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ぼっちと幼女
幼女?×2がこちらを見ている!
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俺の名前は……うろ覚えだが、多分シュウだ。苗字は忘れた。
自分の名を「思い出そう」と意識したのがいつだったかといえば、この異世界に来た――一万と八千年前だ。
桁を一つ聞き間違えたわけでも、盛っているわけでもない。本当にそれくらいの歳月が流れている。
長い時間を生きると、昔の友人の顔や、家族の声、通い慣れた通学路なんかは、色褪せた写真みたいに輪郭だけが残る。
それでも「自分の名前」というラベルだけは、普通は最後までくっついて離れないはずだ。
そのラベルさえも今では曖昧で、舌の上で転がしても、しっくり来ない感覚だけが残っている。
……まあ、そんなことを考えるくらいには暇、というか、心に余裕がある状況――では、ないのだが。
異世界に来た時のことに関しては、忘れたくとも忘れられない。
あまりにも衝撃的だったせいか、その瞬間だけは今も鮮明に焼き付いている。
今、俺の目の前には、二人の子供がいる。
この世界で一番危険で、一番魔力濃度が高く、人族は立ち入ることすらできない場所。
瘴気みたいに濃い魔力が空中でもつれ合い、見えない波となって肌を撫でていく――そんな狂った環境のど真ん中だ。
その異常な空気の中で、子供たちはまるで公園にでもいるかのように、無邪気にこちらを見上げていた。
くりっとした純真な眼で、じっと俺のことを見ている。
恐怖も警戒もなく、ただ「目の前の大人」を観察する好奇心だけで満ちた瞳だった。
……本来なら、この場所に「人族の子供」なんて存在しているはずがない。
だからこそ、俺は目の前の光景を受け止めきれずに、思考を逃がすように遠い昔へと意識を向ける。
さて、何故俺がこのような状況にいるのかを、再度思い出してみよう。
◆
「やべぇ、こりゃ遅刻確定だな」
高校三年の夏。
受験というめんどくさいイベントと戦うため――いや、正確には、その準備をするために学校へ向かっていた。
刺し殺さんと降りしきる太陽の光が、容赦なくアスファルトを焼き、そこから跳ね返った熱が自転車を漕いでいるシュウの肌をじりじりと炙っていた。
額から流れる汗が視界に入り、目尻のあたりがしょっぱくなる。
「このペースで行くとホームルームが始まる寸前で教室に入れる感じかな」
自転車で通学を始めて、もう三年。
家から学校までの道のりで、どの電柱のあたりにいるときは何分前、みたいなのを自然と体が覚えていく。
そのおかげで、今の場所から何分で学校に着くかは何となく分かるようになっていた。
とはいえ、その「なんとなく」の結果が「遅刻確定」なのだから笑えない。
全力でママチャリを立ち漕ぎしていると、遠くに学校の校舎が見えてきた。
白い外壁が真夏の日差しを反射して、妙に眩しい。
(ギア付きの自転車を買ってくれなかった両親を、今この瞬間だけは恨んでるからな……)
心の中でそんな愚痴をこぼしながら、疲労感で動かしにくくなっている足を無理やり動かす。
太ももが悲鳴を上げても構わず、ペダルを踏み抜くたびに、息が荒くなっていく。
自転車置き場にママチャリを滑り込ませると、今度はその勢いのまま校舎の中へと走っていった。
むっとした室内の熱気と、外と中の匂いの違いに、夏の学校だなぁとどうでもいい実感が湧く。
「あのハゲ、職員室でエロ本でも読んでてクラスに来るの遅れてねぇかな」
担任に対し、根も葉もないことを呟きながら、歩いて教室に向かう。
走ればホームルームにはギリギリ間に合うくらいの時間なのだが、時間ギリギリで走って教室に向かうのだけは嫌だと、意味の分からないこだわりを持っている。
どれだけ遅刻確定だろうと、教室に入るのは「歩いて」がマイルール。
そういうどうでもいい部分だけ妙に頑固なのが、シュウという人間だった。
