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第1話|公爵夫人の一日
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朝一番に届く報告は三種類。
使用人の配置、出納、そして来客予定。
どれが欠けても屋敷は回らない。
だから私は、紅茶が冷める前にすべてへ目を通す。
料理長の新しい仕入れの申請に許可を出し、庭師の増員願いに印をつけ、午後に予定されている子息たちの馬術訓練へ見学に訪れる貴婦人の席順を調整する。
問題が起きる前に整える。
滞りなく、静かに。
それが公爵夫人の仕事だった。
「奥様、本日の書状でございます」
受け取り、封蝋だけ確認して脇へ置く。
緊急性は低い。後で良い。
優先すべきことは、他にいくらでもある。
この屋敷はよく整っている。
使用人は忠実で、来客の評判も悪くない。
それは私一人の功績ではないが、最後の責任を引き受けるのが私である以上、気を抜くわけにはいかなかった。
愛されているかどうかは、業務には関係ない。
家が回ること。
信用が保たれること。
当主が外で恥をかかないこと。
それだけ満たせば、正妻としては十分だ。
「旦那様は、本日もお戻りは遅くなられるそうです」
侍女が遠慮がちに告げる。
私は頷いた。
知っている。
最近はずっとそうだ。
帰宅しない日もある。
どこで誰と過ごしているのかも、もう隠されていない。
それでも構わなかった。
決裁は滞らない。
社交に穴も開かない。
屋敷は今日も正しく機能する。
私がいれば、それでいい。
廊下の向こうから、ばたばたと足音が響いた。
この屋敷に似つかわしくない、遠慮のない走り方。
侍女たちの顔が、わずかに強張る。
次の瞬間、少年が角を曲がって現れた。
泥のついた靴のまま、絨毯を踏みしめる。
「あっ、いた!」
嬉しそうに声を上げるその子の後ろから、青ざめた家庭教師が追いかけてくる。
「申し訳ございません奥様、止めたのですが……!」
少年は気にしない。
私を見上げることもなく、部屋の中へずかずかと入り込んでくる。
そして机の上の書類へ、遠慮なく手を伸ばした。
「これはなんだ?」
無邪気な問い。
悪意はないのだろう。
けれど。
その靴跡を、使用人がどれほどの時間をかけて消しているか。
その机の上に積み上がった書類が、どれだけの人間の生活を支えているか。
この子は知らない。
そして、教えられてもいない。
「触ってはいけません」
静かに告げると、少年は不満そうに唇を尖らせた。
ちょうどその時だった。
「いいじゃないか」
背後から、軽い声が降る。
振り向かなくても分かる。
この家の当主の声だ。
「子どものすることだ。目くじらを立てるな」
少年はぱっと顔を輝かせ、私を見る。
勝ち誇ったような、安心したような表情。
家庭教師は黙り込み、侍女たちは視線を伏せる。
私は一瞬だけ、呼吸を整えた。
そしていつも通りの声で答える。
「承知いたしました」
飲み込むことには慣れている。
波風を立てないことも、仕事のうちだ。
それでも。
ほんのわずかにだけ、思ってしまった。
この均衡は、いつまで保つのだろうと。
使用人の配置、出納、そして来客予定。
どれが欠けても屋敷は回らない。
だから私は、紅茶が冷める前にすべてへ目を通す。
料理長の新しい仕入れの申請に許可を出し、庭師の増員願いに印をつけ、午後に予定されている子息たちの馬術訓練へ見学に訪れる貴婦人の席順を調整する。
問題が起きる前に整える。
滞りなく、静かに。
それが公爵夫人の仕事だった。
「奥様、本日の書状でございます」
受け取り、封蝋だけ確認して脇へ置く。
緊急性は低い。後で良い。
優先すべきことは、他にいくらでもある。
この屋敷はよく整っている。
使用人は忠実で、来客の評判も悪くない。
それは私一人の功績ではないが、最後の責任を引き受けるのが私である以上、気を抜くわけにはいかなかった。
愛されているかどうかは、業務には関係ない。
家が回ること。
信用が保たれること。
当主が外で恥をかかないこと。
それだけ満たせば、正妻としては十分だ。
「旦那様は、本日もお戻りは遅くなられるそうです」
侍女が遠慮がちに告げる。
私は頷いた。
知っている。
最近はずっとそうだ。
帰宅しない日もある。
どこで誰と過ごしているのかも、もう隠されていない。
それでも構わなかった。
決裁は滞らない。
社交に穴も開かない。
屋敷は今日も正しく機能する。
私がいれば、それでいい。
廊下の向こうから、ばたばたと足音が響いた。
この屋敷に似つかわしくない、遠慮のない走り方。
侍女たちの顔が、わずかに強張る。
次の瞬間、少年が角を曲がって現れた。
泥のついた靴のまま、絨毯を踏みしめる。
「あっ、いた!」
嬉しそうに声を上げるその子の後ろから、青ざめた家庭教師が追いかけてくる。
「申し訳ございません奥様、止めたのですが……!」
少年は気にしない。
私を見上げることもなく、部屋の中へずかずかと入り込んでくる。
そして机の上の書類へ、遠慮なく手を伸ばした。
「これはなんだ?」
無邪気な問い。
悪意はないのだろう。
けれど。
その靴跡を、使用人がどれほどの時間をかけて消しているか。
その机の上に積み上がった書類が、どれだけの人間の生活を支えているか。
この子は知らない。
そして、教えられてもいない。
「触ってはいけません」
静かに告げると、少年は不満そうに唇を尖らせた。
ちょうどその時だった。
「いいじゃないか」
背後から、軽い声が降る。
振り向かなくても分かる。
この家の当主の声だ。
「子どものすることだ。目くじらを立てるな」
少年はぱっと顔を輝かせ、私を見る。
勝ち誇ったような、安心したような表情。
家庭教師は黙り込み、侍女たちは視線を伏せる。
私は一瞬だけ、呼吸を整えた。
そしていつも通りの声で答える。
「承知いたしました」
飲み込むことには慣れている。
波風を立てないことも、仕事のうちだ。
それでも。
ほんのわずかにだけ、思ってしまった。
この均衡は、いつまで保つのだろうと。
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