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10話
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25日の月曜日、朝8時30分の飛行機で冬心はパリへ向かった。ジャンダ教授と祖母が見送りに立ち、空港には多くのファンや記者も集まり、温かく声をかけてくれた。冬心は感激のあまり涙ぐんでしまった。大きなマスクで顔を隠していたジャンダ教授も目頭が熱くなったが、笑顔で逞しく見送る祖母の姿を見て、何とか涙をこらえた。
冬心は、出発前に星空町のピースタワーマンションへの引っ越し手続きや、昔書いた詩と小説の出版のことなどをジャンダ教授に頼んでいた。感謝の気持ちを込めてお礼として500万円を渡そうとしたが、教授はきっぱり断り、返却した。自分は十分に豊かな生活を送っているから、大変な人たちを支援する団体に寄付してほしい、と伝えたのだ。
ジャンダ教授の穏やかな日常に波乱が訪れたのは、春馬と出会ったことがきっかけだった。春馬が毎日執拗に追いかけてくるため、教授はストーカー被害として警察に相談すべきか悩んでいた。しかし、相手が冬心の親友であることを考えると、もう少し我慢してみようと思い直した。
その日も、春馬は羽田空港までついてきて、一緒に冬心を見送った。見送りが終わると、教授は冬心の祖母を星空町まで送るため駐車場に向かったところ、春馬が「乗せてください」と頼んできた。事情を知らない祖母は、愛想のいい春馬が冬心の親友だと聞いてすっかり気に入り、「一緒に寄ってお茶でもしましょう」と誘ってしまった。
仕方なく、ジャンダ教授は祖母と春馬を乗せて星空町へ向かった。車中、春馬は冬心の高校時代のエピソードを次々と楽しげに話し、祖母を笑わせていた。
銀河水公営アパートに着くと、三人はお茶を飲みながら煎餅をつまみ、引っ越しや本の出版のことなどを和やかに語り合った。昼近くになり、祖母の体調を気遣った教授は「約束があるので失礼します」と切り上げて家を出た。春馬も丁寧にお礼を言って後を追う。
アパート前に停めた車に戻ると、春馬が勝手に助手席に乗り込んでいた。教授は「一人で帰ってください」と告げたが、春馬は知らんぷりで動こうとしない。渋々運転席に座った教授は、仕方なく送ってあげることにし、住所を尋ねた。すると春馬はにやにやしながら「先生と一緒にいたいから、住所は教えません」と言い切った。
頭痛を覚えた教授は、とりあえずピース大学へ車を走らせた。ドライブ中、春馬は幼い頃の思い出やアイスホッケーに出会った話などを一方的に楽しそうにしゃべり続けたが、教授は無表情のまま興味なさげに相槌も打たず、ただ黙ってハンドルを握っていた。
地下二階の駐車場に車を停めたジャンダ教授は、ドアを開けて降りようとした。その瞬間、春馬が教授の細い手首を掴み、強く抱きついてきた。
突然のことに教授は背筋を震わせ、必死に抵抗して春馬から逃れようとしたが、筋肉質でがっしりした体格の春馬に押さえ込まれ、息を詰めて耐えるしかなかった。春馬は手慣れた様子で運転席横のレバーを引き、シートを一気に倒す。教授はあっけなくその下に組み敷かれてしまった。
「先生……好きです。いや、愛してます。付き合ってください。俺、何でもしますから」
「ああ……冗談でも、そんなこと言わないで。私は君の親くらいの歳なんだよ。正気じゃない……」
春馬の硬い胸に強く抱きしめられ、身動きひとつ取れない教授は暴れようとしたが、すぐに力尽きてしまった。春馬は意図的にフェロモンを放ち始め、オメガである教授を刺激していく。潮風のような爽やかで海を感じさせる春馬のフェロモンが濃密に広がり、教授の体は次第に熱を帯び、疼きが募っていった。
6年ぶりのフェロモンにさらされ、すぐに反応してしまった教授は、心の中では必死に拒絶を叫んでいるのに、体は正直に震え、乳首が硬く尖り、ペニスも疼いて勃起し始めてしまう。
「いや……止めて……いやあ……お願い……」
どれほど切実に懇願しても、事態はもう取り返しのつかないところまで来ていた。必死に声を上げて訴える教授を、春馬は強く抱きしめたまま、唇を舐めるようにして奪う。抵抗する教授の艶やかで美しい唇に、熱く激しいキスを落とす。
息を荒げ、苦しげに喘ぐ教授の口内へ舌を滑り込ませ、整った歯並みを執拗に舐め回した。教授は無理やり絡め取られる舌をどうすることもできず、開かれた口端から唾液が糸を引いて零れ落ちていた。
春馬はプッシュスタートボタンを押してエンジンをかけ、エアコンのA/Cスイッチを入れたあと、ジャンダ教授の長いウェーブのかかったブロンドヘアをそっと耳にかけてやった。さらさらと指に絡む髪触りが心地よく、車内に漂い始めたのは清潔感のあるスズランの香りーーそれはジャンダ教授から放たれる濃密なオメガフェロモンだった。
春馬はたちまち反応し、ズボンの中でペニスが痛いほどに硬く張り詰めた。彼は我慢できずジャンダ教授の唇を奪いながら、両手で白いリネンシャツのボタンを素早く外していく。シャツがはだけ、その下の白いインナーをたくし上げると、透き通るような白い肌と薄いピンク色の乳首が露わになった。
触ってみると、柔らかくすべすべで、まるで少女のように瑞々しい乳房がふっくらと膨らんでいる。春馬は硬く尖った乳首に舌を這わせ、執拗に舐め回し、吸い上げた。
「んっ……あ……」
ようやくジャンダ教授の唇から甘い喘ぎが漏れる。それだけで春馬の興奮は頂点に達し、両手で乳房を揉みしだきながら、右の乳首をちゅるちゅると卑猥な音を立ててしゃぶり続けた。静かな地下駐車場に響くのは、吸いつく音と「はぁ……はぁ……あんっ……」というジャンダ教授の艶めかしい嬌声だけだった。
しばらく乳房を堪能したあと、春馬は手を下げて教授の白いジーンズのファスナーを降ろす。インナーパンツはすでに先端から滲んだプレカムと、後孔から溢れる愛液とでぐっしょりと濡れていた。パンツを下ろすと、小さくて愛らしいピンク色のペニスが顔を出す。
