かくりよの花嫁は溺愛される

やらぎはら響

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下を向いて速足で歩いていると、ふと聞きなれた声が聞こえたのでそちらに視線をやって、理斗はピタリと足を止めた。
 ちょうど向かいから歩いてきたのは三人組の男たちだが、大学生に見える二人は見るからにあやかしだった。
 問題は残り一人だ。
 人間だろう男が二人の後ろからヘコヘコと媚びを売るように何度も頭を下げている。
 その人物はあろうことか従兄の光だった。
 これは見てはいけないやつだと、咄嗟に視線を外そうとしたけれど光が一瞬先に理斗に視線を向けた。
すぐに気付いたのだろう。
 目をカッと開いて媚びていた相手にすぐ戻りますと口早に言い、ヅカヅカと理斗の方へ来る。
 思わず反対側へ逃げようとしたけれど、ぐいと腕を取られた。
 遠慮なく掴まれたせいで痛みが走り、眉が寄る。

「クソッ」

 そのままホールを出て廊下の先にあるトイレへと引っ張られ、ホテルらしい無駄に広いそこへと連れ込まれた。
 ドンッと黒いタイルの上に突き飛ばされ尻餅をつく。
 こんな所で会うなんてと己の不運に嘆いていると、ギラギラとした目が理斗を見下ろした。
 その顔は赤く眉は吊り上がり、怒り心頭の状態だ。
 あんなへりくだっている姿を見てしまったのだ。
 プライドが大いに傷がついたのだろう。

「何でこんなところにいる?俺を見て笑ったな!」

 完全なる言いがかりをつけられ、違うと口にしかけたけれど光の腕が振り上げられた。

(殴られる!)

 思わずぎゅっと目を閉じるけれど、衝撃はやってこない。
 おそるおそる瞼を上げて、その光景に息を飲んだ。
 光の振り上げた腕を、後ろから遠伊が掴んでいたのだ。

「ひぃっ狐の!」

 冷たいビスクドールのような美貌の眼差しに射すくめられて、光の口から引きつった声が漏れた。
 ぽかんと尻餅をついたまま、理斗は場違いにも狐のあやかしなんだ、とぼんやり思う。
 ギリ、と掴んでいる手に力がこもったのだろう。
光の口から苦痛の声が上がるのに我にかえると、理斗は慌てて立ち上がった。

「もういいから」

 焦った理斗の言葉に、遠伊は光を一瞥するとすぐに手を離した。
 その手を勢いよく取り返すと、光はへっぴり腰であたふたとトイレを出て行った。
 弱者には強く出るけれど強者には弱いタイプなのだ。
 すぐにその場が静寂に包まれる。

「えっと……」

 残された理斗は、この状況をどうしようと思いながらも立ち上がろうとすると手を差し伸べられた。
小さく頭を下げながら、けれど手はとらずに立ち上がる。

「ありがとうございます」
「うん」

 遠伊が小さく頷く。

「……」
「……」

 そのあと何か言うでもなく落ちた沈黙に、理斗はしどろもどろに視線を外しトイレの入口の方をチラリと見た。

「えっと、それじゃ……」

 ぐうううう。
 立ち去るつもりだった理斗の腹から盛大に腹の虫が鳴いた。
 まともに食事をしていないから当たり前だけれど、思わずカアッと顔が赤くなる。
 何故よりによって今鳴るのか。

「腹がすいている?」
「いえ!」

 問われた疑問に食い気味に否定の声を上げた。
 けれど遠伊は気にしたふうもなく、理斗の右手を取るとトイレの出口へと歩き出した。

「えっちょっと」

 突然の行動に戸惑った声を上げるけれど、遠伊は理斗の手を引いたままさっさとトイレから出るとそのままフロントホールも突っ切っていく。
 さっきも思ったけれど、理斗の手がすっぽり包まれるほど手が大きい。
 あやかしらしき色彩の人物や人間らしき人物まで、フロントホール中の人間が目を丸くしてこちらを見ている。
 けれどそんな視線はどこ吹く風で歩く遠伊に手を引かれ戸惑いながらついていくと、外へと出た。
 梅雨の前のこの時期はどこか風が生ぬるい。
 ホテルを出るや目の前に滑り込んできた黒い車に、乱暴ではないけれど逃げることも出来ない強引さで乗せられた。
 戸惑いのままにふかふかの座席に腰を下ろすと、途端に車が滑り出す。
 振動のない丁寧な運転の車のなか、しんと沈黙が漂っている。

(えぇ……どうしよう)

 一体どこに連れて行かれるのか。
 そわそわと顎を引いてチラリと遠伊を見ると、じっと見られていることに気付いた。
 その視線が、何だか熱を孕んでいる。
 気のせいかなと思いながら、理斗はおずおずと口を開いた。

「あの、狐塚屋さん」
「名前を」

 じっと見られて名前を言えと言われていることに気付き、ますます理斗は困惑した。

(い、言いづらい)

 さっきは気圧されて口にしたけれど、真っ直ぐな視線を見る限り呼ばなければ話が進まなさそうだ。

「えっと、遠伊さん」
「さんはいらない」

 ますます呼びづらくなった。

「……遠伊」

 迷ったすえに呼びづらいなあと思いながらも名前を言えば、無表情な顔にふわりと小さく口元が笑んだ。
 浮世離れした美貌をしているので、それだけで血のかよった表情に見える。
 その表情に目を奪われそうになるけれど、いやいやとと思い直して遠伊へとおずおず口を開いた。
 窓の外はまったく知らない景色が流れていて、今自分がどこにいるのかわからない。

「俺、家に」
「食事を用意する」

 帰らないとと続ける前に、予想しなかったことを言われて理斗はぴしりと固まった。

「いや、俺家に」
「私もまだだから」

 理斗の腹が鳴ったことでそういう結論にいたったのだろう。
 だが、しかし。

(マイペースすぎる!)

 あやかしってこういうものなのか、はたまた遠伊という男の特性なのか。
 多分後者だろうなと思いながら、理斗は膝の上に乗せていた手をきゅっと握った。

「困ります」
「さっきの男は?」

 会話になっていない。

「……従兄です。一緒に暮らしてる」
「……そう」

 理斗が内心溜息を吐きながら答えると、くっと眉がわずかに寄せられた。
 切れ長の金の瞳がひやりと冷たい光を放つ。
 なにか怒らせたのだろうかと思ったとき、車が停止した。

「敬語はいらない」

 まっすぐに声を放つと、遠伊は運転手の開けたドアから降りていく。
 そして理斗に右手を差し出してきたので、とまどいながらもその手を取って車から出ると。

「ひえぇ」

 理斗は小さく悲鳴を上げていた。
 目の前には日本家屋の大きな邸宅が居を構えていた。
 あたりを見回すと、灯篭が等間隔に置いてありいつのまにか邸の敷地内を走っていたのだと気づく。
 夜闇に灯篭に灯されている明かりが、どこまでも続きそうな庭をぽつぽつと照らしている。
 まぬけにも呆然と口を開けたままでいると、玄関であろう重厚な色合いの大きな引き戸が内側から静かに開いた。
 手を引かれるまま後をついて入ると、旅館のような広い板間が広がっており。

「おかえりなさいませ遠伊様」

 着物姿の女やスーツ姿の男がズラリと並んでいた。
 一糸乱れぬ動きで頭を下げている光景は圧巻だった。
 何より全員、色彩や雰囲気からしてあやかしだ。

「こ、ここ」
「私の邸宅だから他の家族はいない。くつろいで」
(くつろげるか!)