そうこうしているうちに、ホームルーム開始の鐘が鳴る。
澄んだチャイムの音が廊下に響き渡り、まるで「アウトー」と宣告されているかのようだ。
教室は三階。最上階だ。
「なんで三年が三階なんだよ。老体をもう少し労《いた》われとアレほど……」
口だけは達者に文句を言うが、もちろんそんなことは一度も口に出して言ったことはない。
心の中でだけ、何度も何度も訴えているだけだ。
そんなくだらないことを考えているうちに、自分のクラスの前にたどり着いた。
ガラス越しに見える教室の中では、すでに数人のクラスメイトが席に着いているのが見える。
ゴールは目の前だ。
遅刻は確定しているが、その歩みに変わりはない。
ウサギと亀の、亀と同じように、一歩一歩を踏みしめるように歩く。
教室の前に立ち、扉の取っ手に手を掛けて、深呼吸を一つ。
そして、扉を開けて元気に「おはようごz」
――そこでシュウの意識は途切れた。
視界の端で、床に描かれた見慣れない紋様が淡く光ったような気がした。
だが、それを認識するより早く、世界は真っ暗に塗りつぶされた。
「はっ!? ここは!?」
どれくらいの時間が経ったのかも分からない。
目が覚めると、上も下も分からない白い空間にシュウはいた。
真っ白――という言葉では足りない。
地平線も影もなく、距離感すら失われた「何もない場所」。
音も匂いも風もなく、自分の鼓動だけがやけに大きく耳に響く。
「あ、気が付いた? 初めまして」
「初めまして」
不意に、背後から声がした。
振り返ると、そこには一人の「人間らしき何か」が立っていた。
性別も年齢も、一瞬では判断できない。
柔らかい笑みを浮かべた中性的な顔立ちに、どこか現実味のない気配がまとわりついている。
誰だコイツ――と頭の中で葛藤を繰り広げていると、向こうから自己紹介をしてきた。
「僕は君たちの世界で言う神様という存在だよ。そして君は死んだ」
あまりにさらっとした宣告に、思考が一瞬止まる。
「俺が死んだ…。何で? 教室のドア開けただけじゃん」
口が勝手に疑問を吐き出す。
さっきまでの、汗をかきながら自転車を漕いでいた感覚がまだ体に残っているのに、「死んだ」と言われても実感が追いつかない。
「君のクラスが勇者召喚の対象になってね、ホームルーム開始の時間に魔法陣が起動するはずだったんだけども、ちょいと違う世界の神からの干渉があって遅れちゃったんだ。それで君は左半身だけ召喚に巻き込まれたの」
淡々と説明する“神様”。
その口ぶりは、昨日の天気でも話しているかのように軽い。
ぽかんとした顔をするシュウ。
脳内で情報を整理しようとするが、「勇者召喚」「違う世界の神」「左半身だけ」というパワーワードが多すぎて、うまくまとまらない。
神と名乗るモノは、そんなシュウを見て気にした様子もなく、続けて言う。
「世界の様子を見ていて君の死に様がかわいそうに見えたからここに呼んだんだ。何か聞きたいことある?」
「普通左半身だけ召喚とかの範囲に入っていれば全身召喚されないの?」
冷静に考えればツッコミどころの多い死に方だ。
自分でも変な質問だと思うが、口から出てきた言葉はそれだった。
「そんなわけないじゃん、君の左半身は今頃クラスの皆と異世界だよ、おめでとう」
二人の間に、冷たい空気が流れる。
シュウの背筋を、ぞわりと嫌な感覚が走った。
左半身だけ異世界。
想像したくない光景が頭をよぎる。
シュウが小さく、だが確かな怒りを含んだ声で神に向かって言う。
「ふざけんなよ! 何でそんな理不尽な死に方しなきゃならないんだ!」
「いや、僕に怒らないでよ。別に僕からすれば君の生死なんてどうでもいいんだからさ」
「は?」
あまりにぶっちゃけた返答に、思考が再び止まる。
「僕が人間を創ったわけでもないし、そもそも僕は世界を管理する神様だから生物を作ったりするのは創造神様の役割だから僕に物事を言うのは間違ってると思うんだ。八つ当たりする気ならば僕は君の魂をこのまま輪廻に還すだけだけど?」