「……可愛い」
春馬は呟きながら、それを口に含んだ。甘い味が舌に広がり、夢中でしゃぶっていると、ジャンダ教授は体をびくんと震わせてすぐに達してしまった。薄い精液が口の中に広がり、春馬は一滴残らず飲み干した。
素っ裸になったジャンダ教授は、激しいフェロモンシャワーに全身を苛まれ、後孔の奥が疼いてたまらず、涙目で春馬を見上げる。6年ぶりの性交という長い空白が、隠していたオメガの本能を一気に暴走させていた。
春馬はそれを見て取った。優性アルファの自分によって、ジャンダ教授に突発性発情が引き起こされたのだ。もう理性は吹き飛び、びちょびちょに濡れた後孔に舌を這わせ、指を一本滑り込ませる。ふっくらとした内壁がきゅうっと締めつけてくるのに興奮し、すぐに三本、四本と増やして荒々しく掻き回した。
「ひゃあっ! あぁっ、だめぇ……!」
ジャンダ教授は甲高い声を上げて腰を跳ねさせる。愛液がジョボジョボと溢れ、春馬はそれを舐め取り、舌を奥まで差し込んで味わい尽くした。そしてついに、熱く膨張した自分のペニスを押し当て、一気に挿入した。
「んあぁぁっ!」
ジャンダ教授の穴はちゅるちゅると吸いつき、春馬の動きに合わせて自然に腰を振り、絡みついてくる。その淫靡な動きに、春馬は「先生、こんなにエロいなんて……」と呻きながら激しく腰を打ちつけた。
やがて限界を迎え、ペニスがさらに肥大し、ノットが膨らむ。春馬は本能のままにジャンダ教授の白い項に牙を立て、深く噛みついた。
「いやっ、だめ……っ!」
遅かった。運命の番の証である噛み跡が刻まれ、同時に春馬は再びノッティングしながら大量の精液を子宮めがけて注ぎ込む。ジャンダ教授は全身を痙攣させながら絶叫し、極端な快楽に意識が飛びそうになる。
長い長い交わりが終わり、ようやく肉棒を引き抜くと、くぱくと開いたピンク色の穴から白濁がとろりと溢れていた。春馬は勝ち誇ったような満足感に浸りながらも、理性が戻ると慌ててウェットティッシュを取り出し、ぐったりとしたジャンダ教授の身体を丁寧に拭った。
溢れる精液を指で掻き出した後、春馬は教授に服を着せ直し、シートも隅々まで拭き取る。ジャンダ教授は涙を流したまま、力なく目を閉じていた。春馬はそんな先生の頬にそっと手を添え、優しくキスをする。
「先生……ありがとう。俺、絶対に責任取るから。愛してる」
春馬の「愛してる」という言葉に、ジャンダ教授はただすすり泣くばかりだった。春馬はそっとドアを開け、ぐったりした先生を助手席に移し、運転席のシートをもう一度丁寧に拭いた。ラジオをつけると、ちょうど川嶋あいの『明日への扉』が流れ始めた。
『光る汗 Tシャツ 出会った恋 誰よりも輝く君を見て…』
春馬は小さく口ずさみながらハンドルを握り、木槿丘のピース高層タワーマンションへと車を走らせる。ジャンダ教授は最初こそしくしくと泣いていたが、家に着く頃には疲れ果てて眠ってしまった。春馬は教授に一目惚れした日からずっと追いかけていたので、住所も既に知っていた。
ハンズフリーセキュリティの駐車場は教授の車を認識し、自動でバーが上がった。春馬は眠っているジャンダ教授をそっと抱き上げ、エレベーターの顔認証カメラに教授の顔をかざす。すると扉が開き、春馬は教授を抱えたまま乗り込んだ。 やがてマンション1階のロビーラウンジへと到着する。
広々としたロビーラウンジには、高級感のあるオブジェと大きな植物が飾られ、天井も高く開放感に満ちていた。春馬はその空間を抜け、エントランスホールのコンシェルジュデスクへ向かい、ジャンダ教授の駐車番号と部屋番号を尋ねた。
若い男性コンシェルジュは、テレビで見慣れた春馬の姿に気づき、疑うことなく親切に教えてくれた。
春馬は礼を言うと、再び地下1階の駐車場へ向かった。適当に停めていた車を動かし、ジャンダ教授の駐車番号の場所へ移す。そして眠り続ける教授を再びお姫様抱っこのように抱え、エレベーターへ乗り込み17階のボタンを押した。教授はよほど疲れていたのか、まるで死んだように深い眠りに落ちていた。
17階に着き、1702号室の前に立つ。ハンズフリーオートロックのカメラに教授の顔を映すと、チャッと音を立ててドアが開いた。広く清潔な玄関で教授のスニーカーを脱がせ、入ろうとしたその時、グレーのブリティッシュショートヘアの猫が「ニャーン」と鳴きながら見上げてきた。
「おすー、俺は春馬。お前の飼い主の旦那様だ。よろしくな、一緒に入ろうぜ」
春馬は、白一色で飾られた広いリビングルームに清潔感を覚えながら、ダマスク柄のアンバーホワイトに金色の彫刻が施されたエレガントな三人掛けのヴェネチアンソファへ、ジャンダ教授をそっと降ろした。部屋には大きなソファとテーブル、キャットタワーが置かれ、モンステラやアジアンタム、サンスベリア、ストレリチア、フィカス・ベンジャミンなど多くの観葉植物が並び、緑の香りが新鮮に満ちていた。
そのとき、猫のポールがジャンダ教授のお腹へ飛び乗り、蒼白な顔を舌で優しく舐め始めた。しっぽをゆっくりと大きく揺らしながら、「ニャオン、ニャオン」と鳴き続けていた。
春馬はポールを抱きしめようとしたが、猫は突然怖い顔をして「シャー」と鳴き、警戒して拒んだ。仕方なく諦めた春馬はキッチンへ向かい、大きな冷蔵庫からミネラルウォーターを勝手に取り出して飲んだ。ジャンダ教授のお腹の上では、疲れたようにポールが体を丸めて眠ってしまった。
春馬はスマホでLINEを確認しながら時間を過ごしていた。外はすでに薄暗くなり、ポールが起き上がって自動給餌器へ歩いていき餌を食べる。続いて隣の自動給水器から器用に水を飲む姿が可愛らしく、春馬は思わず見入った。そのとき、突然スマホの着信音が鳴り響いた。
「春馬、今日はおばあさんが来るから早く帰って来てって言ったのに、もう8時なのにまだ来ないの?」
