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第16話 積み重ね
アルベルトは、ようやく気づき始めていた。
それは突然の後悔ではなく、
積み重なった違和感が、形を持ちはじめただけのことだった。
執務室で書類に目を通していても、集中が続かない。
判断はできる。決裁も進む。
だが、以前のような確信を持った判断ができない。
「……これで良かったのか」
誰にともなく呟き、手を止める。
リーシェがいた頃、こうした場面では、
一度だけ、視線を向けていた。
意見を求めるわけではない。
確認するわけでもない。
ただ、そこに支えてくれる人がいるという事実が、判断の輪郭をはっきりさせていた。
今は、それがない。
判断は自分一人で下しているはずなのに、
どこかで、支えを失った感覚が残る。
会合の場でも同じだった。
議論は進むが、まとまりに欠ける。
「では、結論はこの方向で」
そう言ったあと、本当にそれでいいのかと、胸の奥で引っかかる。
以前なら、こうした小さな綻びは生まれなかった。
それが誰の役割だったのか、
アルベルトは考えようとしなかった。
考えなくても済んでいたからだ。
夜、屋敷に戻る。
廊下を歩きながら、足音がやけに響くことに気づく。
静かすぎる。
使用人たちは変わらず動いている。
だが、空気が違う。
必要なことだけが、淡々と行われている。
それが、悪いわけではない。
むしろ、効率的だ。
それなのに、どこかで「足りない」と感じてしまう。
食卓に座り、料理に手をつける。
味は、以前と変わらない。
「……美味しいな」
そう呟いてから、そういった他愛のないことを共有する相手がいないことに気づく。
あのとき、リーシェは何をしていただろう。
食事の内容を気にするでもなく、
こちらの予定を詮索するでもなく。
ただ、必要な言葉を、必要なときに添えていた。
それが、どれほど自然な支えだったのか。
アルベルトは、ようやく思い至る。
自分は、彼女を選ばなかったのではない。
選ぶ必要があると、思っていなかった。
「分かってくれると思っていた」
その言葉が、頭の中で反響する。
分かってくれるから、説明しなくていい。
分かってくれるから、選ばなくていい。
その前提の上に、すべてを積み上げていた。
――分かってくれる、とは。
そう考えたとき、胸の奥がわずかに痛んだ。
分かってくれる存在とは、都合よくそこにあるものではない。
選び続けなければ、いなくなるものだった。
その当たり前の事実を、
アルベルトは今になって理解する。
だが、理解したときには、すでに遅かった。
リーシェは、何も言わずに去った。
責めることも、条件を突きつけることもなかった。
だからこそ、その不在が、今になって重くのしかかる。
「……失ったのか」
ようやく、その言葉が形になる。
失ったのは、婚約者という立場ではない。
屋敷を整える役割でもない。
自分の判断を、静かに支えていた存在そのものだ。
アルベルトは、椅子に深く腰を下ろし、目を閉じる。
後悔はある。
だが、それをどうすることもできない。
今さら追いかけても、言葉を尽くしても、埋まらない距離があることを、彼自身が一番よく分かっていた。
気づくのが、遅すぎた。
その事実だけが、静かに、胸の奥に沈んでいった。
それは突然の後悔ではなく、
積み重なった違和感が、形を持ちはじめただけのことだった。
執務室で書類に目を通していても、集中が続かない。
判断はできる。決裁も進む。
だが、以前のような確信を持った判断ができない。
「……これで良かったのか」
誰にともなく呟き、手を止める。
リーシェがいた頃、こうした場面では、
一度だけ、視線を向けていた。
意見を求めるわけではない。
確認するわけでもない。
ただ、そこに支えてくれる人がいるという事実が、判断の輪郭をはっきりさせていた。
今は、それがない。
判断は自分一人で下しているはずなのに、
どこかで、支えを失った感覚が残る。
会合の場でも同じだった。
議論は進むが、まとまりに欠ける。
「では、結論はこの方向で」
そう言ったあと、本当にそれでいいのかと、胸の奥で引っかかる。
以前なら、こうした小さな綻びは生まれなかった。
それが誰の役割だったのか、
アルベルトは考えようとしなかった。
考えなくても済んでいたからだ。
夜、屋敷に戻る。
廊下を歩きながら、足音がやけに響くことに気づく。
静かすぎる。
使用人たちは変わらず動いている。
だが、空気が違う。
必要なことだけが、淡々と行われている。
それが、悪いわけではない。
むしろ、効率的だ。
それなのに、どこかで「足りない」と感じてしまう。
食卓に座り、料理に手をつける。
味は、以前と変わらない。
「……美味しいな」
そう呟いてから、そういった他愛のないことを共有する相手がいないことに気づく。
あのとき、リーシェは何をしていただろう。
食事の内容を気にするでもなく、
こちらの予定を詮索するでもなく。
ただ、必要な言葉を、必要なときに添えていた。
それが、どれほど自然な支えだったのか。
アルベルトは、ようやく思い至る。
自分は、彼女を選ばなかったのではない。
選ぶ必要があると、思っていなかった。
「分かってくれると思っていた」
その言葉が、頭の中で反響する。
分かってくれるから、説明しなくていい。
分かってくれるから、選ばなくていい。
その前提の上に、すべてを積み上げていた。
――分かってくれる、とは。
そう考えたとき、胸の奥がわずかに痛んだ。
分かってくれる存在とは、都合よくそこにあるものではない。
選び続けなければ、いなくなるものだった。
その当たり前の事実を、
アルベルトは今になって理解する。
だが、理解したときには、すでに遅かった。
リーシェは、何も言わずに去った。
責めることも、条件を突きつけることもなかった。
だからこそ、その不在が、今になって重くのしかかる。
「……失ったのか」
ようやく、その言葉が形になる。
失ったのは、婚約者という立場ではない。
屋敷を整える役割でもない。
自分の判断を、静かに支えていた存在そのものだ。
アルベルトは、椅子に深く腰を下ろし、目を閉じる。
後悔はある。
だが、それをどうすることもできない。
今さら追いかけても、言葉を尽くしても、埋まらない距離があることを、彼自身が一番よく分かっていた。
気づくのが、遅すぎた。
その事実だけが、静かに、胸の奥に沈んでいった。
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