私より幼馴染を選んだ婚約者に別れを告げたら謝罪に来ましたが、契約を守れない貴族とは取引しませんので

藤原遊

文字の大きさ
1 / 2

第1話 婚約の破綻

しおりを挟む
煌びやかなシャンデリアの光が、広間の床を淡く照らしていた。
今夜この屋敷で開かれているのは、貴族と有力商人を招いた晩餐会だ。音楽隊の奏でる穏やかな旋律に合わせ、客たちは談笑しながら杯を傾けている。

祖父が創立した我が商会も、当然のように招かれていた。

私は壁際で一息つきながら、広間の様子を眺める。貴族と商人の思惑が入り混じるこういう場は、決して嫌いではない。むしろ、商談の気配が漂う空気は落ち着く。

けれど今夜は、少しだけ気が重かった。

視線の先には、私の婚約者――アルベルト様がいたからだ。

そしてその腕には、私ではない女性がしがみついていた。

栗色の髪を揺らしながら、彼に寄り添っているのは、彼の幼馴染だと聞いている令嬢。二人は人目も憚らず距離が近く、周囲の貴族たちが微妙な表情を浮かべているのが遠目にも分かった。

……婚約者として、これはさすがに看過できない。

私は静かに歩み寄った。

「アルベルト様」

声をかけると、彼は振り向いた。だが、その腕は幼馴染を抱えたままだ。

「ああ、来ていたのか」

どこか軽い調子の声だった。

幼馴染の令嬢は、私を見るとわずかに顎を上げる。勝ち誇るような視線だった。

私は一度だけ深く息を吸う。

「その方は……?」

分かりきった問いだったが、あえて口にした。

アルベルト様は困ったように笑う。

「ああ、彼女は昔からの幼馴染なんだ。今日は少し落ち込んでいてね」

そう言いながら、彼は幼馴染の肩を軽く叩く。

幼馴染はますます彼に寄り添った。

「アルベルト様は優しいの。昔から、私のことを放っておけないのよ」

甘えた声だった。

周囲の視線がさらに集まる。

婚約者がいる男に対して、これは明らかに行き過ぎた振る舞いだ。普通なら、当人が距離を取るはずだ。

だがアルベルト様は、そうしない。

むしろ私に向かって言った。

「彼女は昔からの幼馴染なんだ。少しくらい大目に見てくれ」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がすっと冷えた。

ああ、なるほど。

そういうことなのね。

私はゆっくりと口を開く。

「では」

一瞬、音楽が遠くなったような気がした。

「婚約は解消しましょう」

広間の空気が凍りつく。

近くにいた客たちが一斉にこちらを振り向いた。

アルベルト様は、まるで聞き間違えたかのような顔をする。

「……え?」

幼馴染も目を見開いた。

私は淡々と言葉を続ける。

「婚約という契約を軽視する方とは、これ以上関係を続けることはできません」

商人の家に生まれた以上、契約は絶対だ。

それは商売だけではない。婚約もまた、双方の家が取り交わした契約の一つである。

その場でそれを踏みにじるなら、答えは一つしかない。

アルベルト様はようやく我に返ったようだった。

「ま、待て。そんな大げさな話じゃ――」

「いいえ」

私は首を横に振る。

「大げさではありません」

そして、もう一言だけ付け加えた。

「祖父の商会との契約も、終了ということで」

ざわ、と周囲がどよめいた。

今度こそアルベルト様の顔色が変わる。

「……それはどういう意味だ?」

声が低くなる。

私は微笑んだ。

「言葉どおりです」

彼の領地の港には、我が商会の船が多く出入りしている。倉庫も、物流も、商人の往来も。

その大半が、祖父の商会の取引によるものだ。

「婚約が前提の契約でしたので」

私は静かに告げる。

「婚約が解消されるなら、取引を続ける理由もありません」

アルベルト様は言葉を失った。

周囲の貴族たちも、互いに顔を見合わせている。

幼馴染だけが、信じられないという顔で私を睨んでいた。

だが私は、それ以上何も言わなかった。

話は、もう終わっている。

契約が破綻した以上、必要なのは感情ではなく手続きだけだ。

私は一礼すると、広間を後にした。

背後から、慌てた声が追いかけてくる。

「おい、待て!」

アルベルト様の声だった。

けれど私は振り返らない。

契約を守れない相手に、これ以上時間を使うつもりはないのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません

藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。 ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。 「君は分かってくれると思っていた」 その一言で、リーシェは気づいてしまう。 私は、最初から選ばれていなかったのだと。 これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。 後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、 そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。

妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです

藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。 ――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。 妹は父の愛人の子。 身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、 彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。 婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、 当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。 一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。 だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。 これは、誰かが罰した物語ではない。 ただ、選んだ道の先にあった現実の話。 覚悟のなかった婚約者が、 自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。

婚約破棄ですか? どうぞご自由に。私は勇者と国を立て直しますので

藤原遊
恋愛
魔王討伐を成し遂げ、国に平和をもたらした聖女。 けれど凱旋の式典で王子から告げられたのは、労いの言葉ではなく――婚約の解消だった。 「君はもう役目を終えた。強い君なら一人でも生きていけるだろう?」 その言葉を、聖女は静かに受け入れる。 もとより、必要とされない場所に留まる理由などないのだから。 城を去った彼女に差し伸べられたのは、思いがけない手。 新たな地、新たな役目、そして新たな選択。 失って初めて気づいたとしても、もう遅い。 これは、 手放された聖女が正しい場所へ歩いていく物語。

私だけが愛して1度も笑ったことの無い夫が、死んだはずの息子を連れてもどってきた

まつめ
恋愛
夫はただの一度も私に笑いかけたことは無く、穏やかに夫婦の時間をもったこともない。魔法騎士団の、騎士団長を務める彼は、23年間の結婚生活のほとんどを戦地で過ごしている。22歳の息子の戦死の知らせが届く。けれど夫は元気な息子を連れて私の元に戻って来てくれた。

婚約破棄されたので、もうあなたを想うのはやめます

藤原遊
恋愛
王城の舞踏会で、公爵令息から一方的に婚約破棄を告げられた令嬢。 彼の仕事を支えるため領地運営を担ってきたが、婚約者でなくなった以上、その役目を続ける理由はない。 去った先で彼女の能力を正当に評価したのは、軍事を握る王弟辺境伯だった。 想うことをやめた先で、彼女は“対等に必要とされる場所”を手に入れる。

年下の貴方は、私が磨き上げた魅力で年下の女を口説く~『守られるより、守る男になりたいんだ』、では、私の気持ちは?~

恋せよ恋
恋愛
侯爵令嬢ビビアンは、一歳年下の伯爵令息エリオットを、 愛ゆえに厳しく「完璧な貴公子」へと導き教育した。 エリオットもまた、凛とした彼女を誰より慕い、 期待に応えようと背中を追い続けてきた――。 しかし、関係が崩れるのは一瞬だった。 エリオットの前に現れた、儚げな一歳下のジュリエット。 「彼女を放っておけないんだ。僕が守ってあげなきゃ」 ビビアンに導かれ、甘えていた少年が初めて「男」として 頼られた瞬間に芽生えた、未熟な征服欲だった。 彼はビビアンを愛していた。だからこそ、自分の変化も、 感情も、すべて彼女に報告できると信じて疑わなかった。 自分勝手な年下ヒーローが、最愛を失って初めて 「男」として覚醒し、跪いて愛を乞うまでの後悔と再起の物語。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

旦那様、彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵夫人フルールは、夫である伯爵と愛人の秘書に長年頭を悩ませていた。 何度夫に苦言を呈しても「彼女は仕事において必要不可欠なパートナーだから」と一切聞く耳を持たない。 困り果てていたそのとき、彼女は突然前世の記憶を取り戻した。 このままだと夫と愛人の真実の愛の犠牲になってしまう。 それだけは御免だ。 結婚五年目にして、彼女はようやく夫を見限り、新たな事業を立ち上げた。 そして事業を成功させたフルールの隣には、いつも同じ男が立っていた。 その男は誰なのかと問い詰める夫に、フルールはニッコリ笑って言った。 「彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです」と。

妹に婚約者を譲るつもりだった悪役令嬢ですが、なぜか溺愛されています

藤原遊
恋愛
悪役令嬢に転生した私は、いずれ自分が断罪される未来を知っている。 理由はひとつ。 婚約者が、妹を選んでしまうからだ。 だから決めた。 彼を奪わない。妹を傷つけない。 私は静かに身を引こう、と。 体調不良を理由に距離を取って、 二人が結ばれるのを待つ――はずだったのに。 なぜか婚約者は、離れるほど私を追いかけてくる。 「君を失う未来なんて認めない」 ……どうして、溺愛されているのですか?

処理中です...