母・山田桂子の心配そうな声に続いて、父の怒鳴り声が飛び込んできた。
「おばあさん、2時間前に着いて待ってるんだぞ!早く来い!」
痺れを切らした父・マイク・パンサーの元気な声が煩わしく響く。
「ちょっと、すぐには帰れない。番が寝てるから傍にいてあげなくちゃ」
「何だって?番?冗談でしょう、春馬、何を言ってるの?」
「母ちゃん…俺、やっちまった。本当の運命の番に出会ったんだ。今は詳しく話せねぇ。寝てるから静かにしてる。ばあちゃんにはごめんな。切るよ」
「春馬、ちょ…ちょっと待ちなさい…!」
電話を切った春馬は、急にお腹が空いてきてキッチンへ向かい、冷蔵庫を覗いた。中は綺麗に整理されていて、野菜や果物が多く並んでいる。運よく手作りのガトーショコラが二切れ見つかり、取り出して食べてみると、しっとり濃厚なのに生地はホロホロと口どけて、とても美味しかった。さらにバナナとメロンもペロリと平らげると、ポールが「ニャー、ニャー」と鳴いた。春馬が手を洗ってリビングへ戻ると、ジャンダ教授が目を覚ましていた。
「先生、起きましたか。もう夜の9時ですよ。お腹、減ってませんか?」
教授は起き上がろうとしたが、思うように体が動かず、狼狽していた。春馬が腰に手を添えて優しく支える。何も言わずに鬱々とした気持ちを抑え、バスルームへ行こうと立ち上がった教授だったが、足に力が入らずふらつき、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「先生、どこへ行きたいんですか?キッチンですか?浴室ですか?」
ジャンダ教授は何も言わずに視線を逸らした。春馬は教授をお姫様抱っこのように抱き上げる。教授は力なく身を委ね、抵抗することもできなかった。春馬は教授を抱えて浴室へと入る。真っ白な大理石の浴室は清潔感にあふれ、リードディフューザーから漂うジャスミンの甘い香りが満ちていた。
「もう、出てちょうだい。ひとりでいたい」
疲れ果てた教授は、弱々しく掠れた声でそう呟いた。春馬は一瞬ためらったが、静かにドアを閉めて浴室を後にした。教授はゆっくりと服を脱ぎ、シャワーを浴び始める。春馬は心配で、浴室の前に座り込みスマホを眺めながら待っていた。
しかし30分ほど経っても教授は出てこない。焦燥感に駆られた春馬はドア越しに声をかけたが、返事はなく静寂が続いた。
「先生、ドアを開けますよ。いいですね?」
再び声を張り上げても反応はない。春馬はドアノブに手をかける。ロックはされていなかったので、容易に開けることができた。案の定、教授はシャワーブースで倒れていた。春馬はシャワーヘッドから流れる水を止め、洗面台の棚から大きなタオルを取り出す。教授の体を優しく拭き、大きなタオルで包み込むようにくるみ、抱きかかえて浴室を後にした。
浴室以外に三つのドアがあり、春馬は一つずつ開けてみた。浴室の向かいの部屋は書斎らしく、大きなウッドの机と、壁をくぼませて作られたお洒落なニッチに囲まれた本棚があり、大量の本がすっきりと収められていた。白一色のルネッサンス調インテリアのリビングルームとは対照的に、アンティークウッドでまとめられた落ち着いた雰囲気の空間だった。
リビングルームには美しい白のレースカーテンが掛けられ気品が漂っていたが、書斎はブラウンのウッドブラインドで、英国のクラシックな伝統を感じさせる落ち着いた趣があった。
浴室の隣の部屋を開けると、ブルーグレー系でまとめられたお洒落な衣装部屋が現れた。多くの衣類や鞄が整然と並び、きちんと整理されている。さらに一番奥の最後の部屋を開けると、赤とゴールドのダマスク柄の派手な壁紙が目に飛び込んできた。大きな窓には同じ柄のベルベットカーテンが掛けられ、その前には紫とゴールドのダマスク柄の生地で覆われ、ブラウンマホガニーのフレームに細やかな彫刻が施された豪華なヴェネチアンシングルソファが二つ、ゴージャスなマホガニー材のティーテーブルを挟んで置かれていた。
部屋の中央には、美しいフィレンツェ風のマホガニー材アンティークダブルベッドが堂々と置かれていた。春馬はまるで貴族の宮殿のような雰囲気にうっとりしながら、ジャンダ教授をシルクの滑らかな紫色の布団の中へゆっくりと寝かせた。
ふと目をやると、ベッドの横に置かれたアンティーク調の豪華なナイトテーブルの上に、三つのフォトフレームが並んでいた。白いパールで飾られたフレームには、背の高いハンサムな黒人男性がジャンダ教授を後ろから抱きしめ、頬にキスをしている写真が収められている。教授は幸せそうに笑っていた。
黒いパールのフレームには、アメリカエアラインのロゴ入りのパイロット制服を着た黒人男性が、大きな飛行機の前で微笑んでいる姿が映っていた。赤いパールのフレームには、赤い薔薇のブーケを手にした白いウェディングスーツ姿の美しいジャンダ教授と、白いタキシードを着こなした凛々しい黒人男性が腕を組み、笑顔を見せている写真が収められていた。
今よりも若く、明るさに満ちた教授は、この上なく幸せそうな華やかな笑顔を浮かべていた。春馬は写真をじっと見つめたまま、布団から教授の左手をそっと取り出し、薬指に嵌められたピンクゴールドの指輪に触れてみた。先ほど項を噛んだときに確認したが、そこに痕はなかった。写真の黒人男性は番ではないようだ。しかし、結婚式のような写真があることに、春馬はどうしても心を乱された。
突然、ジャンダ教授が浅い呼吸を繰り返しながら寝返りを打った。さっきまで蒼白だった顔は赤く火照り、頬と額に触れると驚くほど熱い。春馬は慌てて浴室へ走り、冷たい水で濡らしたタオルを持ち帰り、教授の顔を優しく拭った。
体全体も熱を帯びているようで、春馬は急いでスマホを手に取った。時刻は夜の10時20分頃。エンライトメント公立大学附属病院に勤める10歳年上の従兄・淳に電話をかけた。しばらく応答がなく切ろうとした瞬間、落ち着いた声がスマホから聞こえてきた。
「春馬、家にいるのか?おばあさんが来てるから、今そっちへ向かってる。運転中だ」
「淳にぃ! 今、木槿丘のピース高層タワーマンションにいる。俺の番が急に高熱出して……頼む、早く来てくれ!」
「はぁ?いつから番ができたんだ?初耳だぞ。どういうことだ?」
「ごめん、詳しい話は後で。とにかく早く来てくれ」
「緊急なら救急車を呼べ。意識はあるのか?」
「多分、俺が1時間以上ファックしたからかなぁー 」
「おめぇー正気かよ。すぐ行く。30分くらい待ってろ。水分はしっかり摂らせろ」
電話を切ると、春馬はすぐにキッチンへ向かい、ミネラルウォーターをグラスに注いでベッドに戻った。
「先生、ちょっとだけ飲んで……」
優しく肩を揺すると、ジャンダ教授は薄く目を開けたが、体を起こす力は残っていなかった。
春馬はもう一度キッチンへ行き、小さなティースプーンを取って戻る。水をすくって乾いた唇にそっと含ませ、少しずつ、根気よく飲ませ続けた。
ジャンダ教授はうまく嚥下できなかったが、少しだけゴクッと飲み込んだ。春馬は従兄の淳が到着するまで、水を飲ませたり体を拭いたりして懸命に看病を続けた。
中背で平凡なベータの淳は、緊急医療ボックスと大きなトートバッグを抱えてピース高層タワーマンションのエントランスに到着し、インターフォンを押す。通されるとエレベーターに乗り、17階へ向かった。
1702号室の玄関が開くと、淳は急いで中へ入り、春馬とともに通路の奥の部屋へ進む。現役医師らしい真剣な表情で、淳は素早く教授の体を丁寧に診察した。
「急なフェロモンの上昇で熱が出たのかもしれない……発情期も重なったようだ。脱水症状もあるな」
早口でそう言いながら、淳は救急ボックスから注射器とオメガ用のリンゲル液を取り出し、組み立て式のスタンドを手際よく組み上げていく。
枕が濡れないように頭をタオルで覆っていた教授の小さな顔は、輪郭がくっきりと浮かび上がり、大きな瞼に長く豊かな睫毛が美しく並んでいた。高く整った鼻梁と、赤いチェリーのように艶やかな唇が調和し、儚くも美しい表情を形作っていた。
「すごく綺麗な人だな」と感心しながら、淳はジャンダ教授の腕に注射針を固定し、オメガ用のリンゲル液を投与した。大きなトートバッグからオムツを取り出し、教授の体に掛けられたタオルへ手を伸ばした瞬間、春馬が咄嗟にその手を振り払った。
「やめろ、俺の番に何をするんだ」
「俺は医者だ。点滴を投与したから、念のためにオムツを穿かせるだけだ」
「見るなって……オムツは俺がやる」
春馬は淳からオムツを受け取り、タオルを開いて四苦八苦しながら教授に穿かせようとした。
「これを塗ってあげろ。オメガ専用のクリームだ。アロマ効果もあって、精神を落ち着けるのにいい」
どうにかオムツを穿かせた春馬は、淳から渡されたオメガ専用クリームを受け取り、教授の顔から体まで丁寧に塗り広げていった。
「もう、深夜の12時を過ぎている。もし朝4時まで熱が下がらなかったら、病院へ連れて行こう。オメガだから慎重に診なければならない。……オメガ登録証はあるかな。医療機関専用の形質者管理アプリで病歴を確認できるし、過去の処方歴が分かれば診断も早いけど…」
春馬はリビングへ行き、ジャンダ教授の白いセリーヌの革ショルダーバッグを探った。中から同じく白のセリーヌ製の革の長財布を見つけ、開いてみると複数のカードが入っていた。その中に写真付きのオメガ登録証明書もあった。春馬はそれを持って部屋へ戻り、淳に手渡した。淳はスマホで形質者管理アプリを起動し、教授のオメガ登録番号を入力してしばらく待った。
「なんだよ、30代くらいかと思ったのに、50歳って……ちょっと意外だな。フランス国籍の劣性オメガか。病歴はなく、発情期やフェロモンの問題もなし。番の契約や解除の履歴もないし、抑制剤も年に3回しか処方されていない。妊娠や堕胎の記録もない。身長は高いな、178センチ。体重は55キロ……痩せすぎだろ。血液型はB型、特に問題はなさそうだ。ただ、もし朝4時まで熱が下がらなければ、病院に連れて行って精密検査するしかない。それで、正直に話してくれ。何があったんだ。同意のない行為で強いストレスを受けると、フェロモンの異常で体調を崩すことがある。場合によっては気絶したり、意識が朦朧とすることもあるし、オメガの性質によっては歩けなくなったり、言葉が出なくなるケースもある。とても危険なんだ。だから隠さずに教えてくれ、春馬」
春馬はペットボトルのミネラルウォーターを一気に飲み干すと、これまでの経緯を淡々と語った。真剣に耳を傾けていた淳は次第に怒りを募らせ、激しく声を荒げた。
「お前……オメガを無理やり犯して、勝手に項を噛んで番の契約を結んだら、どれほど危険なことか分かってるのか? 被害者のオメガの体は極度に不安定になって命に関わるし、お前の選手生命は完全に終わる。マスコミに知られたら日本中が大騒ぎになるのはもちろん、世界中で問題になるぞ。絶滅危惧種のオメガを守るために特別法が設けられていて、オメガへの強姦罪は日本でも40年以上の懲役だ。ヨーロッパじゃ無期懲役だぞ。どうするつもりだ?」
淳は深いため息をつき、怒りと呆れが入り混じった目で春馬を見下ろした。
「セフレだっていたじゃないか。欲求不満で我慢できなかったなんて言い訳は通用しない。いくら綺麗な人だからって、理性を失っていい理由にはならない。本当に愛しているなら、相手の気持ちを一番に考えるのが当たり前だ。お前には……この人を愛する資格なんて、これっぽっちもない」
少し間を置いて、静かに続けた。
「明日、病院に連れてく。番の解除手術、一週間以内ならまだ間に合う。理由書には全部書く。『強姦されて無理やり番にされた』って、正直に全部な。俺はお前が潔く罪を認めて償うところまで見届けるよ。それが筋だ」
「覚悟はできている。先生を抱いたことに後悔はない。一生、刑務所にいても構わない」
「狂ってるな。本当の愛を知らないんだ。尊重と責任があってこそ真の愛だ。まずは叔父さんと叔母さんにも話す必要がある」
決意を固めた淳は、春馬の父である叔父に電話をかけた。春馬はその間、濡れたタオルでジャンダ教授のやつれた顔の汗を優しく拭き取っていた。
冬心は、出発前に星空町のピースタワーマンションへの引っ越し手続きや、昔書いた詩と小説の出版のことなどをジャンダ教授に頼んでいた。感謝の気持ちを込めてお礼として500万円を渡そうとしたが、教授はきっぱり断り、返却した。自分は十分に豊かな生活を送っているから、大変な人たちを支援する団体に寄付してほしい、と伝えたのだ。
ジャンダ教授の穏やかな日常に波乱が訪れたのは、春馬と出会ったことがきっかけだった。春馬が毎日執拗に追いかけてくるため、教授はストーカー被害として警察に相談すべきか悩んでいた。しかし、相手が冬心の親友であることを考えると、もう少し我慢してみようと思い直した。
その日も、春馬は羽田空港までついてきて、一緒に冬心を見送った。見送りが終わると、教授は冬心の祖母を星空町まで送るため駐車場に向かったところ、春馬が「乗せてください」と頼んできた。事情を知らない祖母は、愛想のいい春馬が冬心の親友だと聞いてすっかり気に入り、「一緒に寄ってお茶でもしましょう」と誘ってしまった。
仕方なく、ジャンダ教授は祖母と春馬を乗せて星空町へ向かった。車中、春馬は冬心の高校時代のエピソードを次々と楽しげに話し、祖母を笑わせていた。
銀河水公営アパートに着くと、三人はお茶を飲みながら煎餅をつまみ、引っ越しや本の出版のことなどを和やかに語り合った。昼近くになり、祖母の体調を気遣った教授は「約束があるので失礼します」と切り上げて家を出た。春馬も丁寧にお礼を言って後を追う。
アパート前に停めた車に戻ると、春馬が勝手に助手席に乗り込んでいた。教授は「一人で帰ってください」と告げたが、春馬は知らんぷりで動こうとしない。渋々運転席に座った教授は、仕方なく送ってあげることにし、住所を尋ねた。すると春馬はにやにやしながら「先生と一緒にいたいから、住所は教えません」と言い切った。
頭痛を覚えた教授は、とりあえずピース大学へ車を走らせた。ドライブ中、春馬は幼い頃の思い出やアイスホッケーに出会った話などを一方的に楽しそうにしゃべり続けたが、教授は無表情のまま興味なさげに相槌も打たず、ただ黙ってハンドルを握っていた。
地下二階の駐車場に車を停めたジャンダ教授は、ドアを開けて降りようとした。その瞬間、春馬が教授の細い手首を掴み、強く抱きついてきた。
突然のことに教授は背筋を震わせ、必死に抵抗して春馬から逃れようとしたが、筋肉質でがっしりした体格の春馬に押さえ込まれ、息を詰めて耐えるしかなかった。春馬は手慣れた様子で運転席横のレバーを引き、シートを一気に倒す。教授はあっけなくその下に組み敷かれてしまった。
「先生……好きです。いや、愛してます。付き合ってください。俺、何でもしますから」
「ああ……冗談でも、そんなこと言わないで。私は君の親くらいの歳なんだよ。正気じゃない……」
春馬の硬い胸に強く抱きしめられ、身動きひとつ取れない教授は暴れようとしたが、すぐに力尽きてしまった。春馬は意図的にフェロモンを放ち始め、オメガである教授を刺激していく。潮風のような爽やかで海を感じさせる春馬のフェロモンが濃密に広がり、教授の体は次第に熱を帯び、疼きが募っていった。
6年ぶりのフェロモンにさらされ、すぐに反応してしまった教授は、心の中では必死に拒絶を叫んでいるのに、体は正直に震え、乳首が硬く尖り、ペニスも疼いて勃起し始めてしまう。
「いや……止めて……いやあ……お願い……」
どれほど切実に懇願しても、事態はもう取り返しのつかないところまで来ていた。必死に声を上げて訴える教授を、春馬は強く抱きしめたまま、唇を舐めるようにして奪う。抵抗する教授の艶やかで美しい唇に、熱く激しいキスを落とす。
息を荒げ、苦しげに喘ぐ教授の口内へ舌を滑り込ませ、整った歯並みを執拗に舐め回した。教授は無理やり絡め取られる舌をどうすることもできず、開かれた口端から唾液が糸を引いて零れ落ちていた。
春馬はプッシュスタートボタンを押してエンジンをかけ、エアコンのA/Cスイッチを入れたあと、ジャンダ教授の長いウェーブのかかったブロンドヘアをそっと耳にかけてやった。さらさらと指に絡む髪触りが心地よく、車内に漂い始めたのは清潔感のあるスズランの香りーーそれはジャンダ教授から放たれる濃密なオメガフェロモンだった。
春馬はたちまち反応し、ズボンの中でペニスが痛いほどに硬く張り詰めた。彼は我慢できずジャンダ教授の唇を奪いながら、両手で白いリネンシャツのボタンを素早く外していく。シャツがはだけ、その下の白いインナーをたくし上げると、透き通るような白い肌と薄いピンク色の乳首が露わになった。
触ってみると、柔らかくすべすべで、まるで少女のように瑞々しい乳房がふっくらと膨らんでいる。春馬は硬く尖った乳首に舌を這わせ、執拗に舐め回し、吸い上げた。
「んっ……あ……」
ようやくジャンダ教授の唇から甘い喘ぎが漏れる。それだけで春馬の興奮は頂点に達し、両手で乳房を揉みしだきながら、右の乳首をちゅるちゅると卑猥な音を立ててしゃぶり続けた。静かな地下駐車場に響くのは、吸いつく音と「はぁ……はぁ……あんっ……」というジャンダ教授の艶めかしい嬌声だけだった。
しばらく乳房を堪能したあと、春馬は手を下げて教授の白いジーンズのファスナーを降ろす。インナーパンツはすでに先端から滲んだプレカムと、後孔から溢れる愛液とでぐっしょりと濡れていた。パンツを下ろすと、小さくて愛らしいピンク色のペニスが顔を出す。
「……可愛い」
春馬は呟きながら、それを口に含んだ。甘い味が舌に広がり、夢中でしゃぶっていると、ジャンダ教授は体をびくんと震わせてすぐに達してしまった。薄い精液が口の中に広がり、春馬は一滴残らず飲み干した。
