虐げられ王女と忠誠の騎士〜運命を結ぶ婚約の物語〜

藤原遊

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王太子フェリクスは、広々とした執務室で地図を見つめていた。
隣国との国境が赤い線で描かれ、その周辺には山岳地帯や砦が記されている。国の未来を背負う王太子として、彼にとってこの地図は単なる紙の上の情報ではなかった。それは、王国の安全と民の生活を守る責任を象徴するものだった。

だが、今のフェリクスの胸を占めているのは、単なる国境の問題ではなかった。

「ヴィクター・リオネル……。」
彼は低く呟いた。

英雄と讃えられる男、そして――姉のように見てきたルミナリエと新たな未来を築こうとしている男。この対面を通じて、自分は彼の覚悟と本心を確かめなければならない。

扉のノック音が響いた。
「失礼いたします。」

フェリクスが入室を許可すると、扉が静かに開き、ヴィクターが姿を現した。堂々とした立ち振る舞いには、王宮の貴族たちにはない実直さが感じられる。その姿に、フェリクスはわずかに頷き、椅子を勧めた。

「よく来てくれました、リオネル伯爵。」
フェリクスはその口調に威厳を込めながらも、冷たさを感じさせない配慮を滲ませた。

「お呼びいただき、光栄です。」
ヴィクターは深く一礼し、椅子に腰を下ろした。その目には冷静さと揺るぎない決意が宿っている。

フェリクスは机に広げられた地図を指差した。
「ここが隣国との国境だ。辺境伯に任命される地は、この一帯を中心とする領土だ。」

ヴィクターは地図に視線を落とした。山岳地帯と広大な平野、いくつもの砦と城塞――その地は国の防衛において最も重要な場所であり、同時に最も危険な地でもあった。

「君に隠すつもりはない。」
フェリクスは厳しい口調で言った。
「辺境伯の地位は名誉であると同時に、過酷な責任を伴う。ここでの生活は、王宮の華やかさや権力争いから切り離される一方で、常に戦場に立つ覚悟が必要だ。」

ヴィクターは目を細め、地図に刻まれた線を見つめた。フェリクスの言葉が重みを持つのは分かっていた。だが、それ以上に自分の中に確固たる信念があることを感じていた。

「私には、その覚悟があります。」
彼の声は力強かった。

フェリクスはしばらく彼をじっと見つめ、次に口を開くとその声はわずかに低くなった。
「……ルミナリエのためか?」

「それも一つの理由です。」
ヴィクターの答えには、迷いが一切なかった。
「ですが、それだけではありません。私はこの国に命を懸けてきた兵士として、その役目を全うしたい。そして、彼女が安心して暮らせる場所を築くことも、私の使命だと信じています。」

その答えを聞いたフェリクスの目に、微かな光が宿る。それは彼の中にあった疑念が少しずつ解けていく証拠だった。

「いい答えだ。」
フェリクスは静かに頷き、地図の一部を指差した。
「だが覚えておいてほしい。この地は他の貴族たちからも警戒される場所だ。隣国だけではなく、王国内部からも敵意を向けられることになる。それでも構わないか?」

ヴィクターは迷いなく答えた。
「はい。私が目指すものは、権力でも名誉でもありません。大切な人々を守れる未来です。」

フェリクスは少し目を伏せ、そして微笑を浮かべた。
「分かった。君の覚悟、確かに見届けた。」

彼は窓の外を見つめながら、静かに続けた。
「母上の件については私が責任を取る。彼女を離宮に送るつもりだ。これ以上、君たちを邪魔させるわけにはいかない。」

ヴィクターは驚き、そして深く頭を下げた。
「殿下……心より感謝いたします。」

「ルミナリエには、幸せになってもらいたいだけだ。」
フェリクスの声は静かだったが、その奥には幼い頃からルミナリエを見守ってきた者としての深い感情が滲んでいた。
「君が彼女を守ると言うのなら、私は君に全てを託す。」

ヴィクターは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「必ず、彼女を守り抜きます。そして、幸せにします。」

フェリクスは彼を見送りながら、微かに微笑んだ。彼の中に残っていたわだかまりは、静かに消えていった。
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