春の噂

帆村仁

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捜査

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 渡り廊下を渡って、教室のある方へと足を向ける。次第にトロンボーンの音が強く響いてきた。その音の発信源であろう教室の前に僕たちはたどり着いた。
 鈴木が教室のドアを開けた。
 そこにはトロンボーンの練習をしている女子の姿があった。ショートカットで、背は鈴木と同じくらい。なんとなく利発そうな印象を受けた。僕は彼女の名前を知らなかった。
「よお。中田、精が出るねえ」
「鈴木くん。邪魔しに来たの?」
「いやいや」
 二人は笑い合った。中田さんという女子のあいだで他愛のないやりとりがおこなわれる。僕は女子とほとんど話すことがないので、こういったやりとりを自然に行える鈴木を尊敬する。それと同時に軽い自己嫌悪を覚えた。
 トロンボーンを机の上において、中田さんは僕たちに近づいてきた。僕は自然と緊張する。
「中田。こいつ佐藤。佐藤、こいつ中田」
 あっさりと僕を紹介すると、鈴木はさっそく本題に入った。
「練習中すまんね、中田」
「ううん。別にいいけど。何か用?」
「うん。実はさ。あの噂あったじゃん。五十嵐薫が付き合ってるってやつ」
「ああ。うん。……あ、もしかして。あの佐藤くん?」
「そうそう。噂の当事者の佐藤ってこいつなのよ」
「へー。で、本当に付き合っているの?」
 中田さんが僕の顔を覗き込んできた。顔が熱くなった。僕はかぶりを振った。
「やっぱりね。怪しいと思った。うちの弓道部ってすごく厳しいじゃん」
「はあ。そうなんですか」
「そうだよ。なんといまどき恋愛禁止なんていう掟もあるんだから。それ破ったら最悪退部らしいよー」
 いまどき恋愛禁止?すごく時代遅れな掟だな、と僕は少し驚いた。
「それでさあ。俺たちその噂の出所を探してるんだけど、何か心当たりない?」
 鈴木が中田さんに訊いた。
「それなら簡単。三年一組の大倉さんだよ。彼女学年一の噂好きだからねえ。私も彼女が吹聴しているのを見かけたよ」
「なるほど、大倉か。あいつたしか文芸部だったよな。ということはまだ校舎に残ってる可能性が高い」
「うん。残ってると思う」
「ありがとう中田」
 そう言うと鈴木は教室を出て行った。僕も中田さんにぺこりとおじぎをすると、鈴木の後に続いた。

 廊下を二人で歩く。今度は文芸部か。鈴木が僕に話しかけてきた。
「しかし恋愛禁止なんて時代錯誤もいいところだよなあ。いまどき、小学生でもセックスしているぜ」
 昨今の子供の性事情ならば僕も知っている。だいぶ経験する年齢が下がってきているということだ。しかし、僕はそんなやりまくりの人間とは一線を画す。女子とまともに話すらできない人間が性行為など、夢のまた夢。
「佐藤、お前って童貞?」
 鈴木が突然訊いてきた。僕は慌ててしまう。
「あ、当り前だろ」
「ふーん」
「お前はどうなんだよ」
「俺は二か月前に捨てた」
 僕はその言葉を聞いて唖然とした。僕とそう変わらないと思っていた友人が、すでに大人の階段を上っていたなんて。僕の好奇心はむくむくと膨れ上がった。
「誰とやったんだよ」
「それは秘密」
 鈴木は人差し指を口に当てて「しー」のポーズをした。僕の好奇心は俄然高まったが、それ以上聞くのは自重することにした。
 そうこうしているうちに文芸部の部室に到着した。部屋の中からは数人の女子のにぎやかな笑い声が聞こえてくる。僕の苦手なシチュエーションだ。しかしそんな僕などおかまいなしに鈴木は部室のドアを開けた。
「ちわーっす。大倉さんいますか?」
 中にいた女子たちがいっせいに僕たちに目線を向ける。苦手だ。この感じ。女子の中の一人が席を立って近づいてきた。
「私だけど?なに?」
 大倉さんは怪訝そうな顔をして僕たちのことを交互に眺めてきた。鈴木が口を開く。
「ちょっと話があるんだけど、ここじゃなんだから廊下で話せない?」
「いいけど……」
 僕たちは廊下に出た。さっそく鈴木が大倉さんに訊く。
「五十嵐薫の噂、流してるの大倉さんって本当?」
 大倉さんは眉根を寄せて僕たちを睨んできた。
「それがなに?」
「あの。どうしてかなあって思って。こいつ佐藤っていうんだけど。あの噂の佐藤くん。こいつが噂のおかげでちょっと困ってるんだよ。それでどうしてかなあって」
「ああ。君が佐藤くんなんだ。はじめて見た。地味だね」
 その言葉に僕は傷ついた。大倉さんという人は残酷な女だ。
 しかし一転して大倉さんは目を輝かせて僕のことを見てきた。
「ね、ね。あの噂って本当なの?」
「いや。違います」
 大倉さんは大げさにうなだれた。
「そうなんだー。残念。ま、でもそりゃそうだよね。あの五十嵐薫が君みたいな子と付き合うわけないか。つり合いとれないもんね」
 僕はまたも傷ついた。今日は一体何回落ち込めばいいのだろう。
「で?どうして、あんな噂流してるんだ?」
 鈴木が大倉さんに訊いた。
「ああ、それはね。こんなのが私のところに届いたのよ」
 と言うと、大倉さんはポケットから携帯を取り出し、なにか操作をして、僕たちに液晶画面を見せてきた。そこにはこう書かれていた。

