32 / 69
31
しおりを挟む
白い息が窓ガラスを曇らせるたび、リリーナは指でそっと丸を描いては消した。
王都の冬は例年よりも静かだった。
――いや、静かにせざるを得ないのだ。
出征した兵の数だけ、街のざわめきも人の笑い声も薄れていく。
今日はユリアン十三歳の誕生日。
卓上には掌ほどの小さな雪白ケーキ、溶けかけの蝋燭が一本。
鎧細工の菓子飾りもない。こころばかりの柊を添えただけ。
それでも弟は瞳を輝かせ、包みを開ける手が震えている。
去年までの幼さが抜け、あごの線は細く締まりつつある。
剣稽古で付いた筋が、礼装の肩にわずかに張りを作っていた。
「姉さま、これ……!」
深い紺のベルベットをほどくと現れたのは、儀礼用より一段実用に近い細身の短剣。
鍔にはアクアマリンと同じ淡い蒼が細工されている。
“いつか剣を取らねばならぬ日が来ても――蒼き護りとともに歩む”
そんな祈りを込めて打たせた鋼だ。
ユリアンは胸元の自作アクアマリンを確かめ、少し低くなった声でつぶやく。
「ぼくも、守る側に近づけるかな……」
リリーナは微笑む。それが姉として当然の役割と知りながら。
けれど胸の奥には冷たい刃が刺さっていた。
(原作の未来は変えた。ユリアンは戦に駆り出されずに済む。
その代わり、兄上が矢面に立っている。
私は何を守り、何を差し出したの?)
ふいに扉が叩かれ、エドガーが戦地の印を押した封筒を手渡す。
ロウが欠け、墨はにじみ、雪と焚火の匂いが混じった粗野な便箋。
ヴァルセリオス第一王子からの手紙だ。
《妹と弟よ。
王都にも雪が降っているか。
こちらでは白いものが舞うが、大地は泥と火薬で黒く染まる。
それでも、お前たちが笑っていると思えば心が温い。
――ユリアン、十三の誕生日おめでとう。
リリーナ、灯をありがとう。いつか雪の夜を共に歩こう。
必ず帰る。》
十三歳の少年の胸に、兄の言葉は重く深く届く。
ユリアンは短剣を抱き、しかし表情はぎゅっと引き結ばれていた。
「兄上……無事なんだね。よかった……」
無邪気な安堵ではない。
戦場へ立つ者の重さを、十三歳なりに感じ取った上での祈り。
その背を見つめるリリーナの心は、痛みに千々に裂ける。
(弟を王へ。兄を盾へ。
私の選択は、傷を分かち合うことではなく、重さを片方に背負わせることだったのか)
アクアマリンの首飾りが胸骨の上で小さく揺れる。
蒼い光は優しい。けれど、その優しさが刃となって胸を裂く。
「姉さま、大丈夫?」
低くなり始めたユリアンの声が袖を引く。
リリーナは一瞬だけまぶたを閉じ、氷ごと抱きしめるように笑顔を整えた。
「ええ。兄上が無事で……私も、嬉しいわ」
――優先順位は揺るがない。ユリアンの未来と、兄の帰還。
矛盾を抱えたまま、それでも手放さず歩くしかない。
リリーナは弟を抱き寄せ、静かに祈った。
雪が夜を覆い尽くしても、帰還の朝が訪れるように――。
王都の冬は例年よりも静かだった。
――いや、静かにせざるを得ないのだ。
出征した兵の数だけ、街のざわめきも人の笑い声も薄れていく。
今日はユリアン十三歳の誕生日。
卓上には掌ほどの小さな雪白ケーキ、溶けかけの蝋燭が一本。
鎧細工の菓子飾りもない。こころばかりの柊を添えただけ。
それでも弟は瞳を輝かせ、包みを開ける手が震えている。
去年までの幼さが抜け、あごの線は細く締まりつつある。
剣稽古で付いた筋が、礼装の肩にわずかに張りを作っていた。
「姉さま、これ……!」
深い紺のベルベットをほどくと現れたのは、儀礼用より一段実用に近い細身の短剣。
鍔にはアクアマリンと同じ淡い蒼が細工されている。
“いつか剣を取らねばならぬ日が来ても――蒼き護りとともに歩む”
そんな祈りを込めて打たせた鋼だ。
ユリアンは胸元の自作アクアマリンを確かめ、少し低くなった声でつぶやく。
「ぼくも、守る側に近づけるかな……」
リリーナは微笑む。それが姉として当然の役割と知りながら。
けれど胸の奥には冷たい刃が刺さっていた。
(原作の未来は変えた。ユリアンは戦に駆り出されずに済む。
その代わり、兄上が矢面に立っている。
私は何を守り、何を差し出したの?)
ふいに扉が叩かれ、エドガーが戦地の印を押した封筒を手渡す。
ロウが欠け、墨はにじみ、雪と焚火の匂いが混じった粗野な便箋。
ヴァルセリオス第一王子からの手紙だ。
《妹と弟よ。
王都にも雪が降っているか。
こちらでは白いものが舞うが、大地は泥と火薬で黒く染まる。
それでも、お前たちが笑っていると思えば心が温い。
――ユリアン、十三の誕生日おめでとう。
リリーナ、灯をありがとう。いつか雪の夜を共に歩こう。
必ず帰る。》
十三歳の少年の胸に、兄の言葉は重く深く届く。
ユリアンは短剣を抱き、しかし表情はぎゅっと引き結ばれていた。
「兄上……無事なんだね。よかった……」
無邪気な安堵ではない。
戦場へ立つ者の重さを、十三歳なりに感じ取った上での祈り。
その背を見つめるリリーナの心は、痛みに千々に裂ける。
(弟を王へ。兄を盾へ。
私の選択は、傷を分かち合うことではなく、重さを片方に背負わせることだったのか)
アクアマリンの首飾りが胸骨の上で小さく揺れる。
蒼い光は優しい。けれど、その優しさが刃となって胸を裂く。
「姉さま、大丈夫?」
低くなり始めたユリアンの声が袖を引く。
リリーナは一瞬だけまぶたを閉じ、氷ごと抱きしめるように笑顔を整えた。
「ええ。兄上が無事で……私も、嬉しいわ」
――優先順位は揺るがない。ユリアンの未来と、兄の帰還。
矛盾を抱えたまま、それでも手放さず歩くしかない。
リリーナは弟を抱き寄せ、静かに祈った。
雪が夜を覆い尽くしても、帰還の朝が訪れるように――。
3
あなたにおすすめの小説
喚ばれてないのに異世界召喚されました~不器用な魔王と身代わり少女~
浅海 景
恋愛
一冊の本をきっかけに異世界へと転移してしまった佑那。本来召喚されて現れるはずの救世主だが、誰からも喚ばれていない佑那は賓客として王宮に留まることになった。異世界に慣れてきたある日、魔王が現れ佑那は攫われてしまう。王女の代わりに攫われたと思い込んだ佑那は恩を返すため、身代わりとして振舞おうとする。不器用な魔王と臆病な少女がすれ違いながらも心を通わせていく物語。
呪われ公爵様は偏執的に花嫁を溺愛する
香月文香
恋愛
月の明るすぎる夜、公爵令嬢のイリーシャは、双子の弟が殺される場面に遭遇する。弟を殺めたのは、義理の兄である「呪われた子」のユージンだった。恐怖に震えながら理由を問うイリーシャに、彼は甘く笑いながら告げる。
「きみを愛しているからだよ」
イリーシャは弟の地位を奪い公爵家当主となったユージンと結婚することに。
ユージンは重すぎる愛でもってイリーシャを溺愛するが、彼女は彼を許せなくて——。
ヤンデレに執着された発狂寸前ヒロインによる愛と憎悪の反復横跳び。
※他サイト(小説家になろう・魔法のiらんど)にも掲載しています
ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています
木漏れ日
恋愛
天才魔術師セディが自分の番である『異界渡りの姫』を召喚したとき、16歳の少女奈緒はそれに巻き込まれて、壁外という身分を持たない人々が住む場所に落ちました。
少女は自分を異世界トリップに巻き込んだ『異界渡り姫』に復讐しようとして失敗。なぜかロビン辺境伯は少女も『異界渡りの姫』だと言って溺愛するのですが……
陰陽の姫シリーズ『図書館の幽霊って私のことですか?』と連動しています。
どちらからお読み頂いても話は通じます。
バイトの時間なのでお先に失礼します!~普通科と特進科の相互理解~
スズキアカネ
恋愛
バイト三昧の変わり者な普通科の彼女と、美形・高身長・秀才の三拍子揃った特進科の彼。
何もかもが違う、相容れないはずの彼らの学園生活をハチャメチャに描いた和風青春現代ラブコメ。
◇◆◇
作品の転載転用は禁止です。著作権は放棄しておりません。
DO NOT REPOST.
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~
浅海 景
恋愛
オッドアイで生まれた透花は家族から厄介者扱いをされて引きこもりの生活を送っていた。ある日、双子の姉に突き飛ばされて頭を強打するが、目を覚ましたのは見覚えのない場所だった。ハウゼンヒルト神聖国の王子であるフィルから、世界を救う御子(みこ)だと告げられた透花は自分には無理だと否定するが、御子であるかどうかを判断するために教育を受けることに。
御子至上主義なフィルは透花を大切にしてくれるが、自分が御子だと信じていない透花はフィルの優しさは一時的なものだと自分に言い聞かせる。
「きっといつかはこの人もまた自分に嫌悪し離れていくのだから」
自己肯定感ゼロの少女が過保護な王子や人との関わりによって、徐々に自分を取り戻す物語。
【完結】これはきっと運命の赤い糸
夏目若葉
恋愛
大手商社㈱オッティモで受付の仕事をしている浅木美桜(あさぎ みお)。
医師の三雲や、経産省のエリート官僚である仁科から付き合ってもいないのに何故かプロポーズを受け、引いてしまう。
自社の創立30周年記念パーティーで、同じビルの大企業・㈱志田ケミカルプロダクツの青砥桔平(あおと きっぺい)と出会う。
一目惚れに近い形で、自然と互いに惹かれ合うふたりだったが、川井という探偵から「あの男は辞めておけ」と忠告が入る。
桔平は志田ケミカルの会長の孫で、御曹司だった。
志田ケミカルの会社の内情を調べていた川井から、青砥家のお家事情を聞いてしまう。
会長の娘婿である桔平の父・一馬は、地盤固めのために銀行頭取の娘との見合い話を桔平に勧めているらしいと聞いて、美桜はショックを受ける。
その上、自分の母が青砥家と因縁があると知り……
━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
大手商社・㈱オッティモの受付で働く
浅木 美桜(あさぎ みお) 24歳
×
大手化粧品メーカー・㈱志田ケミカルプロダクツの若き常務
青砥 桔平(あおと きっぺい) 30歳
×
オフィスビル内を探っている探偵
川井 智親(かわい ともちか) 32歳
男装獣師と妖獣ノエル 2~このたび第三騎士団の専属獣師になりました~
百門一新
恋愛
男装の獣師ラビィは『黒大狼のノエル』と暮らしている。彼は、普通の人間には見えない『妖獣』というモノだった。動物と話せる能力を持っている彼女は、幼馴染で副隊長セドリックの兄、総隊長のせいで第三騎士団の専属獣師になることに…!?
「ノエルが他の人にも見えるようになる……?」
総隊長の話を聞いて行動を開始したところ、新たな妖獣との出会いも!
そろそろ我慢もぷっつんしそうな幼馴染の副隊長と、じゃじゃ馬でやんちゃすぎるチビ獣師のラブ。
※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ」「カクヨム」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる