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1章
1. 悪役令嬢ローズ
しおりを挟むその日、未来への希望に溢れていたローズは、いきなり奈落の底へと突き落とされた。
(嘘でしょう?! どうして……どうして、今まで気付かなかったの?!)
声が届くほど傍にいる、自分と同じ年頃のあの少女。
豊かな栗色の巻き毛、翡翠のような色を湛えたつぶらな瞳。
陽気な笑顔を振りまき、周囲の人と歓談している、あの少女。
間違いない。
彼女はシャーロット・アデル・オルコット――ローズが前世でプレイしたことのある乙女ゲームのヒロイン。つまりここは、「野ばらのクローゼット~運命の貴公子とワルツを」の世界なのだ。
(――それだけならまだいい。最悪な事実、それは私!)
ローズは唇を震わせ、衝撃の事実に身を竦ませた。
(私は……私はヒロインをさんざんいびり倒して社交界から追放しようとする――)
“氷の薔薇姫、ローズ”
(つまり悪役令嬢! ……この、私が!)
そんなはずはない、私があの、高慢で意地悪な悪役令嬢だなんて! ――そう思ったが、過去を振り返ってみれば全く身に覚えがないわけでもない。ローズはこれまで、結構好き勝手に振る舞ってきた。身分の高い彼女には、それが許されていたのである。
人は彼女のことを噂するとき、こんな風に言った。
“ときに凍てつくような辛辣な言葉で人の心をえぐり、冴え冴えとした美しいアイスブルーの瞳で人を魅了する――氷の薔薇姫、ローズ”
そう――今思えば、ローズは悪役令嬢としての素質を十二分に秘めた生き方をしてきたのである。
(ああっ……なんてこと! 認めたくないけど確かに私は、悪役令嬢っぽい!)
ローズは血の気の引いた頬に、冷たい指先で触れた。
ダンスで火照った体が急速に冷えていく。
先程までの高揚した気持ちは霧散し、足元から広がってゆく暗闇にのまれて落ちてゆくかのような錯覚を覚えた。
ローズ・ベアトリクス・レネ・フィッツジェラルド。
それが彼女のフルネーム。
ゲームで使用されていた悪役令嬢の名称とそっくり同じ。
光が零れるような輝く金髪、吸い込まれそうなアイスブルーの瞳、一点の染みもない白磁のような肌、他の追随を許さない完璧な美貌を持った貴族の令嬢。
そう、すべてが符合する。紛れもなく、彼女は「悪役令嬢ローズ」。
社交界デビューを果たした今日、この王城の大広間で華々しく幕開けした舞踏会で、居並ぶ賓客から一番の称賛を浴び、優雅に踊り続けていたローズ。
貴族の中でも特に頭角を現す名家、フィッツジェラルド家の麗しき令嬢ローズ。
神々の愛を一身に受けたかのような奇跡的な美しさと称えられ、打てば響く才覚を持つローズ。
誰もが、彼女には目も眩むような幸福な未来が約束されていると思った。ローズ自身もそう思っていた。しかし驚愕の事実に気付いた今、それは粉々に砕け散って幻と化した。
ゲームの中でストーリーが進んでいくにつれ、悪名高きローズの悪行の数々はやがて明るみに出ることとなる。評判が地に落ちるさなか、彼女は異国の王子を騙る悪党に騙されて、どこかの山奥で身ぐるみはがされゴミのように捨てられる。それが末路。
ローズは心の中で悲鳴をあげ、華やかな大広間から逃げ出し、もつれる足を中庭へと運んだ。周囲の人が様子のおかしい彼女を心配して呼び止めたが、ローズは構わず冷たい夜気の中へとその身を投じた。
そしてヨロヨロと何歩か進んだところ、暗闇から声がかかった。
「ローズ様! どうされたのです、いったい何が……」
艶のある低音、男らしい魅力に溢れたその声の主を、ローズはよく知っていた。彼は子供の頃からフィッツジェラルド家に使えている使用人だ。今日はフィッツジェラルド夫妻とローズの身辺警護及び送迎のために、共に王宮に来ていた。ローズは彼に全幅の信頼を寄せている。その彼の姿を見た途端、ローズは涙が込み上がってくるのを止めることができなかった。
「ああっ……!! シュリ! シュリ! シュリ!!」
がくがくと震える膝が崩れ落ち、バランスを失ったローズを、彼は力強い腕で抱きとめた。ローズは夢中で彼にしがみつきながら、嗚咽と共に声を絞り出す。
「シュリ、お願い、今すぐ私を家に連れて帰って。ここにいたくない、今すぐこの場を離れたいの!!」
ローズの様子が尋常でないことを察した若い男――シュリは、ローズをそっと抱き上げると、しっかりとした足取りでフィッツジェラルド家の馬車がとめてある場所へと急いだ。
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