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第1章 原作のはじまり
第5話 花を選ぶ理由
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「本日予定されていたお茶会は、取りやめになりました」
側近の報告に、ヴィクトルは書類から視線を上げた。
「理由は」
「ヴァレンティール公爵令嬢、クラリス様の体調不良とのことです。軽い発熱と眩暈があると聞いておりますが、命に別状はないそうです」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが生じた。
――やはり、か。
驚きはなかった。
むしろ、思い当たる理由は山ほどある。
幼い頃に行われた婚約者選定のお茶会。
あの場ですら、彼女は倒れた。
お茶会の朝から体調が良くなく、薬を飲んでいたと聞いて、
この子が本当に婚約者になって大丈夫か心配になったことを思い出す。
あのときの顔色、呼吸、指先の冷たさ。
あれは、取り繕えるものではない。
「……花を用意しよう」
ヴィクトルは静かに言った。
「派手なものはいらない。香りが強すぎず、部屋で過ごす時間が長くても負担にならないものを。色合いも、目に優しいものがいい」
側近は一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに頷いた。
「承知いたしました」
扉が閉じると、室内は静けさを取り戻す。
クラリス・ヴァレンティール。
公爵家の長女で、次期公爵の姉。
彼女は、美しい。
作り込まれた華やかさではなく、
落ち着いた色合いの髪と瞳、柔らかな表情。
ただ――
(控えめすぎる)
装いも、振る舞いも。
公爵令嬢としては、あまりにも慎ましい。
宝石も最小限で、
流行を追うこともなく、
人の視線を集めようともしない。
それが体調のせいなのか、
性格によるものなのか、
あるいは――環境のせいなのか。
王太子妃としては、決して理想的とは言えない。
体は弱く、前に出ることを好まず、自己主張もしない。
事実、彼女自身が一度、婚約辞退を申し出ている。
――王子の婚約者は、務まらないと。
だが、現実はそれで済まなかった。
同年代で、家格が釣り合い、
政治的にも偏りがなく、
派閥としても扱いやすい。
加えて、王妃と公爵夫人が旧知の間柄。
条件を満たす令嬢は、他にいなかった。
だから婚約は整えられた。
「……それでも」
ヴィクトルは、無意識に指先を組む。
クラリスは大人しい。
だが、ただ従順なわけではない。
礼節を欠かさず、
場の空気をよく見て、
必要以上に踏み込まない。
そして何より――
弟に向ける表情だけは、まるで違った。
あれほど迷いなく、穏やかに優しくなれる人間を、
ヴィクトルは他に知らない。
(それにしても、公爵は無神経だな)
思わず、心中で呟く。
彼女が体調を崩す理由など、考えれば分かる。
環境の変化。
公爵家の内情。
本邸に迎え入れられた存在。
それらを無視して、
婚約者とのお茶会を当然のように設定する。
――配慮が足りない。
それが、公爵自身の判断であったことも、
余計に気に障った。
ヴィクトルは、机の上の書類を閉じる。
見舞いに行くつもりはない。
それは、彼女の負担になる。
だが、何もしないのも違う。
「……せめて、花くらいは」
それは王太子としての義務ではなく、
婚約者としての、最低限の気遣いだった。
花を受け取った彼女が、
少しでも心を休められれば、それでいい。
ヴィクトルは窓の外に視線を向ける。
穏やかに微笑む少女の姿が、脳裏をよぎった。
(早く、良くなるといい)
それは、王太子という立場を離れた、
ごく個人的な願いだった。
側近の報告に、ヴィクトルは書類から視線を上げた。
「理由は」
「ヴァレンティール公爵令嬢、クラリス様の体調不良とのことです。軽い発熱と眩暈があると聞いておりますが、命に別状はないそうです」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが生じた。
――やはり、か。
驚きはなかった。
むしろ、思い当たる理由は山ほどある。
幼い頃に行われた婚約者選定のお茶会。
あの場ですら、彼女は倒れた。
お茶会の朝から体調が良くなく、薬を飲んでいたと聞いて、
この子が本当に婚約者になって大丈夫か心配になったことを思い出す。
あのときの顔色、呼吸、指先の冷たさ。
あれは、取り繕えるものではない。
「……花を用意しよう」
ヴィクトルは静かに言った。
「派手なものはいらない。香りが強すぎず、部屋で過ごす時間が長くても負担にならないものを。色合いも、目に優しいものがいい」
側近は一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに頷いた。
「承知いたしました」
扉が閉じると、室内は静けさを取り戻す。
クラリス・ヴァレンティール。
公爵家の長女で、次期公爵の姉。
彼女は、美しい。
作り込まれた華やかさではなく、
落ち着いた色合いの髪と瞳、柔らかな表情。
ただ――
(控えめすぎる)
装いも、振る舞いも。
公爵令嬢としては、あまりにも慎ましい。
宝石も最小限で、
流行を追うこともなく、
人の視線を集めようともしない。
それが体調のせいなのか、
性格によるものなのか、
あるいは――環境のせいなのか。
王太子妃としては、決して理想的とは言えない。
体は弱く、前に出ることを好まず、自己主張もしない。
事実、彼女自身が一度、婚約辞退を申し出ている。
――王子の婚約者は、務まらないと。
だが、現実はそれで済まなかった。
同年代で、家格が釣り合い、
政治的にも偏りがなく、
派閥としても扱いやすい。
加えて、王妃と公爵夫人が旧知の間柄。
条件を満たす令嬢は、他にいなかった。
だから婚約は整えられた。
「……それでも」
ヴィクトルは、無意識に指先を組む。
クラリスは大人しい。
だが、ただ従順なわけではない。
礼節を欠かさず、
場の空気をよく見て、
必要以上に踏み込まない。
そして何より――
弟に向ける表情だけは、まるで違った。
あれほど迷いなく、穏やかに優しくなれる人間を、
ヴィクトルは他に知らない。
(それにしても、公爵は無神経だな)
思わず、心中で呟く。
彼女が体調を崩す理由など、考えれば分かる。
環境の変化。
公爵家の内情。
本邸に迎え入れられた存在。
それらを無視して、
婚約者とのお茶会を当然のように設定する。
――配慮が足りない。
それが、公爵自身の判断であったことも、
余計に気に障った。
ヴィクトルは、机の上の書類を閉じる。
見舞いに行くつもりはない。
それは、彼女の負担になる。
だが、何もしないのも違う。
「……せめて、花くらいは」
それは王太子としての義務ではなく、
婚約者としての、最低限の気遣いだった。
花を受け取った彼女が、
少しでも心を休められれば、それでいい。
ヴィクトルは窓の外に視線を向ける。
穏やかに微笑む少女の姿が、脳裏をよぎった。
(早く、良くなるといい)
それは、王太子という立場を離れた、
ごく個人的な願いだった。
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