?」
「何が?」
と、佐伯が答えた。
ぼくから目をそらした。ごまかしている。何も言う気はなさそうだ。父親から殴られているに違いない。言いたくないだろうな。わからないでもない。殴られたことはないけど、自分の気持ちを無視する母親がいる。程度の差はすごくあるけど、似ているような気がする。
「アザさ、柔道じゃないだろ」
「…違うよ。柔道だよ」
まだごまかす。けど、無理に言わせたくない。どうすればいい? 素直に言うか。
「どなり声が聞こえたよ」
佐伯はしばらく黙っていた。そして、首を横にふり、あきらめたようにため息をついた。
「聞こえたんだ。言うつもり…、なかったんだけどな」
「ごめん。助けられなかった。動けなかった」
「そんなの、わかってる。誰かに助けてもらおうなんて思ったことはないよ。親父をどうにかしようとしても、無理だから」
助けられなかったことなんて、気にもしていない。あきらめているんだ。
一緒だ。ぼくもあきらめている。ぼくが佐伯にできることってあるのかな。本当に何も出来ないヒリキな自分…。まず佐伯を理解することが大事かもしれない。
わかりあえるのかな。自分のことを話してみようか。気持ちをわかってもらっても、暴力から抜け出す手助けにはならない。自分勝手と思われるかもしれない。でも…自分も親に困ってる、つらいってことを知ってくれれば、同じだってわかってくれれば、何か変わるかもしれない。ここで言わなかったら、きっと後悔する。なんとなくそういう気がした。
「あのさ、自分の話をするね。ぼくと佐伯は似てるよ。暴力はないけど。親は、ぼくを好きじゃない。自分の成績やステイタスが好きなんだ。勉強させて、いい学校に入れれば、自慢できるって、そう思ってる。ぼくの意思なんて関係ないんだ」
一つずつ言葉にしてみる。
「…別に何もされてないだろ」
佐伯は、暴力を受けているから、そう言うんだ。目が怖い。殴られそうだ。
「そうだね。殴る、けるっていう暴力はね、ないよ。でも、自分の意見や気持ちは無視されているんだ。中学受験なんてしたくなかったけど、いつの間にか決まってたりしてた。『将来のため』っていう言葉で、都合よくねじまげられてさ。そういうの、ひどくね? 一種の暴力だよ。色々追い立てられて、疲れちゃった。だから、親のことを信じることができなくってさ。早く大人になって、家を出ることだけを楽しみなんだ」
わざと軽く言ってみる。佐伯は口を閉ざしたままだ。
「親って、勝手だよ。お前のためって言いながら、本当は自分のためなんだ。暴力も、強制も一緒。子どもの気持ちなんて、全然考えてない。子どもはヒリキなんだ」
佐伯は、まだ黙ったままだ。
自分と佐伯はレベルが違いすぎるのかも。言いたくないんだな。そう佐伯はひどい目にあってる。自分ごときが小さな悩みを言っても、佐伯には響かないのだろうな。ぼくは佐伯よりはマシなんだろう。でも、それでも、ぼくはぼくでつらい。それぞれ違うつらさをかかえているんだ。
「もう何も言わなくていいよ。佐伯だけじゃなく、親にひどいことをされてる人間は他にもいることだけは、わかってほしい」
佐伯が受けているのは、たぶんギャクタイっていうものだ。それを直接、「虐待を受けているだろう」と言うのは、佐伯にとっていいことなのかはわからない。だって、つらい出来事や気持ちを話すのって、めちゃくちゃ勇気がいる。ぼくだって、この話を他人にするつもりなんて、全然なかった。けど、佐伯と向き合うためには、言わなきゃいけないと思ったから…、言ったんだ。
佐伯は、ずっと空を見ながら、しばらくの間。黙っていた。何を考えているんだろう。
自分勝手かもしれないけど、自分のことを言えたし、あとはそっとしておこう。決めるのは佐伯自身だ。いつか話をしてくれるかもしれない。それまで待とう。そう思った。ベンチからゆっくりと立ち上がった。
「帰るよ。自分の話だけして悪かったな。いつでもいいから、いつか話したくなったら話して。待ってる。味方だってことだけはわかってくれると、嬉しい」
これだけは言いたかった。今じゃなくていい。佐伯が言いたくなるまで、待とう。今はそれしかできない。
佐伯も、立ち上がった。何か言いたそうだ。だけど、ためらっている感じがした。
これ以上、佐伯の傷口をえぐりとるようなことはしたくない。自分だって、母親のことをどう話したらいいのかわからなかった。それと一緒だ。
すると、いきなり佐伯は、ぼくの腕をつかんだ。
「あのさ…」
佐伯は、何回かため息をついた。そして、また空を見上げ、深く息を吸った。
「おれの本当の夢を教えよっか」
本当の夢? 『将来の夢(仮)』の中で書いたダンサーではなく?
