座銀のトキコさん

Tokyouser

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第2章 幻想即興曲

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第2章 幻想即興曲

「部長、この書類、どうしたらいいですか。」
「そこの机においといて。ありがとさん。」
キーンコーンカーンコーン。キーンコーンカーンコーン。
「おつかれさまです。お先失礼します。」
「おつかれさまです。」
オフィスを出て、エレベーターで一階のエントランスへ向かうと、雨が降っていた。
「はぁ、雨か。」
ざぁざぁと、結構な雨脚を立てて降っていた。傘を取りにオフィスへ戻ろうかどうしようか、とビルの出口付近の窓の手前でおちおちしていたら、一人の男性が声をかけてくれた。
「これ、一本使いますか。僕、待ち合わせ時間間違えて来ちゃったもので、あと1時間、ここのロビーで時間つぶしてるので。ちなみに、僕、折り畳み傘も1本あって、傘2本あるんですよ。ははっ。お昼、食べに出られるのでしょう。」
「はぁ。そうですが。そんなそんな。お構いなく。オフィスにとりに戻るので、大丈夫です。お気遣いいただきありがとうございます。」
「エレベーター、もう並んでますよ?取りに戻ったらまた時間のロスじゃありません?」
エレベーターの方を見たら、たしかに、この数分であっという間に、お昼を買って戻ってきたひとたちの列がエレベーターの前に出来上がっていた。
「そうですね。じゃあ申し訳ありませんが、お言葉に甘えて、お借りします。ちなみに、お昼はもう食べられました?もしまだだったら、この辺の美味しいお店、ご紹介しますよ。」
「お腹はそんなに空いてないのでお昼はとらないつもりでいましたが、せっかくなので、そしたら美味しいお店は教えて頂こうかな。」
「じゃあ一緒にいきましょう。」
なんか、なんぱしたみたいになってしまいましたね、すみません。」
「いいえ、逆ナンパですよ。ふふっ。」
「逆ナンパね。久しぶりにその言葉聞きましたよ。世代の差かな。」
「そんなに離れてないでしょう。私もぅアラサーですよ。お店まで少し、歩きますがいいですか?」「いいですよ。5分、10分の距離なら。このあたり、たくさんお店ありますね。」
「そうなんです。サラリーマンには嬉しい町ですね。」そうやって、とりとめもない会話をしながら、雨の中、おっきな傘と小さな傘で2人並んで歩いた。ピチャピチャと、革靴とヒールのかかとで鳴らす雨音はいつも一人で歩く足音より、少しリズミカルに聞こえた。
「ここです。」
「あ、ここ前に雑誌で見たことある!スープカレーのお店ですね?」
「そうそう。よくご存じですね。並んでないといいけど。今日は雨だからいつもよりは空いてるかしら。」
「何名様ですか?」
「2名で。」
「お座席2階になります。靴を脱いでおあがりください。」
「よかった。入れて。お先どうぞ。」
「いや、さきはいってください。僕、靴下みられるの恥ずかしいんで。」
「なにそれ。そんな人はじめて。ふふ。おもしろい。じゃあ先に上がってますね。」
「すみません。」
 2階に上がると、一番奥の4人がけのお座敷に通された。向いあって座ると、結構イケメンだ。
「何されます?僕、この赤いカレーにしようかな。」
「いいですね。そしたら私は黒いカレーで。」
「畏まりました。」
「そういえば、お名前、何とお呼びすればいいですか。」
「僕、橋永といいます。」
「じゃあ、橋永さんとお呼びすればいいですか。わたしは、神崎です。」
「神崎さん。神崎、何さんですか。」
「ときこです。」
「いい名前ですね。いや、あの、実は私の上司も神崎っていう名前だから、ちょっと上司の名前読んでるみたいで。差支えなければ、ときこさん、でもいいですか。」
「構いませんが、少し恥ずかしいですね。昔の名前だし。」
「そうですか。僕は、上品で古風で味があっていいと思いますけど。あ、来た来た、あれ、僕たちのカレーじゃないですか。」
「お待たせしましたー!」
「わ、美味しい。札幌にいたころを思い出します。よく食べてましたから。」
「あら、奇遇。私も学生時代、札幌にいてたんですよ。」
「あら、それまたすごい偶然の出会いが重なってますね。」
「そうですね。」
 その後、札幌の会話になってお互いが同じ大学出であること、共通の友人がいた事などが分かった。昼休みの時間終わりギリギリでオフィスビルに戻り、彼はそのまま3階下の他会社のフロアに打ち合わせに行き、別れた。。
「トキちゃん、だれ、あのひと?白馬の王子様?」
 そう耳打ちで聞いてきたのは同僚の中谷ゆり子だった。
 「一緒に楽しそうだったじゃない。すごい、お見合いみたいだったわよ。スープカレー見合い。ふふっ。」
「え。見てたの?」
「全然気づいてなかったでしょ。こっちはトキちゃんたちの席の斜め後ろのカウンターに座ってたの。私はトキちゃんのことすぐ気づいたけど、トキちゃん、全然振り向かないんだもん。」
「え、まじで。恥ずかしいったらない。」
「まぁ、イケメンだったし目の保養させてもらったわ、私も。ふふっ。今度、あの人のお友達とかと合コンやることになったら誘ってね。よろしくぅ!」
「あ~、はいはい。承知しましたゆり子さま。」
「神崎!ちょっと。この資料、修正してくれ。明日の朝までによろしく。あ、あと、この間送った注文書のやつ、もう届いているか。」
「修正、畏まりました。あと、注文書は先週送りましたが、まだ品は来ていません。恐らく今週末には届くかと思います。」
「届いたらおれの机の上においといてくれ。よろしく頼むぞ。」
「はい。」
 キーンコーンカーンコーン。
「お疲れ様です。」 
「お疲れ様。」
 オフィスを出ると、まだ雨はやんでいなかった。七分袖で少しひんやりするくらいの寒さだ。湿気はあるけど風は冷たい。その風を切るように、速足で歩く。後ろは、振り返らない。