 思わず叫び出しそうになったのを、なんとか飲み込む。
 ここで騒いでも、いいことはない。
 遠伊はさっさと靴を脱いで三和土から上がるので、手を引かれている理斗は慌てて同じように靴を脱いだ。

「花嫁様、お待ちしておりました」

 一番前にいた金の髪の上品な婦人が、にこりと微笑みかけると再び使用人なのであろうその場のあやかしたちが頭を下げる。
 また花嫁って言われたと、いったい何なのかさっぱり分からず理斗はとまどうしかない。

「こちらへ」

 うながす遠伊に、ここまで来たのならもうどうにでもなれという思いで理斗はその長身のあとを手を引かれるままついて歩いた。
 長い板張りの廊下はピカピカに磨き上げられている。
 遠伊の背を追いかけながらその広さに驚いていると、襖の前で遠伊が立ち止まった。
スラリと開けられたそこに手のひらをひらめかせられたので、おずおずとうながされるままその襖をくぐる。

「うわ……」

 その部屋は広々とした畳の広間で、中央にある座卓と座布団以外は何もない。
 贅沢な空間の使い方にもほどがある。

「座って」

 遠伊は何の迷いもなく上座の方へと理斗をうながす。
 こういうのは目上の人間が上座なのではとは思ったけれど、ここでごねても仕方がないので理斗は素直に従った。

(正座とか、慣れない)

 もぞりと安定する位置を探して身じろいでいたら。

「足はくずしてかまわない」

目の前に背筋よく座った遠伊の言葉に、じゃあと理斗はお言葉に甘えて足をくずして座った。
 綺麗にスッと座っている遠伊に反して理斗は縮こまったまま、おそるおそる口を開いた。

「あの、花嫁って……」
「そのままの意味だ」

 やっぱりかとガクリと内心うなだれる。
 詳しいことはわからないけれど、何となく単語から雰囲気は伝わるのだ。

「俺は女じゃないから、何かの間違いじゃあないかな、と」

 むしろ間違いであってほしい。

「間違いじゃない」
「何でわかるわけ?」
「君の霊力が私の妖力に共鳴している」

 へにょんと理斗の眉は遠伊の言葉に下がった。
 人間にも霊力があるとは言うけれど、そんなもの自分ではわからない。
 まして共鳴などと言われても困る以外の言葉はなかった。

「人間には感じられない。あやかしには、伴侶にだけは感じる」
「いきなり花嫁って言われても……」
「驚くのはわかる」

 さらに理斗が眉を下げたところで、失礼しますと襖の向こうから声が聞こえた。
 遠伊の入れという言葉を合図に襖が開くと、着物姿の女達が座敷に入ってきた。
 その手には色とりどりの料理が乗った膳が持たれていて、理斗と遠伊の前にテキパキと食事の準備をすると丁寧にお辞儀をして出て行ってしまった。
 目の前のテーブルには刺身や煮物、焼き物と懐石料理のようなような立派な食事が広がっている。
 なんとなくそうかなとは予想していたけれど、現実にこんな豪勢な料理が並べられると気後れしてしまう。

「あの、やっぱり」
「食べて。君は痩せすぎだ。君のために用意した」

 遠伊の有無を言わせぬ言葉に理斗はううと呻いた。
 そりゃあここまで来ておいてと思うし、腹が鳴って空腹なのもバレてはいるけれども、ここで遠慮なく食べられるほど理斗は図太くない。
 料理からチラリと目線を上げて遠伊の方を見れば、じっとまっすぐに見つめられている。
 あきらかに食べるのを待っていた。
 これはもう観念するしかない。

「……いただきます」

 手を合わせると、おそるおそる漆塗りの椀を手に取った。
 ひとくち、ふたくちと味噌汁を飲めば出汁のきいた優しい味がふんわりと舌に広がる。

(あったかいもの食べるなんて、母さんの料理以来だ)

