「代わりはいくらでもいる」と言われたので、私は消えました。——お茶会ばかりしていた私が何をしていたのか、ご存じないようで

藤原遊

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第3章 崩壊の兆し

第11話 流れ

護衛の手配が思うように進んでいないと分かったのは、翌日の昼前だった。

グランツ商会へ返答を送ったあと、アルノーはようやく一息ついたつもりでいた。契約そのものを切るわけではなく、こちらで護衛を整える、そのうえで条件も詰め直す。面倒ではあるが、不可能な話ではない。そう考えていたし、実際それで済むはずだった。

けれど、執務室へ入ってきたベルナールの表情を見た瞬間、少なくとも簡単には済まないのだろうと分かった。

「ソルフェール男爵家から返事が参りました」

「遅いな」

「春の演習に人員を取られているため、今回は十分な数を出せないとのことです。先に約束のある家を優先する、と」

アルノーは顔を上げる。

「十分な数、とは」

「通常の半分ほどかと」

「半分で足りるわけがないだろう」

声が少し強くなる。ベルナールはそれでも静かなままだった。

「はい。先方も、その点は承知しております」

アルノーは机の上の書類を引き寄せた。北側倉庫までの街道は、春先になると荷が増える。賊が頻繁に出るわけではないが、人数を絞れば舐められる。見せるための護衛というのは、思っている以上に意味がある。

「ほかは」

「シュトラール子爵家にも打診は可能ですが」

「だが?」

「本来、奥様から先に話を通しておられた部分かと」

アルノーは書類から目を上げた。

前のようにすぐ切り捨てる気にはなれなかった。実際、ソルフェール男爵家が足りないと言ってきている以上、別口へ回す必要はある。

「打診しろ」

「すでに使いは出しております。ただ……」

ベルナールはそこで一拍置く。

「先方も春先は立て込んでおりますので、優先を上げてもらえるかどうかまでは」

アルノーは指先で机を叩いた。

「金を積めばいい」

「順番がございますので」

短い言葉だったが、妙に耳に残る。

アルノーは黙ったまま、執務室の窓へ目を向けた。中庭では若い使用人たちが木箱を運んでいる。動きそのものはきびきびしているのに、どこか落ち着かない。自分の気分がそう見せているだけかもしれなかった。

「ほかの家は」

「今あたっております。ただ、急ぎで動ける家は限られます」

「限られる、ばかりだな」

「春先でございますので」

その説明は正しい。正しいが、それだけでは足りない。

昼過ぎ、今度は会計係が入ってきた。帳面を抱える手に、いつもより少し力が入っている。

「旦那様、グランツ商会から追加の書状です」

アルノーは受け取って目を通す。内容は簡潔だった。護衛が確保できない場合、契約の一部を縮小する。倉庫の使用も限定的なものに改める。つまり、最初に見込んでいた流れは細くなるということだ。

「縮小、だと」

「はい。向こうも荷を止めるわけには参りませんので」

アルノーは紙を机に置いた。

「だからこちらで調整すると言ったはずだ」

「先方は、調整の目途が立った時点で再提示を、という姿勢のようです」

つまり、言葉だけでは待たないということだ。

執務室の中が少しずつ狭く感じられてくる。書類の量が急に増えたわけでもないのに、視界の中の余白だけが減っていく。

「護衛の件が決まれば、まだ戻せるな」

「規模によります」

「はっきり言え」

会計係は帳面を開いた。

「予定していた人数が揃えば、ほぼ元に戻せるかと。ただ、半端な数ですと、向こうは別口との併用を選ぶ可能性が高いです」

「それでは取り分が減る」

「はい」

ようやくそこだけが、妙に単純に聞こえた。

アルノーは椅子の背に深くもたれた。結局のところ、必要なのは数なのだ。だが、その数を揃える順番が回ってこない。

「騎士団には話を」

「出しております。ただ、王都側の警備を優先するとの返答で」

「この時期に?」

「春の集まりが増えるためかと」

アルノーは言葉を切った。理由としては筋が通っている。だが、筋が通っていることと、こちらに都合がいいことは別だった。

そのとき、不意に帳面の一文が頭をよぎる。

春の最初の茶会。欠席の場合、護衛や輸送の話は別で整えること。

意味を考える前に、その文だけが残った。

「旦那様」

ベルナールの声で顔を上げる。

「もう一件ございます」

「何だ」

「倉庫に入る予定だった荷の一部ですが、向こうが一時的に別の預かり先を検討しているようです」

アルノーは眉をひそめた。

「こちらの返答を待たずにか」

「完全に切り替えるわけではないようですが、止めておくのは避けたいのでしょう」

アルノーは机の端を指で押さえた。

ひとつ遅れると、次がずれる。次がずれると、その先も少しずつ細る。今のところ大きく崩れているわけではない。だが、どれもこちらの都合を待ってはくれない。

午後の終わりごろ、案内係がまた書状を持ってくる。

封を見て、アルノーは一瞬だけ目を止めた。けれどそれは軍務局からの通知で、春の一部街道について通行制限が出るかもしれないという内容だった。悪い知らせではない。むしろ早く知れてよかったと言うべきだろう。だが、今は何を見ても、先に面倒のほうが立つ。

「……置いておけ」

案内係が下がる。

窓の外を見ると、花鉢の入れ替えは終わっていた。代わりに、広間側の戸口で使用人が何やら言葉を交わしている。小さな声で、すぐに散った。気にするほどではないはずなのに、耳に残る。

夕方、ベルナールが再び執務室へ入る。

「シュトラール子爵家から返事がありました」

「出せるのか」

「最低限の人数であれば。ただし、先に別件が入っているため、日程をずらしてほしいとのことです」

アルノーは目を細めた。

「ずらせば間に合わん」

「はい」

「交渉しろ」

「先方もこれ以上は難しいようで」

執務室の中に沈黙が落ちる。

半分では足りず、最低限では遅れる。どちらにしても、そのままでは使えない。

アルノーは机の上の書類を一枚めくり、すぐに戻した。中身は頭に入っている。入っているのに、どうにも手が前へ進まない。

「……代わりを探せ」

「すでに」

「なら、探し続けろ」

ベルナールは短く一礼した。

「承知いたしました」

だが、承知したからといって道が増えるわけではない。そのことだけは、アルノーにももう分かっていた。

夜になるころ、会計係が最後の報告を持ってきた。北側倉庫へ入る予定だった荷のうち、二割が別経路へ回される見込みだという。まだ確定ではない。だが、その二割は、取り分にすれば無視できない数字だった。

「二割程度で騒ぐな」

そう言ったものの、会計係の顔は変わらない。

「春先の最初の流れですので」

その一言で十分だった。最初の流れが細れば、その先の扱いも変わる。

会計係が去ったあと、アルノーは机の引き出しから例の小さな帳面を取り出した。ぱらぱらと頁をめくる。社交、商会、護衛、贈答。何でもないような書き込みばかりだ。けれど、今目の前で引っかかっている話が、ほとんどそこに触れている。

窓の外はすっかり暗い。燭台の火が帳面の端を照らし、その影が机へ落ちる。

アルノーはしばらく頁を見ていたが、やがて帳面を閉じた。

無視できるほど、簡単でもなくなっていた。
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