《五十嵐薫は佐藤健太と付き合っている》

 僕は唖然とした。いったい誰のいたずらだ。悪趣味にもほどがある。このメールのせいで僕は苦しんでいるんだ。鈴木が大倉さんに尋ねる。
「差出人は?」
「わかんない。匿名さん。なんだったら差出人のアドレス教えようか」
「ああ。頼む」
 鈴木は大倉さんの携帯に送られてきたというメールの送り主のメアドをメモしているようだった。しかしなんだって。鈴木はメモを終えると腕を組んで唸った。
「しかし、疑問だなあ。なんだってこんなメールを送ってきたんだろう」
「気になるよねー」
 大倉さんは興味津々といった表情だ。僕は自分のことで遊ばれている気がしてきて、暗い気分になっていた。
「五十嵐薫に対するいやがらせ?」
「五十嵐さん人気だからねえ。誰かから恨み買っててもおかしくないよ。それか弓道部に対する嫌がらせか。うちの弓道部って超強豪じゃん。それでもって五十嵐薫はそこのエースでしょう」
「そうか、その線もあった」
「うん……あ!」
 突然大倉さんがはっとした表情になった。なにか思いついたらしい。
「私、心当たりある」
「なんだなんだ?」
 僕たちは大倉さんの言葉に耳を傾ける。大倉さんはひそひそ声で話してきた。
「バスケ部の木村省吾っているでしょ」
「ああ、あのイケメンか」
「そう。結構人気あるんだけど。あいつ、先月五十嵐さんに告って振られたらしいよ。それはもうこっぴどく。あいつってすごいプライド高いからさあ。それで恨んでるかもしれない」
「なるほど」
 鈴木は腕を組んでうなずいた。大倉さんもうんうんと大きくうなずいている。
 話がどんどん飛躍してきている。まずい。僕の頭の中の警戒信号が高らかに鳴り響いていた。僕は熱くなっている二人に割って入った。
「もういいだろ。そのくらいで。本当に木村くんが犯人なのかも分からないし。証拠は手に入ったことだし、ここいらでおしまいにしよう」
 鈴木と大倉さんが目を丸くして僕のことを見てきた。同時に見られて、僕は一瞬たじろいだ。
「えー。気になるー」
 大倉さんが口を尖らせた。
「そうだよな。俺もすっごい気になる」
 鈴木が大倉さんに賛同した。
「私たち気が合うね」
「おう」
 二人は不思議な連帯感を抱いているようだった。僕は当事者なのに一人取り残された気分になる。僕はあらためて大きなため息をついた。
「しかし、弓道部には黒い噂が絶えないねえ」
 大倉さんが大きく伸びをしながらそう言った。
「黒い噂って?」
 鈴木が興味津津といったふうに大倉さんに尋ねた。
「うん。弓道部にはさ。佐々木理子って子がいるんだけど、その子も誰かと付き合ってるっていう噂が流れた時期があって」
 途端に鈴木が真顔になった。僕は少しおかしいな、と思った。
「それからその子学校に来てないんだよねえ。なんか今回の件と似てる気がする」
 鈴木は反応を示さない。その代り、もみあげを手でしきりにいじっていた。
 結局僕たちはバスケ部が活動している体育館に足を運ぶことになった。

 体育館からはきゅっきゅっというバッシュの擦れる音や、ドリブルの音がリズミカルに聞こえてくる。
「おお、やってるなあ。まさに青春ってやつ。俺の部活にもこれくらいの活気があったらなあ」
 鈴木が遠い目をしている。僕は心の中で「ざまあみろ」と思ったが、よくよく考えてみれば僕も入部するのだった。
 大倉さんが誰かを探すように体育館のなかを眺めまわした。
「あ、いたいた。あいつだよ」
 大倉さんの指差した先には綺麗な顔立ちをした爽やかな男子が、他の部員たちと談笑していた。あれが木村くんだろう。
 幸い顧問の先生もいないようなので、僕たちは遠慮することなく体育館の中に入っていった。木村くんたちがいる場所まで移動する。
 木村くんたち数人は僕たちのことを「誰こいつら」といったふうな目つきで見てきた。申し訳ない気分になる。しかし鈴木と大倉さんは少しも恐縮していない様子だった。大倉さんが口を開く。
「木村くん、ちょっといいかな」
「あ?なんだよ」
「五十嵐さんのこと」
 大倉さんがそう言うと、木村くんは少し焦ったような素振りを見せた。やはり失恋の傷はいまだ癒えていないのだろうか。僕は木村くんに同情した。
「お前ら練習に戻れ」
 木村くんが他の部員たちに言った。
 すっかり日が落ちていた。体育館には西日が差しこんでいた。
「それで話ってなんだよ」
 木村くんが大倉さんを睨むようにして言った。
「五十嵐さんが誰かさんと付き合ってるって言う噂知ってるでしょう?」
「ああ。あの噂な。まゆつばだと思うけど」
「それで、私に匿名のこんなメールが送られてきたんだけど」
 大倉さんはさっきのメールを木村くんに見せた。
「これがどうしたんだよ」
 木村くんが訝しげに大倉さんを見た。大倉さんはにやりと微笑むと木村くんの顔を覗き込んで言った。
「ずばりこのメールの送り主って木村くんでしょう」
「な……」
 木村くんは絶句した。それはそうだろう。自分が犯人だと言われているようなものだ。
「どうなのー?噂では五十嵐さんにひどい扱いを受けたみたいじゃない。その恨みがあなたをこんな行動に駆り立てたのかしら」
「ち、ちがう。俺は絶対そんなことはしていない」
「本当かしら。随分しつこくまとわりついてったって話だけど。なんでも五十嵐さんにメールで告白したんですってね」
「……」
 木村くんは青い顔をしている。
「あと、こんな話も聞いたことがあるわ。木村くん、隠れてたばこ吸ってるでしょう。いけないんだ。このことが担任にばれでもしたら、大好きなバスケができなくなっちゃうね」
 木村くんは頭を抱えてうずくまってしまった。さすがにやりすぎだろう。僕も木村君みたいなイケメンがたぼこを吸っているなんて驚いたが。
「さあ、白状しなさい。木村くん」
 木村くんは大倉さんのことを見上げると泣きそうな目で訴えかけた。
「白状するもなにも、俺、本当になにもしてないって……」
「じゃ、五十嵐さんにメールで告白したっていうのは?」
 それは今関係ないことなのではないか。しかし木村くんは観念して言った。
「それは本当」
「どうやって五十嵐さんのメアドゲットしたの?」
「それは友人知人に当たって……」
「卑怯な男ね」
 木村くんはまたうなだれてしまった。大倉さんというのは本当に冷酷な人間だ。これまでのことを黙って聞いていた鈴木がはじめて口を開いた。
「なあ。五十嵐のメアドまだ持ってるだろ?それ教えてくんない?」
 木村くんはうなだれたまま「なんで?」と言った。
「なんでも!たばこのことばらすよ!」
 大倉さんが幾分声を大きくして木村くんを叱咤した。僕は先ほどから木村くんのことが不憫でならない。
「わかったよ。ほら」
 木村くんは自分のポケットから携帯を取り出すと鈴木に手渡した。随分無防備だな、と思った。というか、練習中に携帯を持っていたのか。もしかしたら木村くんはあまり熱心に練習に取り組んでいないのかもしれない。これは少し意外。このこととたばこのことを知ったら、木村ファンはどう思うだろうか。
 木村くんの携帯をいじっていた鈴木が、突然神妙な顔つきになった。
「どうした?」
「そうかもしれないと思っていたが、やっぱりな」
 大倉さんが鈴木が持っている携帯の画面を覗き込んだ。続いて大倉さんも神妙な顔つきになる。
「どういうこと……?」
 僕も鈴木の持っている携帯を覗き込んだ。
「なんだよ。五十嵐のメアドがどうかしたのか?」
 鈴木がだまって、持っていたメモを手渡してきた。
 そこには携帯の画面に表示されているアドレスと同じものが記載されていた。
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