 冷え切った残り物が理斗の普段の食事だ。
 それとは雲泥の差だった。
 体のなか。
 胃の部分がほかりと温かくなる感覚がする。
 何年ぶりかのその感覚に理斗はほうと息を吐いてお椀をテーブルへと戻した。
 美味しいと口にしようとして遠伊の方へ視線を向けると、人形のようにずっと表情の変わらなかった彼がハッとした顔で瞠目していた。
 何だろうと思っていると、優美な手が伸ばされ目尻に長い指が触れる。
 そこでようやく理斗は自分の目から涙がこぼれ出ていることに気付いた。

「え!何で、あれ?」

 自分でもわからない意味不明の涙にとまどっていると、遠伊が腰を上げ理斗の方へと身を乗り出した。
 そうして、そっと頬を両手で包まれ親指が優しく涙を拭う。

「あの、ごめん。大丈夫、平気だから」

 泣いているのが恥ずかしくて顔を背けようとしたけれど、そっと目元に口づけられた。
 少し薄い唇が優しく押し当てられて、ぺろりと涙を舐められる。

「わあっ」

 いきなりのキスに涙は一瞬で引っ込んだ。
 もう片方の目元にも唇を寄せようとしてくるので、慌てて理斗は身を引いた。

「止まった!もう止まったから!」

 声を上げればどこか不満そうに、かすかに眉根を寄せる遠伊だ。
 そんな顔で見られても、これ以上キスをされるわけにはいかない。
 心臓がバクバクと脈打っている。
 これ以上されたら壊れてしまいそうだ。

「食べよう!ほら、そっち戻って」
「君も食べて」

 手を離され元の位置に戻る遠伊にこくこくと焦りながらも頷いて、箸を手にした。

(何なんだこの人)

 結局胃の容量が小さな理斗は半分以上も食べられなくて、遠伊にそれで足りたのかと遠慮しているのではないかと心配された。
 それにお腹いっぱいだからと断って食後のお茶を飲んで一息ついていると。

「風呂に案内する」
「へ?」

 思ってもみなかった言葉に、理斗はまぬけな声を返してしまった。

「いや、もう帰らないと」

 断ると、持っていた湯呑をことりとテーブルに置いた遠伊が立ち上がって理斗の方へとやってきた。

「明日学校だし、家に……」

 帰っても光の様子では殴られるだろうけれどと憂鬱になるが。
 帰ってからのことを想い内心溜息を吐くと、そっと右手を遠伊に取られた。
 慣れない体温と大きな手に、胸がざわつく。

「帰したくない」

 ハッキリと告げられて、理斗は眉を下げた。
 涼やかな金色の目がじっと見つめてくる。

(この短い時間でもわかる。この人絶対頑固だ。折れる気配がまったくない)

 どうしたものかと身じろいだとき、ズボンのポケットからブローチが零れ落ちた。
 それを遠伊が気づいて畳の上に落ちたブローチを手に取る。

「これは?」
「返して!」

 思わず大きな声を上げてしまった。

「君の大事な物のようだ」

 そっとそれを丁寧な手つきで理斗の手の上へと置いてくれた。
 理斗にとっては大事なものでも人から見たらすっかり薄汚れたブローチなのに。

「その、死んだ母さんの作ったものなんだ」
「そう、じゃあ大事にしなければ」

 柔らかい声音に、遠伊が本当にそう思っていることが伝わってくる。

(この人、強引だけどいい人だ)

