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ヒリキなぼくと公園と親たち
佐伯の告白
しおりを挟む「そうしないと、いつか死んじゃうじゃないかなって思う」
佐伯はそうぽつりと言うと、おずおずとTシャツのすそをめくった。
赤いアザ、青いアザが、彼の背中や腹にいくつもあった。スーパーで会った時、見えたけど、こんなにちゃんと見てはいなかった。言葉が出てこなかった。暴力を受けて、できたアザ…、やっぱり。
「小2の時、お袋が急にいなくなった。それまでは、親父の暴力から守ってくれてたんだけど…な」
どう言ったらいいんだろう。どんな言葉も佐伯にとって、なぐさめにならないだろう。何も言えない。
「暴力ってさ、本当に…何なんだろう。もう疲れた。どうすればいいのかな…」
佐伯は、小さくうめくように言った。佐伯の目から一筋の涙がこぼれた。
「佐伯…」
佐伯が、ぼくの顔をじっと見ている。気がつくと、ぼくの目からも、涙がこぼれておちている。涙が出ていることにも気がつかなかった。ぼく、泣いてる?
「ごめん。何て言ったらいいのか。つらかったんだろうなって思うとさ…」
鼻水も出てきた。顔がぐしゃぐしゃだ。
「ごめん。つらいのに、ごめん」
涙がとまらない。そして、なぜか自然と出てくるのは、「ごめん」という言葉。なぜぼくは謝っているのだろうか。
「謝る理由なんてないよ。渋谷は悪いことしてないし。ばかだよ」
わかった。悪いことはしていない。けれど、佐伯の心の奥底にずっと隠しておいた様々な感情を無理やりこじ開けてしまったような気がした。そのことに「ごめん」なんだ。
「ばかで悪いな。止まらないだけだよ」
佐伯は笑った。お互い涙が止まらない。
誰もいないちっぽけな公園で、ぼくたち二人は、ただ泣いて、少し笑った。ぼくと佐伯は、その時、友だちになったのだと思う。
雲が切れて、太陽が輝き出した。空を見上げた。公園の木々の葉からもれてくる光がまぶしかった。
◇ ◇
少しの間、ぼくと佐伯は話もせずに、空を見ていた。話さなきゃと思えば思うほど、言葉が出てこない。佐伯の気持ちを知りたかった。やっとふりしぼって出た言葉は一言だけ。
「どうしたいの?」
暴力の手伝いをする気はまったくない。というか、考えたこともない。お父さんを殺したり、傷つけたりしなくても、生きる方法ってどこかにあるはずなんじゃないかな。
「親父ってさ、警察官の中で、けっこう偉い地位みたいなんだ。警部補ってやつ。柔道も強くて、警察で武道の教官もしてる。教え子も多いしさ。きっと警察に言っても、きっと何も変わらない」
佐伯はあきらめてる。父親の立場や自分のまわりのことを理解してる。その上で、今どうすればいいのかわからないんだ。けど、警察の偉い人だからって、何をしてもいいわけじゃないはず。こんなことが許されていいんだろうか。
「渋谷だって、このままでいいわけ?」
ぼくの計画では、受験して、母親が満足する学校にとりあえず入る。大学を卒業するまで、最短12年か。長い。今まで生きていた時間より長い。
時間をかけて自由を取り戻さなきゃ。そのくらいしか思いつかない。大人になって自由になる実力をつければ、逃げることができるかもしれない。だけど、佐伯の場合、そんなに待てないんじゃないだろうか。下手をしたら、命に関わるかもしれない。
「ぼくは、大人になって、家を出ればなんとかなる。それまでは我慢するしかない。佐伯の場合は、そのままにしておけない。まじで死ぬかもしれないじゃない」
どうすればいいんだろう。どうすれば助けられるのだろう。
「親父の暴力は、もうどうしようもないし、自分が死ぬか、親父を殺すかしかないって思ってた」
そっか、そんなに切羽つまってたんだ。
「最近、渋谷が急に近づいてきて…。最初うわって感じだった。でもありがたかった」
そう思ってくれてたんだ。ぼくも同じだ。けど、うわってなんなんだよ、うわって…。
「何で、お父さん、授業参観に来たわけ?」
「わかんない。たぶん遠藤先生が呼んだんじゃないかな。『何で発表しないんだ』って言ってたし」
「発表するの、いやだったでしょ」
佐伯はうなずいた。
「あの人は、おれが『将来の夢は警察官です。』って発表すると思ってたのかも。そう言ってたし。自分を殴っている人と同じ職業なんて絶対ヤダ。『お袋と行っていた教室が楽しかったから。ダンサーになりたいです。』なんて発表したら、きっとひどく殴られるのはわかってた。軽いのが嫌いな人だから。そしたら、いつの間にか身体が固まってた」
遠藤先生もよけいなことを…。善意だと思ってしたことが、ひどくなることってよくあるみたいだけどさ。遠藤先生は、佐伯が虐待を受けていることを知らないんだろうか。ぼくたちが、クラスで浮いていることを知っていたのに、何もせずに目をつぶっていた人。
自分の見たいことしか見ない。相談するだけムダなんだろうな。
「保健室の時、教頭先生、かばってくれなかったの?」
「止めてくれた。親父に色々言ってたけど」
で、帰ったら、あれか。
「どうしたい?」
とりあえず、佐伯の希望を聞いてみる。
「例えばさ、お母さんのとこに行くとかさ、親せきの家に行くとか。あと、施設っていうのもあるよ」
とりあえず、逃げられそうな所を手あたり次第あげてみる。
「どうしたいのかって言われても…。それにさ、お袋がどこにいるのかわからないんだ。施設? 施設って何?」
施設というのは、親に問題がある子どもを預かる場所だ。具体的にどういう場所かはわかんないけど、そういう場所があるってことは、聞いたことがある。自分が知る限りのことをていねいに説明した。
「施設か…。親父が手をまわして、入れなくするんじゃないかな」
警察官って、そんなに権力あるのか。逃げられないものなのだろうか。弱い人たちのためにあるのが警察なんじゃないか。学校だって一緒だ。生徒のためにあるのに…。ハブられた時、先生は助けてくれなかった。だけど、佐伯は? あんな暴力受けて、夢は親を殺すことだよ。そんなひどいことをそのままほうっておいていいのかな。
「何がいい方法ないかな…。調べてみるわ」
「方法って、何? 何、話してんの?」
光岡が、いきなりひょっと現れた。
◇ ◇
ベンチの後から、突然現れたから、びびった。後から来るなよ、前から来い、前から。あせるじゃん。光岡の足を見ると、けっこう蚊に刺された跡がある。
「深刻そうな話をしてるから、話、聞いてやろうと思ってさ。『方法』のとこからしか聞こえなかったけど」
と、光岡はにやっと笑った。
「ご飯は?」
「もう食べたよ。昨日の残りのカレー」
光岡は、佐伯の肩に手を乗せた。
「身体、大丈夫? 痛くない?」
そして、えりを少しひっぱって、服の中を光岡はのぞきこんだ。うわっ、彼女のいきなりな行動にびっくりした。
「うっわー、やっぱりアザあるんだ。なかなかひどそう」
時間をかけて、少しずつ佐伯と話を進めているのに、光岡は、それをいとも簡単に乗り越え、ずかずかと分け入っていく。近所のおせっかいおばちゃんか。
「やめろよ」
佐伯が光岡の手をふりはらった。いくらなんでも、服の中を見るなんて、やりすぎだ。光岡は人との距離のとりかたがわかってない。近すぎ。光岡と佐伯は単なる同級生にすぎない。
佐伯の目が、急にギラギラして始めていた。やばい。誰一人として自分に立ち入れさせたくないって感じ。でも、光岡は何もわかってない様子で、そのまま話を続けた。
「だって、言ったって、見せてくれないでしょ。ちゃんと知りたかったんだもん。佐伯くんのことだから、きっと隠す。これ、虐待っていうんでしょ。テレビで見たことある」
と、光岡は、きっぱりした口調で言った。
「ね、これ写真に撮ろう。証拠にもなるし、できたての、一番ひどいのを撮っておいたほうがいいって」
できたてって…。話す暇を与えず、がんがんしゃべる。
「ねえ、渋谷くん、佐伯くんの服、めくって。アザの写真撮ろうよ」
佐伯の目がどんどんつりあがってきた。怖い。止めたいけど、どうやって止めればいい?