さらっと言いながらも、最後の一文だけ妙に圧がある。
白い空間の“温度”が一瞬で数度下がったような感覚がした。
「あっ、ごめんなさい」
反射的に頭を下げる。
理不尽には理不尽で返したくなるのが人情だが、相手は自称神様で、こちらは丸腰の魂だ。
力関係は火を見るより明らかである。
「僕が君をここに呼ぶためにどれだけ時間をかけたか分かる? 魂を管理している神のところに行って君の魂を輪廻から外してもらって肉体を構成して、それをしながら通常業務をして、そしたらもっと上の承認が必要で承認をもらいに行って……」
「俺が悪かった。本当に申し訳ございません」
「分かればいいよ」
途中から、謝罪の言葉で神の愚痴を強制的に中断する形になってしまったが、神と名乗るモノはそこは気にしていないようだった。
神と名乗るモノが自身の不満をぶちまけた後、ふぅ……と一息ついてから、改めてシュウを見据えた。
「まあ、僕にこんなめんどくさい事をさせたんだ。君には僕のために働いてもらうよ」
「…といいますと?」
嫌な予感がしつつも、聞かざるを得ない。
「君のクラスが召喚された世界に行く気はないかい?」
「行かせてください。お願いします」
間髪入れず、即答していた。
理性がどうこう言う前に、心の奥底に封印していた中二病的憧れが、がばっと起き上がったのである。
「即答だね」
「そりゃ全国厨二男子の夢ですからね、行く世界とはファンタジーなのでしょうか……?」
恐る恐るシュウが聞く。
質問しながらも、心の中では「どうか剣と魔法でありますように」と祈っていた。
神はにこりと笑って答えた。
「君の想像しているような世界で認識は間違っていないよ。ただ違う所と言えばステータスという概念が存在するところかな」
「自分の能力が目に見て分かるってことか……」
ゲームやラノベで散々見てきた単語に、胸が高鳴る。
テンションを抑えきれず、自然と声が少し上ずった。
「そうだね、それについて何か能力をプレゼントして向こうの世界で暮らしてくれるだけで君が僕のために働いてくれることになるよ」
「そんな簡単な条件でいいのですか……?」
気付けば言葉遣いが丁寧になっていた。
命綱を握っている相手に、つい敬語になってしまうのは人として正しい反応だろう。
「なんで敬語なのかは分からないけどこの条件でいいんだよ。僕の神気に染まった人間が世界にいるっていうだけで潔癖症気味のあそこの神はストレスで胃に穴が開くから」
神様に胃があるのかと疑問に思ったシュウ。
真実は神のみぞ知る。いや、本当に。
「能力はどの範囲までOKでしょうか!」
俄然やる気を出したシュウが、前のめりで尋ねる。
ここは人生――いや、死後の人生を左右する重要なポイントだ。
「僕は生と死を司る神だからそれに関連する事しか能力は付けられないなぁ、最強の肉体とか世界最高の魔力とかは無理かな」
「じゃあ、不老不死とかってできます?」
反射的に出てきたのは、やはり王道とも言えるチョイスだった。
「できないこともないけど一切の成長がなくなるけどいい?」
「成長がなくなる?」
首をかしげるシュウに、神は指を一本立てて説明を続ける。
つまり……と神は続けた。
不老不死とは、肉体と精神の「時間」を止めて、その状態で固定するというもの。
固定してしまうが故に、向こうに行って魔力も得られないし、筋力も増えない。
知識は付けられるけど、それ以上の「自分自身の変化」が一切できない。
との事だった。
「じゃあ実質不老不死みたいな感じとかはできませんか……?」
さすがに「成長しない」のは困る。
何千年もひ弱なまま生き続けるなんて、ある意味拷問だ。
「んー……、あっ、いい案思いついた。これで行こう。欲しいのは不老不死だけ?」
神の目が、いたずらを思いついた子供のようにきらりと光る。
「向こうでクラスの奴らと会いたくないので会わないようにするのってできませんか?」
思わず本音が漏れた。
さっき左半身だけ異世界に行ったという話を聞いてから、クラスメイトに対して微妙な感情が渦巻いているのも事実だ。
「人のいない森の中とかに送り出すことならできるよ。そうする?」
「お願いします!」
迷うことなく即答する。
ファンタジー世界は欲しいが、いきなりクラスメイトとパーティを組んでどうこう、というテンプレ展開はお断りだ。
「じゃあ向こうの世界に飛ばすね。良き異世界ライフを」
神が軽く手を振ると、視界が暗転した。
足元の感覚がふっと消え、ふわりと浮かぶような感覚がシュウを襲った。
白い空間には、神と名乗る者だけが残っていた。
◆
ここは、地球が存在する世界とは違う世界。
世界名はクレバス。
四つの大国と多数の小国がひしめき合い、その一角が人間の居住区となっている。
世界の大きさは、地球の約六倍。
だが、その広大な面積のうち、人族の居住区は百分の一にも満たない。
残りのほとんどは、地図の上でも「未踏領域」や「危険地帯」の文字で塗りつぶされている。
この広大な世界には、近代兵器でも傷をつけることができない恐ろしい魔物や、立ち入るだけで死に至る猛毒が噴き出す場所。
さらには、地球の重力の二万倍をも誇る場所など、人族の常識がまったく通じない領域がいくつも存在する。
そんな場所よりも、さらに恐ろしく危険と言われている場所がある。
それが『魔の森』と呼ばれている場所だ。
重力は地球と同じで、猛毒のガスが噴き出しているわけでもない。
見た目だけなら、鬱蒼と木々が生い茂る、ただの広大な原生林にしか見えないだろう。
では、何が危険か?
それは、その『魔の森』の空気中の魔力濃度に起因する。
この世界の人族がその場所に足を踏み入れたら、二秒も待たずに爆散するだろう。
誇張でも比喩でもなく、本当に「二秒も持たない」。
何故爆散するのか。答えは明白である。
空気中の濃すぎる魔力が、皮膚など大気に触れている部分からじわじわと吸収され、あるいは呼吸によって体内に運ばれていく。
その結果、人族が体内に保有できる魔力量が臨界点を越すことで、体の内側から外側に向けて強烈な力が作用するのだ。
臨界点を超えた魔力は、器である肉体を容赦なく内側から引き裂く。
これは、保有魔力量を超過したことによって魔力が外に放出されることが原因とされている。
そこに生息する生物や植物は、その異常な環境に適応するために高い魔力を保有しており、
アンチマテリアルライフルを至近距離で食らっても傷一つ付くことのない耐久力を誇る。
硬さ、しなやかさ、再生力――あらゆる面で、人族の常識をはるかに凌駕している。
『魔の森』が世界一危険と呼ばれし理由は、尋常ではない魔力濃度と、そこに生息する生物たちの強さ。
それこそが、人族が決して触れてはならない“魔の森”たる所以であった。
自分の名を「思い出そう」と意識したのがいつだったかといえば、この異世界に来た――一万と八千年前だ。
桁を一つ聞き間違えたわけでも、盛っているわけでもない。本当にそれくらいの歳月が流れている。
長い時間を生きると、昔の友人の顔や、家族の声、通い慣れた通学路なんかは、色褪せた写真みたいに輪郭だけが残る。
それでも「自分の名前」というラベルだけは、普通は最後までくっついて離れないはずだ。
そのラベルさえも今では曖昧で、舌の上で転がしても、しっくり来ない感覚だけが残っている。
……まあ、そんなことを考えるくらいには暇、というか、心に余裕がある状況――では、ないのだが。
異世界に来た時のことに関しては、忘れたくとも忘れられない。
あまりにも衝撃的だったせいか、その瞬間だけは今も鮮明に焼き付いている。
今、俺の目の前には、二人の子供がいる。
この世界で一番危険で、一番魔力濃度が高く、人族は立ち入ることすらできない場所。
瘴気みたいに濃い魔力が空中でもつれ合い、見えない波となって肌を撫でていく――そんな狂った環境のど真ん中だ。
その異常な空気の中で、子供たちはまるで公園にでもいるかのように、無邪気にこちらを見上げていた。
