悪役令嬢の最強コーデ

ことのはおり

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4章

7. 涙の海

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「我らが仲間に、間者かんじゃが混ざっていたのです。その女は、勝利の宴の席でシュリ様を後ろから……一撃で急所を…………我らの油断が……招いた失態……取り返しの……つかない……」

 ローズの耳から、すべての音が遠のいた。

(わからない。イハは何を言っているの?)

 泣きながら、とぎれとぎれに何かを言っているイハの姿が、ぼやける。ローズは茫然と、音のない世界で意識を彷徨さまよわせていた。
 まるで水底に、沈んでいくかのようだった。近いのか遠いのか分からない、水に揺蕩たゆたうどこからか、イハの声とすすり泣く双子の声がぼんやりと届く。

「ローズ様、これを。最期の息で、我が君がしたためられたものです。あなた様に、我が君はこう言い遺されました――何度でも、生まれ変わるたび、君を捜す、と」

(言い遺す? 生まれ変わるたび、私を捜す? イハは何を、言っているの?)

 ローズは差し出された紙片を、機械的に受け取った。折りたたまれ、年月を経て変色した紙。ローズはそれを広げ、書かれた文字を目で追った。
 その紙には日本語でこう書かれてあった。

 たち別れ いなばの山の峰に生ふる
  まつとし聞かば 今帰り来む

 そう、これはローズが書いたもの。百人一首の和歌で、ローズにとっては猫が帰って来るおまじない。

「我が君は、それをいつも大切にお持ちでした。恋しいただ一人の女性の肉筆だと。だから愛おしくてたまらないのだと、そう仰っていました。――そして……我が君は今際いまわの際で、こちらをしたためられました」

 イハはそう言って、その紙片を裏返した。
 そこにはやはり日本語の文字で、こう書かれてあった。

 瀬を早み 岩にせかるる滝川の 
  われても末に逢はむとぞ思ふ

 その意味が、ゆるゆるとローズの頭に沁み込んでゆく。
 ローズは茫然と視点を彷徨わせ、かすかな、かすれた声を絞り出した。

「嘘よ……。嘘……。みんな、私を……騙そうと……悪趣味ですわ……こんな……」

 すすり泣く双子とイハ。悲し気にローズを見つめる父と母。

(きっと、夢を見ているんだわ。そうよ、これが現実なわけがない)

「起きなきゃ。早く、早く起きなきゃ。今すぐ、今すぐ!!」

 ローズはいきなり走り出した。そしてその先にあった階段で足を踏み外し――ローズの世界は、暗闇に沈んで行った。



(ああ……どうしてこんなに、暗いの? 何も見えない、何も……)

 誰かが遠くからローズを呼んでいる。それは誰よりも愛しい人の声。

「ああ……シュリ、あなたなの?! 私はここよ、早く戻ってきて!」

 彼の声のした方向へと歩こうとするが、足が思うように動いてくれない。

「シュリ、シュリ、シュリ!! ああ――千宮司さん、私はここよ!!」

 ローズの声は暗闇に吸い込まれ、誰にも届かず消えて行った。
 それでもローズは、叫ぶことをやめられなかった。
 そうしているうちに、どこからか冷たい声が響く。

 ――シュリは死んだ。死んだ。死んだ。

 誰かの無慈悲な声が、そう告げる。
 ローズはブルブルと、首を振った。

「嘘よ。死んでない。死んでなんかいない。必ず帰って来ると、約束してくれた! そうよ、彼は約束したわ!」

 ――果たせなかった。人生は、悲しみの連続。同じ悲劇の、繰り返し。

「違うわ! 違う、違う、違う!!」

 取り乱し、悲鳴のような言葉を叫びながら、ローズは首を振り続けた。

「シュリは私を泣かせるなんてあり得ないって言ったわ! 必ず帰って来ると、長く待たせないと、誓ってくれた! 彼は死んでない!死んでない!死んでない!!」

 そうやってシュリの死を否定しながらも、ローズは激しい後悔にさいなまされていた。

「ついて行けば良かった、シュリに、ついて行けば良かった! 私なら、間者を見分けられた! 嘘が分かるのだもの! きっと気付いたわ! 傍にいればシュリを、シュリを守ってあげられた!!」

 そう、選択を間違えたのだ――取り返しのつかない、ミスをしたのだ。
 その思いに胸を締め付けられ、絶望の底で泣き叫びながら、ローズはまたもや首を振った。

「いいえ、違う。シュリは死んでなんかいない。私ったら、何を言ってるのかしら。シュリは生きてる。そうよ、じきに戻ってくる」

 シュリの死に直面する自分と、疑う自分。
 ローズの中で二つの意思がせめぎ合い、錯綜さくそうする。
 分裂し、苦しむローズに、どこからかまた彼女を呼ぶ声が響く。

 それは親しい友の声。

「ああ……シャーロット……どこなの、ロッティ! 私を助けて……」

 シャーロットの声のする方へと向かいかけて、その足が止まる。

「ああ……私には、ロッティに助けてもらう資格なんて、ない!」

 ――だって私は、悪役令嬢なんだもの!

 そう、ローズは悪役令嬢。シャーロットの敵。 その運命から、逃れることはできなかったのだ。
 ローズはシャーロットに付きまとい、彼女から最愛の人を奪った。王太子の愛を。

 そう、まさにこれは、バッドエンド。
 
 ローズは悪役令嬢の真の役目を、そうとは知らずに爆走していたのだ。
 フローレンス以降、誰も代役が立たないはずだ。ローズは順調に、悪役令嬢の役割を果たしていたのだから。そして見事に果たし過ぎ、ヒロインのバッドエンドを招いてしまった。

「ああ……どこで間違えてしまったの?! いったいどこで……」

 失敗した、という思いが、ローズを責めさいなむ。
 取り返しのつかない、絶望的な失敗だ。
 もう幸せになど、なれない。
 誰も幸せに、できなかったのだから。

「ああ……千宮司さん、シュリ……ロッティ……ごめんなさい、ごめんなさい……」

 涙にくれるローズの耳に、誰かの声が響く。

「まだだよ。まだ、絶望するには早い。――嬢ちゃんや」

「ヴァネッサ……助けて……助けてちょうだい……」

「助けるとも。まだ希望は瞬いている。さあ、目を覚ませ、ローズ」

「ローズ、目を覚まして」

<起きっるっぽ!! もう朝っぽ!!>

「ローズ様――」「――起きて」

 ヴァネッサ、シャーロット、ポティナ、ニルとカナ。
 みんなの呼ぶ声に、ローズはうっすらと目を開けた。

 ――運命に、立ち向かうときが来た。

 最後にそう告げた厳かな声が、誰のものなのか、ローズには分からなかった。
 けれどその声はローズの胸に消えかけていた希望を吹き込み、勇気を与えてくれた。

「ローズ!!」

 みんなが呼ぶ声に応えようと、ローズは目を開けた。
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