素っ裸になったジャンダ教授は、激しいフェロモンシャワーに全身を苛まれ、後孔の奥が疼いてたまらず、涙目で春馬を見上げる。6年ぶりの性交という長い空白が、隠していたオメガの本能を一気に暴走させていた。
春馬はそれを見て取った。優性アルファの自分によって、ジャンダ教授に突発性発情が引き起こされたのだ。もう理性は吹き飛び、びちょびちょに濡れた後孔に舌を這わせ、指を一本滑り込ませる。ふっくらとした内壁がきゅうっと締めつけてくるのに興奮し、すぐに三本、四本と増やして荒々しく掻き回した。
「ひゃあっ! あぁっ、だめぇ……!」
ジャンダ教授は甲高い声を上げて腰を跳ねさせる。愛液がジョボジョボと溢れ、春馬はそれを舐め取り、舌を奥まで差し込んで味わい尽くした。そしてついに、熱く膨張した自分のペニスを押し当て、一気に挿入した。
「んあぁぁっ!」
ジャンダ教授の穴はちゅるちゅると吸いつき、春馬の動きに合わせて自然に腰を振り、絡みついてくる。その淫靡な動きに、春馬は「先生、こんなにエロいなんて……」と呻きながら激しく腰を打ちつけた。
やがて限界を迎え、ペニスがさらに肥大し、ノットが膨らむ。春馬は本能のままにジャンダ教授の白い項に牙を立て、深く噛みついた。
「いやっ、だめ……っ!」
遅かった。運命の番の証である噛み跡が刻まれ、同時に春馬は再びノッティングしながら大量の精液を子宮めがけて注ぎ込む。ジャンダ教授は全身を痙攣させながら絶叫し、極端な快楽に意識が飛びそうになる。
長い長い交わりが終わり、ようやく肉棒を引き抜くと、くぱくと開いたピンク色の穴から白濁がとろりと溢れていた。春馬は勝ち誇ったような満足感に浸りながらも、理性が戻ると慌ててウェットティッシュを取り出し、ぐったりとしたジャンダ教授の身体を丁寧に拭った。
溢れる精液を指で掻き出した後、春馬は教授に服を着せ直し、シートも隅々まで拭き取る。ジャンダ教授は涙を流したまま、力なく目を閉じていた。春馬はそんな先生の頬にそっと手を添え、優しくキスをする。
「先生……ありがとう。俺、絶対に責任取るから。愛してる」
春馬の「愛してる」という言葉に、ジャンダ教授はただすすり泣くばかりだった。春馬はそっとドアを開け、ぐったりした先生を助手席に移し、運転席のシートをもう一度丁寧に拭いた。ラジオをつけると、ちょうど川嶋あいの『明日への扉』が流れ始めた。
『光る汗 Tシャツ 出会った恋 誰よりも輝く君を見て…』
春馬は小さく口ずさみながらハンドルを握り、木槿丘のピース高層タワーマンションへと車を走らせる。ジャンダ教授は最初こそしくしくと泣いていたが、家に着く頃には疲れ果てて眠ってしまった。春馬は教授に一目惚れした日からずっと追いかけていたので、住所も既に知っていた。
ハンズフリーセキュリティの駐車場は教授の車を認識し、自動でバーが上がった。春馬は眠っているジャンダ教授をそっと抱き上げ、エレベーターの顔認証カメラに教授の顔をかざす。すると扉が開き、春馬は教授を抱えたまま乗り込んだ。 やがてマンション1階のロビーラウンジへと到着する。
広々としたロビーラウンジには、高級感のあるオブジェと大きな植物が飾られ、天井も高く開放感に満ちていた。春馬はその空間を抜け、エントランスホールのコンシェルジュデスクへ向かい、ジャンダ教授の駐車番号と部屋番号を尋ねた。
若い男性コンシェルジュは、テレビで見慣れた春馬の姿に気づき、疑うことなく親切に教えてくれた。
春馬は礼を言うと、再び地下1階の駐車場へ向かった。適当に停めていた車を動かし、ジャンダ教授の駐車番号の場所へ移す。そして眠り続ける教授を再びお姫様抱っこのように抱え、エレベーターへ乗り込み17階のボタンを押した。教授はよほど疲れていたのか、まるで死んだように深い眠りに落ちていた。
17階に着き、1702号室の前に立つ。ハンズフリーオートロックのカメラに教授の顔を映すと、チャッと音を立ててドアが開いた。広く清潔な玄関で教授のスニーカーを脱がせ、入ろうとしたその時、グレーのブリティッシュショートヘアの猫が「ニャーン」と鳴きながら見上げてきた。
「おすー、俺は春馬。お前の飼い主の旦那様だ。よろしくな、一緒に入ろうぜ」
春馬は、白一色で飾られた広いリビングルームに清潔感を覚えながら、ダマスク柄のアンバーホワイトに金色の彫刻が施されたエレガントな三人掛けのヴェネチアンソファへ、ジャンダ教授をそっと降ろした。部屋には大きなソファとテーブル、キャットタワーが置かれ、モンステラやアジアンタム、サンスベリア、ストレリチア、フィカス・ベンジャミンなど多くの観葉植物が並び、緑の香りが新鮮に満ちていた。
そのとき、猫のポールがジャンダ教授のお腹へ飛び乗り、蒼白な顔を舌で優しく舐め始めた。しっぽをゆっくりと大きく揺らしながら、「ニャオン、ニャオン」と鳴き続けていた。
春馬はポールを抱きしめようとしたが、猫は突然怖い顔をして「シャー」と鳴き、警戒して拒んだ。仕方なく諦めた春馬はキッチンへ向かい、大きな冷蔵庫からミネラルウォーターを勝手に取り出して飲んだ。ジャンダ教授のお腹の上では、疲れたようにポールが体を丸めて眠ってしまった。
春馬はスマホでLINEを確認しながら時間を過ごしていた。外はすでに薄暗くなり、ポールが起き上がって自動給餌器へ歩いていき餌を食べる。続いて隣の自動給水器から器用に水を飲む姿が可愛らしく、春馬は思わず見入った。そのとき、突然スマホの着信音が鳴り響いた。
「春馬、今日はおばあさんが来るから早く帰って来てって言ったのに、もう8時なのにまだ来ないの?」
母・山田桂子の心配そうな声に続いて、父の怒鳴り声が飛び込んできた。
「おばあさん、2時間前に着いて待ってるんだぞ!早く来い!」
痺れを切らした父・マイク・パンサーの元気な声が煩わしく響く。
「ちょっと、すぐには帰れない。番が寝てるから傍にいてあげなくちゃ」
「何だって?番?冗談でしょう、春馬、何を言ってるの?」
「母ちゃん…俺、やっちまった。本当の運命の番に出会ったんだ。今は詳しく話せねぇ。寝てるから静かにしてる。ばあちゃんにはごめんな。切るよ」
「春馬、ちょ…ちょっと待ちなさい…!」
電話を切った春馬は、急にお腹が空いてきてキッチンへ向かい、冷蔵庫を覗いた。中は綺麗に整理されていて、野菜や果物が多く並んでいる。運よく手作りのガトーショコラが二切れ見つかり、取り出して食べてみると、しっとり濃厚なのに生地はホロホロと口どけて、とても美味しかった。さらにバナナとメロンもペロリと平らげると、ポールが「ニャー、ニャー」と鳴いた。春馬が手を洗ってリビングへ戻ると、ジャンダ教授が目を覚ましていた。
「先生、起きましたか。もう夜の9時ですよ。お腹、減ってませんか?」
教授は起き上がろうとしたが、思うように体が動かず、狼狽していた。春馬が腰に手を添えて優しく支える。何も言わずに鬱々とした気持ちを抑え、バスルームへ行こうと立ち上がった教授だったが、足に力が入らずふらつき、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「先生、どこへ行きたいんですか?キッチンですか?浴室ですか?」
ジャンダ教授は何も言わずに視線を逸らした。春馬は教授をお姫様抱っこのように抱き上げる。教授は力なく身を委ね、抵抗することもできなかった。春馬は教授を抱えて浴室へと入る。真っ白な大理石の浴室は清潔感にあふれ、リードディフューザーから漂うジャスミンの甘い香りが満ちていた。
「もう、出てちょうだい。ひとりでいたい」
疲れ果てた教授は、弱々しく掠れた声でそう呟いた。春馬は一瞬ためらったが、静かにドアを閉めて浴室を後にした。教授はゆっくりと服を脱ぎ、シャワーを浴び始める。春馬は心配で、浴室の前に座り込みスマホを眺めながら待っていた。
しかし30分ほど経っても教授は出てこない。焦燥感に駆られた春馬はドア越しに声をかけたが、返事はなく静寂が続いた。
「先生、ドアを開けますよ。いいですね?」
再び声を張り上げても反応はない。春馬はドアノブに手をかける。ロックはされていなかったので、容易に開けることができた。案の定、教授はシャワーブースで倒れていた。春馬はシャワーヘッドから流れる水を止め、洗面台の棚から大きなタオルを取り出す。教授の体を優しく拭き、大きなタオルで包み込むようにくるみ、抱きかかえて浴室を後にした。
浴室以外に三つのドアがあり、春馬は一つずつ開けてみた。浴室の向かいの部屋は書斎らしく、大きなウッドの机と、壁をくぼませて作られたお洒落なニッチに囲まれた本棚があり、大量の本がすっきりと収められていた。白一色のルネッサンス調インテリアのリビングルームとは対照的に、アンティークウッドでまとめられた落ち着いた雰囲気の空間だった。
リビングルームには美しい白のレースカーテンが掛けられ気品が漂っていたが、書斎はブラウンのウッドブラインドで、英国のクラシックな伝統を感じさせる落ち着いた趣があった。
浴室の隣の部屋を開けると、ブルーグレー系でまとめられたお洒落な衣装部屋が現れた。多くの衣類や鞄が整然と並び、きちんと整理されている。さらに一番奥の最後の部屋を開けると、赤とゴールドのダマスク柄の派手な壁紙が目に飛び込んできた。大きな窓には同じ柄のベルベットカーテンが掛けられ、その前には紫とゴールドのダマスク柄の生地で覆われ、ブラウンマホガニーのフレームに細やかな彫刻が施された豪華なヴェネチアンシングルソファが二つ、ゴージャスなマホガニー材のティーテーブルを挟んで置かれていた。
部屋の中央には、美しいフィレンツェ風のマホガニー材アンティークダブルベッドが堂々と置かれていた。春馬はまるで貴族の宮殿のような雰囲気にうっとりしながら、ジャンダ教授をシルクの滑らかな紫色の布団の中へゆっくりと寝かせた。
ふと目をやると、ベッドの横に置かれたアンティーク調の豪華なナイトテーブルの上に、三つのフォトフレームが並んでいた。白いパールで飾られたフレームには、背の高いハンサムな黒人男性がジャンダ教授を後ろから抱きしめ、頬にキスをしている写真が収められている。教授は幸せそうに笑っていた。
黒いパールのフレームには、アメリカエアラインのロゴ入りのパイロット制服を着た黒人男性が、大きな飛行機の前で微笑んでいる姿が映っていた。赤いパールのフレームには、赤い薔薇のブーケを手にした白いウェディングスーツ姿の美しいジャンダ教授と、白いタキシードを着こなした凛々しい黒人男性が腕を組み、笑顔を見せている写真が収められていた。
今よりも若く、明るさに満ちた教授は、この上なく幸せそうな華やかな笑顔を浮かべていた。春馬は写真をじっと見つめたまま、布団から教授の左手をそっと取り出し、薬指に嵌められたピンクゴールドの指輪に触れてみた。先ほど項を噛んだときに確認したが、そこに痕はなかった。写真の黒人男性は番ではないようだ。しかし、結婚式のような写真があることに、春馬はどうしても心を乱された。
突然、ジャンダ教授が浅い呼吸を繰り返しながら寝返りを打った。さっきまで蒼白だった顔は赤く火照り、頬と額に触れると驚くほど熱い。春馬は慌てて浴室へ走り、冷たい水で濡らしたタオルを持ち帰り、教授の顔を優しく拭った。
体全体も熱を帯びているようで、春馬は急いでスマホを手に取った。時刻は夜の10時20分頃。エンライトメント公立大学附属病院に勤める10歳年上の従兄・淳に電話をかけた。しばらく応答がなく切ろうとした瞬間、落ち着いた声がスマホから聞こえてきた。
「春馬、家にいるのか?おばあさんが来てるから、今そっちへ向かってる。運転中だ」
「淳にぃ! 今、木槿丘のピース高層タワーマンションにいる。俺の番が急に高熱出して……頼む、早く来てくれ!」
「はぁ?いつから番ができたんだ?初耳だぞ。どういうことだ?」
「ごめん、詳しい話は後で。とにかく早く来てくれ」
「緊急なら救急車を呼べ。意識はあるのか?」