くりっとした純真な眼で、じっと俺のことを見ている。
恐怖も警戒もなく、ただ「目の前の大人」を観察する好奇心だけで満ちた瞳だった。
……本来なら、この場所に「人族の子供」なんて存在しているはずがない。
だからこそ、俺は目の前の光景を受け止めきれずに、思考を逃がすように遠い昔へと意識を向ける。
さて、何故俺がこのような状況にいるのかを、再度思い出してみよう。
◆
「やべぇ、こりゃ遅刻確定だな」
高校三年の夏。
受験というめんどくさいイベントと戦うため――いや、正確には、その準備をするために学校へ向かっていた。
刺し殺さんと降りしきる太陽の光が、容赦なくアスファルトを焼き、そこから跳ね返った熱が自転車を漕いでいるシュウの肌をじりじりと炙っていた。
額から流れる汗が視界に入り、目尻のあたりがしょっぱくなる。
「このペースで行くとホームルームが始まる寸前で教室に入れる感じかな」
自転車で通学を始めて、もう三年。
家から学校までの道のりで、どの電柱のあたりにいるときは何分前、みたいなのを自然と体が覚えていく。
そのおかげで、今の場所から何分で学校に着くかは何となく分かるようになっていた。
とはいえ、その「なんとなく」の結果が「遅刻確定」なのだから笑えない。
全力でママチャリを立ち漕ぎしていると、遠くに学校の校舎が見えてきた。
白い外壁が真夏の日差しを反射して、妙に眩しい。
(ギア付きの自転車を買ってくれなかった両親を、今この瞬間だけは恨んでるからな……)
心の中でそんな愚痴をこぼしながら、疲労感で動かしにくくなっている足を無理やり動かす。
太ももが悲鳴を上げても構わず、ペダルを踏み抜くたびに、息が荒くなっていく。
自転車置き場にママチャリを滑り込ませると、今度はその勢いのまま校舎の中へと走っていった。
むっとした室内の熱気と、外と中の匂いの違いに、夏の学校だなぁとどうでもいい実感が湧く。
「あのハゲ、職員室でエロ本でも読んでてクラスに来るの遅れてねぇかな」
担任に対し、根も葉もないことを呟きながら、歩いて教室に向かう。
走ればホームルームにはギリギリ間に合うくらいの時間なのだが、時間ギリギリで走って教室に向かうのだけは嫌だと、意味の分からないこだわりを持っている。
どれだけ遅刻確定だろうと、教室に入るのは「歩いて」がマイルール。
そういうどうでもいい部分だけ妙に頑固なのが、シュウという人間だった。
そうこうしているうちに、ホームルーム開始の鐘が鳴る。
澄んだチャイムの音が廊下に響き渡り、まるで「アウトー」と宣告されているかのようだ。
教室は三階。最上階だ。
「なんで三年が三階なんだよ。老体をもう少し労《いた》われとアレほど……」
口だけは達者に文句を言うが、もちろんそんなことは一度も口に出して言ったことはない。
心の中でだけ、何度も何度も訴えているだけだ。
そんなくだらないことを考えているうちに、自分のクラスの前にたどり着いた。
ガラス越しに見える教室の中では、すでに数人のクラスメイトが席に着いているのが見える。
ゴールは目の前だ。
遅刻は確定しているが、その歩みに変わりはない。
ウサギと亀の、亀と同じように、一歩一歩を踏みしめるように歩く。
教室の前に立ち、扉の取っ手に手を掛けて、深呼吸を一つ。
そして、扉を開けて元気に「おはようごz」
――そこでシュウの意識は途切れた。
視界の端で、床に描かれた見慣れない紋様が淡く光ったような気がした。
だが、それを認識するより早く、世界は真っ暗に塗りつぶされた。
「はっ!? ここは!?」
どれくらいの時間が経ったのかも分からない。
目が覚めると、上も下も分からない白い空間にシュウはいた。
真っ白――という言葉では足りない。
地平線も影もなく、距離感すら失われた「何もない場所」。
音も匂いも風もなく、自分の鼓動だけがやけに大きく耳に響く。
「あ、気が付いた? 初めまして」
「初めまして」
不意に、背後から声がした。