 単純すぎるだろうとは思うけれど、警戒心が少し緩んでしまった。
 こくりと頷いて、そっとそのブローチをポケットにしまうと沈黙が広がる。

「えっと、じゃあ……」

 帰ろうかと、と続きを口にしかけるより遠伊の言葉の方が早かった。

「あの男の元に君を帰したくない」

 びくりと思わず肩が揺れた。
 けれど。

「いや、大丈夫平気だから。あんなのいつものことだし」
「いつも?」

 遠伊の眉がキリと寄せられた。
 その様子にしまったと思う。
 まずい事を言ったのではないかと思った次の瞬間、遠伊が理斗を抱き上げて立ち上がった。

「え!ちょ!」

 突然のことに目を白黒させていたが、そのあいだにも遠伊は部屋を出ると長い足で廊下をどんどん進んでいく。
 このだだっ広い邸で、これは玄関まで自力で帰ることは無理だと思い、どうしようと身じろぐけれどその腕はしっかり理斗を抱えている。
 スーツの上からはそうは見えなかったけれど、抱えられているとしっかり筋肉があることを感じられた。
 着痩せするタイプらしい。
 ようやく遠伊がひとつの扉の前に到着して引き戸を開けると、そこは広々とした脱衣所だった。
 おそらく精密な柄の彫られている曇りガラスの引き戸の向こうは、風呂場だろう。
 ようやくそこで腕の中から降ろされたと思ったら。

「入って」
「だから!」

 帰ると続けようとしたけれど。

「一緒に入る?」
「入らない!」

 条件反射で声を上げると、遠伊が小さく口角を上げた。

「じゃあ、ゆっくり温まって」

 言うなり引き戸を閉めて出て行ってしまった。

「なんって強引なんだ」

 呆気にとられて遠伊の出て行った方を見たあと、はあーと大きな溜息が漏れる。
 ここまでされたら、もう風呂に入るしかない。
 出て行っても戻されそうだ。
 それに一人で玄関まで戻れる気もしない。
 腹をくくって服を脱ぐと風呂場へと引き戸を開けた。

「広っ」

 およそ一般家庭の風呂場のサイズではない。
 檜の湯舟は余裕で大人四人は入れそうだ。
 手早く体を洗って湯舟に入ると、たっぷりとしたお湯が体を芯から温めてくれる。

「湯舟に浸かるなんていつぶりだろ」

 少なくとも両親が死んで叔父の家に引き取られてからは、シャワーのみでカラスの行水だった。
 五分以上風呂に入っていると怒られるのだ。

「毎日父さんと入ったな」

 ちゃぽんと顎まで浸かってホカホカとする温かさを堪能した。
 体が十分温まったところで浴室から出ると、いつの間にか浅黄色の模様が入った浴衣が置かれていた。
 用意周到だと思いながら袖を通して着替える。
本格的な帯ではなかったので、簡単に身につけた。
そっと廊下へと続く引き戸を開けるけれど、先ほどの部屋の場所なんてわからないので、どうしたらいいのだろうと思っていると廊下に着物姿の女がいた。

「お部屋へご案内します」

 玄関でも食事を運んで来た時もみんな同じ着物を着ていたので、ここで働く人の制服なのだろう。
 うながされて後をついていくと、今度はモダンな部屋へと案内された。
 やはりだだっ広い部屋のなか丸いテーブルと籐の椅子が置いてあり、どうぞと言われるのでちょこんとそれに腰を降ろす。

「湯冷ましです。お飲みください」

 コトリと置かれたのは繊細な彫の施されたグラスに入った水だった。
 ありがたく頂戴していると、部屋の入口の襖がスッと開いた。
 遠伊だろうかとそちらを見ると、やはり彼が部屋へと入ってきたけれど先ほどとは違う恰好だった。
 相変わらずの白皙の美貌に、先ほどまでのスーツではなく浅葱色の模様が入った浴衣を着ている。
 その体つきがスーツの時よりもハッキリとわかって、美貌に反して逞しい体つきなことに一瞬ドキリとしてしまった。

「俺が風呂借りてたのに、いつ入ったんだ?」

 まさか理斗が湯冷ましを飲んでいるわずかな時間しか入浴していないのだろうかと心配になったけれど、遠伊はひとつ瞬きをすると小首を傾げた。

「私の部屋にも風呂はある」

 金持ちだ。

(そりゃそうか……こんな豪邸にひとつのわけなかった)

