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第20話 今
会合を終え、建物を出ると、空気がひんやりとしていた。
夕暮れの光が石畳を薄く染め、遠くで馬のいななきが聞こえる。
リーシェは立ち止まらず、そのまま歩いた。
胸の奥を確かめる必要もなかった。
先ほどの会話は、もう背中の方へ遠ざかっている。
言葉の一つひとつを思い返して、別の答えを探すこともない。
「もう、戻れません」
そう口にしたとき、声は震えていなかった。
強がりでも、怒りでもなく、ただ事実として出てきた言葉だった。
歩幅が乱れないことが、そのまま答えのようだった。
道の脇に植えられた冬の樹が、風に枝を揺らしている。
葉の落ちた影が細く伸び、石畳の上に静かに重なる。
リーシェは、その影を踏みながら進んだ。
あの屋敷で、言葉を飲み込んでいた頃の自分を思い出そうとしても、
もう、輪郭が薄い。
あの時の自分は、先に理解し、先に受け入れ、先に整えた。
誰かの判断を正しいものとして扱うために、気持ちを脇へ置いた。
そうすることが、役目なのだと思っていた。
けれど今は、違う。
仕事の場で、判断を急がせる声があっても、必要なら「待ってください」と言える。
言えば、誰かが苛立つのではなく、状況が整え直される。
自分の言葉が場に残り、次の判断に繋がっていく。
その積み重ねが、いつの間にか身体に沁みていた。
だから、戻ってほしいと言われても、揺れなかった。
過去を取り戻す言葉に、心が動く余地はもうなかった。
戻らない理由を並べ立てる必要もない。
戻る必要がないことが、すでに日常になっている。
屋敷での暮らしは、終わった。
役目も、期待も、そこで止まった。
そしてそれは、失ったものではなかった。
手放したのだと、今は分かる。
角を曲がると、迎えの馬車が停まっていた。
御者が帽子を胸に当て、小さく頭を下げる。
「お疲れさまでございました」
「ありがとう」
リーシェは乗り込み、揺れの少ない座席に背を預けた。
窓の外がゆっくり流れていく。
同じ景色でも、以前のように息が詰まることはない。
自分の気持ちが、どこかへ置き去りにならない。
馬車が動き出す。
車輪の音が規則正しく響き、夜が少しずつ濃くなっていく。
リーシェは目を閉じ、短く息を吐いた。
あの場で言えたことを、誇る気持ちはない。
ただ、それが自然だったことに、静かな安心がある。
もう、戻らない。
それは決意というより、今の自分の形だった。
夕暮れの光が石畳を薄く染め、遠くで馬のいななきが聞こえる。
リーシェは立ち止まらず、そのまま歩いた。
胸の奥を確かめる必要もなかった。
先ほどの会話は、もう背中の方へ遠ざかっている。
言葉の一つひとつを思い返して、別の答えを探すこともない。
「もう、戻れません」
そう口にしたとき、声は震えていなかった。
強がりでも、怒りでもなく、ただ事実として出てきた言葉だった。
歩幅が乱れないことが、そのまま答えのようだった。
道の脇に植えられた冬の樹が、風に枝を揺らしている。
葉の落ちた影が細く伸び、石畳の上に静かに重なる。
リーシェは、その影を踏みながら進んだ。
あの屋敷で、言葉を飲み込んでいた頃の自分を思い出そうとしても、
もう、輪郭が薄い。
あの時の自分は、先に理解し、先に受け入れ、先に整えた。
誰かの判断を正しいものとして扱うために、気持ちを脇へ置いた。
そうすることが、役目なのだと思っていた。
けれど今は、違う。
仕事の場で、判断を急がせる声があっても、必要なら「待ってください」と言える。
言えば、誰かが苛立つのではなく、状況が整え直される。
自分の言葉が場に残り、次の判断に繋がっていく。
その積み重ねが、いつの間にか身体に沁みていた。
だから、戻ってほしいと言われても、揺れなかった。
過去を取り戻す言葉に、心が動く余地はもうなかった。
戻らない理由を並べ立てる必要もない。
戻る必要がないことが、すでに日常になっている。
屋敷での暮らしは、終わった。
役目も、期待も、そこで止まった。
そしてそれは、失ったものではなかった。
手放したのだと、今は分かる。
角を曲がると、迎えの馬車が停まっていた。
御者が帽子を胸に当て、小さく頭を下げる。
「お疲れさまでございました」
「ありがとう」
リーシェは乗り込み、揺れの少ない座席に背を預けた。
窓の外がゆっくり流れていく。
同じ景色でも、以前のように息が詰まることはない。
自分の気持ちが、どこかへ置き去りにならない。
馬車が動き出す。
車輪の音が規則正しく響き、夜が少しずつ濃くなっていく。
リーシェは目を閉じ、短く息を吐いた。
あの場で言えたことを、誇る気持ちはない。
ただ、それが自然だったことに、静かな安心がある。
もう、戻らない。
それは決意というより、今の自分の形だった。
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