振り返ると、そこには一人の「人間らしき何か」が立っていた。
性別も年齢も、一瞬では判断できない。
柔らかい笑みを浮かべた中性的な顔立ちに、どこか現実味のない気配がまとわりついている。
誰だコイツ――と頭の中で葛藤を繰り広げていると、向こうから自己紹介をしてきた。
「僕は君たちの世界で言う神様という存在だよ。そして君は死んだ」
あまりにさらっとした宣告に、思考が一瞬止まる。
「俺が死んだ…。何で? 教室のドア開けただけじゃん」
口が勝手に疑問を吐き出す。
さっきまでの、汗をかきながら自転車を漕いでいた感覚がまだ体に残っているのに、「死んだ」と言われても実感が追いつかない。
「君のクラスが勇者召喚の対象になってね、ホームルーム開始の時間に魔法陣が起動するはずだったんだけども、ちょいと違う世界の神からの干渉があって遅れちゃったんだ。それで君は左半身だけ召喚に巻き込まれたの」
淡々と説明する“神様”。
その口ぶりは、昨日の天気でも話しているかのように軽い。
ぽかんとした顔をするシュウ。
脳内で情報を整理しようとするが、「勇者召喚」「違う世界の神」「左半身だけ」というパワーワードが多すぎて、うまくまとまらない。
神と名乗るモノは、そんなシュウを見て気にした様子もなく、続けて言う。
「世界の様子を見ていて君の死に様がかわいそうに見えたからここに呼んだんだ。何か聞きたいことある?」
「普通左半身だけ召喚とかの範囲に入っていれば全身召喚されないの?」
冷静に考えればツッコミどころの多い死に方だ。
自分でも変な質問だと思うが、口から出てきた言葉はそれだった。
「そんなわけないじゃん、君の左半身は今頃クラスの皆と異世界だよ、おめでとう」
二人の間に、冷たい空気が流れる。
シュウの背筋を、ぞわりと嫌な感覚が走った。
左半身だけ異世界。
想像したくない光景が頭をよぎる。
シュウが小さく、だが確かな怒りを含んだ声で神に向かって言う。
「ふざけんなよ! 何でそんな理不尽な死に方しなきゃならないんだ!」
「いや、僕に怒らないでよ。別に僕からすれば君の生死なんてどうでもいいんだからさ」
「は?」
あまりにぶっちゃけた返答に、思考が再び止まる。
「僕が人間を創ったわけでもないし、そもそも僕は世界を管理する神様だから生物を作ったりするのは創造神様の役割だから僕に物事を言うのは間違ってると思うんだ。八つ当たりする気ならば僕は君の魂をこのまま輪廻に還すだけだけど?」
さらっと言いながらも、最後の一文だけ妙に圧がある。
白い空間の“温度”が一瞬で数度下がったような感覚がした。
「あっ、ごめんなさい」
反射的に頭を下げる。
理不尽には理不尽で返したくなるのが人情だが、相手は自称神様で、こちらは丸腰の魂だ。
力関係は火を見るより明らかである。
「僕が君をここに呼ぶためにどれだけ時間をかけたか分かる? 魂を管理している神のところに行って君の魂を輪廻から外してもらって肉体を構成して、それをしながら通常業務をして、そしたらもっと上の承認が必要で承認をもらいに行って……」
「俺が悪かった。本当に申し訳ございません」
「分かればいいよ」
途中から、謝罪の言葉で神の愚痴を強制的に中断する形になってしまったが、神と名乗るモノはそこは気にしていないようだった。
神と名乗るモノが自身の不満をぶちまけた後、ふぅ……と一息ついてから、改めてシュウを見据えた。
「まあ、僕にこんなめんどくさい事をさせたんだ。君には僕のために働いてもらうよ」
「…といいますと?」
嫌な予感がしつつも、聞かざるを得ない。
「君のクラスが召喚された世界に行く気はないかい?」
「行かせてください。お願いします」
間髪入れず、即答していた。
理性がどうこう言う前に、心の奥底に封印していた中二病的憧れが、がばっと起き上がったのである。
「即答だね」
「そりゃ全国厨二男子の夢ですからね、行く世界とはファンタジーなのでしょうか……?」
恐る恐るシュウが聞く。
質問しながらも、心の中では「どうか剣と魔法でありますように」と祈っていた。
神はにこりと笑って答えた。
「君の想像しているような世界で認識は間違っていないよ。ただ違う所と言えばステータスという概念が存在するところかな」
「自分の能力が目に見て分かるってことか……」
ゲームやラノベで散々見てきた単語に、胸が高鳴る。
テンションを抑えきれず、自然と声が少し上ずった。
「そうだね、それについて何か能力をプレゼントして向こうの世界で暮らしてくれるだけで君が僕のために働いてくれることになるよ」
「そんな簡単な条件でいいのですか……?」
気付けば言葉遣いが丁寧になっていた。
命綱を握っている相手に、つい敬語になってしまうのは人として正しい反応だろう。
「なんで敬語なのかは分からないけどこの条件でいいんだよ。僕の神気に染まった人間が世界にいるっていうだけで潔癖症気味のあそこの神はストレスで胃に穴が開くから」
神様に胃があるのかと疑問に思ったシュウ。
真実は神のみぞ知る。いや、本当に。
「能力はどの範囲までOKでしょうか!」
俄然やる気を出したシュウが、前のめりで尋ねる。
ここは人生――いや、死後の人生を左右する重要なポイントだ。
「僕は生と死を司る神だからそれに関連する事しか能力は付けられないなぁ、最強の肉体とか世界最高の魔力とかは無理かな」
「じゃあ、不老不死とかってできます?」
反射的に出てきたのは、やはり王道とも言えるチョイスだった。
「できないこともないけど一切の成長がなくなるけどいい?」
「成長がなくなる?」
首をかしげるシュウに、神は指を一本立てて説明を続ける。
つまり……と神は続けた。
不老不死とは、肉体と精神の「時間」を止めて、その状態で固定するというもの。
固定してしまうが故に、向こうに行って魔力も得られないし、筋力も増えない。
知識は付けられるけど、それ以上の「自分自身の変化」が一切できない。
との事だった。
「じゃあ実質不老不死みたいな感じとかはできませんか……?」
さすがに「成長しない」のは困る。
何千年もひ弱なまま生き続けるなんて、ある意味拷問だ。
「んー……、あっ、いい案思いついた。これで行こう。欲しいのは不老不死だけ?」
神の目が、いたずらを思いついた子供のようにきらりと光る。
「向こうでクラスの奴らと会いたくないので会わないようにするのってできませんか?」
思わず本音が漏れた。
さっき左半身だけ異世界に行ったという話を聞いてから、クラスメイトに対して微妙な感情が渦巻いているのも事実だ。
「人のいない森の中とかに送り出すことならできるよ。そうする?」
「お願いします!」
迷うことなく即答する。
ファンタジー世界は欲しいが、いきなりクラスメイトとパーティを組んでどうこう、というテンプレ展開はお断りだ。
「じゃあ向こうの世界に飛ばすね。良き異世界ライフを」
神が軽く手を振ると、視界が暗転した。
足元の感覚がふっと消え、ふわりと浮かぶような感覚がシュウを襲った。
白い空間には、神と名乗る者だけが残っていた。
◆
ここは、地球が存在する世界とは違う世界。
世界名はクレバス。
四つの大国と多数の小国がひしめき合い、その一角が人間の居住区となっている。
世界の大きさは、地球の約六倍。
だが、その広大な面積のうち、人族の居住区は百分の一にも満たない。
残りのほとんどは、地図の上でも「未踏領域」や「危険地帯」の文字で塗りつぶされている。
この広大な世界には、近代兵器でも傷をつけることができない恐ろしい魔物や、立ち入るだけで死に至る猛毒が噴き出す場所。
さらには、地球の重力の二万倍をも誇る場所など、人族の常識がまったく通じない領域がいくつも存在する。
そんな場所よりも、さらに恐ろしく危険と言われている場所がある。
それが『魔の森』と呼ばれている場所だ。
重力は地球と同じで、猛毒のガスが噴き出しているわけでもない。
見た目だけなら、鬱蒼と木々が生い茂る、ただの広大な原生林にしか見えないだろう。
では、何が危険か?