さもありなん。

「部屋に案内しよう」

 やっぱりこのまま泊まるのかと、もう諦めた気持ちで理斗は立ち上がった。

「こちらへ」

 声に従って廊下へと一緒に出ると、やはり長い廊下を歩く。
 そうして新たな襖の前に来ると。

「私の隣の部屋を客間にしたから」

 どういうことだろう。
 セリフに違和感を覚え、まさかという考えが脳裏をよぎる。

(違う部屋だったのに変えたとかじゃないよな)

 もしそうだったら、手間をかけさせたことになる。
 そもそも客間は即席で作るものではないはずだ。
 さっさと襖を引いて中に入っていく遠伊の後を追いながら、その考えはまさかねと頭の隅に追いやった。
 室内に入ると、これまた広い座敷だったのだがその真ん中に布団が一組だけ中央に敷いてある。
 この広さ落ち着かないのではと思いながら、理斗は遠慮がちに口を開いた。

「あの、こんな広いところじゃなくてもいいんだけど」

 わざわざ理斗が寝るためだけにこんな広い部屋を使うのは心苦しい。
 いつも階段下の物置という一畳半の空間で寝泊まりしているのだから。
 けれど遠伊はそれに何か言うでもなく、黙ったままサラリと指先でお高いであろうシャンプーで若干毛艶のよくなった理斗の髪を梳いた。
 そしてじっと見てくる。
 その眼差しにいたたまれなさを感じて居心地悪く思っていると。

「おやすみ」

 一言口にして遠伊は襖の向こうへと出ていってしまった。

「マ、マイペース……!」

 すっかり遠伊のペースに巻き込まれてしまった理斗は、ちらりと布団を見下ろした。
 もうこの布団の中に入って眠る選択肢しかない。
 こんな立派な布団いいのだろうかと思いながら、おそるおそるその中へと身を横たえた。

「ふかふかだ」

 いつもは固い床に薄っぺらい毛布だけで寝ているのが嘘のようだと思う。

「日向の匂いがする」

 もぞりと布団に鼻先まで潜ると、適度に体温の下がってきた理斗はそのままとろとろと眠りへと落ちていった。

『理斗』

 呼ばれて振り向くと、母が笑っていた。
 隣には父も笑っていて理斗に手を差し伸べてくる。
 その手に腕を伸ばして掴もうとしたら、指先が触れる前にドンと音がして一瞬で二人は真っ赤に染まっていた。
 父の手には届かず空をかいた理斗の腕がガシリと掴まれ、さきほどまで両親のいた場所には叔父家族がいてあざ笑っていた。

「ッ!」

 ハッと意識が一瞬で覚醒した瞬間、理斗は自分の頬が濡れているのに気づいた。
 ボロボロと後から後から流れてくる涙に視界が滲んでまともに天井も見えない。

「ゆめ……」

 呆然と呟き、涙を拭おうとしたらひたりと冷たい何かが額を触った。
 一瞬その感覚に肩がびくりとしたけれど、滲んだ視界のなか目を凝らすと夜闇に浮かび上がる銀の髪があった。

「とお、い?」
「うん」

 ぎこちなく呟くと、やはり遠伊の声で返事が返ってきた。
 ついで、目元の涙を拭われる。
 その感触で額に触れていたのが遠伊の手だったのだと気づいた。
 ぼんやり涙を拭われていると布団を捲られ遠伊が体を滑りこませてきた。
 そのまま力強い腕が体に回る感触がして、きゅっと胸元に抱きしめられる。
 額に柔らかいものが当たり、それは遠伊の唇のようだった。
 自分より少し低い体温が、けれど心地いい。
 ぽん、ぽん、と一定のリズムで優しく背中を叩かれた。
 なんだか、まるで大切な宝物にでもなったかのような錯覚をしてしまう。
 先ほどまでの涙はすっかり引っ込み、理斗は背中を叩くリズムに誘われるように目を閉じた。
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