それにしたって。光岡、佐伯の気持ち、無視しすぎだ。服をまためくろうとする光岡の手を、佐伯がふりはらった。
「いやだって、言ってるだろう」
と、佐伯がどなった。光岡も負けじと返した。
「じゃあ、何でそうお父さんに言わなかったのよ。何で拒否らなかったわけ? 私の手をふりはらえるなら、できるはずじゃない。そんなんダメじゃん」
あのどなり声…。光岡、それは無理だ。ぼくたちは子どもで、相手は力のある大人だ。
「こんなことをする人がいるなんて、信じられない。絶対に許せない。私、決めたから、佐伯を守るって」
光岡は、大きく太い声を出した。その力強い言葉に彼女の本気さが伝わってきた。
「そんなこと、できるなら、とっくにやってるよ!」
佐伯は、光岡に負けないくらいの大声で叫んだ。思わず、周囲を確認した。まだ人は来ていない。よかった、このけんかを見られなくて。光岡は黙りこんだ。佐伯の言うとおり、彼女が決めたからって、虐待が止まるわけじゃない。
「佐伯のお父さんは警察官なんだ。だから、簡単にはいかないよ」
これまでの事情を光岡に説明しようとした。
「知ってる。聞いたことある。でもさ、違くない? 警察官だからって、何してもいいの? そんなことないよね。突撃したかったのに、止めるしさ」
光岡の目から、ぽろぽろと涙をこぼれた。彼女は人のために泣けるんだ。
「許せないことを許せないって、言って何が悪いの? そんな人をほっといていいわけ? 警察官は犯罪をしても、何をしても許されるわけ? 私は、絶対にいや! 一緒にたたかおうよ。ね、渋谷くんだってそう思っているから、ここにいるんだよね。ねえったら」
どんどん光岡はヒートアップしている。何でこんなに熱いわけ? またぼくのそでを引っぱった。もちろんぼくだって、そう思っている。けど、そんなに簡単にできるのか? たたかうには武器が必要だ。その武器をヒリキなぼくらは持っていない。どうすればいいのかはわからない。
光岡は鼻水をたれながし始めた。そして、泣きながら、光岡は佐伯に詰め寄っていった。佐伯は少し落ち着いてきたように見えた。何もしゃべらないけど、目は少し優しくなったような気がする。思わず、ぼくの本音が出てしまった。
「たたかう武器なんてないよ。どうすれば、たたかえるのかなんて、わからない…」
ヒリキなんだ。子どもには何もできない。意外なことに、光岡は、ぐしゃぐしゃな顔をしながら笑った。
「渋谷くんは頭がいいのに、何でわからないの? 私たちだって、いろいろなものを使えば、きっと武器を持てるよ。例えば、これ」
光岡は、スマホをぼくたちに向けた。
「これで証拠を撮れば、証拠になるよ。そうすれば信じてもらえる。動画を撮れば、証拠になったのに」
動画? 何も言ってなかったよな。勝手に撮っていいのか。
「証拠、集めよう。集めて、SNSとかで炎上させて、虐待止めさせようよ」
佐伯は、驚いたようだった。
「本当にそれで、止められるのか?」
佐伯は、ネットのことを何も知らない。スマホも持ってなさそう。SNSを炎上させるって言ってもきっとわからない。それに簡単に動画をなんてアップできるのか。撮れたとしても、その後、どうなるかを考えないと、とんでもないことが起こるかもしれない。
「リスクも考えないで、動くなんて、頭悪すぎ。佐伯の気持ちも聞いてないし。きちんと調べてから、動こうよ。あせりすぎてる」
簡単に決めちゃダメだ。よく調べて考えなきゃ。子どもだって何かできるはず。炎上すればいいってもんじゃない。けど、具体的にどうすればいいのか。まったくわからない。
「何でもやってみる! やってみればわかることもあるって。私、こう見えても、猫の動画、アップしたことあるんだよ」
と言った。
話が全然違うだろ。何、考えてんだよ。
しかし、こんな身近にばかにしていたユーチューバーがいたとは。
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