「本当の夢は、親父をやっつけて、殴られなくなることなんだ」
息をのんだ。えっ、やっつける? 人それが夢? そんな夢あるのか。怖い。瞬間的にそう思った。
ぼくもアレから自由になりたいってずっと思っている。だけど、やっつけたいなんて一度も考えたことはない。言葉が何も出てこない。
「そうしないと、いつか死んじゃうじゃないかなって思う」
佐伯はそうぽつりと言った。
0
あなたにおすすめの小説
独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。
猫菜こん
児童書・童話
小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。
中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!
そう意気込んでいたのに……。
「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」
私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。
巻き込まれ体質の不憫な中学生
ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主
咲城和凜(さきしろかりん)
×
圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良
和凜以外に容赦がない
天狼絆那(てんろうきずな)
些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。
彼曰く、私に一目惚れしたらしく……?
「おい、俺の和凜に何しやがる。」
「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」
「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」
王道で溺愛、甘すぎる恋物語。
最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。
14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート
谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。
“スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。
そして14歳で、まさかの《定年》。
6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。
だけど、定年まで残された時間はわずか8年……!
――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。
だが、そんな幸弘の前に現れたのは、
「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。
これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。
描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました
藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。
相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。
さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!?
「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」
星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。
「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」
「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」
ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や
帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……?
「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」
「お前のこと、誰にも渡したくない」
クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。
運よく生まれ変われたので、今度は思いっきり身体を動かします!
克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞」重度の心臓病のため、生まれてからずっと病院のベッドから動けなかった少年が12歳で亡くなりました。両親と両祖父母は毎日のように妾(氏神)に奇跡を願いましたが、叶えてあげられませんでした。神々の定めで、現世では奇跡を起こせなかったのです。ですが、記憶を残したまま転生させる事はできました。ほんの少しだけですが、運動が苦にならない健康な身体と神与スキルをおまけに付けてあげました。(氏神談)
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
【完結】キスの練習相手は幼馴染で好きな人【連載版】
猫都299
児童書・童話
沼田海里(17)は幼馴染でクラスメイトの一井柚佳に恋心を抱いていた。しかしある時、彼女は同じクラスの桜場篤の事が好きなのだと知る。桜場篤は学年一モテる文武両道で性格もいいイケメンだ。告白する予定だと言う柚佳に焦り、失言を重ねる海里。納得できないながらも彼女を応援しようと決めた。しかし自信のなさそうな柚佳に色々と間違ったアドバイスをしてしまう。己の経験のなさも棚に上げて。
「キス、練習すりゃいいだろ? 篤をイチコロにするやつ」
秘密や嘘で隠されたそれぞれの思惑。ずっと好きだった幼馴染に翻弄されながらも、その本心に近付いていく。
※現在完結しています。ほかの小説が落ち着いた時等に何か書き足す事もあるかもしれません。(2024.12.2追記)
※「キスの練習相手は〜」「幼馴染に裏切られたので〜」「ダブルラヴァーズ〜」「やり直しの人生では〜」等は同じ地方都市が舞台です。(2024.12.2追記)
※小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、ノベルアップ+、Nolaノベル、ツギクルに投稿しています。
※【応募版】を2025年11月4日からNolaノベルに投稿しています。現在修正中です。元の小説は各話の文字数がバラバラだったので、【応募版】は各話3500~4500文字程になるよう調節しました。67話(番外編を含む)→23話(番外編を含まない)になりました。
合言葉はサンタクロース~小さな街の小さな奇跡
辻堂安古市
絵本
一人の少女が募金箱に入れた小さな善意が、次々と人から人へと繋がっていきます。
仕事仲間、家族、孤独な老人、そして子供たち。手渡された優しさは街中に広がり、いつしか一つの合言葉が生まれました。
雪の降る寒い街で、人々の心に温かな奇跡が降り積もっていく、優しさの連鎖の物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる