ひとりだけの恋【百合】

やらぎはら響

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ひとりだけの恋

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立花由真には三つ歳の離れた姉がいる。
立花明美。
姉妹仲は、悪い。
早朝の台所で由真は高校を卒業してすぐに染めた茶髪を揺らしながら台所の前を通った。
そばかすの浮いている顔には、しっかりと化粧が施されている。
大学に行くべく玄関に行こうと台所を通り過ぎようとしたら。
「由真、朝ご飯は?」
 声をかけられた方を見れば、テーブルについている明美が朝食を取っていた。
 胸元までの茶色い髪を後ろでひとつに束ねて、灰色のワンピースを着ている姿はとても地味だ。
「いらない、いちいち聞かないでよウザイ」
 ちらりと横目で見やると、ツンとした声で返事をして由真はそのまま玄関に向かい靴をはいて外へと出た。
 小さい頃は仲のいい姉妹だった。
 由真はどこに行くにも明美の後をおねーたん、おねーたんとついて回ったし、明美も面倒見がよくいつも傍にいたのだ。
 由真が中学に上がる頃オシャレに目覚めた妹とは対照的に姉は高校に上がっても地味で化粧気もなかった。
きっかけは、些細な事だった。
外で友達と遊んでいる時だ。
 大好きな姉を見つけ、明美も由真に気付いた。
 ふわりと笑って手を振ってくれた明美に、由真も手を振り返そうとした時だ。
 一緒にいた友人。
 派手な格好でスクールカーストでも上位の人間だった。
「由真の姉さんダサくね?ヤバイでしょあれ」
 きゃらきゃらと笑いながら心底馬鹿にした声音に。
「行こ」
 手を振り返す事もなく由真はくるりと背を向けた。
 それが最初のきっかけ。
 それ以来、どんどん疎遠になっていった。
 それでも明美はずっと気にかけてくれていた。
 毎日忙しい母の代わりにお弁当はもちろん家での食事も作り、高校、大学受験にはお守りを買ってきて合格した時には自分の事のように喜んでくれた。
 優しいやさしい、お姉ちゃん。
 その日の昼間、由真は雑踏の中でズルズルと買ったフラペチーノを飲みながら目的もなくブラブラと歩いていた。
 欲しいものは、特にはない。
 楽しいことも、特にはない。
 家に帰ろうかと思った時だった。
 ピタリと白いヒールが止まった。
 思わず立ち止まった由真のコンタクトレンズで茶色にしている目が、わずかに見開かれる。
 視線の先には明美がいた。
 男と一緒に。
 清潔感のある雰囲気の男だった。
 隣を歩く明美ははにかんだ顔で茶色い目をしんなりと細めている。
 キリ、と我知らず唇を噛み、ぐしゃりと手に持っていたプラスチック容器が握りつぶされ上に乗っていたホイップクリームが手にかかった。
 それを気にすることもなく地面に容器を投げ捨てると、由真は二人の後ろ姿を追って行った。
 服屋に入って行った二人の後をつけ、棚の隙間からそちらを見る。
 男は楽しそうに女物の青いワンピースを手に取り、明美に当てていた。
 それを照れたように明美が鏡を見ている。
「あんな服、似合わない」
 口の中で忌々し気に吐き捨てた声は、けれど二人には聞こえるわけもない。
 あんな風に笑う顔も知らない。
 あんな風に照れる姿なんて見た事ない。
 このまま飛び出してそのワンピースを引き裂いてやりたい衝動に駆られるのを由真はネイルのされた指を握りこむ事で耐えていた。
 由真は店を後にすると、先程寄り道した店でもう一度飲み物を買った。
 チョコレートドリンクにホイップクリーム。
 そうして二人のいた店に戻るとちょうど明美と男が出てきて、手を振り合って別れていた。
 たしか明美は水曜日は午後から講義があった筈だから、大学に行くのだろう。
 明美と別れて横断歩道の方へ向かった男の後をそっとつけていく。
 赤信号に男が立ち止まったのを見て、への字に歪めていた口元を緩めてその背中に一歩を踏み出した。
「きゃあ」
「うわっ」
ドンと男の背中にぶつかった瞬間、持っていたドリンクの蓋が外れてホイップクリームが男のシャツについた。
驚いた男が眉を上げて振り向いた顔に、由真は眉をへたれさせた。
「す、すみません!よそ見してて」
「あ、いいえ、大丈夫ですか?」
 左腕についたホイップクリームに一瞬唖然としていたが、由真が謝罪を口にすると男は悪気はないと気付いたのだろう人が良さそうに笑った。
「大丈夫です。すみません、汚しちゃって。拭き取るんで、とりあえずこっちに」
 道の脇に誘導すると素直についてきた男に、由真は鞄からピンクのハンカチを出した。
「あ、いいよ。ハンカチ汚れるから」
 慌てた男に、しかし由真は気にした様子もなくハンカチでホイップクリームを拭い出した。
「ん…しょ…よし」
 粗方拭き終わり顔を上げると、由真は申し訳なさそうに力なく笑った。
「応急処置ですけど。本当にすみません」
 ぺこりと頭を下げて鞄から手帳を取り出すとさらさらと自分のメールアドレスを書いて破り、その紙を男に差し出した。
「あのこれ連絡先。弁償します」
「いや、大丈夫だよ。そこまでしなくても」
 その言葉に由真は手帳をなおしてメモを両手で差し出すと、頬を赤らめて俯いた。
「私が気にするんです…あの…連絡、ください」
ちらりと目線を上げると、男はほのかに頬を染めていた。
「えっと…」
「ナンパ、してるんです」
 それにわずかに目を見開いた男に、由真は満面の笑みを浮かべてみせた。
「立花由真っていいます」
 小首を傾げてみせると、さらりと茶色い髪が肩に流れた。
「志村智也です」
 まんざらでもなさそうな顔に、由真はずいと一歩前に出る。
 胸元の開いた服から見える豊満な胸をみせつけるように。
 志村の目線が思わずそこへ行ったのを意識しながら。
「デート、しませんか」
 口元を上げて、にこりと微笑んだ。
 志村とはその後何度かデートをした。
 志村は女慣れしていないわけでもなく、それとなく聞き出した予定を確認するために後をつければ、明美と歩いているのを何度か目にした。
 その傍ら、志村に心底惚れているのだという顔で、志村が喜ぶ反応を見せると彼が自分を好きになっていくのを自覚する。
 「そろそろかな」
 ガードレールに腰かけ志村を待つ傍らスマホを眺める。
 スケジュール帳を呼び出すと、志村と会うようになって一ヶ月が経っていた。
 デートは今日で五回目だ。
「由真ちゃん」
 自分を見ると嬉しそうに小走りでやってくる志村に、スマホを鞄に滑り込ませ由真は小さく手を振った。
「お待たせ」
 目の前に来た志村が当然のように由真の手を引く。
「今日はどうしようか」
 ご機嫌に由真の顔を覗き込んでくる志村に、由真は立ち止まった。
「由真ちゃん?」
訝し気な志村に、由真は頬を染めると小さく呟いた。
「ホテル、いこ」
「え…」
 驚いた顔を向ける志村に、由真はぺたりと腕に引っ付いて他人よりも豊かな胸を押し付けた。
 その感触にじっと胸元を見てしまっている志村の耳にそっと囁いてやる。
「志村さんともっと近づきたい」
 その言葉に志村の目がギラリと光るのがわかった。
 志村は由真の手を引くと、大股で歩き出した。
 角を何度か曲がった先にはラブホテル。
 そこに入り、シャワーを浴びて二人でベッドになだれ込む。
「志村さん初めて?」
「うん、恥ずかしいな」
「私もね、初めてだから…優しくして」
呟いた瞬間覆いかぶさってきた男を、由真は抱き返した。
枕元の時計を見れば、一時間ほどたっていた。
ベッドヘッドに寄りかかって座る男が隣に座る由真に熱い視線を投げかけてくる。
「由真ちゃん、凄く可愛かったよ」
 その言葉に何も答えず、由真はベッドから降りると服を身に着け始めた。
 背中を向けて、下着、ワンピースと身に着けると由真は鞄を手に取る。
「由真ちゃん?」
 様子のおかしい由真に訝し気な声がかけられる。
 その声に一呼吸おいて振り向くと、由真は眉根を寄せて泣きそうな顔を浮かべていた。
「もう会えない」
 突然の言葉に、志村は目を見開いた。
「え、どういうこと?」
「見ちゃった。お姉ちゃんといるとこ」
 言えば、志村がわからないというように眉根を寄せる。
 けれど。
「立花明美」
 次の瞬間、志村の顔が真っ青になった。
「え?立花って」
「ちょー地味な女」
「う、うそだろ」
 似てないからわからなかったと呟く志村に。
「似てるわけないじゃん」
 由真は吐き捨てた。
 そうしてドアの方へ向かうと、慌ててベッドから降りた志村が全裸のまま由真の手を掴んだ。
「待ってくれ!ゼミが同じなだけなんだ」
「わからないなあ」
 弁解する志村に、しかし由真は小首を傾げて見せた。
「付き合ってるんでしょ?」
「デートを何回かしただけだよ!セックスだって君が初めてだ!君だけだよ」
 縋りつくように由真の右手を両手で必死に掴む志村に、由真はじゃあと口を開いた。
「二度と関わらないって言ったら考えてあげる」
 言うだけ言うと、志村の手を振り払い由真はホテルを後にした。
 速足で家に帰ると。
「おかえり」
 リビングからひょこりと顔を覗かせた明美が笑っていた。
 靴を脱ぎ捨てようとした時だ。
 ラインの着信音に、明美がぴくりと肩を動かし黒いワンピースのポケットからスマホを取り出した。
一瞬嬉しそうにはにかんだ顔に。
「彼氏?」
と聞けば、そんなんじゃないと言いながらスマホをタップする。
次の瞬間明美の顔が凍り付いた。
慌てて耳にスマホを当てながら、バタバタと自室へと向かって行く。
由真が靴を脱いだのと同時にバタンと扉の閉まる音がした。
明美の後を追って姉の自室の前につくと、中からは電話をしているだろう明美のどうしてと言う涙声が聞こえてくる。
次の瞬間、鞄の中からブーブーとマナーモードにしているスマホの音がした。
スマホを取り出し画面を見ると、それは志村からで。
『連絡した。だから会わないなんて言わないでくれ』
ついで、立て続けに。
電話が鳴り出した。
ブーブーと震える音の合間に、扉の向こうから嗚咽の声がする。
泣いているんだろう。
 スマホはなおも震えている。
 それに冷めた目を向けると。
「お前なんか好きじゃないよ。ば―か」
 ネイルのされた指先が着信拒否をする。
 なおも聞こえてくるすすり泣く声。
「泣かないでよ」
 手の中のスマホを操作してギャラリーから写真を呼び出すと、そこには明美の横顔の姿があった。
 目線がこちらを向いていないのは当然だ。
 こっそりと撮ったのだから。
 明美は綺麗だと思う。
 元から色素の薄い髪と瞳。
 白い肌。
ほっそりとした華奢で儚い体。
 陽だまりのような笑顔。
 そのどれもが由真にとっては憧れで大好きだった。
 由真といたら明美は馬鹿にされる。
 明美の素晴らしさをわからない連中にそんな風に見られるのが我慢ならなくて、由真は距離を取り始めた。
 扉の向こうの明美にするように、由真は二人を隔てる扉に縋りついた。
「別にいーじゃん男なんか」
 愛してる。
愛してる。
愛してる。
「私が、ずっと傍にいてあげるのに」
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