世界を救った魔法使いですが、夫である王子に裏切られたので慰謝料を請求します

藤原遊

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第二話 矛先

歓声は、まだ続いている。

けれどそれは、もはや私に向けられたものではなかった。広場の中心に立つのは王子と、その隣に寄り添う女性であり、人々の視線は二人のあいだを行き来しながら、どこに感情を置くべきかを測りかねているように揺れている。

英雄の帰還という“予定された物語”が、足元から崩れかけている。

「……少し、よろしいでしょうか」

控えめな声が広場に落ちると、先ほどまでのざわめきが波のように引いていき、自然と耳目がその女性へと集まった。

彼女は王子の半歩後ろに立ち、視線を伏せたまま言葉を選ぶように続ける。

「殿下は……あなた様を失ったとお思いになり、深く心を痛めておられました」

震える声音、途切れがちな言葉、そのどれもが“そう見える”ように整えられていて、実際にどれほどの人間がその言葉に同情を寄せたのかは、周囲の空気がやわらかく変わる気配だけで十分に分かった。

「そのお心を……どうか、汲んでいただけませんか」

ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳は涙に濡れているのに、そこに迷いはなく、どこへ視線を向ければ最も効果的かを理解している目だった。

私はその視線を正面から受け止めたまま、静かに問いを返す。

「汲む、とは具体的にどういう意味でしょうか」

わずかに呼吸が止まる。

その一瞬の遅れが、すべてを物語っていた。

「慰謝料請求の取り下げを指しているのであれば、それは契約に反します」

言葉を重ねると、同情に傾きかけていた空気が再び揺らぎ、今度は困惑へと形を変えて広がっていくのが分かる。

女性はすぐに言葉を探し直す。

「そのようなつもりでは……ただ、殿下はお一人で全てを背負っておられて……」

「王家の事情、ということですか」

遮ると、言葉が途切れた。

一拍遅れて、王子が低く応じる。

「……そうだ。これは、私個人の問題ではない」

その言い方は、自分をそこから切り離すためのものであり、同時に、どこかに“決定権のある誰か”がいることを示している。

私はそのまま問いを重ねる。

「では、どなたの意思ですか」

王子は答えない。

視線を外したまま、沈黙する。

けれど、その沈黙こそが十分な答えだった。

私は小さく息を吐く。

魔王討伐の直前に持ち込まれた婚姻、整いすぎていた条件、そしてこの場での反応――点だった違和感が繋がり、ようやく輪郭を持ち始める。

「……理解しました」

そう告げると、王子がわずかに顔を上げ、女性もまた不安げにこちらを見た。

「でしたら、請求先を明確にしておきましょう」

視線を上げる。

王城の上層、そのさらに奥にいるであろう存在へ。

「個人ではなく王家の判断であるなら」

一拍置く。

「慰謝料は、王家全体に対して請求いたします」

その言葉が落ちた瞬間、広場の空気が凍りついた。

先ほどまで確かにあったざわめきが消え、代わりに重く張り詰めた静寂が広がる。

女性の顔から血の気が引き、王子は何も言えないまま、初めて真正面からこちらを見ていた。

ようやく――状況の重さを理解したらしい。
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