それは、その『魔の森』の空気中の魔力濃度に起因する。
この世界の人族がその場所に足を踏み入れたら、二秒も待たずに爆散するだろう。
誇張でも比喩でもなく、本当に「二秒も持たない」。
何故爆散するのか。答えは明白である。
空気中の濃すぎる魔力が、皮膚など大気に触れている部分からじわじわと吸収され、あるいは呼吸によって体内に運ばれていく。
その結果、人族が体内に保有できる魔力量が臨界点を越すことで、体の内側から外側に向けて強烈な力が作用するのだ。
臨界点を超えた魔力は、器である肉体を容赦なく内側から引き裂く。
これは、保有魔力量を超過したことによって魔力が外に放出されることが原因とされている。
そこに生息する生物や植物は、その異常な環境に適応するために高い魔力を保有しており、
アンチマテリアルライフルを至近距離で食らっても傷一つ付くことのない耐久力を誇る。
硬さ、しなやかさ、再生力――あらゆる面で、人族の常識をはるかに凌駕している。
『魔の森』が世界一危険と呼ばれし理由は、尋常ではない魔力濃度と、そこに生息する生物たちの強さ。
それこそが、人族が決して触れてはならない“魔の森”たる所以であった。
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地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
捨てられた貴族六男、ハズレギフト『家電量販店』で僻地を悠々開拓する。~魔改造し放題の家電を使って、廃れた土地で建国目指します~
荒井竜馬@書籍発売中
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ある日、主人公は前世の記憶を思いだし、自分が転生者であることに気がつく。転生先は、悪役貴族と名高いアストロメア家の六男だった。しかし、メビウスは前世でアニメやラノベに触れていたので、悪役転生した場合の身の振り方を知っていた。『悪役転生ものということは、死ぬ気で努力すれば最強になれるパターンだ!』そう考えて死ぬ気で努力をするが、チート級の力を身につけることができなかった。
それどころか、授かったギフトが『家電量販店』という理解されないギフトだったせいで、一族から追放されてしまい『死地』と呼ばれる場所に捨てられてしまう。
「……普通、十歳の子供をこんな場所に捨てるか?」
『死地』と呼ばれる何もない場所で、メビウスは『家電量販店』のスキルを使って生き延びることを決意する。
しかし、そこでメビウスは自分のギフトが『死地』で生きていくのに適していたことに気がつく。
家電を自在に魔改造して『家電量販店』で過ごしていくうちに、メビウスは周りから天才発明家として扱われ、やがて小国の長として建国を目指すことになるのだった。
メビウスは知るはずがなかった。いずれ、自分が『機械仕掛けの大魔導士』と呼ばれ存在になるなんて。
努力しても最強になれず、追放先に師範も元冒険者メイドもついてこず、領地どころかどの国も管理していない僻地に捨てられる……そんな踏んだり蹴ったりから始まる領地(国家)経営物語。
『ノベマ! 異世界ファンタジー:8位(2025/04/22)』
※別サイトにも掲載しています。
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