「多分、俺が1時間以上ファックしたからかなぁー 」
「おめぇー正気かよ。すぐ行く。30分くらい待ってろ。水分はしっかり摂らせろ」
電話を切ると、春馬はすぐにキッチンへ向かい、ミネラルウォーターをグラスに注いでベッドに戻った。
「先生、ちょっとだけ飲んで……」
優しく肩を揺すると、ジャンダ教授は薄く目を開けたが、体を起こす力は残っていなかった。
春馬はもう一度キッチンへ行き、小さなティースプーンを取って戻る。水をすくって乾いた唇にそっと含ませ、少しずつ、根気よく飲ませ続けた。
ジャンダ教授はうまく嚥下できなかったが、少しだけゴクッと飲み込んだ。春馬は従兄の淳が到着するまで、水を飲ませたり体を拭いたりして懸命に看病を続けた。
中背で平凡なベータの淳は、緊急医療ボックスと大きなトートバッグを抱えてピース高層タワーマンションのエントランスに到着し、インターフォンを押す。通されるとエレベーターに乗り、17階へ向かった。
1702号室の玄関が開くと、淳は急いで中へ入り、春馬とともに通路の奥の部屋へ進む。現役医師らしい真剣な表情で、淳は素早く教授の体を丁寧に診察した。
「急なフェロモンの上昇で熱が出たのかもしれない……発情期も重なったようだ。脱水症状もあるな」
早口でそう言いながら、淳は救急ボックスから注射器とオメガ用のリンゲル液を取り出し、組み立て式のスタンドを手際よく組み上げていく。
枕が濡れないように頭をタオルで覆っていた教授の小さな顔は、輪郭がくっきりと浮かび上がり、大きな瞼に長く豊かな睫毛が美しく並んでいた。高く整った鼻梁と、赤いチェリーのように艶やかな唇が調和し、儚くも美しい表情を形作っていた。
「すごく綺麗な人だな」と感心しながら、淳はジャンダ教授の腕に注射針を固定し、オメガ用のリンゲル液を投与した。大きなトートバッグからオムツを取り出し、教授の体に掛けられたタオルへ手を伸ばした瞬間、春馬が咄嗟にその手を振り払った。
「やめろ、俺の番に何をするんだ」
「俺は医者だ。点滴を投与したから、念のためにオムツを穿かせるだけだ」
「見るなって……オムツは俺がやる」
春馬は淳からオムツを受け取り、タオルを開いて四苦八苦しながら教授に穿かせようとした。
「これを塗ってあげろ。オメガ専用のクリームだ。アロマ効果もあって、精神を落ち着けるのにいい」
どうにかオムツを穿かせた春馬は、淳から渡されたオメガ専用クリームを受け取り、教授の顔から体まで丁寧に塗り広げていった。
「もう、深夜の12時を過ぎている。もし朝4時まで熱が下がらなかったら、病院へ連れて行こう。オメガだから慎重に診なければならない。……オメガ登録証はあるかな。医療機関専用の形質者管理アプリで病歴を確認できるし、過去の処方歴が分かれば診断も早いけど…」
春馬はリビングへ行き、ジャンダ教授の白いセリーヌの革ショルダーバッグを探った。中から同じく白のセリーヌ製の革の長財布を見つけ、開いてみると複数のカードが入っていた。その中に写真付きのオメガ登録証明書もあった。春馬はそれを持って部屋へ戻り、淳に手渡した。淳はスマホで形質者管理アプリを起動し、教授のオメガ登録番号を入力してしばらく待った。
「なんだよ、30代くらいかと思ったのに、50歳って……ちょっと意外だな。フランス国籍の劣性オメガか。病歴はなく、発情期やフェロモンの問題もなし。番の契約や解除の履歴もないし、抑制剤も年に3回しか処方されていない。妊娠や堕胎の記録もない。身長は高いな、178センチ。体重は55キロ……痩せすぎだろ。血液型はB型、特に問題はなさそうだ。ただ、もし朝4時まで熱が下がらなければ、病院に連れて行って精密検査するしかない。それで、正直に話してくれ。何があったんだ。同意のない行為で強いストレスを受けると、フェロモンの異常で体調を崩すことがある。場合によっては気絶したり、意識が朦朧とすることもあるし、オメガの性質によっては歩けなくなったり、言葉が出なくなるケースもある。とても危険なんだ。だから隠さずに教えてくれ、春馬」
春馬はペットボトルのミネラルウォーターを一気に飲み干すと、これまでの経緯を淡々と語った。真剣に耳を傾けていた淳は次第に怒りを募らせ、激しく声を荒げた。
「お前……オメガを無理やり犯して、勝手に項を噛んで番の契約を結んだら、どれほど危険なことか分かってるのか? 被害者のオメガの体は極度に不安定になって命に関わるし、お前の選手生命は完全に終わる。マスコミに知られたら日本中が大騒ぎになるのはもちろん、世界中で問題になるぞ。絶滅危惧種のオメガを守るために特別法が設けられていて、オメガへの強姦罪は日本でも40年以上の懲役だ。ヨーロッパじゃ無期懲役だぞ。どうするつもりだ?」
淳は深いため息をつき、怒りと呆れが入り混じった目で春馬を見下ろした。
「セフレだっていたじゃないか。欲求不満で我慢できなかったなんて言い訳は通用しない。いくら綺麗な人だからって、理性を失っていい理由にはならない。本当に愛しているなら、相手の気持ちを一番に考えるのが当たり前だ。お前には……この人を愛する資格なんて、これっぽっちもない」
少し間を置いて、静かに続けた。
「明日、病院に連れてく。番の解除手術、一週間以内ならまだ間に合う。理由書には全部書く。『強姦されて無理やり番にされた』って、正直に全部な。俺はお前が潔く罪を認めて償うところまで見届けるよ。それが筋だ」
「覚悟はできている。先生を抱いたことに後悔はない。一生、刑務所にいても構わない」
「狂ってるな。本当の愛を知らないんだ。尊重と責任があってこそ真の愛だ。まずは叔父さんと叔母さんにも話す必要がある」
決意を固めた淳は、春馬の父である叔父に電話をかけた。春馬はその間、濡れたタオルでジャンダ教授のやつれた顔の汗を優しく拭き取っていた。
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