「おはようございます。」
「おはよう。」
「この間の三越さん、ちゃんと送ってもらえた?」
「はい、大丈夫でした。来週、三越さんと同伴の予定です。」
「了解。その調子で頑張って。」
「有難う御座います。」
「あ、今日給料日だから、はい。中身確認してサインお願い。」茶封筒の中身は思っていたよりも分厚かった。明細を確認し、サインする。
「来週のシフト、またラインしておいて。」
「畏まりました。」
「お客さん来るまで待機してて。」
「畏まりました。」
 待機室に入ってスマフォのラインを見ると
橋永さんのアイコンが、おじ様たちのアイコンの中に埋もれていた。
『お疲れ様です。今日お昼ご一緒させて頂きました橋永です。帰りは雨にぬれずに帰れましたか?僕は結局帰りも雨に降られてしまいました笑。』
『こちらこそ、傘を貸して頂いてありがとうございました。』と書いてにっこりマークをつけて返信した。そして、お客様と間違えないように、「はっし」とされた彼のアイコンの名前を「橋永さん@傘の人」と編集した。こんな風に編集されていることをもちろん彼は知らない。そして、彼が見ていた「時子さん」は、今ここにはいない。アイシャドウをきらめかせて、夜会巻きの髪結いをして、ミニドレスに高いヒールを履いた時子さんに、夜の街ですれ違っても恐らく気づかないだろう。違う人になる、という感覚。自分の知らない時子さんは、一体後何人いるのだろう、と時々自分がだれなのか分からなくなる。けれどそれがまた快楽の感覚でもある。「なんにでもなれる!」とカン違いをするのも悪くない。遠くから、聞き覚えのある曲が聞こえた。幻想即興曲の第2節の流れるようなピアノの音色が一つ上の階のピアノサロンから聞こえてきた。




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