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番外編
121.冒険者は和解する・1
しおりを挟む「ほんっとうにすまなかった!!!!」
ごん、と勢いよくテーブルに額をぶつけながら頭を下げる人物の、俺の知るイメージとのギャップに思わず遠い目をした。
カナメの元を離れ、長らく拠点としていたクラリッサから発った俺は、一路王都へと向かった。
目指すは、王都のミスティオ侯爵家タウンハウスだ。幼少期に俺が過ごした家。
複雑な思い出は多々あれど、あれからもう10年ちょっとが経過している。俺も大人になったし、何よりカナメに凝り固まっていた想いを聞いてもらった。冷静に訪れることができるはずだ。
未だ父は騎士団長を拝命しているため、家族も全員王都にいるだろう。何せ母を溺愛して離したくない人だ。父以外は遠方の領地にいるという状況は考えづらい。
念のため、クラリッサを出る前に、風魔法≪伝言≫を家に飛ばす。話があるので訪いたい旨を連絡してみたところ、母から即座に会いたいとの返事がきたので、俺は胸を撫でおろした。出鼻をくじかれずによかった。
ノーエン伯爵家のゴタゴタの時に、一度頼ってはいたから、問題はないと思っていたが。あの時は、弟のシグムントが対応してくれた。
本来なら、きちんと手紙を認めるのが手順としては正式だったが、今更何を書いたものかと躊躇いがあった。
それは母も同じだったのか、短い伝言の魔法の文章が、やけに乱れていた。
何の前触れもなく出奔した長男からの突然の連絡だ。動揺させてしまったのなら申し訳ない。
あとは家族との対面と対話あるのみ。不安は残るものの、大丈夫、カナメから、俺も勇気をもらったから。
そうして訪れた約束の日。
身支度を今一度確認してから、俺はすうっと息を吸い込んだ。少しだけ緊張しているのか、鼓動が早く感じられる。柄にもないな。魔物と戦っている時のほうが、よほど気が楽だ。
貴族街そばまで走る辻馬車から下り、俺は懐かしい風景の街並みを歩く。
仕事で仕方なく王都を訪れることはあったものの、この辺りに来るのは正直避けていた。
記憶の中の街並みとは少々変化があって、時の移り変わりを如実に感じさせる。
上位貴族の豪邸が立ち並ぶ道を進めば、やがてミスティオ侯爵家のタウンハウスが目に入った。多少改装工事などは行っているようだが、自分の記憶の中の屋敷そのままで、俺は少しばかりほっとする。
上位貴族とはいえ武官の家なので、こうして改めてみると周囲に比べて屋敷は質実剛健かもしれない。外装はクラシカルで、建国から続く家系としての歴史を感じさせる。傾向としては、オルクス公爵家に似ているか。
とはいえ、やはり貴族家は広い。少し先にある入り口の鉄門扉から軽く見える庭先だけでも圧倒される。庭師が丁寧な仕事をしているのだろう。花が咲き乱れており、はたから覗き見るだけでも美しい。
うーん、これが俺の実家か。豪華だな。
すっかり平民暮らしが板についてしまったようで、ふと浮かんだ感想に思わず苦笑してしまう。
さっきから門番らしき人物が怪訝な顔をしているが、俺も見知った顔ではないし、まあ当然か。不審者然としすぎだな。
俺が改めて声をかけるべく歩を進めると、門扉の奥から声が届いた。
「ぼっちゃま。ヒースクリフぼっちゃまでいらっしゃいますか」
「……ヨアン、か」
俺は目を見開いた。
年を重ねて、以前より白さが増しているが、眼前にいるのは、幼い俺の面倒を甲斐甲斐しく見てくれていた執事のヨアンだった。
「ああ、お帰りをずっとずっと心待ちにしておりました。立派になられて……」
「心配をかけてすまない」
「いいえ、いいえ。ご無事でよかった。さあ、ぼっちゃま中へ」
ヨアンの合図で開かれた門扉から、促されるままに足を踏み入れる。
涙の滲む目で、ヨアンに微笑みかけられる。家族ばかりではなく、ヨアンのような俺の面倒をみて可愛がってくれた使用人たちにも、何も言わずに家を出たのだ。さぞかし心配をかけてしまっただろう。今更ながら、己の身勝手な行動の結果に、申し訳なさが胸を苛む。
「おかえりなさいませ、ヒースクリフぼっちゃま」
「ただいま……といっていいものか」
「いいのですよ。昔も今も、ここはぼっちゃまのお家です。皆様、ぼっちゃまのことを首を長くしてお待ちですよ」
執事らしく、改めてヨアンがぴしりと頭を下げて俺を出迎える。
うーん、でもさすがにもう「ぼっちゃま」呼びは、気恥ずかしいからやめてほしいのだけれども。
ヨアンに先導されながら、エントランスまでの道のりを行く。
あの頃は自分の目線と同じくらいだった庭の植栽を、今はこうして見下ろして歩いている。不思議な気分だ。もう、戻らない、戻れないと思っていた家だったのに。
やがて、たどり着いたエントランスには、使用人たちばかりでなく、家族も勢ぞろいしていた。
見知らぬ男女がいるが、弟と妹だろうか。ろくすっぽ顔を合わせたことがなかったが、よくよく見れば両親によく似ていた。
「ヒースクリフ……っ!」
感極まった女性の声が響き、ヒールの音がかつんかつんと床を鳴らす。
ああ、淑女がそんな風に走ったら危ないのでは。倒れてしまうのでは。ハラハラしてしまう。
そんな俺の心中などおかまいもなく、自分の中で線が細く、儚くたおやかなイメージそのものの女性が、俺の胸に飛び込んできた。
「母上……申し訳ありません」
「家に帰ってきての第一声が、申し訳ありませんっていうのはどうなの! そこは素直にただいまと言いなさいよ」
涙声のままに叱られる。自分の母がこういうことをきっぱり言うとは思わず、俺は目をぱちくりと瞬かせた。
ぎゅうと俺を抱きしめる腕の力はそこそこ強く、幼い頃抱いた折れてしまいそうにか弱かった母の印象が覆されそうだ。
でも、母上の言い分ももっともだ。まだ俺は、きちんとするべき挨拶をしていない。
「はい。……ただいま戻りました、母上」
「おかえりなさい、ヒースクリフ。私の可愛い息子」
「長らく身勝手に不在にして、本当に言い訳のしようも……」
「そこは謝らなくていいの! 貴方がこうして家に戻ってきてくれる気になった。それだけでいいの。むしろ謝らなければならないのは、こちらのほうなのに」
「……母上は、俺に甘すぎるのでは?」
「母親だもの、甘やかすのは当然でしょう?」
涙に濡れ少し赤くなった目を細めて、母上が美しく笑う。
久しく会っていなかった母上は、さすがに記憶よりも歳を食っていたものの、変わらず清涼な人だった。
カナメに魔力吸収の調整をしてもらったから、俺は、既に母上を害すことはないと知っている。
だが、それを知らないにも関わらず、果敢に俺を抱きしめてくれる母上に、胸がじんと熱くなった。また体調を崩してしまうかもしれない恐れがあるのに、俺を抱きしめるのに一切躊躇いを感じさせない母上から、俺は確かな愛情を感じ取った。
ああ、ああ、見捨てられていない。心の中のわだかまりが、ほろほろと少しずつほどけていくようだった。
「……ヒースクリフ、ただいま戻りました。父上、そして俺の兄妹」
しばらく母からの抱擁を味わった後、身体を離して、じっと俺を見つめてくる視線の先へ向けて、ゆっくり頭を下げた。その瞳の中に、あの時のような苛烈さは全く感じられない。
俺の挨拶に、父と弟妹はこくりと頷いたり、笑顔を返してくれたりとめいめいな反応だった。
まだお互いにぎこちなさが残るものの、拒否もなく、ミスティオ侯爵家は俺の存在を受け入れてくれた。
そうして招かれた応接室で、ぎくしゃくとした父上がかました言動が冒頭のアレである。
それに追撃するように、母が扇でペチペチと父の頭をどついている。
さすがの俺も、予想だにせず度肝を抜かれた。
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